目が覚めたら古代メソポタミアにいたんですが   作:加藤ブドウ糖液糖

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エピグラフがキマらないと本文もいまいちキマらない、あると思います


名を救う

 

 

 

 

――しかしながら人間は死ぬと、二度と戻って来はしない。そしてあらゆる社会秩序は、常に何かを奪いながら、決して同じものを補充しないという意味で、死に近づいているのだ。

 クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』より――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジェムデト=ナスル期が終わり、いよいよ初期王朝時代が始まる。この時期のメソポタミア地方には都市国家が林立し、それぞれの国は神話体系を同じくしながらもそれぞれの神を祀っていた。

 神々は、その栄枯盛衰を都市と共にする。アヌ神を祀る都市が勝てば、天界でもそれだけアヌの力が伸長したのである。まあ、総括すれば強いものが強い。そこはそれ、いつの世も変わらぬものである。

 

 商売人たちはいつの時代もしたたかである。金は人間によいものだ。つまらない善悪には縛られぬから。もうけ話に敏感な商人たちが、川をざんぶと渡って交易をおこなう。そして時にはその船が沈むこともあるだろう。力ある都市国家は代金を血で払う。奪って自分のものにすることも、強者の権利のひとつである。

 勝つ国と負ける国がある。突出した力を持った都市は、近くの都市を呑み込んでゆく。それらはいずれこの地方に覇を唱えんとするだろう。果たしてそれを成し遂げるのはウルか、ニップールか、それともアダブであろうか。

 もちろん、実際にはそのどれでもない。メソポタミアが実際に統一されるには少なくともルガルザゲシを、あるいは前2300年頃のアッカド王サルゴンを待たねばならない。だが――こうして互いに都市国家が争う時代が始まり、英雄王ギルガメシュが連なる系譜の王たちが、その上に足跡を残すこととなる。

 

「ドゥムジよ。……そして我が息子、ギルガメシュ。よいか。ウルクの、王たるものは――」

 

 傷だらけの手が震えていた。まさに今、ルガルバンダ王の命の灯火が、消えかけているのだ。神殿では次々と王のために生贄が捧げられ、奴隷は次々と王墓の中へ入ってゆく。死後の供をするためである。彼の副葬品には、彼が今まで辿ってきた道のりが刻まれたタペストリーがある。神への信仰が描かれていた。ギルガメッシュを授かり、この都市を繁栄に導いた、偉大な最期である。そしてまた、黄金の短剣がある。瑠璃の持ち手に嵌め込まれた刃は美しく、それは透き通るような鞘に収められている。細いイグサの絨毯が召使のねどことして敷かれている。部屋には白銀でかたどられた鳥籠と鳥があった。歯車仕掛けの岩の番犬が入り口に寝そべり、縞瑪瑙細工の牛の頭が壁にかけられていた。

 そしてまた一人王が生まれ、去っていく。

 

 ウルク。紀元前3100年期を先導した都市国家は、当時と比べれば確かに抜きん出た存在ではない。しかし未だその力は健在。『ルガルバンダ叙事詩』の主たる王の陽は隠れ、新しい物語が生まれようとしている。

 それは都市の物語である。ところがそれは、天命を探し求め、人民の幸福を擁護し、時には神々と争った勇敢で思慮深い王の物語でもある。その運命がウルクのみに収まるはずもなかった。

 文字は地に広がっていくだろう。『ギルガメシュ叙事詩』はウルク第一王朝が滅んだ後も、シュメール語からアッカド語、標準バビロニア語などに訳出され、メソポタミアに勃興したシュメール人以外の手による王朝でも語り伝えられることになる。翻訳の際、あるいは時代を経て付加された逸話などの綾はあるが、概ねその原型は一致していると見てよかろう。

 

「Gal-Nin-anna,Gal-An――lugal-la mu-na du……」

 

 祭祀長によって呪文が唱えられている。神官は定められたようにイケニエを捧げ、神々は流された血に死出の旅路を、ウルクの栄華を保証する。この都市が人類で最も古い物語の舞台だとするならば、さしずめここはその舞台袖といったところか。まだ温かい人々の肉の中からモヤのような魔力が霧散し、黄泉に落ちていく。かつてあの人びとと同じ奴隷であった私は、まばゆい黄金をその胸に宿す一人の少年をその目に捉えていた。

 やがて万雷の拍手に迎えられて、ついに黄金の王が姿を現すだろう。民の声が聞こえる。

 

 ――我らが王を讃美せよ!

