★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版) 作:埴輪庭
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君は眠っていた。
正確には睡眠とは少し違う。サイバネ化された君の肉体は、数日に一度、生体システムの再整合のために深いシャットダウンに入る。意識が完全に途絶える、数時間の空白。君自身はその間のことを何も覚えていない。
君の体は微動だにしなかったが、その枕元で金属の球体が静かに浮遊していた。
ミラである。
レンズで君の寝顔を映している。
ミラの球体から、髪の毛より細い光ファイバーが伸び、君のこめかみに触れた。そこから更に分岐し、左耳の後ろ、頰骨の下、頸椎の付け根に数百本もの光の糸が伸び──君の頭部をやわらかに取り囲んだ。
ミラは何も言わなかった。
レンズの奥の光が、ほんの少しだけ明滅している。何らかの処理をしているのだろうか。
数時間後、君のシステムが再起動する頃には光ファイバーはとっくに収納され、ミラはいつもの充電ユニットの上で静かに待機していた。何事もなかったかのように。
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さて。ここからは別の男の話をしよう。
ダリオ・サントスという男の話だ。
嫌な話である。聞いていて楽しくなる要素は一つもない。だがMMY0313オペレーションという施術を理解するうえで避けては通れない話でもあるので、そのへんは覚悟していただきたい。
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ダリオ・サントスは惑星C66の下層居住区で生まれた。
経歴としては、まあ下層にはよくあるやつだ。十五の時から裏カジノの雑用をやって糊口を凌ぎ、十九で傷害沙汰を起こし、二十一でゴンザレスの賭博場に出入りするようになり、二十三の時に同郷の友人の借金の連帯保証人になった。
この「連帯保証人になった」という一文で、もう彼の運命は確定している。
友人は蒸発した。残ったのは二十四万クレジットの債務と、ダリオの指紋が押された電子書類だけだった。下層の日雇い仕事で二十四万クレジットを返すには、飯も食わずに三十年はかかる。
ダリオは下層の人間にしては温厚で、薬にも手を出さず、殺しもやらなかった。そこそこ真面目で、そこそこ不器用で、そこそこどうにもならない男だった。
だからこそ、保証人なんぞになってしまったわけだが。
そんなダリオのもとにアルドメリック社の仲介人がやってきたのは、連帯保証の地獄に落ちてから四ヶ月後のことだった。
「体、改造しないか。借金帳消しにしてやるよ」
仲介人はくたびれたジャケットを着た中年の男で、下層の人間と目線を合わせるのが上手い手合いだった。安物の電子タバコを咥えながら、まるで居酒屋で世間話でもするような調子で、ダリオの人生を買い取る提案をした。
MMY0313オペレーション。
身体のサイバネ化。神経系の強化。マッスルジェルの注入。
本来このオペレーションは、富裕層向けのプレミアムサービスとして開発されたものだった。老いた体を若く、脆い体を強く、鈍い感覚を鋭く。金さえ払えば肉体のスペックを丸ごとアップグレードできる──そういう夢のような商品になるはずだった。
はずだった、と過去形で書いたのには理由がある。
被験者の脳が壊れるのだ。施術から約三ヶ月で、高次脳機能が不可逆的に変性し、人格が消失する。超人的な肉体と引き換えに自我を失う。そんな商品を富裕層に売れるわけがない。
アルドメリック社はこの致命的な欠陥を克服すべく、被験者──つまり実験台を集めていた。施術のパラメータを微調整しては新しい被験者に試し、結果を観察し、データを蓄積する。ダリオはその何十人目かの実験台だった。
リスクの説明はあった。「ちょっと体質に合わない場合がある」程度の、舐めた説明ではあったが。脳が溶けて人格が消滅するなんてことは、当然、一言も言わなかった。言ったら誰も受けないからだ。
ダリオは首を縦に振った。
二十四万クレジットの借金が帳消しになるなら、体くらいくれてやる。そう思った。
こういうのを自暴自棄と呼ぶ。
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手術後目を覚ましたダリオが最初にやったことは、自分の手を開いたり閉じたりすることだった。
ベッドの手摺りを掴む。金属の冷たさが伝わってくる──だけでなく、その合金の組成まで触覚を通じて読み取れる気がした。聴覚も同様だった。隣室の看護師が端末を叩く指の音、廊下の奥の空調ダクトを流れる空気の微かな振動。世界が、手術前とはまるで違う解像度で広がっている。
