目が覚めたら古代メソポタミアにいたんですが   作:加藤ブドウ糖液糖

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みなさんクリスマスの予定は決まりましたか? 私はタマモちゃんとムーンセルの中でラブラブな一夜を過ごす予定です。やっぱりタマモがナンバーワン


エジプト編
砂漠とミイラ、太陽とパン


 

 

 

 

 ――「あとには何も残したくないんだよ、おれは」彼は言った。「あとには何も残したくないんだ」

 アーネスト・ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』より――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルガメシュ王が王位を退いていた。私がそのことを知ったのは、エジプトにクフ王が即位した翌年だった。私がエジプトでも三本の指に入るパンと酒屋の一族として――そんなものがあればだが――名を馳せていたころの話だ。不死だと判明するのは避けたかった。仮面を被って生地を練っていた最中に、風の噂でそのことを知ったのだ。

 私は王がどのように死んだかを知らない。私はただ、天才的で偉そうで慈愛に満ちた、常に堂々としたギルガメシュ王しか思い出せない。私にとって彼は、常に世界を変革させようという志を抱いていた、およそ王たるものの象徴である。私の覚えているギルガメシュ様は、そのような方だった。尊大だが誰よりも人類のことを思う教え子であり、そして私の君主だった。

 

「平焼きパンを六枚」

「あいよ」

「おい、こっちには酒だ。ビールもってこいビール」

「ちょっと待ってくれ、さっきの客のと一緒に持っていくから」

 

 注文を受けて、私は窯の様子を見に行った。麦の粉に水を加え、熱をかけて焼く。発酵もさせない、平焼きパンとはそれだけの代物である。基本的に古代エジプトの人々は、自分の家でパンを焼き、酒を造る。ここに買いに来るのも、私がそれを売るのも、一種の道楽のようなものだ。

 ギルガメシュ王が没した後も、人の営みは続いている。当たり前のことだ。人々はいつものようにビールを飲み、パンを喰らう。美しい思い出に浸るのは容易いが、そうしてばかりいるわけにもいかなかった。皆にとっては遠国の王が一人死んだだけなのだから。

 

「お前、この店に来て買うのが平焼きパンってのはねえだろう。発酵したのを食いなよ。手間がかかってるんだぜ? ふかふかよ。俺の女房のケツよりも、ふかふか」

「そりゃオメエの女房がアレってだけだろう、硬いのが好きなんだ俺は」

「人が何食おうがいいんじゃねえのかい。平焼きパンがそんなにおかしいかえ」

「それには違いねえが。後追いの店のを食ったら歯が欠けたんだ、種入りパンかなんぞの方がいい」

 

 エジプトの街は栄えていた。私は人々の会話に聞き耳を立てながらパンを焼いた。そう、歴史は続いていく。こうして確認するたびに、なにか不思議な気持ちになるのである。誰かがいなくなっても、また別の誰かが歴史を綴っていく。友に先立たれ、血の小河を作った。それでようやくメソポタミアの一世代が終わったにすぎないのだ。

 小麦パンはまだ高級品であった。それは神にささげられるのだ。だからパンには大麦を使うのであるが、これはかなり硬い。それでも彼らは、汚れた顔に笑みを浮かべて口いっぱいにパンを頬張る。大ピラミッド。クフ王の計画は30年にもおよぶ。炎天下、労役の終わりに、皆はビールを流し込む。

 

 ――ナルメルが上下エジプトを統一してから約500年。エジプト第四王朝は、ギルガメシュの帰還からおよそ40年後、紀元前2613年に始まっていた。三大ピラミッドとスフィンクスができるのもこの時期だ。偽王ルシガアルブはエジプトへと落ち延びた。一人の流れ者として街の中で暮らしているが、その理由はと言えばもう歴史の表舞台に立ちたくないからだった。

 

「よし、今日はもう店じまいだ。もう買い残しはないかね」

「ちぇっ、酒盛りはこれからだってのに」

「買い残しはある。が、どうにも金がない」

「ならお前ら、明日たっぷり稼いでくるがいい。さ、帰った帰った」

 

 なるほど人々は欲張りだ。だからと言って、愛すべきところがないということにはならない。朝起きてせっせとパンを焼き、酒樽がどうなったかを覗く。夕方は動物の死体でミイラを作る練習をする。そして夜はアトラス院で魔術談義を行うのである。エジプトに来てからというもの、私の生活はこんな調子で回っていた。

