目が覚めたら古代メソポタミアにいたんですが   作:加藤ブドウ糖液糖

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エピグラフ(各話の前につける短い文章)を考えるのが面白すぎますね。これだけやる仕事はないのか……?


ギルガメッシュ王の家庭教師

 

 

 

 

 ――いやな男だと言えば、実にいやな男だった。だが、それにも拘わらず、やはり偉い男だったと、僕はいまもって思っている。

 サマセット・モーム『月と六ペンス』より――

 

 

 

 

 

 

 

 

 紀元前4000年頃、メソポタミア地方の人々は既に大麦とエンマー小麦の栽培を知り、また牛、羊、山羊を家畜として手懐けていた。その道具に関しても徐々に銅の製品が現れつつあり、まさに人類の成長を感じられる年代である。前3500年頃のウルク期に入れば、灌漑農業はますます発展し、石や骨で作られた道具に比べ、銅製の道具の比重はますます増していく。複雑な模様の描かれた円筒印章や天空神アヌを祀る高さ推定9m程の巨大神殿などを見れば、ギルガメシュ以前といえどシュメール人の技術力は決して過小評価すべきでないということが分かるであろう。

 

 そして、常にそのような輝かしい社会の発展の裏には何かあるものだ。奴隷制である。奴隷の記録はウルク期の次、紀元前3000年頃のジェムデト=ナスル期の文書に既に現れている。

 原始共同体制度の崩壊は、人類史が新たな段階に突入したことを示していた。灌漑農業を行う上での大規模な治水の必要性に直面し、人々の内で優秀なものが指導者となる。大規模なプロジェクトを進めることになる。そうすれば王が誕生し、階級が生まれる。

 

 そして灌漑にはまた、より丈夫で、性能のいい道具が必要である。新たな道具は生産性を向上させ、そして労働の生産性の増大は、余剰生産物の発生と共同体内での力の不均衡を招く。強いものが弱いものを従え、やがて弱いものから一切が奪われる。現代日本でそのように扱われるリスクは――少なくとも、それが命を奪われるまでにエスカレートする事例は――ほぼ皆無と言ってよい。だが、ついこの間まで日本人であったにもかかわらず、気付けば奴隷になっていた人間がいるとしたら――その人間は、果たしてどんなことを考えるだろうか?

 

「古代の食事って絶対不味いよなぁ……」

 

 答えは食べ物のことである。バカなんじゃないの。

 

 それにしても、二時間で奴隷落ちするとは思わなかったわけだ。ソシャゲ中に気を失い、訳の分からぬままウルクに流れ着き、カッチカチのベッドに寝て筋骨隆々のおっさんを見ていたらいつの間にか奴隷になっていた。何を言っているかわからないと思うが、自分にも分からない。これが我が身に実際に起こったことなのだから呆れるほかないのである。だが、起こってしまったのだから仕方がない。私は正真正銘奴隷であった。

 しかしまだ希望はあった。一言に奴隷と言っても、長い歴史の中ではその言葉の意味するところは千差万別だと知っていたからだ。古代エジプトか、ギリシャか、それともローマか。イスラーム世界か中華圏か。中世の奴隷船に山積みにされるか、古代ギリシャで債務奴隷になるかでは全く違う。それどころか、アテネとスパルタでも別世界である。どの世界においても身分が低いのは共通しているとはいえ、例え日々の食物がパン一つか二つか、スープがつくかつかないか程度の差でも、当の奴隷本人にとってみれば馬鹿にならない差である。

 では、ウルクはどうだったか? 私は不十分な世界史の記憶を手繰り寄せ、そして絶望した。残念なことに、最古のシュメール社会における奴隷の地位は極めて低かったのである。その呼び名はイギ=ヌ=ドゥ――その意味は、自由民の前で目を伏せたままでいるもの――であった。奴隷は神や死んだ王のための生贄としてしばしば捧げられる――そして悪い予感は的中し、私もその通り、危うく神々の捧げものになる寸前までいった。そうならなかったのは、偏に偶然によるものであろう。

 

 ――ご飯のことを考えていたら、いつの間にか処刑寸前であった。何を言っているか分からないと思うが……なんて言ってる場合ではない! 正真正銘生命の危機である。大変なことである。

