★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版) 作:埴輪庭
◆
母船に到着するまであと三分。
フレアの高エネルギー粒子が惑星に到達するまであと九分。
君は時間を数えながら、惑星を見続けた。
オーロラのパターンが変化していた。
不規則だった明滅が徐々に同期していく。惑星全体が一つのリズムで脈動し始めている。数十億年の進化が作り上げたシステムが最後の協調動作を行っている。
『オーロラの周期が完全に同期しました』
ミラが報告した。
『周期は一・二秒。これまでで最短です。惑星全体のシステムが最大効率で稼働しています』
一・二秒。
到着時の四分の一以下だ。
この惑星は最後の力を振り絞っている。来たるべき嵐に備えて──あるいは最後の輝きを放つために。
君にはどちらなのか分からなかった。
備えているのか。諦めているのか。それとも──受け入れているのか。
◆
母船「ステラ・ノヴァ」に到着した。
博士は直ちにワープ準備を指示した。
「目標座標を入力。惑星C66の軌道上へ」
『了解しました。ワープ準備完了まで約三分です』
フレアの到達まであと六分。
時間は十分にある。だが君は落ち着かなかった。
窓から見えるペルセポネ・プライムは青緑色のオーロラに包まれて幻想的に輝いている。
その美しさが逆に胸を締め付けた。
「博士」
君は口を開いた。
「観測ビーコンを残せないのか」
「ビーコン?」
「ああ。この惑星がどうなるか、記録に残したいんじゃねえのか。最後まで」
博士は君の顔を見た。
その目には驚きと──感謝の色が浮かんでいた。
「確かに……。助かるよ、当然残すべきなのに気付かなかった。私もどうやら大分動揺していた様だ」
博士は船内の機器を操作し、小型の観測ビーコンを射出した。
「自律型の記録装置だ。耐放射線設計だがスーパーフレアの直撃を乗り越えられるかは分からない。だが少なくとも、到達の瞬間までは記録できるはずだ」
ビーコンは惑星に向かって降下していく。
◆
『ワープ準備完了。カウントダウン開始します』
ミラが告げた。
『十、九、八──』
君は窓に張り付いて、ペルセポネ・プライムを見つめていた。
フレア到達まであと三分。
オーロラは依然として青緑色に輝いている。だがその輝きの中に、新たな色が混じり始めていた。
赤だ。
フレアからの先駆放射が大気を励起し始めている。高エネルギーの紫外線とX線が大気分子を叩き、異常な発光を引き起こしている。
『七、六、五──』
赤い光が急速に広がっていく。オーロラの青緑色が徐々に紫、そして赤紫へと変化していく。
まるで空全体が燃え上がっているようだった。夕焼けとも違う、もっと激しい、もっと原始的な色だ。
『四、三、二──』
その瞬間、惑星の表面から光が噴き上がった。
最後のエネルギー放出だ。
光の柱は数百本、いや、数千本に達していた。惑星全体から、まるで花火のように光が打ち上げられている。地平線から地平線まで視界全体が光の柱で埋め尽くされている。
──これは何だ
君は思った。
──断末魔か。それとも
『一、ワープ開始』
視界が歪んだ。
星々が線となって流れ、空間が折り畳まれていく。
最後に見えたのは赤く染まった空の下で白く輝く惑星の姿だった。数千本の光の柱が天に向かって伸び、まるで──
まるで祈っているようだった。
◆
ワープ中の時間は曖昧だ。
物理的には数秒かもしれないし、主観的には数時間かもしれない。君のサイバネボディにとっても、この感覚は処理が難しい。時間の流れが歪む中で意識は奇妙な浮遊感を覚える。
だがその曖昧な時間の中で君は考えていた。
あの惑星のことを。
最後に見た光景──数千本の光の柱。あれは何だったのか。
エネルギー放出だとしたら、意味があったのか。来たるべきフレアを迎え撃とうとしたのか。高エネルギー粒子を吸収するためのバリアを張ろうとしたのか。それとも単なる断末魔だったのか。
あるいは──
花火のようなものだったのかもしれない。
死を前にした最後の輝き。自分たちの存在を刻み付けるための、最後のメッセージ。ギャンブラーが最後の勝負に全てを賭けるように。負けると分かっていても、最後まで戦い続けるように。
あるいは──祈りだったのかもしれない。
この宇宙に、誰かが見ていてくれることを願って。自分たちの存在を誰かが覚えていてくれることを願って。
◆
ワープが終了した。
最初のジャンプ。ロス154系から中継点アルファへ。
視界の歪みが収まると、何もない宇宙空間が広がっていた。目印になるような天体は見えない。ただ、遠くに微かな星々が瞬いているだけだ。
「中継点アルファに到着」
博士が計器を確認しながら言った。
「ワープドライブの冷却に四十分。次のジャンプまで待機だ」
