真人は分身している。
それは二十一時三十分、渋谷駅地下四階に残っていた一般人を陀艮が吸い込み切った後の事だ。漏瑚と
そして伏黒の目の前に居る真人は分身個体。分身は術式【
だがその情報を読み取る事が出来るのは、この分身体とは別に本体が居る事を感知出来た場合のみ。正史での釘崎も戦闘開始時には全く気付いておらず、呪力出力の半端さを感じながらも彼女の【
伏黒もまた同様であり、虎杖の話に聞いた呪霊だとすればこの場で当たるには危険過ぎるという事だけが判断出来た。
「ツギハギ……お前か、虎杖と七海さんが戦った特級呪霊は」
伏黒が呟くと真人はにやけながら反応した。
「参ったなぁ、俺って有名人?」
「あぁ、尻尾巻いて逃げたってな」
僅かに残る気力を振り絞った嘲笑で伏黒は返す。それを真人はジロリと睨み声色を整えた。
「いいね、殺り甲斐ありそうじゃん」
伏黒は影絵を作り戦闘態勢に入る。
(コイツの術式は確か、魂をどうこうして肉体を自在に変形、それから手に触れられると一発アウトだったか……)
連戦に次ぐ連戦、伏黒恵の全力は陀艮との領域の押し合いの時点で出し尽くしたと言っても本来過言ではなかったが、あくまでもそれは領域の押し合いが続くか否かに焦点が当たった時の話であり、伏黒にとって自分の継戦限界など最早考えるだけ無駄だった。
「【脱兎】」
攪乱と、あわよくば足を取れればそれだけ勝ち易さは上がる。それに応じる様に真人も構え、そして内心で企む。
(口振りからしてアイツと親しいんだろうな。この男の死体を晒して虎杖悠仁の魂を折る……!)
真人は無為転変を自分の肉体の変形にしか使わない。しかし大前提として魂の形状を自在に操る事で攻撃は全て受け流すため、真人は防御は考えず只管に手の平のプレッシャーを利用して攻める。
性格故にある程度は相手との打ち合いを楽しむ傾向があるが、それでも真人は高い戦闘力を有する。
現在の伏黒恵には、本来の歴史に於ける釘崎ほどのコンディションは無い。また芻霊呪法のように真人の魂を狙う攻撃方法も呪具も現在は保有していない。
結果は見えていた。
伏黒が式神で戦闘するタイプであるため多少の誤魔化しは効いていたが、戦闘が数分も進むと伏黒本人にもうほとんど力が残っていない事は見抜かれた。
故に、ここになる。
【
重面と違い真人は相手の反撃を考慮しなくても良いため、隙を見せる見せない以前に今回は伏黒による『術式の開示』が行われる暇は無かった。
真人は瀕死の伏黒に止めを刺す手を躊躇する。それは場を混沌で満たす圧倒的な気配の立ち上がりに何かしらの奥の手を感じたからだが、術式を知らなかった故のその警戒心さえ無ければ、これはこれでまた結果が違ったかもしれない。
【――
生まれ落ちたのは真っ白な体表を持つ巨漢の式神。その背には法陣が背負われており今までの手札とは一線を画す異質の存在感を漂わせていた。
(悪い、虎杖)
虎杖と別れる際に自分から言い出した筈の約束を破った事を伏黒は内心で詫びながら、最後に不敵な笑みで告げた。
「おいクソ野郎、先に逝く。せいぜい頑張れ」
その頭にまず真っ先に拳が叩き込まれ、一撃で伏黒は沈む。
本来ならば二十三時五分の道玄坂SHIBUYA109前で伏黒恵は術式の開示を始め、魔虚羅を召喚する。
そして奇しくもこの世界でさえまた同じく二十三時五分、ただし今回は術式の開示はされず、道玄坂SHIBUYA109前の交差点にて調伏の儀は始まった。
三分前、渋谷駅ハチ公口改札A4・A5階段付近。
改造人間との戦闘を繰り返しながら進んでいた七海はかなりの消耗を強いられていた。そして改造人間を殺しながら進んでいたという事は、その出所へ近付いていたという事でもある。
目指すのが副都心線ホームにある獄門疆の奪取である事はメカ丸の情報の時点で理解している。だが美々子と菜々子からの戦力情報があるとはいえ、現在の配置も結局は大半が敵側のアドリブ移動で構成されている。どうしても会敵する改造人間との戦闘によって地下五階へは辿り着く事が出来ず、結果的に七海は真人の本体の元へと導かれてしまった。
だが漏瑚の攻撃を受けていない分、まだ満身創痍よりも一歩手前で留まっている。それ故今回の七海はギリギリ、真人の手に触れられる前に回避行動を取る事が出来た。