 

「正真正銘生命ってなんか語感が良いなあ」

 

 そして私は頭がおかしくなっていた。こういう状況で出てくる感想がそれなら死んだ方がマシである。――いや、本当は頭がおかしくなったわけではない。分かっていたのだ。しかし、実際こういう状況になると人間今までどう生きてきたかが出るもので、自分の場合は現実逃避が最優先されただけのこと。それはそれで死んだ方が良いのだが、とにかく、とんでもないことになった、そう私は思い、少しおしっこを漏らした。

 イケニエである。神殿は石の台地の上に堅く築かれており、私は自分の不運を呪いながら、メソポタミアの長い階段を昇っていった。

 

「ああああアウアウアウアウアウ……」

「……おい、こんな奴隷で本当にイシュタル様は喜ばれるのか?」

「……まあ、お目こぼしくださるだろう。重要なのはおつむの出来ではなく、流される血なのだからな」

 

 ガチの奴だった。変化のない壁には僅かな傷も見えず、石段を一つ上るごとに街は小さくなり、黒ずんだ石の膚がかつて流された夥しい量の血を記憶していた。後ろに立つ兵士達は赤く輝く槍を構え、私は必然的に追い立てられながら、躓くようにして祭儀場へと歩く。先導するのはウルクの神官団。彼らが手に持つ銅の短剣は、考えるまでもなく私を切り裂く儀式に使うものであろう。

 服は脱がされていた。自分の首筋を伝う冷汗を隠すものはなかった。神に捧げるべき神聖な血を、訳の分からぬ布切れに吸わせる訳にはいかないからだ。なんでそういうところで律儀なのか。

 震えが止まらない。寒いわけではない。両河地域の風は乾いていた。神殿は、現代の高層ビル群に比べれば取るに足らない規模かもしれない。だが、ここは魔術が実在する世界だ。そこに満ちる神秘、産毛の一本一本を逆立てるような濃厚な神の気配を果たしてどのように言い表せばよいのか。魔力的なサムシングがもうボワボワに噴き出しているのであった。神官の一人が言う。

 

 「喜ぶといい。お前は今からイシュタル神に捧げられるのだ」

 

 その一言で、厳粛な空気があたりに満ちる。だが、私にはもうその言葉は聞こえていなかった。死の運命か、せめて恐怖を逃れられるものはないかとあたりを探した。組み合わさった石と石の隙間で腐った血を見た。都会とは色の違う空を見た。そして雲に隠れた昼の月を見たが、そのどれも死の恐怖から私を救ってはくれなかった。そして私は歯を震わせながら祭壇を見て、そこに刻まれていた祝詞を読み、待ち受けている運命から逃れる術がなさそうなことを嘆くしかない。

 その時、神官のうち一人がその短剣を取り落として、私に尋ねた。

 

 ――読めるのか、お前。我らの神聖な文字が。

 

 重ねて言うが、本当に運がよかった。それは神官の力と威信の根源たる文字が私にも読めたこと、人類の技術――冶金術、ろくろによる土器製作、車輪付きの荷台、帆船、彫刻、農業、壮大な建造物、時間の概念――その全ての発展段階が、ギリギリで私の基本的な知識を上回っていなかったことによる奇跡的な生還であった。同僚であるかもしれない謎の男を手にかけることに嫌悪感を抱いた神官の、この時代としては最も高度と言えそうな質問に、なんとか間一髪で答え切ったゆえの生還であった。正直二度とやりたくない。命がけのクイズを出すのはスフィンクスだけで十分だ。

 

 ともかく、私は無事生き残ったわけである。さてそうなると困るのが私の処遇。風変わりな見た目をしているが、文字が読める。体ひょろひょろ中ぱっぱ、である。なんとなく――当時としては――高度な知識を持っていそうで殺すには惜しいが、しかし怪しすぎる。この奴隷の主はその辺で拾ったと言っていて、どこから来たのかも分からず――言葉を濁さず言えば、明らかに厄ネタである。そして、そんな明らかに怪しい私を拾ったのが、まさかのギルガメッシュの父、ルガルバンダ王であった。

