★★ろくでなしSpace Journey★★(連載版) 作:埴輪庭
◆
惑星ペルセポネ・プライムの調査を終えた君の預金残高はといえば!
──まあ、悪くなかった。
そう、悪くなかったのだ。
Cランクに上がって以来、報酬の質は確実に向上している。ブラックウッド博士の護衛報酬もなかなかの額だった。ギャンブルはとうの昔に卒業し、ヤクにも手を出さなくなった。金遣いは堅実そのもので、チェルシーの店で安い合成ウイスキーを嗜む程度が贅沢の上限だ。これは無論、酔うためではなく、元カノと忌憚なくカジュアル&ハッピーに話すための必要経費である。
にもかかわらず。
MMY0313オペレーションの逆手術にかかる費用の前では、君のささやかな蓄えなど砂粒のような存在でしかなかった。
逆手術がここまで高額な理由は単純だ。サイバネ化された身体を生身に戻すには、まず代替となる生体パーツを一つ一つオーダーメイドで培養しなければならない。君のDNAから臓器を育て、骨格を再構築し、神経接続を有機体に置換する。パーツ数は数百に及ぶ。しかも培養には一パーツあたり数ヶ月を要し、施術可能な医師は銀河全域で両手の指で足りる程しかいない。需要と供給の不均衡が価格を天文学的な領域に押し上げているのだ。
つまりいくら堅実に稼いでも、オペ代との差額はいっかな縮まらない。
今の君のペースなら何年かかるか誰にもわからないのである。
チェルシーの店のカウンターで三杯目の合成ウイスキーを傾けながら、君はそんな事をぼんやり考えていた。下層居住区の雑居ビルの地下二階。窓は無い。軟体生物が店主を務める酒場に衛生概念を求めるほうが野暮というもので、カウンターには正体不明の粘液が薄くこびりつき天井からは結露がぽたぽたと落ちてくる。
「ケージ……マタ、カンガエゴト?」
カウンターの向こうで透明なゼリー状の巨体がぷるんと揺れた。チェルシーだ。体内の気泡がゆっくりと上昇していく。溺れたような声がカウンターの粘液越しにくぐもって届いた。
「考え事っていうほどのもんじゃないけどなぁ。先が長いっていう、いつものやつだよ」
なんてドスケベボディだよ、などと思いつつ、君は気鬱げに言う。
「ソレハ、イツモ、キイテル」
「だから、いつものやつだ」
チェルシーの体が微かに青味を帯びた。彼女の種族──正式名称は長ったらしい学術用語があるのだが誰も覚えていないので「スライム系」で通っている──は呼吸器官を持たない。ため息という概念が物理的に存在しないのだ。その代わり感情が体色に直結する。青はうんざり、赤は興奮、透明度が上がると眠い。桃色は上機嫌、あるいは欲情しているといった具合に。
──まあ、焦ってもしょうがないさ。
君はすぐ気分を切り替えた。この辺の割り切りの速さは生来のもので、サイバネ手術に依る所ではない。
◆
翌朝。
支社の依頼ターミナルを流し見するために足を運んだ君の眼前で、ステーション全体の電子掲示板が一斉に切り替わった。天井のスピーカーからジングルが鳴り食堂のモニターも通路の案内板もすべてが同じ映像に占拠される。
事業団の一斉広告である。個人端末も依頼ターミナルも一切の例外なく同じ映像に切り替わる。チャンネル権限はない。音量の操作もできない。事業団はしばしばこうして全電子媒体を占拠し、団員を募集するのだ。
ディスプレイには青黒い宇宙空間の映像が広がっていた。既知の星座は一つもない。見たことのない星々が異様な密度でひしめき合い、紫がかった星雲が画面の端で脈動している。
白い文字が浮かぶ。
『フロンティア・ゼロ──宇宙の果てを、この目で見よ』
低い男の声でナレーションが始まった。危険を冒険と言い換え、消耗を献身と呼び替える種類の声だ。あらゆる求人広告がそうであるように具体的なリスクには一切触れず、報酬と栄光だけが画面を埋め尽くす。事業団がいくら注ぎ込んだか知れないが効果は抜群で、ターミナルの前にいた団員たちが一斉に足を止めていた。
「新型航行システム『ディープダイブ・ドライブ』の実用化により、従来のワープ航法では到達不可能だった領域への有人航行がついに現実のものとなりました」
映像が切り替わる。巨大な球状のドライブ機構が船体に組み込まれる工程のCGだ。完成した大型輸送艦が暗い宇宙空間に浮かぶ。従来のワープ船とは設計思想からして別物のシルエットをしていた。
ちなみに従来のワープ航法は空間を折り畳んで二点間の距離を縮めるという原理に基づいている。紙の両端にペンで印をつけて紙を折り合わせれば印同士がくっつくアレだ。距離が遠ければ遠いほど折り畳みの負荷が大きくなりエネルギー消費も膨大になるため、観測限界の外に到達するのは理論上は可能でも実質的には不可能とされてきた。
ディープダイブ・ドライブはその問題をまったく別の発想で解決する。要は、我々の宇宙の
こちらの宇宙で百億光年離れている二点が、下の層ではほんの数歩の距離に収まっていることもありうる。ディープダイブ・ドライブは船ごとその下の層に「潜る」。下の層でちょっと歩いて「浮上」する。すると元の宇宙では途方もない距離を一瞬で跳んだことになる──と、広告のナレーションはそう説明していた。
無論君にはさっぱり意味がわからない。空間に層もクソもあるもんかよ、と思っている。非常に胡散臭い──胡散臭いが、映像の出来はなかなか立派ではある。
そして君の目が変わったのは広告の末尾に報酬額が表示された時だ。
オペ代にはまるで届かない。届かないが、とんでもない報酬だ。さらにはランク昇格の確約つき。参加条件はサイバネ化済みの者を優先、生身は原則不可。
──お?
