術式の相性も有り、伏黒はなんとか地上へ逃げ切った。
一度空が開けた後に鵺を出す事も読まれていたが、陀艮戦のトドメの直前に上へ回り込むのも見ていた伏黒は虎杖を運ぶ振りをして直毘人の迎撃を誘い、鵺の電撃によって再びフリーズの隙を得る事に成功し、今度はビルに入ってまた脱兎埋めをした。
しかしまともに相手に読み勝ったのはこの二回目が最後だ。
その後も建物を蝦蟇主体で渡ったがしばらくは追われ、最終的に逃げ切りの決め手となったのは、周辺に同じ高さの無いビルへ登った後の、鵺と脱兎のクッションを使った滑空飛び降りだ。当然直毘人も流れ自体は読んでいた。
作戦の差というよりは術式の性能差による勝ちだった。
「はあ……はあ……七十一歳が片腕を失ってあの実力はどうなってんだよ……」
どうにか着地して虎杖を守り切った伏黒は、肩で息をしながら恨めしそうに呟く。
実際の所、禪院直毘人は強さで当主に選ばれている。未だにその地位を持っていたという事は禪院家最強は依然彼だった事の証拠に他ならない。
とはいえ片腕を失えば、例えば正史に於ける禪院甚爾の標的としては伏黒が真っ先に狙われていた。
消耗度合いの差、目的が勝利では無く逃亡であった事、虎杖を抱えるというハンデがありつつも、伏黒は自分で思っている以上にポテンシャルは持っていたと言えるだろう。
「とにかく今は虎杖を運ばないと……七海さんの連絡で渋谷には家入さんが来てる筈……」
背中から痛みが来た。
直毘人の追い付きにしては早過ぎる。そう思った伏黒が倒れながら振り向くと、その見当違いの警戒心に気付かされた。
今この場は地獄の渦中、警戒すべきは見た事のある敵ではなく。
「これこれこーいうのよ! こーいうのが向いてんのよ!」
金髪のサイドテールの男、柄が手になった剣と握り合い弱者や疲労した者を狙う重面春太が来ていた。
現在時刻は二十二時五十六分。
伏黒が逃げ切った先の場所は、渋谷マークシティエスカレーター横ESPACE日拓前、奇しくも正史で禪院甚爾との決着を果たした場所と時刻だった。
しかし差はある。
対戦相手が甚爾で無かった事により、伏黒のコンディションが格段に良い。
(――――【玉犬】!)
背中の傷は決して浅くは無いが、しかしそれでも重面にこれ以上の隙を晒し続けるほどのダメージでは無い。
「うおっとと……危ないじゃんかぁ~」
重面は
残念ながら玉犬による攻撃は
(一旦逃げる手も無くはないが、敵の狙いが宿儺である以上は必ず追ってくる。それにさっきの呪霊や帳を守ってた奴と比べてもコイツはそんなに強くない。さっき躱したって事は【あべこべ】の時と違って玉犬も普通に通じる)
そう考えつつ虎杖を蝦蟇で少し遠くに隠すと、伏黒は目の前の相手に集中する。
重面の顔にも負傷した痕はある。伏黒は把握していないが七海による攻撃はどれも致命傷級の一撃であり、彼の術式である奇跡の蓄積もその七海の三度の拳、吹っ飛びによる二度の叩き付け、そしてその場を見逃される事でストックの六つは既に使い果たしている。
紋様は塗り潰し以外で輪郭線も含まれており、これは六本で奇跡にして一回分。正史では伏黒との共有調伏で宿儺に救われる際の消耗となるが、ここはまだ残っている。とは言え伏黒の負傷は浅い。
トリッキーな相手だが勝利の公算は低くなかった。
美々子と菜々子を捕えた七海と真希は行動方針を決めていた。
「では真希さんはこの二人を待機している夜蛾学長の所まで連行してください」
七海にそう言われ真希は渋い顔をする。
この期に及んで美々子と菜々子は流石に抵抗はしていない。実力的にも恐らく真希一人で連行する事は可能だろう。
問題があるのは真希ではない。
「七海さん一人で進む気か?」
陀艮との戦闘により七海は既に片目を失う重傷を負っている。
正史ではここから更に漏瑚の炎を受けた後、駅構内を移動して改造人間を始末し続ける事にもなるが、そういう可能性を知る事の出来ない真希からすれば七海は既に瀕死とも呼べる状態だ。