「王よ、なりませんぞ。このような得体の知れない男を配下にしようなどと!」

「構わぬではないか。このような小男一人いたところで何も変わりはすまい」

 

臣下の言葉、これは小男という言葉に――事実ではあるが――若干傷ついたが、まあ正論である。そうなると人間気になってくるのは、ルガルバンダ王がなぜこれ程までに私を擁護するのかだ。

 

「そのようなことはございません。もしも間諜、あるいは他の都市が遣わした暗殺者であったらどうなさるのです!」

 

 これも正しい。ところが、ルガルバンダ王は心なしか困惑した様な面持ちで言った。

 

「いや、私にはこの男にそのような真似ができるとは思えぬ。その証拠に、この年にしては信じられぬほど非力ではないか。いくら知恵が立つとて、そもそも活かせるものを与えなければ何もできまい。それに儀式上での話を聞いたが、ブルブル震えておったそうではないか?……確かにかの女神の偉大さに震えるのは分からぬでもないが、これがどのように害を成すと言うのだ」

「王よ。……ルガルバンダ王よ。あなた様の深き慈悲と知恵には、我々臣下一同誠に頭が下がる思いでございます。ですがこの男のことは別。たとえ陛下がこの異邦人に傷つけられることがないとしても、陛下には生まれたばかりのお子様がいらっしゃるではありませぬか」

 

 いくら神の子とはいえ、赤子は赤子。そう言外に告げつつなおも諫める臣下たちに、とうとうルガルバンダ王がこんなことを言った。

 

 ――息子に何かあったら殺すから大丈夫。マジで。食事に虫が入ってただけとか、ほんとそんぐらいの些細なことでも殺すから。全然心配しないでいいよ。

 

 それを聞いた臣下は、「ああそれならすぐにでも死ぬんだろう」と一安心して、私がルガルバンダ王の小間使いになることを認めたのだった。

 私は卒倒した。

 

 

 

 

 ――おやまあ、驚かせてしまったか。しかしなあ、本当に処刑するわけではないとはいえ、男なら肝っ玉が小さいのも考え物だぞ? わっはっは。

 

 しかし私は再び処刑を免れた。ぜんっぜん殺されなかったのである。ルガルバンダ王はなるほど女神を射止めただけあって大器であり、またギルガメシュ王の父だけあって聡明、そして私を引き取るだけあって慈悲深い王であった。今になって思えば、本当に処刑するつもりもなかったであろう。それは無意味な甘さというよりも、むしろ彼の強かさであった。ルガルバンダ王は常に堂々と私のミスを見逃していた。ウルクと王のために尽くすという姿勢を見せ、空いた時間で慣れない武術と魔術の鍛錬に励んでいる限り。

 

 私がいよいよギルガメシュ様の家庭教師となるのは、それから数年後のことである。実に数奇なことではないか! すぐさま奴隷になったかと思えば、ひらりひらりと処刑の危機をかわしていく――ように見える。天運によって王に見出され、さらにいつの間にやら家庭教師にまで上り詰めたのだ。私が彼の傍についたことを、運命と呼びたがる人もいるかもしれない。だが、ギルガメシュ王の運命に値するものは後にも先にも一人しかいないと、私は思う。そして、それは私ではないのだ。もう少し後の、ある――

 

 ――メソポタミアの宮殿で、誰かの名を呼ぶ声がする。それは生まれた時から、あまりにも聡い子供だった。ウルクの民を遍く慈しみ、しかし決して同じ人類として並び立つことが出来ぬ程に。その子供に備わったのは若くして全てを見通す知恵。百回の人生でなお使い切らぬほどの財宝、しなやかで透き通るような体に、太陽を埋め込んだように赤く輝く目であった。

 

「ギルガメシュ様、お分かりになりましたか。ここが、我らのいるウルク。あそこがウル、そこがラガシュです」

 

 そして緑がかってはいるが、日本人らしい茶色い目が幼いギルガメッシュとかち合う。彼の手に握られた葦の茎が王宮の庭の木陰の中をせわしなく動いていた。彼が指し示している先には、不格好な地図が彫られた何枚かの粘土板があった。