 

 世界最古の物語の中で、不遜な王は運命に出逢うこととなる。称えられてあれ! その物語の中で神々がギルガメシュ王の(くさり)として創り給うたのは、英雄エンキドゥ。神々は泥から人形を作り、その者にある使命を与え――そして、ウルクに新しい王の御代が来る。

 

 

 

 そして私は偉くなっていた――いやはや、どうも皆さんこんにちは。権力者です。

 

 もう一回言います。権力者です。

 

 ギルガメシュ様は大変ご立派な王である。そしてそのご立派な王を育て上げたのだから、私も当然ご立派な家庭教師である。私が言っているのではない。これはアリストテレスもその論理学の中で示したことだから、これに逆らうのはアリストテレスさんに逆らうのと同じこと――というわけで、現在私はかなーり偉い立場にいるのだった。加えて、ギルガメシュ様が王に即位されるまでの間に、神代の魔術をある程度体得もした。

 すごくない? できちゃったのである。天才が近くにいると自分も触発されると言うが、私の場合は大大大大大天才と長年過ごしてきたのだ。そして、私の武器は魔術だけではない。肩書は難しいが、簡単に言えば占星術師である。暇があれば時々算術と自然哲学の私塾を開いて、ウルクの中から将来優秀なものが出てくるよう種を撒くことも忘れていない。念願のマイホームも手に入れ、今まさに私の充実した古メソ生活(古代メソポタミア生活)が始まろうとしているのであった。

 ご近所付き合いも、奴隷との関係も良好だと思う。人と人との距離が近い。私にはそれが新鮮であった。都市国家は、現代我々が思い浮かべている国家に比べれば、はるかにローカルである。だから、色々と人民の相談を受けることもある。ノブレス・オブリージュというやつだ。

 

 農作物、交易、人間関係、星占い。そういった類の質問を華麗な手つきで捌いていく私なのだったが、その日、どうも気にかかる一件があった。

 

 ――やけに悍ましい姿形をした者が森の中にいる。

 

 私がそのような報告を受けたのは、全くの偶然である。ここ数年で私の仕事も増えている。だがその報告は頭の片隅に常に張り付き、政務を行う際も気にかかる。

 

 ――よっしゃ、いっちょ見に行ってやろうじゃないの。

 

 と思い立ち、私は合間を縫って糸杉の森へと向かったのであった。惜しむらくはその報告からしばらく日が開いたことだ。

 

「よっこいしょういち、と。はぁ」

 

 私もすっかりおじさんである。だから意味不明なことを口走るのも仕方がないことなのであった。身に絡みつく枝を切り払うおのれの手を見て、ふと思った。まあ、ギルガメシュ様が青年になったのだから、私もその分を年を取る。自然の摂理、当たり前のことだ。もう転移してきたばかり、という年でもない。少なく見積もってもアラフォーに差し掛かったのだ。大恩あるルガルバンダ王が崩御され、間に立った羊みたいな雰囲気の王も退位された。加えて、ようやく長年共に過ごしてきたギルガメシュ王のご即位。このような大きなことが立て続けに起こる程の年月が経ったのだ。年を取るのも仕方ないことであろう。

 しかし案ずることはない。

 

「これは疲れるね。これは疲れる。一苦労だよこの作業は」

 

 案ずることはない。老いてますます盛んという言葉があるように、私の力は現在伸び盛りなのだ。私の体はこの時代の空気に適応しつつある。センサーの要領で魔力を大地に流せば、ほらこの通り――

 

「……おや、誰だい?」

 