ダリオは笑った。
体を起こすだけでマッスルジェルが滑らかに収縮し、以前なら踏ん張らなければできなかった動作を、呼吸するように軽々とこなせた。試しにベッド脇のパイプを握ったら、指の形に潰れた。
すごい。
率直にそう思った。率直に思えるだけの感情が、この時のダリオにはまだ残っていた。
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事業団に入団したダリオは、Eランクの仕事からこつこつ稼ぎ始めた。
最初の仕事は惑星B91の地表サンプル採取。Bランクの比較的安全な惑星で、やることは地面を掘って石を袋に詰めるだけだ。退屈な仕事だが、報酬は確実に振り込まれる。
次の仕事は宇宙航路の漂流ゴミの回収。船を操縦して、ひたすらゴミを拾い集める。時々、放棄コンテナの中から使えそうなパーツが見つかることがあって、それは闇市に流せば小遣いになった。
ダリオは真面目に働いた。
毎朝起きて、端末の依頼一覧を見て、できそうな仕事を選んで、船に乗って、出かけて、帰ってくる。寝る前に報酬額を確認する。借金はもう帳消しになっているから、稼いだ分は全部自分のものだ。生まれて初めて、自分の金で自分の飯を食っている実感があった。
悪くない生活だった。
いや──良い生活だった。下層の元チンピラにしてみれば、破格と言ってよかった。
ただ一つだけ、おかしなことがあった。
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入団から六週間目の夜のことだ。
ダリオは襤褸ホテルの一室で、自分の船のメンテナンスログを眺めていた。明日は惑星D40の環境調査に出る予定で、大気組成に毒素が含まれるかもしれないという情報があったから、フィルターの状態を確認しておきたかった。
ログを眺める。数値を見る。問題なし。閉じる。
それで終わりだった。
以前のダリオなら、この後に何かを考えたはずだ。明日の仕事のこと。来月の稼ぎのこと。いつか下層を出ていくこと。もう少し金が貯まったら、もうちょっとマシな宿に移ろうかな、とか。あるいは下層の飯屋の姉ちゃんが可愛かったな、とか。そういう、どうでもいい妄想が夜の空白を埋めてくれるものだ。
その空白が、埋まらなくなっていた。
妄想が湧かない。
未来の自分を想像する回路が、どこかでプツリと切れている。
ダリオはそのことを、別に気にしなかった。気にならなかったのだ。気にする機能のほうが先に死んでいたから。
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二ヶ月目。
ダリオは惑星T25の中継ステーションで、食堂の合成ステーキを口に運んだ。
味がしなかった。
正確に言えば、合成肉の化学的な風味は舌の受容体が検知している。だがそれを「旨い」とも「不味い」とも判断する回路が沈黙していた。噛む。飲み込む。胃に収まる。栄養として処理される。以上。
食事が作業になっていた。
同じ頃、ダリオは自分の母親の名前を思い出せなくなった。
母親がいたことは分かる。下層の集合住宅の一室で、肺を悪くした女がいた。ダリオが十四の時に死んだ。その女の名前が──出てこない。
検索窓に文字を打ち込んで、候補が表示されない。そんな感じだ。データが消えたのか、検索する機能が壊れたのか、そのどちらかすら判別できなかった。
分かっていたのは、思い出せないことに対する焦りが湧かない、ということだけだった。
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二ヶ月と半ば、ダリオは仕事中にちょっとした事件を起こした。
惑星X14のサンプル回収任務で、同じ任務を受けていた別の団員──赤毛のでかい男で、名前はダリオの記憶にはもう残っていない──と採取ポイントが被った。
「おい、ここは俺が先に来てたんだけど」
赤毛が凄んだ。
以前のダリオなら、面倒くさそうに肩をすくめて別のポイントに移動しただろう。喧嘩は嫌いではなかったが、仕事中にやるほど馬鹿でもなかった。
だがこの時のダリオは、赤毛の男を三秒間じっと見つめてから、何も言わずに採取ポイントの岩を素手で掴み、握り潰した。
岩が粉々に砕ける音が、薄い大気の中でくぐもった反響を返した。
赤毛は黙ってその場を離れた。
ダリオに怒りはなかった。威嚇するつもりもなかった。ただ最も効率的に問題を解決しただけだ。相手が退けば採取ポイントが空く。力を見せれば相手は退く。合理的な判断。
感情はもう、ほとんど残っていなかった。
残っていたのは、入力に対して出力を返す回路だけだった。
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三ヶ月目の朝、ダリオは自分の船のコクピットでぼんやり座っていた。