 

 ギルガメッシュから見れば、やけに神経質な家庭教師である。それから口うるさい。確かに見た目こそシュメール人とは微妙に異なるが、一目凡夫としか見えないのである。初めにこの男が己の教師になると聞いた際はギルガメッシュも複雑な気持ちであった。誰にでも好かれ、誰も見捨てない聡明なる王の御子であるにも関わらず。

 その男は初歩的な魔術すら扱えない。かと思えば、折に触れ占星術師を上回る知識を披露する。バビロニアの天球儀をひそかに否定しつつ、独創的な――当時から見れば、そう見えたのだ――考えのもと計算を進める。そして慌てたようにその計算結果を天球儀につじつまが合うよう修正するのである。

 

 己が間違えているのでなければ、堂々とすればよい。それがギルガメッシュの気に障る部分だ。

 

 また、神秘の気配も薄い。その非力さたるや、魔獣一匹満足に狩れもしないほどだ! だというのに耳だけはいいようで、どこからともなく誰も知らない説話を引き出し、血の気の多い武官たちを楽しませ、いつの間にやら諫めている。父に見出された不可思議な人間。それが彼の評価であった。

 

「そして、これらの地域をまとめてなお、なんとこの半島の一部にすぎないのです……ギルガメシュ様?」

「……はい」

 

 全てを認めていないわけではない。その知識はどこから仕入れたかは分からないにせよ役に立ったし、たまに行われる実験では手際よく世界の法則を手のひらに収めてみせる。彼は家庭教師がそれを自分に見せる前に何百回と練習していたことも、その結果がどうなるかもすべて前もって分かっていた。その実験に付き合ってやったのは、少しはこの小心者の家庭教師を認めているからだ。

 

 「そしてこの、我らの争う地を丸ごと収めた半島もまた、この巨大な陸の連なりの一部にすぎない。ではこれで世界の果てかと言いますと、それもまた違うのです、ギルガメシュ様……」

 

 日々を懸命に生きるウルクの民とは違い、その男は初め、何か夢を見ているかのように振る舞っていた。今はそれも落ち着いてきたから、まあ、少しは認めてやってもいいかな、ぐらいにはなったのだが。それにしても父が治め、そして自分もいずれ治めるであろう国を、こーんなにも小さく描くというのはいかがなものか。ついでに言えば、自分を頑なにギルガメッシュと呼ばないところも、彼の評価を下げる一因であった。

 ふと、ギルガメッシュが口を開いた。この男を試してやろうと考えたのである。よもや全くの出鱈目で我が国を貶めているわけではあるまいな、証明してみよ――とまあ、こういうことだ。しかしそのような感情は全くおくびにも出さない。大したものである。

 

「先生」

「なんでしょう、ギルガメシュ様?」

「先生はどうやって、この世界が丸いことを知ったのですか?」

 

 うーむ、と男が唸った。

 

「遥か北や南に移動すれば、天には違う星が見えるものです。なぜ違う星が見えるかというに、これは星が地平線に隠れるため。これは湾曲した地球(ほし)の影に隠れているからなのですよ、ギルガメシュ様」

 

 おお! ギルガメッシュは少し感動した――では、先生はそれほど長く旅をしているのですね。

 

「ええー……まあ、はい。何と言えばよいやら……この地球の円周の5分の1ほどの距離を旅してきた――なんか寝て起きたらここにいました――と、言えないこともない、ような……」

 

 煮え切らない答えである。しかし幼いギルガメッシュは気にしない。この世界の5分の1! この答えに、少し見直したぞ、とばかりに質問を続ける。

 

「それでは先生は、どうやって星の大きさを知ったんですか?」

「ギルガメシュ様、陽の角度を使うのです。この世界が球体であるならば、太陽(シャマシュ)の光は、必ず角度を変えて落ちてくる。となれば、ある場所で陽が真っ直ぐに射すとき、他の場所では光は傾いて射すわけです。その傾きと、陽が真っ直ぐ射す場所と射さぬ場所の距離を以ってすれば、この星の大きさが出せるのですよ」

 

 ギルガメッシュはますます興奮した。いかに未来の英雄王と言えど、この時はまだ男の子である。ぴちぴちのチェリーボーイであって、こういったスケールの大きい話に興奮するのはいつの世も変わらないのであった。彼は目を輝かせて尋ねる――では、先生が描いたこれらの大陸の淵にも、きっと行ったことがあるんですよね!