 下級役人の亡骸を相手にミイラを作る。といっても、それほど工程は残っていなかったが。

 

 ミイラ造りにも等級が、そして腕の良しあしがある。古くからのミイラは内臓を残したまま、体を丸めて埋葬されていたそうだ。後世では恐ろし気なイメージを持たれているミイラは、その信仰から万能薬の材料と見なすものもいた。それどころか、実際に魔術の触媒として機能してしまうこともあるだろう。

 

「えー、ナトロンはどこにあったかな」

 

 ミイラの作り方は、代価によって三段階に分かれている――ヘロドトスは、著書『歴史』の中でそう書き残す。第一の方法は手間がかかっている。鉄の鉤を鼻の穴からさし入れて、脳みそを引き出す。腹をさばいて内臓を取り出し、それを壺にしまう。空になった所はヤシ油で洗い、没薬や桂皮、その他香料を詰め込んでから縫い合わせる。そしてナトロン――塩湖などからとれる、天然の炭酸ソーダである――で水分を抜いて、防腐剤のしみた布で遺体を巻くのだ。

 

「なんか……こういう料理あった気がするんだよな。なんだったかな」

 

 もちろん下級役人だから、こんなに手間のかかる方法をとるわけにもいかない。第二の方法は面白い。肛門からスギの油を注入して蓋をするのである。それをナトロン漬けにした後に蓋を外すと、油と一緒に溶けた内臓が出てくる。こうして骨と皮だけになったミイラが出来上がる。ちなみに第三の方法は下剤で腹を洗い、ナトロン漬けにするだけである。

 

「そうか、サムゲタンか。サムゲタンだな、うん」

 

 はったりを除くと、それほど恐ろしいものは残らない。晴れた国だ。エジプト人は想像していたよりも現実的であり、想像していたように楽天的だった。防腐剤を塗り、ミイラを遺族に引き渡せば仕事は終わりである。世界は広い、そう思う。ミイラを信じている人もいれば、アトラス院に籠っているような人間もいる。

 

 

 

 ――アトラス院。入会資格に最低3つの分割思考と高速思考が求められる、錬金術の狂った都。その最高幹部である六源――あるいは、六賢――の家系は、エジプト第四王朝には存在していたという。エジプトで初めてできた私の友人は、これらの人々である。そして、こんなことを言いたくはないが、全員コミュニケーションに難があった。しかも頭がおかしい。

 こんなものが歴史上にいたら大問題だ。だが、そこが良かったのかもしれない。今でもそうだが、私は歴史を意図せぬ形に歪めてしまうことを恐れていた。もう自分は死んだも同然だから、と。その点、こんな変人窟にいる分には歴史を変えることもない。そう思ったわけである。

 

「……続けよ」

「ええ。私の魔術は記憶に基づいたもので――」

 

 面接みたいだ。おぼろげに、遂に始まることのなかった就活のことを思い出しながら私はそんなことを考えた。アトラス院の人々は全然喋らないか、あるいは喋ったとしても分かりにくいことしか言わない。天動説の基礎は修めたこと、地動説に基づいた魔術理論を考案したこと、記憶に関する魔術を高い精度で使用できること。なんでこんな事してるんだろうと思いながら、私はアトラス院の六賢に自分のことを売り込んだ。

 その甲斐もあって。なんとか入れることにはなったのだが、衝撃の事実が明らかになった。魔術の内容は他人に明かさない方がいいらしいのである。神秘が薄れるとのことだ。もっと早く知りたかった。

 

「――イシスの神に選ばれたる赤き石の命を、鋭き炎で砕くべし。この時、月と照応する清き泉に、岩の内より出づる精髄を洗え。セトの燃える巨腕に触れぬよう、くれぐれも留意せよ。他なる泉の内にてラーの聖なる力を得たれば、汝の敵は打ち砕かれよう」

「は…………?」

 

 アトラス院に入った当初、錬金術の言葉というのは私にとってあまりにも謎めいていた。神秘の流出を防ぐため、意図的に変なことを言っているのは分かる。それは分かるのだが、別に日常会話まで謎めいた言葉で話す必要はないんじゃないのか。これは、もしかして私の方が間違っているのだろうか。

 アトラスの六賢の一人――クルドリスなんとか、という青髪の少女である――と話しながらそんなことを思う。基本的にアトラス院の人々は、自らの研究成果を人に話さない。目標が目標であって、分割思考のおかげでそもそも人と話す必要もない。

 

