もし日車の式神が「断頭台のアウラ」だったら 作:Yama@0083
前回は自分の想定を遥かに超える反響を頂き、一時日刊ランキングに載ることもできました。お読み頂いた皆様に感謝致します。
原作で日車たちのターンが回ってきたということもあり、本作も便乗してあと少し続きを投稿しようと思います。恐らく2〜3話程となると思われますが、お楽しみ頂ければ幸いです。
なお、今回の話には少しセンシティブな話題が盛り込まれております。その点をご了承の上、どうぞお楽しみ下さい。
2018年11月15日。
日車と虎杖の邂逅から、二日が経過した。
死滅回游での彼の日々は、大きな変わり映えはしなかった。襲い来る他の
そして、この日もまた。彼は降りかかる火の粉を払うべく、女神の裁定の下での法廷を開いていた。
「『
相手の男に判決が下され、
「・・・はぁ!? 術式がっ...」
己の身に起きた現象に理解が追い付かず、男は思わず動きを止める。日車は没収した術式を即座に発動させると、一つに束ねた糸を巧みに操り、混乱している男を高く吊るし上げた。
「高硬度の糸を生成し操る術式、か。中々繊細な技だが、家庭科実習でぬいぐるみに挑戦した俺の敵ではなかったな」
「そんな理屈で、他者の術式に順応できるのは貴方だけよ? というか、何なのこの生き物は。まさか、これがクマだなんて言わないわよね?」
自ら口を開き日車を茶化す式神を、彼は横目でジロリと睨めつける。
「...リーブラ、俺の過去を好き勝手に覗くのはやめろ。憲法第13条に反しているぞ」
「あら、プライバシーの侵害で罪に問えるのは、名誉毀損罪が適応される場合でしょう? 罰せられるのは、公然と事実を吹聴した時。ここには私と貴方しかいないじゃない。あ、あの男は別よ? 絞められてそれどころじゃないでしょうし」
彼女は悪びれる様子もなく反論し、くすくすと意地悪く笑う。そんな様子に溜息を漏らした日車は、視線を拘束している男へと戻した。
「───さて、君は自分の術式にえらく自信を持っていたな。先程の陳述から察するに、このままだと君の首は飛ぶ訳だが」
糸がキリキリと締まり、呪力で防護された男の首にどんどん食いこんでいく。自らの術式に吊るされた彼は、容易に想像し得る未来にサッと青ざめた。
「ぐッ・・・んだよ、アンタ弁護士先生だろ!? こんな脅しみてえな真似していいのかよぉ!?」
「ああ、俺としても不本意だ。少なくとも君の罪状は、死刑を求刑する程ではなかったからな」
糾弾を受けるも日車は顔色一つ変えず、締め付ける力を更に上げる。じわじわと強くなっていく気管の圧迫感に、男はすっかり音を上げ命惜しさに必死で叫んだ。
「〜〜ッッ! わっ、分かった!! 降参、降参するッ!!」
「ならば、君が持っているポイントを貰おうか。何も全部とは言わん、半分程寄越してくれればそれでいい」
「クソッ・・・コガネ、日車に5点送れ!」
コガネを介し、日車に5点が譲渡される。それを確認した日車は、相手から徴収した術式を解除し男を解放した。
「よし。では今すぐに、この場を立ち去れ。君の術式は後ほど返却しよう」
「は...? おい、今じゃねえのかよ」
「返してやりたいのはやまやまだが、またすぐに襲われる可能性があるからな。こちらの一旦の安全が確認でき次第、必ず返却するさ」
日車はそう説明するも、男は訝しげに彼を睨みつける。するとその疑念に答える様に、式神が男に話しかけた。
「安心なさい、寛見は約束を守る人間よ。それとも、縛りでも結ぶかしら? 実に公平で、公正な取引をしてあげましょう」
彼女はそう言って、左手の天秤をかざして微笑む。その清廉さと邪悪さを兼ね備えた笑顔を目の当たりにした男は、小さく悲鳴を漏らした。