 すると木々が揺れ、すらりと均整の取れた人影が姿を現した。私はしばらく呆けていた。

 仮に、森のヒトと呼ぶとしよう。その美しさからすると、まずヒトであるかどうかも怪しいのであるが。

 まず、そのヒトは野に咲く花のような佇まいである。目元はぱっちりしているが、何かを憂いているようなシャープさも忘れてはいない。キンモクセイのような瞳がメソポタミアの朝日に明るく輝いていた。長いまつ毛と静かな笑みを湛えた唇を備え、匂い立つような若草の光が、さらさらと手を入れれば水のように流れ落ちるだろう長髪から漏れ出している。総じて、我らが王にも劣らぬ姿かたちをしていた。

 それはあまりに美しいヒトである。ただ私には、あまりにも恐ろしいヒトでもあった。魔力に疎い以前ならば能天気でいられたかもしれない。今は違う。彼――あるいは彼女――が気まぐれを起こせば、私は生きては帰れない。そうも感じるのである。私は恐ろしいものに会ったかのように後ずさりした。

 

「……あっ、お邪魔しました」

「ああ――少し、待ってくれないかな」

 

 私は死んだ。さらば快適なマイホーム生活。涙、涙の王との別れ、シュメール海峡冬景色……。

 

 

 ――なるほど。それじゃあ、君たちの王様はまだ幼いんだね。

 

 すぐに死を思うのが私の悪い癖らしい。エルキドゥは話の分かるヒトであった。もちろん、私には最初から分かっていたことである。やはり世の中顔である。こんなお美しい方が、人がいると見るや問答無用で襲い掛かる蛮族メンタリズムの持ち主であるはずがないではないか。

 しかも心の優しいヒトである。こーんな怪物を見なかったか、と聞いてみると、快くその行方を教えてくれるのである――そしてどうやら、エルキドゥ自身がその怪物であったらしいのだ。事情を聴いてなるほど納得、どうやらエルキドゥ、傲慢なギルガメシュ王を裁くために神に作られた泥人形である、とのこと――

 

 ふう。

 私がここでの生活で学んだことは、一息つくとよい、ということだ。ここに来た当初の私なら、やれ「不思議ちゃん」とか「喋らないほうがモテるタイプ」とか、一人早合点していたことであろう。しかし、この時代に生きるならこういうことでいちいち引いてはいけないのだ。ゆっくり話を聞くべきである。

 

 そして事情を聴きだせば、やはり思っていた以上に美しい話であった。泥の怪物だったこのエルキドゥ、ある時美しい人に出会い、六日七晩を過ごしたのちに力と引き換えて理性を得たらしい。しかし、王を戒めるというのがどうも気にかかる。私はこの際とばかりにエルキドゥに、ウルクを治める王がいかに素晴らしいかを説くのだった。

 

 ――うん、確かにあそこから声がするよ。

 

「……ええ、そうなのでございます」

「ああ、それは知らなかったな。教えてくれてありがとう――でも、不思議だ。どうして神は――」

「ええ、不思議なこともあるものです。ギルガメシュ王は慈悲深く力強い、あまりに素晴らしい御方。ウルクの誰よりも敬神の念篤く、神々があのような王様に裁きを下されるなどとは、私はよう思われませぬ。そもそも私がかの王と初めて出会ったのは――」

 

 私がつい熱くなって捲し立てると、エルキドゥは花が綻ぶように笑った。私は誇りを持ってそれに応える。

 

「君はギルガメッシュ王が好きなんだね」

「もちろんでございますとも。ウルクの民の中で、嫌いだという者は見たことがありませぬ」

 

 会話は穏やかに続いた。エルキドゥ様はにこやかに頷き、私の話を聞いて下さった。それで、まあ、気付いたら夕方になっていたわけで。仕事を残してきた私はスタコラサッサと退散し、結局エルキドゥ様は密かにウルクに滞在し、自分の目で見極める、ということになったのであった。いや、今考えると、我ながら仕事のできない男である。この時に色々と聞いておけば、対策の立てようもあっただろうに。

 

 それは当然の帰結であった。時が経ち、ウルクが揺れる。何があったのか。

 一言でいえば、教育の失敗ということになるのだろう。

 

 ――人類はもう滅ぶのだろうか。早すぎやしないか。そんなことを思いながら、私は空を見上げた。

 

