「シュタルク様!大丈夫ですか!?」
フェルンが崖から降りてそう間も無く、真新しく折れた枝を発見したフェルンは、その真下へと向かった。
そこにはシュタルクがあちこちに葉っぱを張り付け、尻餅をついている姿があった。
シュタルクはフェルンに気付き、笑みを浮かべる。
「いててて……流石に師匠みたいにダメージなしってのは無理だったぜ……」
歯を見せて笑うシュタルク。
そんな様子につられて、フェルンも微笑みを浮かべた。
「無事で良かったです……でもほとんど無傷なのはドン引きですよ」
「戦士ならこんなもんだぜ、多分な」
そんな会話をして、二人は顔を見合わせた。
シュタルクは尻餅をついたまま、フェルンは立ったままで。
「あ、ほら、髪飾り。何があったか知らないけどさ、大事なもんだろ?」
シュタルクはそのままの様子で、手に持った髪飾りを差し出す。
本人はボロボロなのに、その髪飾りは傷一つなく……シュタルクが守りきったという事がわかる。
それをフェルンは嬉しく思い……同時に酷く忌々しくも思ってしまった。
「……シュタルク様には申し訳ないのですが、
フェルンは髪飾りからふい、と視線を反らした。
その反応に、シュタルクの表情から笑みが消える。
「……大事な、もんだろ?」
シュタルクは真顔で、確認するように繰り返す。
それは、フェルンがその髪飾りをいつも丁寧に手入れをしていた事を知っているから。
失くしたら、壊れたら、フェルンは悲しむと確信出来ていたから。
カチャ、とシュタルクの手の中で髪飾りが音をたてた。
けれど、フェルンは首を横に振る。
「もう、いいんです」
そう呟いたフェルンの顔は、ひどく疲れていた。
差し出していた髪飾りを下ろして、シュタルクは肩を落とす。
痛くて怖い思いをしたのに……とは思わない。
ただ、あれだけ髪飾りを大事にしていたフェルンが、髪飾りを見て悲しんでいる事が辛かった。
「フリーレンと、なんかあったのか?」
思わず問い掛ける。
話をさせようと小屋に二人きりにさせた後の事だ。
フリーレンが何かしてしまったと思うのが自然だった。
「……何も、なかったのです」
ぼそり、フェルンが呟く。
「フリーレン様は、何も言ってくださりませんでした……」
その瞳からはじわりと涙が滲み始めていた。
それに慌てたのはシュタルクだ。
フェルンのそんな悲しい顔を見たい訳ではない。
「ちょっ、大丈夫かよ?二人ともあんだけ仲良かったのに……何があったんだよ?」
突然の事に、シュタルクはおろおろと手を彷徨わせた。
「ぐす……実は――」
そしてフェルンは語る、最近フリーレンの様子がおかしかった事を。
なんだか遠慮がちで、寝起きも良くて、変な魔道具も買わないで……。
それは良い事なんじゃ、とシュタルクの頭に過るも、確かにフリーレンという人物を思い浮かべれば違和感はある。
街中でも魔族と見れば魔法をぶっぱなすのがフリーレンだ。
シュタルクがお願いした事とはいえ魔族の子を見逃すのは、確かにおかしい。
いつの間にか口数は随分減っていたし、あまり笑う事がなくなって……。
何より、殆ど目が合わなくなったとフェルンは語る。
「なんでかわからなくて、ずっと不安で仕方なくて……何かフリーレン様の機嫌を損ねるような事をしてしまったのか、ずっと悩んでいました……」
難しい顔をしたシュタルクへと、フェルンは言葉を続ける。
じわりと目尻に涙が溜まり、肩が震えた。
「でも……魔族の子が、アリウムが使ったあの、魔法……あれで一つ仮説が浮かんできたんです……」
「仮説……?」
「あの魔法……お母さんも……私も使えるんです……」
するりとシュタルクの頬を何かが撫でた。
思わず手を添えれば、透明な手がそこにあるかのような感触がある。
それを操っているのがフェルンである事を確認するように目線を向ければ、フェルンは小さく頷いた。
「これ……この魔法、フリーレン様は使いませんでした。
こういう類いの魔法なんてのは他にもありますから、
魔族が使っててピンと来ました。きっとフリーレン様には
「それって……」
察したのか、目を見開くシュタルクに、フェルンは小さく頷いた。
「魔族の魔法は……人には使えない。
きっとあの子と私には、私もお母さんも知らない繋がりがあるんです。それをフリーレン様は知ってました……。
知ってて、黙ってたんです。私は……私の出自には、きっと魔族が関わっているんです……」
息を飲むシュタルクに、フェルンは言葉を続ける。
「もしかしたら、私は……自分で自覚がないだけで、魔族なのかもしれません……!