「だから。それに塩を振って、食べたい」

「……塩を? 何に?」

 

 まあ、何と言おうか。それでは寂しいと思ったわけである。エジプトに来てからは料理を作って、人々と喋るのが習慣だったのだ。演算に集中している賢者の部屋に押し入って、老人から幼女まで、こっそりと、できるだけ邪魔にならないように料理を食べさせてやった。自分でも凄まじいことをしたと思う。思考に必要なエネルギーが自動的に補給されるのであれば、アトラス院の人間といえど拒む理由もなかったのだ。少なくとも当時は。

 塩を振って、食べる。これも多分料理が関連してくるのだろう。そうだと思いたい。歩く、とか、寝る、とか、こんな普通に見える文章が何かの暗号だったら、私はもう人を信用できなくなるだろう。

 

「だから、ナイルでとれたあの……何だっけ? 甲殻類。あれを料理してってずっと言ってるんだけど。全く、こんな情報量の少ない言葉を使わせないでくれる?」

「……ああ。あっ、はい、なるほど!」

 

 髪の毛をいじりながら、クルドリスなんとかが呆れたように言った。何のことはない。セトの燃える巨腕とは、カニやザリガニの鋏のことだったのだ。それに触らないよう注意しろよ、と。それを締めて、洗って、茹でたのを食べたい。こういうことだったのである。私は思わず笑ってしまった。

 

「分かりました、今すぐ取りに行ってきましょう」

 

 ――しかしながら、やはり普通に言ってほしい。笑みの下でそんなことを思う。それが私のエジプトでの目下の願いだった。

 

 こういう訳で、言葉遣いが変な人は多いものの、アトラス院はそれはそれで愉快な場所だった。なにせチェスセットを持ち込んで、私はエルトナム・なんとか氏と五次元チェスに興じることもできる。ここ最近の一番の楽しみだ。

 

 ――形勢は互角と見た。ルークを過去に動かし、私は相手の手を待つ。現在から過去に攻めゴマを送り、そこから打開する作戦であった。

 

「なぜ、分割思考を温存する」

 

 青年が不機嫌そうに口を開いた。侮られている、おそらくそう考えているのだろう。クイーンを斜めに直進させ、彼は積極的に世界線を作り出した。どうも戦局を複雑化させる手だ。なるほど相手をする世界線が増えれば増えるほど要求される思考は増えるに違いない。

 いや、私もはじめはチェスをやろうとしていたのである。こいつらが悪いのだ。それを誰かが「解析できそうね」なんて言うからである。例えるなら、少し難しいクロスワードをやるのに似ていたのだろう。しばらくそれぞれの研究室にこもったのち、全員があっさりとチェスの完全解決をすませてしまったのだ。

 

「少しは楽しめたわよ。次も期待してるわ」

 

 ――あの、そういう楽しみ方じゃないんですけど。

 しみじみと思い出す。私は少し泣いた気がする、なにせ子供のころボビー・フィッシャーの本を結構読んでいたのだ。

 

「おい、チェックメイトだ。三つの平行世界のキングが同時に詰んでいる。回避不能だぞ」

「……あああー!」

 

 しかも負けた。散々であった。

 

 真面目なのが取り柄である。だから、負けた日も、仕事を投げるわけにはいかない――硬くなった肌に、力強い手つき。手を洗ってパン生地をこね、今日も酒樽を確認する。ビールである。大麦の糖分が水に溶けだし、酵母がそれを食べる。細菌を操る魔術があったら怖いだろうな。そんなことを考えながら暫くその光景を眺めていた。

 

「分割思考。分割思考ねえ。普通の喜びがなくなるんだよ、分割思考を全部同期させると。先行きが見えすぎる。あとイマイチ酔えなくなるし」

 

 チェスには負けたが、私の生活はかなり充実している。負け惜しみではない。あんな引きこもりよりはよほど充実しているのである。もう、かわいいチャンネーを侍らせてザギンでシースーってな感じなのである。これは、決して、負け惜しみではない。

 ビール、黄金の液体。メソポタミアでも作られていたそれは、やはりエジプトでも大人気だった。人生は酒である。実際、クールな文明には酒がつきものなのだ。グルテンが少ない大麦は、パンよりもビールを作るのに向いている。焙煎によるメイラード反応に、ホップを加えたことで他との差別化ができた。売れ行きも上々。

 

「やっぱり普通が一番だな。役人生活はNG」

 