 だが、そこで帰ってきた答えは芳しくないものであった。彼は目を伏せて答える――いえ、そうではないのです。私はこれらの大陸の果てを一度も見たことがないのですよ、ギルガメシュ様。

 彼がそう答えた途端、日差しはまだは暖かいというのに場の空気が一気に冷えた。

 

「では、先生は僕に嘘を教えていたのですか?」

 

 こうなるともう、冷や水を浴びせられたような心地である。彼はこの時冷汗ダラッダラのベショベショであった。なるほどギル君は自分が侮っていた男が思いのほかすごい経験をしていて、やっぱり見直そうと思っていた矢先に再び疑念が再浮上したわけだ。こうなるともう「違うのです」と言っても遅い。「何が違うのですか?」→「いやあのその」→「見損ないました。父上に報告します」→首チョンパ、で地獄へのジェットコースター、折角の好感度上昇イベントを最後の最後で台無しにしてしまったかに思われた。

 しかし死の間際で二度生き延びた諦めの悪い男、この程度で諦めるわけもない。慎重に言葉を紡ぐ――ええ。私はこれらの大陸の淵に行ったことはないのです。これは全く取り繕いようもない事実なのですよ、ギルガメシュ様。

 ではなぜ、という言葉を、少年ギルガメッシュは飲み込んだ。男の目が今まで見たことが無いほどに真剣だったからである。それというのも今上手く言い訳できなければ全てが灰燼に帰すという恐怖からだったのだが、今回に限っては天体の運行とか古代の神秘パワーとかがうまいこと働いた。何か凄いものを背負っていそうな表情だった。

 

「夢があるのです。世界の形を証明するという夢が。私の仮説によれば、世界はこのような形をしている。している筈――いえ、していなければならないのです、ギル」

「仮説……」

 

 教師は伏し目がちに、粘土板に刻まれた世界地図を眺めた。それを見てギルガメッシュは考え込む――ええ。馬鹿げている、と人は言うでしょう。ですが、私はそれを成し遂げたい。無論昔の私には不可能でした。そして……おそらく、今の私にも不可能なことです。不確実なままにあなたに伝えることになってしまったこと、それは大変に申し訳ありません。ですが――

 

「ギルガメシュ様。私のような凡夫にも、このことは分かります。あなたは偉大なる王になるお方だ。あなたはきっと、世界の全てを見ることができる。その夢の暁に、少しでも私と同じ夢を見、それを証明してくださること。それを、(こいねが)ってしまったのです」

 

 ぶわっ、と突風が吹いた。葦の茎は世界を描いた粘土板の中心に人知れず突き刺さる。跡の付いた場所は、丁度ウルクの位置するところであった。その言葉を聞いたギルガメッシュは、今まで取るに足らないと思っていた男の中に、何か途轍もない可能性を見た気がした。いや、それは見間違いかもしれない。実際は小さく汚い、取るに足らない男やもしれない。可能性があろうと、彼の前に一瞬煌めいた小さな光を消してしまう。幸か不幸か、この時のギルガメッシュにその選択はまだ早すぎたらしい。

 いまさら何を言っても仕方のないことであろう。全てを見通す目がこの時に限って曇っていたというのも不思議なことであるが、実際曇っていたのだ。

 

 ――今思えば、途方もない噓をついたものだ。しかし結果として幼い王と異国の男は、お互い魂の深いところで、何かを交換するに至った。今でもあの瞬間を思い出すことがある。ルガルバンダ王もギルガメシュ王も、真の王の眼差しは常に、目の前の者の魂を射抜いていた。時々思う。実際は、私の欺瞞を知ったうえでなお、あのような行動をとって下さったのではないか。あの瞬間試されたのは、私の知識ではない。4600年前の、右も左も分らぬ私の魂であったのではないかと、今でも思い出すのだ。

 

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