長距離ワープは一度には行えない。空間を折り畳むという行為は、船体にも、ドライブ機構にも、そして乗員の肉体にも莫大な負荷をかける。連続ジャンプは機関の焼損を招き、最悪の場合、ワープ中に船ごと「どこでもない場所」に放り出されることになる。
それは死よりも悪い結末だ。
君は窓の外を見た。ロス154の方向。もう肉眼では見えない。あの赤い恒星も、あの焼け焦げた惑星も、光年単位の彼方に置き去りにしてきた。
君は窓の外を見た。
見慣れた星々。
見慣れた惑星。
だがその風景はどこか色褪せて見えた。あの青緑色のオーロラを見た後では何もかもが平坦に感じられる。
『ビーコンからの最終データを受信しました』
ミラが報告した。
『フレア到達の瞬間まで記録されています。再生しますか?』
博士は君の方を見た。
君は頷いた。
ホログラムディスプレイに映像が流れ始めた。
ペルセポネ・プライムの軌道上からの視点だ。
惑星は青緑色のオーロラに包まれている。そして数千本の光の柱が空に向かって伸びている。壮観だ。恐ろしいほどに美しい。
映像のタイムスタンプが進む。
フレア到達まで六十秒。
オーロラの色が変わり始めた。青緑色から紫へ、紫から赤へ。大気が高エネルギー粒子の先駆けを受けて励起されている。空全体がまるで燃え上がる炎のような色になっていく。
フレア到達まで三十秒。
光の柱が一斉に消えた。エネルギーを使い果たしたのか、それとも──
いや、消えたのではない。変化したのだ。光の柱は空に向かって伸びるのをやめ、代わりに惑星表面に向かって収束し始めた。全てのエネルギーを内部に向けて集中させている。
何をしようとしているのか。シールドを張ろうとしているのか。中枢を守ろうとしているのか。
フレア到達まで十秒。
惑星全体が白く光った。オーロラが限界まで励起され、可視光の全波長を放射している。純白の光。眩しすぎて、直視できないほどの。
そして──
フレア到達。
画面が真っ白になった。
センサーが過負荷を起こしたのだ。あまりにも強烈なエネルギー放射に、観測機器が追いつかなかった。
数秒後、映像が回復した時、惑星の姿は一変していた。
オーロラは消えていた。
あれほど美しく輝いていた青緑色の光は跡形もなく消え去り、代わりに大気全体が赤く燃え上がっている。高エネルギー粒子が大気分子と衝突し、熱を発生させているのだ。大気そのものが燃えている。まるで惑星全体が炎に包まれているようだった。
雲が蒸発していく。海が煮え立ち、蒸気が立ち昇る。地表が焼けていく。
岩塔群は──もう見えなかった。熱と光に包まれて、その輪郭すら判別できない。あの円盤状の生物も。あの六脚の献身者たちも。あの「脳」も。あのエネルギー貯蔵層も。
全てが今、焼き尽くされようとしている。
映像が乱れ始めた。ビーコン自体がフレアの影響を受けている。回路が焼け、センサーが機能不全を起こしている。
最後に映ったのは真っ赤に染まった惑星の姿だった。
まるで血のように。
あるいは──
博士が呟いた声が聞こえた。
「火葬だな」
そして映像は途切れた。
沈黙が流れた。
博士は何も言わなかった。君も何も言わなかった。
言葉にできることなど何もなかった。
「ミラ」
やがて、博士が口を開いた。その声は平静を装っていたが微かに震えていた。
「フレア後の惑星状態を推定できるか」
『観測データと理論モデルから推定します』
ミラの声は淡々としていた。AIに感情はない。だがその淡々とした報告がかえって残酷に響いた。
『大気の約四十パーセントが剥離したと推定されます。主に軽い分子──水素、ヘリウム、水蒸気が宇宙空間に散逸しました。海洋の約六十パーセントが蒸発。地表温度は最大で摂氏八百度に達したと推定されます』
「生命活動は」
『表面の生態系は壊滅したと考えられます。あの温度と放射線レベルでは既知のいかなる生命形態も生存できません。地下深部に退避した生物が生存している可能性はゼロではありませんが──』
『──確認する手段がありません』
博士は目を閉じた。
その表情は読み取れない。悲しみか、諦めか、それとも──何か別のものか。
「博士」
君は声をかけた。
「悔やんでるのか」
「いや」
博士は目を開けた。
「悔やんではいない」
その声は意外なほど落ち着いていた。
「私たちは記録を残した。この惑星がどのように生き、どのように戦い、どのように死んだか。それを後世に伝えることができる」
「それで満足か」
「満足ではない。だが意味はあった」
博士は窓の外を見た。
「十五年前、私は仲間を失った。あの時、私は何も記録できなかった。彼らがどのように生き、どのように戦い、どのように死んだか。その詳細は私の記憶の中にしかない。そして記憶は──薄れていく。細部が曖昧になり、顔が思い出せなくなり、声が聞こえなくなっていく」