だが七海はここを譲らない。
「もちろん誰かが居れば合流して手を借りますが、こちらのチームは実質壊滅状態です。他の場所でも恐らく同じような戦闘が起きていると考えられる。高専の術師のうち何人が五条さんの奪還に向かえているか知れたものではない。動ける内は動くべきです」
「だったら私も向かう。そもそも私の方が軽傷だろ」
頑固に真希は意見を突っ張る。七海もその気持ちは有り難いとは思っている。
だがその上で七海は状況を正しく判断するだけの能力を持っている男だ。例えば別の場所に置いてきた
「さっきの呪霊との戦闘で、真希さんはほとんど何も出来ていませんでした。あの時は直毘人さんの飲酒で流れましたがこの際もう一度言います。直毘人さんの言う通りに」
真希の顔が歪む。その現実を無視出来るほど彼女は夢想家では無い。一度経験した事でその言葉の意味の重さは骨身に染みた。
「けど――」
「真希さん」
しかしそれでも流石に今の七海よりはと口を開こうとするが、七海の重い声が遮り、本人は不要だと思って敢えて引っ込めていた言葉を切り出した。
「もう私には守りながら戦える余裕はありません」
それだけ言うと七海は駅の更に奥へと歩き出し、真希は眉間を歪ませながらも呪詛師二人を連行し駅の出口へ向かった。
二十三時一分、渋谷ストリーム前。
一人と一匹は今も変わらず行動していた。
「
パンダを言いくるめながらだらだらと時間を潰す日下部は、この時まで変化を一切受けていない。
一般人救出の重要性を説きはするが、頭の中では次は駅をわざと迷って更に時間を潰す算段を立てている。
七海と比較すれば格段に責任感が無い行動だが、しかしそれも五条封印を成し遂げた相手であるという事実を正確に認識し、自分の実力が場違いである事をしっかり理解した上での保身でもあった。
事実日下部は現時点で敵に残っている戦力から、重面以外のどの敵と当たったとしても勝利し得ないし、五条の権力による融通の恩恵を大きく受けているわけでもない。
となれば命が第一であり、いわゆる『手が届くものだけを確実に守る』というのがこの戦いに臨む意気込みだった。
そして今回も同じように夏油一派の残党と会敵し、短い話に内心で悪態を吐いて、しかしすぐ考え直す。
(でもまあ、このレベルのが仕切ってる集団だろ?旨すぎる。時間いっぱい適当にいなして特級呪霊の相手はせずにのらりくらりと行こう)
キャンディの棒を吐き捨ててしゃがみ、日下部は構える。
【シン・
「……それが
手を上げ号令を準備する呪詛師は呟き、二人の視線がタイミングを見計らう。呪詛師が手を下ろす挙動を引き延ばされた体感時間に感じ取り、今正に戦闘が始まる――――事は無く。
爆音が響き夜空は灯された。
「何だ!?」
「あぁ!?」
呪詛師と日下部は同時に叫ぶ。
予想外のタイミング、予想外の乱入者。しかし正史でも同じ事は起こる。だがその原因であるはずの宿儺の呼び出しは、この世界では未発生だ。ならば何が原因なのかというとそれは対戦相手。
此度の渋谷に響き渡る音には笑い声が欠けていた。
「そんなものか!? 人間!!」
ある男を空高くかち上げ険しく叫ぶ単眼の呪霊が居た。
漏瑚だ。しかし対する相手の人間は異様なほどに負傷を重ね血反吐を宙へ撒き散らす。
そしてその人間は空中を跳ねて形を研いだ後の尖った特級呪具を叩き刺そうとして、その腕を漏瑚に捕まれた。
空中で戦う漏瑚の爆炎は渋谷一帯を眩く照らす。冷えた空気を焼き焦がし地上まで熱を伝える。
そのパワーバランスは戦闘開始時と大きく乖離していた。
(分かっていた……分かっていたことだ!)
甚爾を圧倒しながら漏瑚は今更ながらにこう思う。
(だがここまで……!)
ここまで変わるものなのか、と。
激化する甚爾との戦闘、ともすれば最強達に匹敵する因果を逸脱した存在に対して切った『領域展開』と『極ノ番』に次ぐ第三の漏瑚の奥の手。
それは漏瑚が持つ十本の宿儺の指を自分が取り込む事だった。