「またのお越しを〜!」
食事を終えて出ていく人達を見送りながら、今日の仕事も終わりか、と息を吐く
山海経高級中学校、玄武商会。それが僕の所属だ。別に誇るほどの事でも、特筆するような事でもない。ここではありふれた肩書き。どこにでもいる有象無象のフリをした落ちこぼれ。それが僕だ。
「今日もお疲れ様」
「あ…ルミさん……」
「いつも言ってるけど、そんな畏まらなくたっていいよ」
「……いえ」
僕の同級生で、玄武商会の会長、朱城ルミ。言うまでもなく僕より遥かに優秀な人。僕なんかと違って、尊敬と羨望の眼差しを受ける人だ。
……一応、僕と彼女は古い仲だ。でも、それだけ。本当に昔、子供の頃、彼女と後一人と僕。三人でよく過ごしたりしたが、今ではもう彼女達は遥か上の立場の人間だ。僕みたいな凡人とは生きる世界が違う
「……そんなによそよそしくされると、私も寂しいんだけどなぁ」
「あ……す、すいません…」
「……まぁ、いいよ。それが一番楽なんだよね?」
「は、はい……」
……努力をしてこなかった訳では無いと思う。……多分。でも、それが実を結ぶ事はなかった。結局、僕には何も無い。才能も無ければ魅力も無くて、その上人と話す事も苦手だ。何をやっても、優秀な二人と比べてしまう
「……はい、これ」
「え……」
そう言ってルミさんは僕に何かを渡して来た。それは小さな箱に入ったチョコレートだった
「いつもお疲れ様ってね。嫌いだったら残していいから」
「あ、いや……」
正直、チョコレートはあまり好きじゃない。けど、ルミさんからの贈り物を無下にする訳にもいかない
「貰い、ます。ちゃんと全部食べます」
「そう。私としては、できればすぐ食べて欲しいな」
「……わかり、ました」
箱を開けて出てきたのは、小さなハート形のチョコレート
「……美味しい?」
ルミさんが僕を見つめる
「……美味しい、です」
チョコレートは、どこか鉄っぽい味がした
──────────────────
『見ているのか?』
『返事をしろ』
『早く』
『おい』
『妾から離れるつもりか?』
『許さんぞ』
「…………」
仕事をしている間に溜まっていた大量のモモトークを見てため息を吐く。たった一人からの束縛じみた重い連絡
彼女はいつもそう。少し目を離せばこうやって大量のメッセージを送ってくる
返す事はしない。この感じならどうせもう僕の家にいるんだろうし、直接会う方が早い
玄関のドアノブに手をかけ、扉を開いた
「……キサキさ───」
「遅い」
一見小学生かと見紛うような小さな少女。竜華キサキ──玄龍門の門主
玄武商会と玄龍門は仲が悪い。だから、僕がキサキさんとこうして会う事はあまり好ましくない
「またルミの所か?」
狭いアパートの一室で、顔だけを僕の方に向けて不服そうにキサキさんは言う。いつものようにドス黒い、底の見えない瞳をこちらに向けながら
「……僕の所属、考えてくださいよ」
「面白くないな。妾の元に来いと何度言った?そうすればお前の未来は保証されるというのに」
「……駄目ですよ、それは」
「強情よな」
本当、何で僕なんかにここまで執着するのか理解できない。僕にとってキサキさんは雲の上の人。キサキさんにとって僕は視界にすら入らない有象無象の筈なのに
「お前は自分を卑下しすぎだ。その謙虚さは美徳やもしれんが、妾にはあまり好かぬな」
「……別に」
「はぁ……来い」
そう言ってキサキさんは自分の膝をポンポンと叩く。こっちに来いという意味だ。正直、少し恥ずかしいけれど断ると面倒だし
「……失礼します」
「そう畏まる必要は無かろう」
座る彼女の膝に頭を乗せる。何度やったかわからない、僕達の間ではありふれたスキンシップ
「……いつまでこんな事を続ける気ですか?」
「お前が妾の下に来るまで。と言っておろう?」
キサキさんは僕の髪を弄びながら、底の見えない瞳で僕を見つめる
「いい加減諦めろ。妾の下に来い」
