「……どうして、こうなっちゃったんだろ」
「……さぁ」
灰色の空、ボロボロの街。煤だらけの建物の床に、二人並んで座り込んで言葉を交わす
僕達は、ただ普通に生きていただけだ。アビドスでの騒がしい日々の中、ラーメンを食べて、借金を返して、シロコと話して、シロコと銀行強盗して、シロコとロードバイクに乗って────思い出は、シロコとの事ばかり
それも当然といえばそうだ。このキヴォトスで、僕とシロコ以外の生徒は皆、死んでしまった
たった二人で、必死に戦い続けて──色彩が、全てを踏み躙った
「先生も……元通りとは言えないかもだけど、戻ってきたし。多分、これから良くなっていくと思う」
「私達しか、いないのに?」
「……あんまり、ネガティブになっちゃ駄目だよ。ほら、頭撫でてあげるから────」
そうして、右腕を動かそうとして───
「………まだ慣れないや」
「……ごめん」
「シロコのせいじゃないよ」
無かった
ある筈の右腕が、肩から丸ごと消えてしまっていた。特に言う事なんてない。戦いの中で、そうなってしまっただけだ
「おいで」
一言。彼女は、無言で身体を委ねてくれた。冷たい空気に吹かれながら、僕達は暫くそうしていた。どれだけの間そうしていたか。一分だったかもしれないし、十分だったかもしれない
長い、長い沈黙。破ったのはシロコだった
「……どこにも、行かないで」
「……いかないよ」
腕の傷を撫でながら、絞り出す様な声でそう言った
シロコは続ける。縋る様に、祈る様に
「セリカも……アヤネも…ノノミも…ホシノ先輩も……みんないなくなった。だから……あなたまでいなくなったら……生きていけないよ……」
そう締め括る。僕を抱く力が強くなる。息が苦しくなる程の抱擁。涙混じりの声だった
色彩に触れた彼女は、端的に言えば強くなった。それはもう本当に、僕が足手纏いになるぐらいに
そもそも僕には何も無かった。ホシノ先輩のような強さも、先生のようなチートも無い
だから……僕が出来るのは、そんなシロコの傍にいてあげる事だけ。僕にはそれしか出来ないから。他の皆んなを死なせて生き残った分、せめて彼女だけは幸せにしてあげたかったんだ
「大丈夫」
そう言って抱き返す。触れ合った体から伝わってくる鼓動が、徐々に落ち着きを取り戻していく。背中をさすってあげたり、頭を撫でたりして暫くそうしていた
「……もう大丈夫」
「ほんとに?」
「……うん」
抱き合うのをやめて、もう一度隣へ座り直す。シロコは何を言うでもなく、ただ隣に居てくれる。それだけで良かった。まだ笑顔が固いけれど、大丈夫。いつか、普通に笑える様になる筈だ
「……さて」
しまっていたハンドガンを取り出し、ただ眺める。今の僕は隻腕。なんとか扱えるのはこれぐらいだ。扱える、と言っても、射撃がギリ、リロードや整備は片手では厳しい
せめて、自分の身ぐらいは守れる様にならないと
「……それ、何?」
「拾ってきたんだ。今の僕はこれぐらいしか扱えないし、何とか戦えるぐらいにはしないと───」
「そうじゃない」
微妙に怒気を孕んだ声。普段と殆ど変わらない声だけど、長い関わりが微妙な差異を気付かせた
「まだ戦うつもりなの?」
「……?そりゃあそうでしょ。こんな状態とはいえ、シロコにばかり任せる訳にもいかないでしょ」
「……そう」
