「時間とは、ですか」
「……正直、貴女に聞くべきでは無かったかもしれませんとは、思いましたが」
「待ちなさい、それはどういう事です?返答次第では、殺しますよ?」
おっと、失言。訂正しておかねば。
先生との邂逅から数日、ゲマトリアの拠点にいたベアトリーチェに、最近追っている問いについて聞いている。ゴルコンダ辺りに聞こうと思っていたのだが、どうやら忙しいようで、ここで姿を見る事がめっきり減った。
その代わりと言えばいいのか、この頃はベアトリーチェがよくここに顔を出すようになった。黒服やマエストロを嫌っているような発言をする彼女が、どうしてここにいるかは私にも分からない。顔を合わす機会が増えるだろうに、とは常々思う。
例の地区の統治に一段落ついたのだろうとは、何となく分かるけども。……暇潰しで来るような場所では、ないと思うんだけど。
いや確かに、彼女ら大人(ましてやゲマトリア)が享楽を感じられる場所や興味関心をそそられる場所は、大して無いのもあるだろうか。
あるにはあるのだ、カジノや美術館などは。が、そこに長居した時が問題だろう。一般市民であれば何でもないものの、ゲマトリアは先生の敵対者軍団として認識されつつある。そんな中で公共の施設だのにいたと知られたら……後は想像に難くない。
「…まぁ、今回はいいでしょう。私も、ほんの少しだけ気分が良いので」
その口振りからして、やはり私の憶測は合っていたらしい。彼女は統括している地区を、恐怖で支配しようと試みた。”全ては虚しい”などという半ば洗脳染みた文言と、本人の高圧的な言動を以て統治しているのだとか。
……まぁ、それなりに合理的ではあるとだけ言及するに留める。
それらが浸透し、定着したという事だろう。であれば、彼女が少し疲弊の表情を浮かべたのも頷ける。
それにしても、機嫌のいい彼女を見るのは初めてだろうか。表情からは、全く読み取れない。……怪物みたいなその顔面からどう読み取ればいいのか、という問題については触れない方が吉だろう。
突いた所で、面倒な事になるのだけは分かる。対処出来なくは無い。が、私もそれなりに気を遣う訳で。要するに、疲れるから嫌だ、というヤツだ。
「それで、時間についてでしたね。……だいぶ億劫な事を考えますね、本当に」
いつも通り、皮肉交じりに言葉を発するベアトリーチェ。精神が老いてきたのか、何と思う事もない。
視線を以て、彼女に解を促す。感じ取れるかどうかは、私の知るところではない。
「世論は、”流れ”だと言うかもしれませんね。かく言う私も、それが妥当だとは思っていますが」
ですが、と一度言葉を止める。
「流れの中の”一点”を無視する事は、些かどうかとは思いますね」
「成程…………」
ベアトリーチェにしては、核心を突く解だ。まさか、私と同じ目線に着目していたとは。少しだけ、見直さなければならないかもしれませんね。
時間は性質上、流動的である事を前提として述べられる事が多い。それは私も妥当と思うし、否認する事はしない。が、流れの中にある”個”を無視する事を、私は疑問視している。
線を筆記具で書く時、人はそれを”線”と認識する。それは至極当然であり、誰も異を唱える事も無いだろう。そして、”無数の点の集合体の一形態”と認識する人が極めて少ない事も、異論はないように思う。
私は、そこに注目している。
ゴルコンダと話し合った時にも触れたけれど、この世界は定義付けや言語表現が非常に強く作用する。”契約”が絶対視されるのも、”先生”が外の世界以上に先生らしく在るのも、この世界ならではの効果作用。
……私以外にここまで真に迫る人がいるとは。やっぱり、
「……その感じ、貴女も似た様な解を持ってるのでしょう?」
「随分と勘がいいですね、貴女らしくない」
「…………貴女の事、次第に嫌いになりそうですね」
今更な話、ではあると思う。
────────
「エデン条約……ですか」
「ええ。ゲヘナ・トリニティ間の不可侵条約とは言われていますが、その実はまた違ったモノでして……」