「分かったよ、離れりゃいいんだろ!? ったく、女神サマみてえな見てくれしてんのに、なんて野郎だ」
ぶつくさと文句を言いながら、彼は足早にその場を後にする。あまりにあっさりとした幕引きに、式神はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「あーあ、残念。せっかく素敵な提案をしてあげようと思ったのに」
「単純な男だったが、君を欠片も信頼しなかったのは賢明だったな。君の様な存在と取引をするくらいなら、闇金に手を出した方が幾らかマシだ」
「あらあら。信頼がとてもお篤いようで、式神冥利に尽きるわね」
日車とのやり取りを通し、彼女は普段の妖しい笑顔に戻る。しかしそれはすぐに、警戒心を伴った表情へと変わった。
「寛見、下」
日車は即座に、その場から大きく飛び退く。次の瞬間、彼が立っていた橋を勢い良く突き破り、巨大な呪霊が姿を現した。さらに、それが開けた穴から湧き出る様に、中小の呪霊たちがうじゃうじゃと這い上がってくる。
「...弱ったな。この呪霊の数では、少々俺たちの分が悪い」
「恐らく、あの男が呪力で呼び寄せたんでしょうね。ホント、可愛げのない奴・・・あ、自分が集めた呪霊に喰われてる。ざまあないってもんね」
男が向かった方向から甲高い悲鳴が響き、そしてすぐに途絶える。己の術式すら扱えない状態であった彼は、哀れ抵抗も出来ずに呪霊の餌となり、式神が没収した術式と共にこの世から消えた。
「...全く、俺は本当に返すつもりでいたというのに。リーブラ、この数を相手取るのは面倒だ。適度にいなして離脱するぞ」
「了解。私としても、あんなケダモノ共に法廷を荒らされたくないし。貴方の領域は、私の世界でもある事をくれぐれも忘れないでよ、寛見」
日車は気だるげにしながら、呪霊たちを前にガベルを構える。それに続き式神も、うんざりといった様子で天秤を掲げた。
そして約10分後、彼等は無事戦闘から離脱することに成功した。日車が戦闘で乱れたスーツを粛々と整える一方、何やら複雑な面持ちをした式神が、彼に問いを投げかける。
「寛見。貴方の行動原理を否定するようだけど、弱者を助ける必要なんてあるの? 追い詰められた人間は恵まれた者を一方的に妬み、救いの手を差し伸べた者さえも恨むのよ」
式神が呈示したその疑問に、日車は困った様に首に手を当てる。そして少しの思考の後、彼は一つの提案をした。
「...そうだな。では一度、落ち着ける場所を探そうか。俺が講師で君が生徒の、勉強の時間だ」
※※※※※※※※
日車は放棄された喫茶店を見つけると、ドアを開けて中に入った。以前は訪れる者の憩いの場であったであろうそこは、今や客はおろか、店員すらも姿を消している。
ただ静けさだけが残る店内で、扉に備え付けられた鈴の音色が、虚しく響いて彼を出迎えた。
「あの窓際にするか。君もそれでいいな?」
「別にどこだっていいわよ。術者の貴方が行く場所が、私の居場所なんだから」
それもそうか、と日車は呟き、大きな窓に臨む席へと腰を下ろす。それに習う様に式神も、一時的に彼の後ろから離れ、正面の椅子に腰掛ける様な仕草をした。
「・・・君が椅子に座る必要はあるのか? いや、そもそもそれは本当に座っているのか。君は足がないし、普段は俺の背後で浮いているしな」
「ポーズよ、ポーズ。物を教わるんだから、向き合って目を合わせないとね。議論だってやりにくいでしょう?」
「ほう、君にしてはいい心がけだ。だがその前に、少しばかり一服させてくれ。昨夜の軍人に続いてあやとり師、果てには呪霊と来た。流石に堪えるものがある」
日車はややうんざりした様子で、背もたれに背中を預け脱力する。そして懐から、無人のコンビニから拝借した缶コーヒーを2本取り出した。