「あっ────」
瞬間──万力のような力で、僕の手からハンドガンが奪われる。そのまま──シロコはハンドガンを握りつぶした
「え……や、なん、で…?」
銃を握り潰せる程に高まったシロコの膂力。行動の意図。謎は、ただ増えていくばかりで───でも、それ以上に────
「ふざけてるの?」
座り込む僕に覆い被さったシロコの目が、ただ本当に恐ろしかった
「……危なかった。そんな事考えてるなんて、全然気付かなかった。やっぱり、ずっと監視してないとダメだよね」
「え……し、シロコ…?」
「あなたは今後一切戦わない。銃も持たない。いいよね」
「な、何言って───!?」
残った片腕を掴まれ、壁に押し付けられた。銃すら握り潰す程の怪力だ。僕がいくら抵抗しても、びくともしない
「口答えしないで。返事ははい以外認めない」
「は?え、いや、僕だって」
「さっき言ったよね。いなくなったら生きていけないって。なんでそれが分からないの?」
掴まれている手に力が込められる。ミシミシと骨が軋む音がした
「シロコ……痛っ……やめてよ……」
「……そう、痛いの。痛くすれば、大人しく従ってくれるのかな」
「……な、何を……」
「ちゃんと見ててね」
言うや否や、掴まれていた左腕に鋭い痛みが走る。噛み付かれたのだ。彼女の顎の力は僕よりも強く、食い千切られると錯覚する程の激痛だった
「い"っ……だ……痛いッ!離して!!」
力で負け、片腕の無い僕では、抵抗は少し身じろぎするだけの無意味なものとなる。だが、そんな抵抗が気に障ったのか、より強い力で噛まれる
「ん…はぁ。好き。大好きだよ」
腕から口を離し、息も絶え絶えな僕の顔を見てシロコが薄く微笑む。光の無い、されど何かの感情が籠もった瞳で
「だからね、もう辛い思いして欲しくないの」
「し、シロコ?」
「全部、私に任せて。私だけを見てればいい。それ以外は何も考えなくていい」
ただ、そう告げる。正気じゃないと断言出来る程に異常だ。何が彼女にそうさせているのか……全く分からない。何が原因なのか、どうしてこうなってしまったのか……いや、今はそれよりも────
「返事は?」
「……嫌だって言ったら?」
ガンッ!!!と、真横から轟音が耳に届いた。パラパラと破片の落ちる音。傷ひとつないシロコの拳。穴の空いた壁
「ひっ」
「怖い?でもね、全部あなたの為だから。返事は?」
「………」
…………怖い。それは事実だ
でも、だからといってここで屈するのは駄目だ。今のシロコはまず間違いなく正気じゃない。一旦頭を冷やして、きちんと話し合わないと
「……シロコ。一旦落ち着いて。話はそれから───」
「……まぁ、そうだよね。簡単には折れてくれないって、知ってた」
ひんやりとした、白魚のようなシロコの右手が、流れるように自然な動作で、僕の頬に添えられた
「多分、あなたの体をいくら痛めつけても、大人しくしてはくれないよね」
左手も、同様に。挟み込まれた僕の顔は、真正面から彼女の顔を見つめている
「じゃあ、さ」
色彩で反転したからじゃない。もっともっと、別の理由でドス黒く染まった、綺麗なはずの彼女の双眸が、僕を一切の容赦なく射抜く
「あなたが私を傷つけたら、どうなるのかな」
「……え?」
言葉の意味が、わからなかった。シロコを?傷つける?僕が?どうやって?