ベアトリーチェが何処かへ行った少し後。入れ替わるようにやって来た黒服から、エデン条約なるものについて聞かされていた。その口振りから、興味がある事は読み取れる。
……この感じだと、私も厄介事に巻き込まれるのだろうか。今の時期にそれは、少し億劫なのだが。
「先に言っておきますが、厄介事は御免ですよ。私も、やらなければならない事がありますし」
「……鍵の事でしたか?」
「それもありますが……久しぶりに解きたい問いに当たったもので」
成程、と相槌を打つ黒服は、少し考え込む仕草をする。その表情は、”頼みの綱が絶たれた”というソレとは言い難かった。
と、なれば。厄介ネタを持ち込んできた訳では無いのだろうか。
「……一応伝えておきますが、私はこの件に介入するつもりはありません。が……ベアトリーチェとマエストロが、執心な様子でして」
成程、合点がいった。
私に厄介事を持ってくるのではなく、先に知らせる事で、私にエデン条約関係の事に関する姿勢を固めさせる事が目的だったか。
……早計だろうか。いや、黒服の口調からして、大幅にズレている訳でも無さそうだ。
それにしても。
ベアトリーチェは兎に角として、マエストロが執心なのは意外だ。芸術に傾倒している彼が契約のままごとに熱心になるのは、随分と珍しい。「そのような事にかまけている時間は無い」とでも言ってのけるのが、彼だ。
芸術が絡んでいるのだろうか。だとして、私の結論はどれも、仮説の域を出ないものばかり。何せ、情報の数が圧倒的に不足している。
……いや、元より考える必要は無いわけだけれども。
「彼らが何かを頼む事も、有り得なくはありません。頭の隅にでも留めておいておくと、後々楽になるかと」
「それはどうも。……その口振りですと、既に頼まれたのでは?」
「私ではなく、ゴルコンダが……」
……あぁ、何となく情景が浮かぶ。彼の研究は、何かと応用に富んでいるから。2人…特にベアトリーチェが何か企むとなれば、真っ先に頼りそうなのはゴルコンダだろう。私も黒服も、研究に注力しているだけだし。
今度、労りにでも行くべきだろうか。……いや、ゆっくりさせた方がゴルコンダの気が休まるか、そっとしておこう。ついでに、彼の元に行くのも控えておこう。
「……それで、これはほんの興味本位なのですが…………一体どんな問いに当たっているので?」
「時間、についてです」
「時間…………随分とまた、抽象的な問いですね」
……その反応、どこかで聞いたような気が。どこぞのベアなんちゃら。
どうにも、私の問いは概念的なモノになりかねない。特に最近は。それもそのはず、概念的なモノ以外はおよそ理解出来てしまうから。
何かを知ろうとすると、辞書を引けば理解出来る。辞書で理解しきれない事は、勝手に看破出来てしまう。そのせいで、陳腐な疑問はすぐさま解けてしまう。
研究者(考察者と言った方が適切な気もするが)気質な私としては、酷くつまらない。”分からない”で躓いて、思考を重ねる事もろくに出来ないのだから。
「おっと、もうこんな時間でしたか。私はこの後予定が控えているので、ここらでお別れとしますが……」
「……私は、まだ少し残りますよ」
「そうですか、では」
闇に溶けるように、眼前から消えていく。人工的な光が、ほんの僅かにこの空間を照らす。そこにいるのは、私だけ。どこか、浮いているような感覚を覚える。
……エデン条約、か。
大人の真似事の様にしか、私には映らない。そんな形式的なモノだけで、果たして子供の本能を抑える事がままなるのか。
否、どこかで破綻するに違いない。幾らこの世界の子供が幼稚でないとしても。
幾ら、テクストとして定義付ける事が効果的とはいえ、そこまでに作用するのか。それを理解しての、上の判断なのだろうか。
…身の丈に合わない背伸びは、自分を苦しめるだけだというのに。
「…………いいえ、私が気にする事でも無いですね」
エデン条約。その行く末は、果たしてどちらか。興味が皆無と言えば嘘だが、それにかまけている程、私も暇ではない。
どうせ、先生がどうにかするんだろう。
……肝心な時に起こせない奇跡など、とんだ傍迷惑だというのに。