「……お断りします」
──このやり取りも何度目だろう?正直、うんざりするくらいにはやってる。今までの経験からして、僕が折れるかキサキさんが諦めるまでこの話は終わらないだろう
「……なぁ」
僕の体が固まった。声音の変化は見られない。さっきまでと全く同じ声色。なのに、僕の体は動かなくなった
「……お前の意志を尊重するのも辞めようか」
「……!」
髪を弄ぶ手が少しずつ、僕の首へと向かっていく。その指に力が込められていくのがありありと分かる。ギチギチと、ゆっくりゆっくりと気道が閉ざされていく
「……が……はっ……」
「いつまでも『待て』ができると思うな」
全く目が笑っていない笑い方で僕を見下ろすキサキさん。僕もキヴォトスの生徒の端くれ。ちょっとやそっとじゃ死にはしない。けど、その限界を僕は知らない
予想外。すぐに手は離された
「っ…げほっ」
「少し脅し過ぎたか。許せ」
そう言って彼女は僕の頭を撫でる。先程のことが嘘だったかのように優しい手つきだ。きっと、普段の僕ならそれで安心してしまうのだろう。でも、今は違う。感じ取ったのは恐怖と絶望だけだった
「……わかったか?」
キサキさんの表情は変わらず底の見えない笑顔のままだけど、目は全く笑っていない。それこそ、蛇に睨まれた蛙のように体が強ばってしまう
わかったか?と一言だけ。その裏に込められた感情が理解できない程、僕は鈍い訳じゃない
「……わかりました」
「そうか。なら良い」
再び、僕の髪を弄ぶキサキさん。その顔は先程と打って変わって優しげで、愛おしいものを見るような目をしていた ……僕にはそんな目を向けられる価値なんて無いのに……僕は人様に胸を張って誇れる様な人間じゃないのに……
「お前は妾のそばにいなければいけない。お前の代わりなどいない」
彼女の手が今度は優しく僕の頭を撫でる。さっきとは全く違う感覚に思わず戸惑ってしまうくらいには心地いい
「唇が欲しい。顔を向けろ」
「……はい」
いつも動くのはキサキさん。僕はされるがままにキサキさんに唇を渡す。釣り合わない事ぐらい分かっている。それでも、僕はいつも流されてキサキさんを穢してしまう
「ん……はぁ……」
水音が響いて、脳髄を溶かされていくような感覚。いけない事をしているような高揚感。こんなの、やってはいけないのに
「キサキ、さん……」
でも、彼女に命令されるとどうしても逆らえない。何もわからないまま彼女のなすがままにされてしまう
「……これ以上はまた今度な」
「え……あ……」
もう少し──という所で彼女は唇を離した。物足りなさを感じてしまう自分がいる事が心底嫌になる。やっぱり僕は救いようのない程に卑しい人間だ
「最後に聞こうか」
そんな僕を見抜いているのかいないのか、はたまた気にしていないのか定かではないけど、キサキさんは僕の目を見つめた
「お前の口から血の味がした」
蕩けていた思考が、一気に冷めていく。彼女の声音は先程と同じく変わっていない筈なのに、嘘を許さないと僕に語りかけてくる
「お前の血の味ではない」
ゆっくりと、僕の上に跨るような体勢になって、キサキさんは僕の首に触れる
こういう時、キサキさんはいつも首を狙う。曰く、一番効くのだとか何とか
「誰だ?」
さっき以上の気迫。答えなければ相当なものが待っているだろうが、答えれば幾分マシにはなるのだろう
でも、ここで名前を出して仕舞えば、彼女はルミさんに何をするかわかったものじゃない。
「言えないのか?」
「……」
小さく、彼女はため息を吐く
「……まぁいい。言えないならそれ相応の仕置きをするまでだ」
首に触れている手に力が込められる。少しづつ苦しみが増していく中で──彼女の背中に手を回した事に、僕は気づいていなかった
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五人で色付くからね、するよね(乞食)