”トリニティの裏切り者”の話題が、一部の人間間で取り沙汰されていると聞いた。ゲマトリアの誰かから聞いた訳ではない。が、何処かで耳にした記憶だけはある。それが何処かは、思い出す必要は無さそうだ。
流石はトリニティ、とでも言えば良いのか。他の学園では稀有な、ドロドロとした、吐き溜めの様な邪。「相手を蹴落としてやろう」、「自分に邪魔な奴は払ってしまえ」などという、邪悪も邪悪。
自己顕示欲が過剰に働いているのか、或いは自身が上に立つべきと、信じて止まないのか。真相は、当人達のみぞ知る。
……ある意味、私の知る大人らしさで塗れているとも言える。幾ら追求しいな私であれど、首を突っ込むのを憚られる
あんな所に籍を置くくらいならば、研究を放棄する方がずっとマシだ。
「……ベアトリーチェの差し金…にしては、変なタイミング」
もし、ベアトリーチェが仕組んだ事だとして。少しばかり早計な動きに思える。あの女なら、もっと愉悦を感じるような動きをする筈。
例を挙げるなら、
そのタイミングは、どうも今でない気がする。もっと、条約締結に関して決定してからのタイミングに仕掛けるだろう。
……であれば、
トリニティの誰か。現状に不満を抱く者か、或いは。
いずれにせよ。
「……誰かは知りませんが、頃合いを間違えたでしょうね」
どうせ、失敗に終わるんだろう。トリニティが掻き乱される事には違いない。が、瓦解や変革には至らないタイミング。やはり、子供らしい詰めの甘さが出ている。
この世界の子供は、冷徹になり切れない節がある。
学園の為に友を捨てる者も、未練が心に残っている。
贖罪の為に友を捨てる者も、後悔が心を支配する。
知識の為に友を捨てる者も。
そんな姿を見れば見る程、苛立ちが募る。この世界で、それはきっと美徳としてカテゴライズされるのだろう。が、それで成功しないアレコレを、私は見てきた。
トリニティでそんな者を見てしまえば、私は気が狂いそうになるだろう。
……これだけ考えて尚、私には何の関係も無い話なのが、これまた憤りを感じる。時間の浪費は、計画的にすべきと考えてはいるのだが。
…………いや、いいや。であれば。
「……無駄にしなければ、良いだけ」
さぁ、私らしくない事をしよう。
たまには、刺激もアリだ。
────────
「私が本当の、”トリニティの裏切り者”って事☆」
残酷な現実が、私の頭を強く打ちつける。
”トリニティの裏切り者”。ゲヘナとトリニティの不戦条約である”エデン条約”締結が近いからと、ナギサが懸念していた事柄。
曰く、かつてトリニティとの内紛で追放された”アリウス分派”が作ったとされる、アリウス分校からのスパイの可能性があるとか。
その懸念を解決すべく作られた部活。それが、補習授業部。
学績に問題のある生徒を集め、進級・卒業をさせる為……とは、表向きの目的。その真意は、
……悔やまれる、ばかり。
でも。
灯台下暗し、とは言うが。こうなるとは、誰も思っていなかった。
「…………ミカ、冗談なら止めて」
「も〜、こんな時に冗談なんて言わないよ?」
いつも見かける彼女の笑顔とは違う、どこか含みのある笑み。純粋に笑んでいる表情とは違う、どこか嘲るような笑み。
……本当に、裏切り者なんだと。その表情から分かる。分かってしまう。分かりたくない、納得したくないと思っているのに。直感が、それを許してくれない。
「この事をナギサが知ったら……」
「うん、きっとおかしな顔するだろうね」
そんなレベルの話じゃない。それは、ミカも分かっているはず。
挑発しているのだろうか。それとも、心の底からの本音だろうか。いずれにせよ、色々聞かないと。
─大人の真似事、貴女には早いのでは?