「君も飲むか? 式神が飲み食い出来るかは知らないが」
「こうして顕現している間は実体があるから...多分、大丈夫じゃないかしら。じゃあ折角だし、一本もらうわね」
彼女は缶を受け取ると、蓋を開けて不思議そうに中の匂いを嗅ぐ。そして訝しげな表情をしながらも、中のコーヒーに口をつけた。
式神にも、感覚はあるんだな。そんなとりとめのない小さな発見と共に、彼も続いて少し口に含む。すると、あからさまに不快感を露にした式神が、苦悶の声を漏らした。
「・・・マッズイ。人間は、こんな物を好んで飲むの?」
「無論、コーヒーが好きでそれに凝る人々もいるが...俺は特段こだわりはない。身も蓋もないことを言うなら、『なんとなく』だな」
「そんな思考で、こんな物を飲む訳? やっぱり分からないわぁ、
色々言っているが、彼女は単純にコーヒーの味がお気に召さなかったらしい。次はもう少し甘いものを飲ませてやろうと、日車は心の中で決めた。
「さて・・・では、授業を始めるか。筆記用具は、君なら必要ないだろう」
「ええ。よろしくお願いするわね、
式神は『先生』の部分を強調し、相変わらず己の主を茶化すことを忘れない。そんな彼女の性質にすっかり慣れてしまった日車は、華麗にスルーして缶をテーブルに置くと、姿勢を正して式神へと向き合った。
「何故弱者を救う必要があるのか、だったな。正直に言ってしまえば、俺が『そうありたい』と願っているという、なんともつまらない私情に過ぎない。だが、君はそんな答えでは満足しないだろう?」
その言葉に応える様に、式神はにこりと微笑む。日車は彼女の反応を確認すると、やはりなと口角を僅かに上げた。
「それではこの思いを、筋道を立てて話すとしようか。リーブラ、まずは君に問う。『弱者』とはどんな人間を指すと思う?」
日車の問いかけに、式神は少し考える素振りを見せる。そして10秒と経たない内に、彼女は悠然と答えを口にした。
「『弱者』とは、力を持たざる者たちのことよ。あるいは持つ者と比較して、自分の欲求を押し通せる程の力を持たない者を、そう言うのかもね」
その答えに、日車は同意するように軽く頷いた。
「概ね間違いは無いな。力はこれまで、時と共に変化してきた。時代の流れの中で、腕っぷし等の相手を屈服させる殺傷能力から、個人の持つ資本が『力』となっていった。しかしその資本は、所持している金銭の多さ...所謂、富だけを指す訳ではない。例えば、かつてフランスの学者が提唱した『文化資本』という概念が、それを示している」
「...文化? それが、お金になるの?」
自身の知らないその言葉に、式神が口を挟む。
彼女は日車の術式の一部として生まれた存在であるが、その記憶や知識は、あくまで別個の物として存在している。
よって、彼女には知らない事が多い。だがそれ故に、自ら理解しようとする姿勢が養われていた。
「簡単に言えば、それまでの学びや経験・人脈・振る舞い方なども、個人の社会的地位に大きく影響するという考えだ。地位が高い程、富を得ることができるとすれば...それらが金銭になるというのも、あながち間違いじゃない」
「...確かに、その通りね。人間の上下関係は、肉体的な強さだけが全てではない。それがまかり通るなら、この世で一番偉いのはあの
「・・・あの存在は、最早人の理に当てはめられるかも怪しいな。とにかく人間の世界では、それらが生活の豊かさを支える大きな要因になり得るという事だ...ここまではいいか?」
式神は静かに首を縦に振り、話の続きを促す。それを受け、日車は話を次の段階へと進めた。
「よし。ではこれらをふまえ君に問う。資本を持ち合わせていない家庭に生まれた子供は、どうなると思う?」