「うわすげ、まだ動くじゃん」
飛び下がった七海に向けて真人はケタケタと笑う。その頭を
「ここで貴方ですか」
「そ。ここで俺」
七海の溜息は深い。
(マレーシア……そうだな……マレーシア……クアンタンがいい)
七海には大して人生の目標と呼べる状態があったわけではない。社会に疲れ、呪術界に疲れ、それでも自分が救えるであろう見ず知らずの人間の命を救うために、知っている人間の命を救うために只管に働き続けていた。
力への渇望など五条を見ていれば吹き飛ぶ。
心を含む救済も夏油を見ていれば手に余ると分かる。
ただ命だけを。目の前に存在する悲劇の直接的な原因だけをせめて摘み取っていく。
ただその日々にももう疲れ、七海は生き残ったらマレーシアの海辺に家を建てて、まだ読んでいない本を読みたいと夢想する。
味方の安否を気にする気力も残っていない。
しかしまだ体が動く以上は内心どう思っていようとも体を動かさねばならない。
七海は無言で無為転変の変形によって伸びて来る腕を切り払う。
「へえ、まだ粘るんだ」
九割以上反射的な戦闘だ。真人に攻撃は通用しない。手の平に触れられると終わりでありながら、相手の手の平は体の何処からでも生えて来る。
真人の他者への無為転変は必ず人間の手の平の形にしておかなければ発動出来ないが、それ以外の部位が人間型である必要は無く、あらゆる武器、あらゆる殺傷形状、改造人間を用いた新技、それらを駆使する絶好調の状態は今の七海には荷が重い。
例えば戦闘開始から数分後に真人の動きが一瞬停止する時。
「ッ……!?」
真人は表情を一変し思考が目の前の七海からズレる。その隙を逃すことなく【
だが分断でも吹き飛ばしでも真人にダメージは与えられない。瓦礫と煙から起き上がり、攻撃を気にもせず真人は考える。
(俺の分身が祓われた、あの式神そんなに強かったのか!)
真人は分身と思考を共有する。正史に於いて釘崎と虎杖を相手に入れ替わりを見せる際、意識以外の疎通手段を取らずとも連携が取れたように、今回伏黒と戦闘する分身の体験した出来事も本体には共有され理解していた。
「ホントは虎杖の目の前とかで殺したかったんだけど、なんかもういいかな、君しぶといし」
そうぼやくと真人は改造人間のストックをいくつか取り出し手の平で捏ねる。
【
融合した改造人間の魂は拒絶反応によってその質量を爆発的に高め七海に迫る。細胞の化け物が巨大な口が開くが、七海はそれを切り裂いて無力化しながら横に避ける。
これがもしその口を受け止めようものなら口内から真人が現れ、両手の塞がった無防備な顔面に手が届くギミックとなっているのだが、七海は武器を持つ戦闘スタイルであるために手段は回避となった。
しかしそれはつまり七海の意識が『改造人間を無力化した』と判断してしまう事に繋がる。その死骸からずるりと這い出す真人の手の平に対して七海の反応は遅れ、気配に振り向いた時には既に目の前まで迫っていた。
魔虚羅の手には【
分身の真人は奥の手の正体が『ただ単に伏黒の手に余っていた式神である』と判断し、自身の肉体の無敵性を破られる可能性を考慮するには至らなかった。
その結果呪霊である真人は、伏黒を殴り飛ばした後の魔虚羅の初撃の速度から逃れられず、辛うじて出した防御姿勢でも受け止め切れず、そのまま正のエネルギーにより強制的に祓われた。
だが調伏の儀はここでは終わらない。
正史に於いて釘崎の共鳴りが『一発で本体と分身の両方に連鎖してダメージを与えた』ように、この場に居た分身の真人は呪術的には真人本体と同一の存在として見做される事となり、魔虚羅の消失条件である調伏参加者の全滅の対象に真人本体が含まれていた。
故に魔虚羅は分身真人を祓った後に本体が居る方へと動き始める事になるのだが、
「待て」
その魔虚羅に制止を掛ける声があった。
魔虚羅は決して乱入者を完全無視はしない。害意のある存在に対しては儀式と無関係でも戦闘行動を仕掛ける事がある。
声を掛けられた魔虚羅が振り向いた場所に居たのは、既にボロ雑巾同然となった伏黒と隣に立つ同じ制服の男。
同じ顔でありながら、彼とは全く違う人物。
「間に合わなかったと思ったが、まだ調伏の儀は続いているな?」
虎杖悠仁の肉体の主導権を得た両面宿儺が立っていた。