「あなたって、責任感強いから。一生に一度の消えない傷───あなたが私にそれを付けたら、流石に一緒に居てくれるでしょ?」
一生に一度の、消えない傷
その言葉の意味が、わからない訳じゃない。シロコのしようとしている事も、わかる。分かってしまう
一番確実で、一番手っ取り早い繋がりの作り方
「……駄目だよ、それは」
「するの」
短く告げられる。目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、僕を見つめるその目に宿った感情だけは、嫌でも伝わってくる
でも、今シロコが望む事だけは絶対にしてはいけない。ここで僕が止めないとこの人はきっとどこまでも堕ちてしまう
「駄目だよ。そんなの……後悔しか残らない」
「後悔するなら、それもいいかもね。あなたとの繋がりが増えるんだし」
顔を挟み込む手に、段々と力が込もっていく。抗えない圧倒的な差を、執拗なまでに示していく
「ていうか、驚いた。まだ拒否権があると思ってるんだ」
───一瞬のうちに、僕の胸ぐらを掴んで地面に引き倒し───馬乗りになってシロコが見下ろす
「な……っ」
強硬手段に出たと、否応無しに理解させられたせめてもの抵抗で身じろぐけれど、そんな物は何の意味も成さない
「無駄だよ、あなたじゃ私に勝てない。……それと、できるだけ可愛い声で鳴いてくれるのを期待するね」
「ま───待て待て待て!」
「待たない」
………それからの事は、今でもよく覚えている
『あ、はっ…♡これ、いいっ……♡』
『や、だっ…あっ……ぐ……』
それは、痛々しい程の執着。絶対に逃さないというシロコの意志がこれでもかと伝わってきて───無理矢理に与えられる快楽は、どこまでも暴力的で、余りにも容易く僕の心を壊した
初めての交わり、初めてのキス。嬉しさなんて微塵も無い。あるのは惨めさと、罪悪感と、後悔だけ
『───見える?』
廃墟の床に残った血のシミ
僕がシロコに与えた、一生消えない傷だった
──────────────────
目を覚ましたのは、薄暗い部屋の中だった
それほど広くもない、質素な部屋──でも、あっちに居た時よりは遥かにマシだ
終わっていないキヴォトスに、僕とシロコはやってきた。僕達の先生は死んでしまったけれど、こっちの先生がいる以上、キヴォトスは安泰だろう
僕達の先生が持っていたシッテムの箱も、今は僕達が預かってる。中にいる彼女は、シロコには見えないらしいけど
「………」
余計な事を、そう長い間考えてはいられなかった
左手を動かした時にした、ジャラリという金属音で、否応無しに現実に引き戻される ……鎖。僕の左手は、手錠でベッドの柱に繋がれている
「あ、おはよう」
横から声がした。首を傾けてそちらを見ると、シロコが同じベッドで寝転んだまま僕を見ていた。見る分には慣れたけど、状況そのものにはいつまで経っても慣れない
「……シロコ」
「どうしたの?」
「……その、ごめん」
「……あぁ」
この罪悪感が、シロコの思惑通りだなんて事分かってる。それでも、僕が、僕なんかが彼女を傷つけたという事実だけは覆しようがない
「本当、損な性格だよね」
シロコは淡々と、何でもない事の様に言いのける。まるで僕が考え過ぎてるだけと言わんばかりに
「素直に受けてくれたらいいのに」
「……やっぱり、ああいうのは良くないよ」
「それを望んだのは私だよ?それにね、あなた以外には見せるつもりもないから。」
その言葉に含まれた独占欲が、僕の心を搔き乱す。ただただ罪悪感だけを募らせていく そんな僕を意に返す事なくシロコは言葉を続けた
「ちょっとだけ後悔してるのは本当だけど……どうであれ、あなたが気に病む必要は無いでしょ?あなたは私に犯された。その逆はあり得ない」
「……」
………正論、ではある
客観的に見れば、シロコの言っている事は間違いなく正しい。加害者がシロコで、被害者が僕。それだけの話
「……でも、駄目だよ。ここまでされても、僕はまだシロコが大切なんだ。だから、こんな事したくなかった」
でも、現実はその逆だ
僕は僕の罪と、一生向き合っていくしか───
「………あはっ」
軽快な笑いが、耳朶を打った
「後悔がある……って言ったけど、やっぱり嘘。心の底からやって良かったと思う」
「え……」
それは、シロコにはあまりに不釣り合いな笑い声。明るくて、皮肉めいていて、心底愉快な笑い声
「後悔、罪悪感。それがある限り、あなたは私から逃げられない。体が、じゃなくて、心がね」
「あ─────」
ゾッとした。背筋が凍るようだった そうだ、その通りだ。僕はまだ、シロコを大切だと思っている。だからこそ、傷つけた後悔と罪悪感が、僕の心を雁字搦めに縛る。
僕は、シロコから逃れられない
「……痛かったな」
「っえ、あ……」
「ほら、こうするだけでいいんだもんね」
自業自得の、最悪な台詞。それだけで、忘れられない夜が蘇ってくる。他でもない僕によって刻まれた、一生消える事の無い傷によって
「ずーっと、一緒」