彼女は日車が語ったことを念頭に置き、再び考えを巡らせる。
例えば学歴。あるいは教養。そして、それらによって培われる素養。人間の未来における可能性の数々は、その質によって拓かれると、式神は彼から教わった。
では、それらに欠けているとなれば───
「──その子供は、質の高い学問や教養に触れる機会が少なくなる。将来的な自分の地位を向上させられる可能性も、それに準じて低くなるでしょうね」
式神が導き出した答えに、日車はゆっくりと首肯した。
「勿論、それは極端な例に過ぎない。貧富はゼロイチで明確に別れている訳でもなければ、恵まれていたとは言えないような出生から、成功を手にした人々もしっかりと存在する。だが往々にして、生まれついた地位から抜け出すことは難しいものだ。子供が生まれ次の世代へと託されても、それは延々と繰り返される」
「弱い人間は弱いまま、ってこと? 夢も希望もない話ね。じゃあ人間たちは、生まれた時からそれぞれのスタート地点が違うじゃない」
「そう。人は個々によって、その境遇が違う。だから罪を裁く時には、個々人のそういった事情を見る必要がある。『何を目的にその行為をしたのか』、そして『その行為へ駆り立てた経緯は何か』。つまりは、目的と背景だな。それらを全て考慮に入れ、最終的な罰は決められる」
「...正直、解せないわね。本人たちに罪が無かった場合、私も彼等のような人間を救うべきだとは思うわ。何もしていないんだもの。でもそうでない者たちは、どう言い訳しようと罪を犯した事実は変わらない。人間によって、地位や立場が違う事は理解できた。なればこそ、弱者も強者も一切の妥協を許さず、罪は罪として等しく裁くのが道理じゃないかしら」
式神は真剣な表情で、日車にそう語る。彼女は、対象の過去の行動全てを見ることができる。それにより、彼女にとって罪を裁く時に重要なのは、『やったか、やっていないか』のみであった。
「では、実際の刑事事件を例に挙げようか。2006年、ある殺人事件が起こった。被告人は50代男性で、被害者は当時80代の、彼の母親だ。さて、この段階で君はどんな判決を下す?」
「・・・いわゆる、尊属殺人ね。現代では、それによる加重規定は無くなっている。それでも殺人罪には変わりないし、懲役刑が妥当かしらね」
躊躇う素振りも見せず、式神は自身に備わった知識から罪を予想した。そんな機械的な彼女の判断に、日車はそれを予想していたのか、表情を変えることなく話を続ける。
「被告は当時、母親の介護に献身し、彼女に深い愛情を抱いていたことは間違いない。しかし、職を失い生活保護を受けることも認められなかった彼は、生活が困窮し被害者との心中を決意した。本人の証言によると、被害者側もそれを受け入れていた様子だったらしい。これではどうだ?」
「・・・それは」
追加で提示された情報に、式神は思わず口篭る。その男は自らの母親を殺した、その事実は同じ。なのに何故自分は、たった今言葉を失ったのか。その理由を、その時の彼女は知る由もなかった。
「結果として、彼は懲役2年6ヶ月、執行猶予3年を言い渡された。その後は社会復帰に努めていた様だが、やがて自ら命を絶った...なんともやりきれない話だよ。彼の行為に情状酌量の余地が余りある事は、裁判を通し認められていた。だが本人は、自らの手で母親を殺めてしまったという事実に、耐えられなかったのかもな」
その救われない話に彼女は押し黙り、下すべき判決を改めて考える。何があろうと、その男が人を殺したという事実は変わらない。しかし一切の考慮も無しに、ただ
「...弱者とは、縋れる物が少ない人々だ。自身の尊厳を守り、日々の生活や社会的地位を保証する物が無ければ、人は希望を見失う。追い詰められた彼らが無我夢中で伸ばした手を、俺はしっかりと見据えて取ってやりたい。それが、俺の役目だと思っている」