端末に依頼一覧が表示されている。いくつかの依頼が並んでいる。文字は読める。内容は理解できる。だがどれを選ぶべきか、という判断を下す主体が──もう、いない。
選ぶとは、好みや利害を比較して一方を取る行為だ。好みとは感情で、利害とは未来の自分についての想像だ。感情が消え、未来を想像する能力が消えた人間に、選択はできない。
ダリオは椅子に座ったまま、四時間動かなかった。
端末が省電力モードに入り、画面が暗くなっても、彼はそのことに気づかなかった。気づかないのではなく、気づくということの意味が消えていた。
翌日も同じだった。
翌々日も同じだった。
船の食料が尽きかけた頃に、たまたまステーションの管理システムが船の通信応答がないことを検知し、レスキュー扱いで回収された。
回収された時のダリオは、椅子に座り、目を開き、呼吸をしていた。身体機能は完璧に正常だった。心拍も血圧も酸素飽和度も、どこにも異常はなかった。
ただそこに、人間がいなかった。
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アルドメリック社の研究員がダリオの状態を確認したのは、回収から二日後のことだった。
研究員は端末に検査結果を入力しながら、別の研究員に声をかけた。
「D‐0419、どう?」
「ダメだ。九十日で落ちた。今回のバッチもハズレだね」
落ちた、とは人格喪失のことだ。アルドメリック社にとって、被験者の自我が消えるのは失敗以外の何物でもない。体が壊れなかったぶん身体データは回収できるが、肝心の目標──自我を保ったまま超人化する技術の確立──には一歩も近づけていない。
「身体スペックのほうは」
「そっちは皮肉なくらい良好。マッスルジェルの定着率、筋出力、反射速度、耐久性、全部合格ラインを余裕で超えてる。体だけは完璧なんだよな、いつも」
「体だけ完璧でも売り物にならないんだよ。富裕層が欲しいのは自分のまま強くなることだ。自分が消えたら意味がない」
「分かってるよ。で、この個体どうする?」
「クリムゾンに回しといて。あそこなら引き取ってくれる」
失敗した被験者の処分ルートは確立されていた。自我を失っても身体機能は健在な個体は、命令に従って動くだけの兵器として民間軍事企業に売却できる。研究費の回収と、失敗作の有効活用。合理的なリサイクルだ。
研究員はダリオの──いや、もうダリオではない何かの瞳孔をペンライトで照らし、反射を確認した。
「報告書の備考欄、何か書く?」
「特記事項なし、でいいよ。いつもと同じだ」
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旧ダリオ・サントスの体は、民間軍事企業クリムゾン・ハウンドに引き渡された。
契約書の文面は「高機能改造済み生体ユニットの技術供与」。平たく言えば、人間だったものを兵器として売り飛ばした。
売値は六万八千クレジット。
ダリオが抱えていた借金の三分の一にも満たない額だった。この男の全人格、全人生、母親の名前も、下層の飯屋の姉ちゃんの笑顔も、夜中に一人で思い描いた未来も、全部ひっくるめて六万八千クレジット。
安い買い物だ、とクリムゾン・ハウンドの調達担当は思ったかもしれない。
彼に固有の呼称は与えられなかった。管理番号E‐11。それだけだ。
どこかの星の、どこかの紛争地帯で、管理番号E‐11は今も命令に従って動いている。
撃てと言われれば撃つ。止まれと言われれば止まる。死ねと言われれば──多分、死ぬ。自分の死を惜しむ主体が存在しないのだから、抵抗する理由もない。
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ダリオ・サントスの報告書が提出された日、アルドメリック社の研究員の一人が、ふと思い立ってデータベースを開いた。
MMY0313オペレーションの被験者一覧。
着手動機は単純なものだった。次のバッチのパラメータ調整に当たって、これまでの結果を改めて整理しておこうと思っただけだ。
リストがスクロールされていく。
被験者A‐0001。施術後三十二日で人格喪失。結果:失敗。
被験者A‐0002。施術後五十七日で人格喪失。結果:失敗。
被験者B‐0018。施術後八十一日で人格喪失。結果:失敗。
被験者B‐0024。施術後九十五日で人格喪失。結果:失敗。
失敗。失敗。失敗。失敗。
リストは續く。何十行も。
早い者で三十日。遅い者でも百二十日。最短と最長には四倍の開きがあったが、結末は例外なく同じだった。全員が人格を失い、全員が「失敗」と記録されている。
研究員はリストの末尾までスクロールし、端末を閉じた。
そして深い溺息をついた。
次のバッチでも、きっと同じ結果が待っているのだろう。彼にはそれが分かっていた。