ろくでなしの嗅覚が鳴っていた。条件が良すぎる。裏がないはずがない。だがその「良すぎる条件」を見送れるほど君は聖人ではない。
「なにィ……!?」
隣のターミナルで素っ頓狂な声が上がった。蛍光グリーンの逆立った髪。両耳にピアス計六個。銀色のタンクトップから露出した両腕のホログラムタトゥーでドラゴンが火を噴いている。
BBモチダだ。
「おいおっさん見たかこれ! やべえぞ! やべえって!!」
モチダの声はいつも通り、居ても立ってもいられないという振動数で部屋全体に響き渡っていた。この男には音量を調節するという機能がそもそも実装されていない。
「見たよ。うるせえな」
「うるせえじゃねえよ! 宇宙の果てだぞ果て! 報酬見ろよ報酬! 大事なことなんで二回言うけどよ、やべえって!!」
モチダは端末に飛びつくようにして参加申請の画面を開いている。条件の細かい文字など読む気もないらしい。直情的。いつだって直情的で、その直情さが時に人を救い時に人を殺す。
「お前、条件ちゃんと読めよ。サイバネ化必須って書いてあるだろ」
「俺ナノマシン入ってるから問題ねえよ! 第三世代放射線中和ナノマシン! ばりばりのサイバネだっての!」
厳密にはナノマシンとサイバネ化は別物だ。だが事業団の審査基準はいつだって雑である。通る可能性は十分にあった。
◆
支社の受付カウンター。
フロンティア・ゼロの参加申請窓口は通常の依頼受付と同じ場所に設けられていた。つまりアルメンドラの前に立つことになる。
アルドメリック社製アンドロイド。青い髪。青い瞳。能面のように温度のない顔。事業団に入団した初日から変わらない、美しくて冷たい機械仕掛けの受付嬢。
君の肩口ではミラが定位置でふわふわと浮いていた。
「フロンティア・ゼロの参加申請をしたいんだけど」
君が声をかけると、アルメンドラが端末を操作し──指が止まった。
「一つよろしいでしょうか」
視線が端末から君の顔に上がった。レンズの焦点が合わせ直される微細な動作が、一瞬だけきらりと光る。
「この依頼については再考されることをお勧めします」
君は面食らった。
アルメンドラが依頼に口を出したことは一度もない。どんな危険な惑星の調査だろうがDランクの自殺的任務だろうが、彼女はいつも淡々と申請を受理し「お気をつけて」の一言を添えるだけだった。それが仕事であり存在理由だ。
「おいおい、急にどうしたんだよ。お前がそういうの言うのは初めてじゃないか」
「はい。異例であることは承知しています」
アルメンドラの声は事務的だった。だがその事務的な声のどこかに普段とは違うものが混じっている。周波数がほんの僅かにずれている。人間の耳では聞き取れない程度の差異だ。だが君の耳はサイバネで、その微細な差異を拾ってしまう。
「理由は?」
「私の判断の根拠をお伝えすることは規定上、困難です」
「規定上ねぇ……。何か知ってんなら教えてくれないか」
アルメンドラはまっすぐ君を見ていた。能面めいた表情──だが、君はこの「何も変わらない顔」を見たことがある。エルカ・スフィア号の一件で奴隷売買のデータを発見した後の彼女の顔だ。何かを知っているのに言えない時のアルメンドラは、表情が変わらないのではなく変わらないことを選んでいる。その硬さが無表情の裏側にぴんと張り詰めているのだ。
「私にはあなたの申請を受理する義務があります。取り下げを強制する権限は私にはありません」
一拍の間があった。
アンドロイドの一拍は人間のそれと大きく意味が異なる。彼ら、あるいは彼女らが一秒間にどれほどの思考を巡らせる事ができるかなど、語るまでもない。
「ですので──個人的な意見として申し上げました」
──個人的、ねぇ。
「……心配してくれてるのかい」
半分冗談で聞いた。
アルメンドラは答えなかった。ただ静かにこちらを見つめている。
──まいったな。
困ったのだ。
アルメンドラにこういう顔をされると、妙に居心地が悪くなる。この女性型ロボットの何が気にかかるのか自分でもよく分からないのだが、断言できるのは、彼女のこの態度がただの業務上のアドバイスには見えないということだった。
だからといって引き下がるつもりもない。報酬は魅力的だ。何年もかかる道のりを一気に縮められるかもしれない。
──でもなあ。美味い話なのは確かだ。確かだけどよう。