酷く冷めた声。温情の欠片も感じない声色。遠くない内に聞いた覚えのある、声。
ヨグだった。
「……初対面なのに、随分と失礼なんだね?」
「身の丈に合わないままごとをする子供に、示す礼儀はたかが知れてますから」
恐ろしいまでの、鋭い言葉。本来なら真っ先に注意すべきなのだろう。けれど、”生徒と先生という関係では無い可能性”が邪魔をして、言葉が詰まる。
「……殴られたいの?」
「したいなら、好きにして貰って結構です。が、仮にも政治のトップの一角がそんな浅慮な事をして、醜聞が広まらない保障はありませんよ?」
「……セイアちゃんと話してるみたい。ホンットムカつく」
キヴォトスでは珍しい、激しい舌戦。それは、ヨグの優勢で進んでいく。
何処にも属していないというのに、どうやってそこまでの知識と度胸を身につけてきたのだろうか。学園の図書館や噂で知るような情報を、彼女は知っている。挙句には、それよりずっと事細かい情報まで。
断片的に聞こえる言葉には、”エデン条約”や”ティーパーティー”など、トリニティ以外ではあまり聞き馴染みのない事まで。
恐らく、ヨグは知っているのだろう。どうしてかは、分からないけど。
「……貴女の独断的行動でしょう?だとしたら、退く事を進めますよ?」
「…どうして?どうして貴女にそんな事が分かるのさ?」
「分かりますとも。あれを見れば、明らかかと」
その言葉に続くように、ヨグが指す方を向く。
シスターフッド。それも、ヒナタやマリー、そしてサクラコまでいる。総出だ。
「……っ!どうして、中立的な立場のはずなのに……」
「はぁ。本当、貴女に政治は不向きですね。派閥勢力の均衡が崩れたりトリニティが危機に瀕しそうな時に、動かない中立的存在は少ないでしょう」
確かに。
トリニティにはおよそ3つの派閥が存在している。そのリーダーがナギサとミカ、そしてセイア。3つの派閥は当主を除いて、それなりにしっかりと敵対意識を抱いているとか。
それらとは別に、政治的権力を放棄しているのが、救護騎士団とシスターフッド。我関せずの姿勢を貫いている(時折牽制しているのだとかは一旦置いておく)。
そんな中立的立場のシスターフッドも、ことトリニティの危機には動かざるを得ないのだろう。何せ、自分の学園が未曾有の危機に陥る可能性が捨てきれないから。
それに、救護騎士団とは違い、多少の”武力組織”という毛色を隠しきれないのも、シスターフッドの特徴と聞いた事がある。
要は。サクラコの判断で有事に動く可能性。それを、ヨグは言いたかったのだろう。……どうして、こんな事細かく知っているのだろう。あんな言動、今言った知識が無いと出来ない筈。
「……仕方ないか」
そうして、ミカはあっさりと降伏の意を示した。
少し後にやって来た正義実現委員会の子らに拘束され、連れて行かれる。それを見届けたサクラコやミネ達も、徐々にここを後にする。
気付けば、私達とヨグだけが残っていた。
「ヨグ、どうして此処に?」
「……貴方が勘ぐるような目的は、ありません」
相も変わらず、冷たい言葉の数々。ヒフミ達を見てみれば、ポカンとしてる子もいれば、警戒心を露わにしている子も。
「……貴女は、一体誰なんですか?トリニティ以外の生徒が、易々と来れる場所では無いはずですよ?」
いつもと違う喋り方で、ハナコが切り込む。それに強い違和感を感じたのか、3人は驚いたような顔をしていた。
「私は、ヨグ。学籍の無い、研究者です。アクセスは……黙秘権行使としましょう」
研究者。彼女は確かに、そう言った。
…………いや、うん。
「私の用はもう済みました。では」
「ヨグ!」
思わず、呼び止める。前回のように去る事はなく、足を止めて私を見ていた。どこか、言葉を催促するような顔をして。
「……
合っていて欲しくない、可能性。
学籍がなく、それでいて多くの情報網を持っている。挙句の果てには、研究者。
どこか哲学的な問いを投げ掛け、子どもとは言い難い程に大人びたその言動。合っていて欲しくないと思うも、1番整合性の高いソレ。
どうか否定して──
「よく分かりましたね。……いえ、結構それらしい要素を散らばせ過ぎましたか」
──欲しかった。
結果は、予想外の朗報ではなかった。つまりは、敵。私とヨグは、相容れない立場同士。
……でも、そう割り切る事も出来そうにない。
私からすれば、”生徒と先生”という関係性がチラついて離れない。「ヨグは生徒では無い」という指摘も、正論。でも、先生としての私が、その正論を受け止めきれない。
”どうにか正論を誤魔化して、ゲマトリアから身を引かせたい”という
生徒達の自主性を尊重したいという感情と、ゲマトリアから子どもを引き離さないといけないという使命感のジレンマ。今までに味わった事の無い感覚が、私を襲っていた。
「では、またどこかで」
「ッ!ヨグッ!!」
呼び止めるも、反応は無い。振り返る様子も止まる様子もなく、ヨグは暗闇に消えていった。
……どことなく、嫌な予感がして仕方ない。