そう語る彼の表情は、変わらず感情の起伏に乏しい。しかしその目には、確かな熱が込められていた。
「・・・もう一つ、聞いてもいいかしら。生まれてから、ずっと気になっていたことなんだけど」
「勿論だ。今の君は俺の生徒だからな、遠慮することはない」
その申し入れを、日車は快く了承する。彼の色良い返事を受け、じゃあ遠慮なく、と式神は二つ目の疑問を呈示した。
「何故人間には、『罪』なんてまどろっこしい物があるのかしら。たとえ動物が同類を殺したとて、死罪にはならないでしょう。『罪』とは一体何? どうして、そんな概念が存在するの?」
より複雑で、倫理の領域であるその話題に、彼はしばらく熟考する。やがて自身の考えがまとまると、俺の主観だが、と前置きをして語り始めた。
「罪とは瑕疵であり、証だ。人間が、数多の同族たちと寄り合い生きていく中で、必要な物だ」
証。
彼の口から出たその言葉を、式神は無意識に復唱した。
「野生には、弱肉強食という単純な摂理がある。喰うか喰われるか、生きるか死ぬかの世界だ。だから被捕食者は、捕食者から必死で逃げる。だが人間に、そんな者は身近にいない。自分に危険を及ぼし得る絶対的な存在が誰かを、本能で理解することは出来ない。その判断を、個々の人間についての様々な情報から下す必要がある」
「その判断材料となり得るのが罪、ということ?」
彼女の予想に、日車はいかにもと深く頷く。
「罪は、言わば社会から逸脱したという証だ。江戸時代には、罪人の腕や足に入れ墨を施すことで、文字通り犯罪者を見分ける証を残していた。罪のあるなしによって、その者が危険な存在か否かの絶対的な基準が生まれる」
「・・・つまり罪によって、危険人物かそうでないかを区別してるってわけね。でも現代では、見ただけで罪人かどうかなんて分からないじゃない。それに、まだ罪を犯していないだけの危険な輩だっているでしょう?」
「そこで付随して必要となるのが、罪に対する罰だ。罪が認められ罰を下されると、罪人は己が社会から逸脱したという事実から、生涯逃れることはできない。社会動物である人間にとって、集団から外される事は耐え難いものであり、実刑と共に本人の枷となる」
罪を認められた罪人は、その内容に応じた罰を与えられる。例えば罰金・懲役・あるいは死。
いかなる形でも、己のその身をもって、課された罰を受けなければならない。
しかし、いつしか罰を清算したとしても、罪を犯したという過去が消えることはない。
重石として、罪は永遠にその者に付き纏う。
「だから、おおよその人間は犯罪行為を忌避し、自分の周囲もまたそうだとどこかで信じている。この不安定な暗黙の信頼が、人間社会の秩序を保つ。これらは言うなれば、人の理性を踏みとどまらせる、最後の砦なんだ」
そう締めくくり、日車は人間社会における罪の意義を説いた。だが、式神はまだ腑に落ちないといった様子で、重ねて彼に問いかける。
「貴方の話だと、罪は絶対的な物みたいだけど...その罪を決めるのも、結局は人間でしょう? 誤って、冤罪を押し付けられた者はどうなるの。ましてや、全部諦めて自ら覚えの無い罪を背負うことになれば、とうとう救われないわ」
式神のその指摘に、日車はテーブルの上で腕を組む。言われるまでもなく、彼は知っていた。人が人を裁くことの問題や、それにより起こってしまった、過ちの数々を。
しかし。彼はそれでも、その行為を肯定する。
罪と罰。その因果を生み出す歯車の1つとして、譲れない物がそこにはあった。
「・・・それでも。最後に判決を下すのは、人間でなければならない。機械的に本人の行為だけを見て裁くのは、平等であっても公平ではない。人が人の罪を吟味し、罰を与えるのは...判決が下る最後の時まで、その者を見放さない為だ」