 そう思っていた。歴史はたった一人のものではない。人生が単なる固有名詞の連なりではないのと同じように。歴史は生きているもので、我々が紡ぐものだ。つまり、数多くの、名もない人々のためのものなのである。人々の中に混じって生活する。それが一番いい。そう思って暮らしていたのだが――

 

 

 

「――そういうわけで、財産は没収とする。お前もついて来い。ノマルコス様のご命令でな、悪く思うなよ」

 

 なぜかこんなことになった。古代エジプトに存在する44の行政区域、ノモス。その長官であるノマルコスによって、私のパン種、ビール酵母はすべて没収されることになる。違法にミイラを作っていた、というのがその理由らしい。抗議しようとも考えたが、そういえば私は身元不明のよそ者なのだ。ちょっと正当な理由がなかった。ミイラの質も、パンとビールも、多分エジプトで一、二を争う程度まで来ている。しかし、とにかく商売が下手だったのである。

 まあその、なんだ。記憶魔術も分割思考も、ここまでことが進むともう意味をなさないわけで。考えてみれば、先ほどまで「先行きが見えすぎる」とか言っていたのが心底恥ずかしくなってくる。先行きは見えた方がいいに決まっているではないか。

 馴染みの客が何の騒ぎかと集まってくる。懇願するように目を向けたが、なにせ国から給料が出ている労働者。効果のほどもお察しだった。

 

「そりゃ、なあ」

「うんむ。報告が漏れてたんなら仕方ないだろう」

 

 ――長官の下まで連れて行くぞ。

 ナイル川を渡る微風がさわやかに頬をなでる。エジプトの安寧を守る一団は、今日もノマルコスの巨大な邸宅に向かっている。異邦人のパン屋。それが潰れてしまうことには、ピラミッドの労働者たちにも一抹の寂しさがあった。

 

「ありゃ旨かったなあ」

「あいつは、今にファラオのパンを焼くことになるだろうな。俺が予言する」 

「そりゃお前、無い話だ。だが、あいつのパンは旨かった」

「ミイラのこと、長官に告げ口して良かったのかね」

「それでパン種と、ビールの素が根こそぎ俺たちで分けられるってんだ。悪い話じゃあねえ」

 

 あいつら、密告しやがった――。肌に砂を張り付かせながらそんなことを考える。油断した。てっきり公然の秘密になっているとばかり思っていたから。奴らとも短い付き合いではない。それくらいのことは分かる。胸板が厚く、ずんぐりとした体つき。家に帰れば妻の尻に敷かれ、ぬるい酒を飲む人間たちだ。

 確かに悲しく、憤りも感じる。この時代なりに拘ったビールとパンを失ってしまったのだ。これからウィスキーに挑戦しよう、そうも思っていたのに。しかし、どうにも憎めない。私はこれから先も生き永らえるが、彼らはそうではないのだから。

 

「奴さん、ここからどうなるかね」

「まあ、そう悪いことにもなるめえ。長官様にパンでも焼くんだろう」

「死ぬまでそのままかい」

「その息子も、娘も焼いてらあな……おい、この酒は中々旨いぞ」

 

 何でもない話だ。ピラミッドの建設現場でも、月に何人かがいなくなる。そいつのことを肴に酒を飲む。忘れないためでもあり、それなのに忘れるためでもある。いずれ来る死と、奴らのことを。彼らは素焼きの器で酒を掬い、川沿いで小さくなっていく兵士たちを見送った。

 

「ピラミッドも、建設が終わる気がしない。どうなるかな。俺の息子がまだピラミッドを作って、奴の息子のパンを食ってるかもしれん」

「さて、俺は家に帰るかな……」

「おい、帰るんならパン種を多めに持って行けよ。お前は料理が下手だろう――」

 

 エジプト第四王朝が終わりを告げてから、ノマルコスの権力は徐々に増大していくだろう。街が遠ざかっていく。私を密告した彼らもやがていなくなり、その子孫たちは新たなファラオ、神である王に頭を垂れる。続く第五王朝でも、小規模なピラミッド建設が行われるはずだ。しかし少しずつ、確実にエジプト古王国の日は陰っていく。

 私はパンを焼き、酒を造るだろう。ファラオのために、やがていなくなる人々のために。

 

 ――ひとつ聞こう。あなたは、ニトクリス、という名前を知っているだろうか。私が初めて、その死にざまを見る王だ。ヘロドトスの記したエジプト第六王朝。その、最後のファラオの名である。

 

 

 

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