君は黙って聞いていた。
「だが今回は違う。この惑星の最期をデータとして残すことができた。客観的な、誰でもアクセスできる記録として。誰かがいつかこのデータを見て、この惑星のことを知るだろう。そして考えるだろう。彼らは何を考えていたのか。彼らの最後の輝きは何を意味していたのか」
「答えは出るのか」
「分からない。だが問いを残すことはできる。問いがあれば、いつか誰かが答えを見つけるかもしれない」
博士は窓から目を離し、君の方を見た。
「科学者の仕事は真理を明らかにすることだ。美しい真理も、残酷な真理も。今日、私たちは残酷な真理を目撃した。生命は脆い。宇宙は無慈悲だ。だがそれでも──」
博士は言葉を切った。
「それでも知らないよりは知っている方がいい。目を逸らすよりは見つめる方がいい。たとえ、見つめた先にあるものが絶望だとしても」
君は黙って聞いていた。
その言葉に反論する気はなかった。だが完全に同意することもできなかった。
知ることに意味がある。
それは学者の論理だ。だがあの惑星にとって、知られることに意味があったのだろうか。
最後の光の柱──あれは見てほしかったのだろうか。覚えてほしかったのだろうか。それとも、ただの──
答えは出なかった。
永遠に出ないのかもしれない。
◆
惑星C66への帰還は静かなものだった。
博士は採取したサンプルの整理に没頭し、君は窓の外を眺めて時間を潰した。
会話はほとんどなかったが気まずいものではなかった。
言葉にする必要のないものを二人は共有していたからだ。
あの惑星の最後の輝き。数千本の光の柱。祈りのような、花火のような、最後のメッセージ。
それを見た者同士には言葉はいらなかった。
C66の軌道ステーションに到着した時、君は博士に尋ねた。
「次はどこに行くんだ」
「まだ決めていない」
博士は答えた。その声には疲労と──微かな希望が混じっていた。
「だがいずれ、また調査に出るだろう。知りたいことは山ほどある。この宇宙にはまだ見ぬ生命が無数に存在するかもしれない。そして彼らもまた、いつか滅びの時を迎えるかもしれない。その時、誰かがそばにいて、記録を残す。それが──私の仕事だ」
博士はそう言って微笑んだ。寂しげな、だが穏やかな笑みだった。
「君は優秀だった。勘が鋭い。それに──」
「それに?」
「最後まで付き合ってくれた。感謝している」
君は肩をすくめた。
「仕事だからな」
「本当にそれだけか?」
博士は見透かしたように言った。
「君は私を力尽くでどうにかできたはずだ。引きずって、母船に叩き込むこともできた。だが君はそうしなかった。私たちはあの星で焼け死んだかもしれない。その可能性は決して低くはなかった。仕事への義務感だけでそこまでのリスクを取るか?」
君は答えなかった。
答える必要がなかった。
「あの惑星に肩入れしてただろう」
博士は静かに言った。
「ギャンブラーとして。最後の賭けに全てを懸けている者への共感。そうじゃないか」
君はしばらく黙っていた。
それから、小さく頷いた。
「そうかもな」
博士は笑った。
「私たちは似ている。知りたいという欲求に取り憑かれている点で。そして──負けると分かっていても、最後まで勝負を降りられない点で」
「似てるか」
「ああ。だから──また組みたいと思っている。次の調査に」
君は博士の顔を見た。
「考えとくよ」
君は言った。
◆
軌道ステーションのデッキで君は一人で空を見上げた。
ロス154の方向。もう肉眼では見えないがあの赤い恒星がそこにある。そしてその周りを回る、焼け焦げた惑星が。
あの惑星は今、どうなっているのだろう。
大気は剥ぎ取られ、海は蒸発し、地表は焼け野原になっている。だが──完全に死んだのだろうか。
地下深くに、何かが生き残っているかもしれない。「脳」の一部がエネルギー貯蔵層の残滓がどこかで息を潜めているかもしれない。
そして数十年後、数百年後──彼らはまた目覚めるのかもしれない。
あるいは──永遠に目覚めないのかもしれない。
誰にも分からない。
確認する手段がない。
「まあ、いいさ」
君は呟いた。
「俺にできることは覚えてることだけだ」
あの青緑色のオーロラ。数千本の光の柱。祈りのような、花火のような、最後の輝き。
君はそれを覚えている。博士も覚えている。そしてビーコンの記録データが客観的な証拠として残っている。
この宇宙のどこかでペルセポネ・プライムという惑星が存在した。彼らは生き、戦い、そして滅んだ。その記録は残る。
それで十分なのかもしれない。
それしかできないのかもしれない。
「……また会えたら、な」
君は空に向かって呟いた。
それは君らしくもない感傷だった。そもそもが湿っぽいのが嫌いなタチに出来ているのだ。
だがこの時ばかりは悪くない感傷だった。
第三部完。