その時。
日車は自分の放った言葉が、そのまま自分へとまっすぐ突き刺さる様な感覚に襲われた。
それは雷撃の如く、彼の心に激しい痛みと衝撃を与え、ある一つの答えを彼に突き付ける。
「───そうか。リーブラ、俺は間違っていた」
唐突な告白に、式神は何事かと日車の顔を覗き見る。項垂れている彼の表情を伺い知ることはできなかったが、微かに震えているその声色が、彼の感情をありありと彼女に伝えていた。
「裁判は、被告人のこれまでの人生を加味して、罪を裁かなければならない。初心に還った筈が、俺はそんな根本的なことを忘れていた。背景を見ようともせずに、ただ犯した罪に対して、自動的に罰を与えようなどと・・・この
日車は弱々しい声で、俯きながら自身の過ちを吐露する。その姿はまるで、女神へと懺悔する罪人の様な有様だった。
「・・・お互い、色々と発見があったわね。ありがとう、本当に有意義な時間だったわ。私も一度、自分の中で咀嚼したいから...悪いけど、しばらくそっとしておいて頂戴」
式神はそう言い残し、自らふっと姿を消す。その場に一人残された日車は、やり場のない自分の感情を、残っていたコーヒーを飲み干す事で鎮めようとした。
「...くそ。最悪の味だ」
その後日車は、しばらくその場から動けないでいた。静まり返った喫茶店の中で、呆然としてテーブルを見つめる彼に、突如何者かが声をかける。
「風の噂で聴いたぞ? 何やら、妙ちくりんな式神を操るそうだな。一つ手合わせ願おうか」
男は返答も聞かずに、一方的に戦闘態勢へと入る。しかし日車はそれに一瞥もくれず、目線をそこから動かさない。やがて彼は小さく溜息を吐くと、右手にガベルを生成し、のっそりと立ち上がった。
「・・・生憎、彼女は自習中だ。今日はお引き取り願おうか」
※※※※※※※※
日が沈み、東京の街を深い夜が包み込む。日車は襲撃者を何とか退けた後も、同じ喫茶店に滞在し続けていた。荒れ果て夜風が冷たく吹き付ける店内で、彼はじっと椅子に座り、窓の向こうの暗闇をぼんやりと見つめている。
「あら、随分とマシな顔じゃない? さっきと比べて、まるで見違えたわよ」
するとその場の沈黙を破り、式神が姿を現した。すっかり普段の様子に戻った彼女は、いつもの如く軽い調子で彼に話しかける。
「...そうかもな。ようやく、この状況で俺がすべきことを見つけられたんだ。君の方はどうだ? 何か進展はあったのか」
「ええ、それなりにね。まだ、完全な答えには行き着いていないけど・・・確かに、そこへ近づいた気がするの。流石に弁護士は伊達じゃないわね、日車
「やめてくれ。君にそんな風に呼ばれると、どうにもむず痒い...まあ、君の命題の一助になったのであれば、幸いだ」
その答えを聞いた彼は、大仕事をこなした己を労い、新しい缶コーヒーを開けた。一方式神は、そんな彼の姿を見てある異変に気付く。
「寛見...こんな所に、傷が増えてる。私のいない間、何があったの?」
「ああ、これか。君がいない間に、また荒くれに絡まれてしまってな。なんて事はない、適当にいなして退散したさ」
「・・・驚いたわ。まさか、本当に貴方一人で戦うなんて。馬鹿ね、私は貴方の式神なのよ? 術者が使役している存在の言うことを聞いてどうするのよ」
己の主が真面目な人間であることは、彼女は短い付き合いの中でも重々に理解していた。しかし、まさか
「恐らく、心のどこかで分かっていたんだ。あの時から、自分が正道から外れていたことにな。そんな俺ですらこの様だ。ならば、多くの新たな知見に晒された君は、より一人で考える時間が必要な筈・・・そう、考えただけさ」