「おのれ―――土塊風情が、我に並ぶか!」

 

 ギルガメシュ様がエルキドゥに向かって、吼えた。同じくたおやかな水仙のような美しいヒトもその咆哮に答え、攻撃はよりいっそうその激しさを増してゆく。人々のために小さな結界を維持しながら、私はあることを考える。神の塔の頂点がビリビリと震え、神霊にも並ぶ魔力が解き放たれた。二人の戦いはかれこれ数日に及んでいた。原典にも、"世界が七度滅び、七度生まれたかのような戦い"と記されているそうである。私はその只中にいる。古本の隅に沸いた紙魚のような具合に。

 

 ――あり得ないことではない、と思う。あの戦いを実際に目の当たりにし、一撃でも受けた身からすれば。王は既に、私も見たことのない蔵を開いていた。

 

 ギルガメシュ様の態度は、ある日を境に急変した。人を慈しむような姿勢から、苛烈に――まるで何かを試すように――その気配が変化したのだ。エルキドゥはその姿に眉を顰め、私はそれを取りなすことすら出来なかった。当然だ。己より若い王を諫められない師が、今更何を言えばよいのだろう。それでも。それでもギルガメシュ様は明らかに悩んでおられたのだ。私如きには、その悩みを察することなどできはしなかったが。高慢な王を人々は好いてはいない。私にはもう、追いかけることすら儘ならない。

 

 本当にそれでよいのだろうか?

 

 夜風が肌寒い、と思った。やれやれ街を守りますか、そうカッコつけたはいいものの、自分の腕はこれ以上上がりそうもなかった。奥歯はぎりぎりと擦れ、こめかみからは血のように粘ついた汗が滴り落ちていく――やめときゃよかったのだ。そうすれば今頃はこのようにつらい思いをせずに済んだのに。ところが人々の顔が思い浮かぶと、そんな弱音も声が小さくなる。なくなるわけではない。けれど弱音を吐かないというのは、私には厳しすぎた。これも処世術である。ぼやきながらでも、人は前へ進まねばならないのだろう。

 

 目は充血し、視界には脳のあたりからちかちかと寸断された赤い光が送られてくる。王の本気は見たことが無かったかもしれない。確かに恐ろしい。恐ろしいが、もう漏らすものもなかった。この体から搾りだしうるものは、既に魔力となっているから。

 ああ、天を満たす光に対して、なんと心許ない結界であることか! 己の無力を嘆いても遅い。だが、せめてもう少し自分が強ければ。事実として私の結界など、紙切れ一枚ほどにも満たないだろう。されど。流れ矢は少ないのだ。それは私の教え子が示した、この都市に対する愛着でもあろう。諦めてはいけない。結界を何百枚と重ねれば勢いはゆっくりと削れ――されど、確かにこの都市を守れる。

 

 ――人の王としては申し分ない。しかし、神の手足としては不十分もよいところだ。

 

 天の楔(ギルガメッシュ)天の鎖(エルキドゥ)

 

 

 ――どちらかを選ばなければならぬ。神々と人類のどちらかを。

 

「エルキドゥ――!」

「ギルガメッシュ――!」

 

 二人の英雄が激突した。

 

 轟音が響いている。幾年を過ごし、ウルクに雪は降らなかった。

 

 代わりに今、空から降り注いでいるのは、なんと偉大なる王の財宝。

 

 なんたる頭の悪い技かと、私は頭を抱えた。そのように育てた覚えはないのに――

 

 そして迎え撃つのはメソポタミアの地から立ち上る光柱。

 

 いと高き空と大地を結びつける黄金の鎖が、万を超える蛇の群れのように空中を切り裂いて唸る。

 

 あまりにも苛烈で眩い流星が、ウルクの街並みを掠めてゆく――

 

 あっ。

 

「私の家が――!!」

 

 一週間にわたる争いは、夜明け前に幕を閉じる。孤独な英雄王に唯一の友が誕生した日である。よかったね。

 

 ついでに私の家が無くなった日でもある。かなしいね。

 

 

 

 

 

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