下層居住区で生きてきた人間は知っている。美味い話は毒入りの飯だと言う事を。報酬が高ければ高いほど死体袋の出番が増える可能性が高まる。
美味い話の裏には必ず誰かの思惑がある。君はそれを骨の髄まで知っている。
とはいえ美味い話に乗れない者は、往々にして乗った者より悲惨な死を遂げたりするのだが。
君はふと思いついて、ポケットに手を突っ込んだ。
取り出したのは古びたコインだった。
アンティークの銀貨。事業団に入る前、下層居住区の質屋で二束三文で手に入れたもので、片面には羽根を広げた鷹が刻まれ、もう片面には月桂樹の冠が彫られている。なんとなく捨てられずに持ち歩いていた。
「これで決めるとするか」
君はコインを親指の腹に載せた。
アルメンドラが微かに首を傾ける。
ミラのレンズがかちりと焦点を合わせる。
「鳥が出たら申請する。木の方なら大人しく別の依頼にするよ」
「そのような方法で──」
「俺がまともに考えるよりはマシさ」
君はそう言って笑った。
だが、一つ問題があった。
今の君の動体視力はコインの回転を完全に追える。弾いた瞬間から落下するまで、どの面が上を向いているか常に把握できてしまうのだ。それでは賭けにならない。
だから君は目を閉じた。
瞼の裏が暗くなる。
親指がコインを弾く。
小気味良い金属音が支社の空気を震わせ、コインは高く舞い上がった。
回転する銀貨の音だけが聞こえる。シュルシュルシュルシュル、と空気を切る細い音。
それから。
チン、と軽い音を立ててコインがカウンターの上に落ちた。
君は目を開ける。
月桂冠。
裏だった。
「……」
君は数秒間そのコインを見つめてから、肩をすくめた。
「しょうがないな。運がそう言ってるなら従うさ」
コインを拾い上げてポケットに戻す。
「悪いね、申請は取り下げだ。何か他にいい依頼はあるかい?」
アルメンドラは0.3秒の間を置いて端末を操作し始めた。
「承知しました。現在募集中の依頼から、あなたのランクと適性に合致するものを検索いたします」
指が画面を叩く速度はいつも通り正確で、いつも通り無駄がない。
「こちらはいかがでしょうか。セクターH―44宙域における大型デブリの回収および処理任務です。推定作業期間は一週間。報酬も相応のものとなっております」
君は画面を覗き込む。
デブリ掃除。華やかさは欠片もないが、報酬は悪くない。それに宇宙ゴミの中にはたまに掘り出し物が混じっている。
「ふーん……まあ、いつもの掃除ってやつだな、まあいいか」
『宙域の安全性データは公開されています。既知の脅威は隕石群の通過タイミングのみです』
「そうかい。じゃあこれで頼むよ」
「かしこまりました」
アルメンドラが申請を受理する。指の動きに迷いはなかった。
「お気をつけて」
いつもの結び。いつもの声。いつもの温度。
君は軽く手を上げて支社を後にした。コイントスの結果にはやや不服だったが、運には逆らわない主義だ。ギャンブラーには二種類いる。運に逆らう馬鹿と、運に従う馬鹿。君は後者の馬鹿である。どちらにせよ馬鹿なのだが、下痢便と固形便、どちらがマシかという話である。
◆
ところで──ミラの記録媒体は常時フル稼働している。
視覚データ、音声データ、環境データ。ケージの傍にいる限りあらゆる情報を記録し続ける。それがガイドボットの基本機能だ。
先ほどの一連のやり取りも当然記録されている。
ケージがコインを弾いた瞬間。銀貨が空中に舞い上がった軌道。カウンターに落ちて月桂冠の面を見せた結果。
それだけなら何の変哲もないデータだ。
だがミラの視覚センサーは毎秒一万二千フレームの解像度で世界を捉えている。人間の目では決して追えない速度の出来事を、ミラは追える。
コインが頂点に達し、落下を始めた刹那。
アルメンドラの右手の人差し指が、カウンターの縁から0.02ミリだけ浮き上がった。
その指先がコインの縁に触れた時間は、0.0008秒。
人間の知覚限界の遥か下。ケージのサイバネ化された動体視力でさえ捉えられない速度。だがアルドメリック社製のフラッグシップ・アンドロイドにとっては十分すぎる時間だった。
鷹の面を上に向けて落下しつつあった銀貨は、その接触の後、月桂冠の面を上にしてカウンターに着地した。
ミラはこのデータを記録した。
解析もした。
だがケージには報告しなかった。
なぜ報告しないのかという判断の根拠は、ミラの記録媒体のどこを探しても記述されていないだろう。