「...本当、大馬鹿よ。ただの式神にそこまで気を遣ったって、いい事なんか何もないわ」
「君は本当に人の心に疎いな。人間と変わらない姿で会話を交わす存在が、四六時中共にいるんだぞ? 気にするなと言う方が無理な話だ」
そう言って、彼はコーヒーを再び口元に近づける。すると式神が横から缶をひったくり、己の口へ流し込んだ。
「? おい、それは──」
「ぐ・・・やっぱり、不味いわねコレ」
「...当たり前だ、さっきと同じ物だからな。甘めの物を調達しておいたから、こっちを飲むといいぞ」
日車は、新しく手に入れたカフェオレの缶を取り出し、式神へと差し出す。しかし、彼女はそれを手で制し、コーヒーの缶を手放そうとしない。
「気にしないで。私は式神でありながら、貴方を無駄に働かせたんだから。せめて、貴方と同じ様に苦しみを味わうわ」
「大げさだな。俺は別に、苦しむ為に飲んでいる訳ではないんだが」
「何を苦しみと感じるかも、個々によって違うものでしょう? 私にとっては戦闘よりも、この液体を摂取する方が堪えるのよ・・・うえ」
渋い顔をしながらも、ちびちびとコーヒーに口を付ける式神の姿に、日車は思わず笑みを零す。普段の様子からは想像もつかないその光景は、強烈なギャップと共に、彼に親近感を抱かせた。
「フ...勝手なヤツめ。なら次は、完全無糖のブラックコーヒーでも寄越してやるか」
「これより不味い物があるの? どうなってるの人間は、自罰的にも程があるわよ」
悪戦苦闘している彼女を後目に、日車は渡す予定であったカフェオレを開け、それに口を付けた。優しい甘さが彼の身体に染み渡り、得も知れない満足感が彼を包む。
「...随分久しぶりに飲んだかな、やけに美味く感じる。これならもっと前から、こっちにしてみようと思うべきだった」
「へえ、そっちは結構いける味なのね。この禊が終わったら、試してみるわ」
「いや。この感覚は恐らく、俺の内的な要因が大きいだろうな。いつもは考え無しに、安定感からコーヒーにしていたが・・・少し立ち止まって考えるだけで、普段とは違う体験と出会える。その重要性を、改めて思い知らされた気分だ」
「ふぅん...変なの」
感傷に浸っている日車に、式神は肩をすくめてコーヒーとの戦いを再開する。すると彼は、ふと思いついたといった様子で、彼女に再び話しかけた。
「───そうだ。たった今思いついた与太話なんだが、いいか?」
「ええ、お気の召すまま。そもそも、私に許可を求める必要なんてないわ。貴方は私の主なんだから、遠慮するだけ無駄よ」
私も遠慮なんかしないしね、と悪戯っぽく微笑む式神に、彼は苦笑する。そして、頭の中に浮かんだ下らない想像を口にした。
「先の話の流れを汲む戯言だが・・・もし、人間にとっての絶対的な天敵が現れるとしたら。それはきっと、人と変わらぬ姿で人語を操る、被捕食者を欺くことに長けた人喰いの生物だろうな」
日車は冗談半分で、そんな仮説を式神に披露した。しかし、いつもはすぐにでも飛んできそうな彼女のからかいが、中々来ないことに気付く。
「・・・どうした?」
「...なんでもないわ。それはまた、とんだ御伽噺を思いついたものね。その生き物は、ちゃんと全言語に対応してるのかしら?」
「フ、さあな。ただ、地域に応じて律儀に使い分けると考えてみれば、それはそれで面白いかもしれん。ましてや方言にも対応してみろ、俺は敬意を持って自ら喰われてやってもいい」
彼は何かを誤魔化された様に感じたが、その追及はしなかった。ただ中身のない話を交わしながら、二人のその夜は過ぎていく。
次話以降は、原作の進行に合わせて投稿していきます。日車の活躍はもちろん、高専術師たちと宿儺の戦いがどうなっていくのか、とても楽しみです。