フリーレン様は、それをわかってて傍に置いて監視してたのかもしれません……!
デンケン様の言っていた、ハイター様が魔族を認め、教会に紹介したという話も……それを裏付けているようで……!」
これまでの旅で、幾人もの魔族を見てきた。
ただ一つの例外もなく、人を害する猛獣だった。
それと同類かもしれなかった事……それはフェルンの心を酷く揺さぶっていた。
息をするように嘘をつき、人を騙して喰らう獣……フェルンにとって反吐が出る思いだった。
「フェルン……」
「でも」
心配そうに名前を呼ぶシュタルクに対して、フェルンは一度言葉を切る。
潤んだ瞳に、憂いの感情を滲ませて。
「そんな事より、もしも私が本当に魔族なら、フリーレン様やシュタルク様を魔族の本能のままに、傷付けてしまう事のほうが怖かった」
胸元で拳を握り締めて、フェルンは肩を震わせる。
自分が魔族だったとして、人を食らう事、傷付ける事が本能として刻まれている魔族ならば、その矛先が向くのは、旅仲間である二人だと思ったから。
自分が二人を傷付けるかもしれないと思うだけで、寒気が走っていた。
「……本当の事はわかりません、でも、せめてフリーレン様には……知ってる事を教えて貰いたかったんです……。
もう……私は、フリーレン様も……自分自身も信用出来ません……。
私の旅は、ここで終わらせます。一人で、誰にも迷惑かからない場所で、ひっそりと暮らす事にします……」
……フェルンは、この期に及んで自分の事より、他者の事を心配していた。
自分の今までをアイデンティティ否定するような仮説。
事実であるなら、あまりにも残酷な事実であるにも関わらず……フェルンの心は善良な人そのものであった。
シュタルクは、フェルンの言葉に心からの安堵の笑みを浮かべて、自身の手の平を打ち合わせて汚れを払う。
フェルンの様子に、シュタルクの胸に僅かにあった不安はかき消えていた。
「……なん、ですか……?シュタルク様……?」
シュタルクはフェルンに手を伸ばし、その頭を撫でる。
突然の事に呆気に取られたフェルンに、シュタルクは優しい手つきで頭全体を撫でると、ニカッと笑いを浮かべた。
「角なんて見当たらねえよ。きっと大丈夫だ」
魔族の特徴である角、それはフェルンの頭には何処にも見当たらなかった。
「でも……魔族ではない証明にはなりません……!」
明るい声色のシュタルクに、なおも言い募るフェルン。
シュタルクは、そんなフェルンの肩に手を乗せ、真っ直ぐにその顔を見つめた。
「だとしても、フェルンはフェルンだろ?
仮になんかあっても……俺がずっと傍にいて止めてやる」
その言葉にフェルンは驚愕に目を見開いた。
頬をつぅ、と雫が伝った。
「旅やめるってなら、俺もやめてもいい。
前に言ったろ?俺がここまで来れたのはフェルンの言葉もあったからなんだぜ?
だから、フェルンの為になら、やめてもいい」
「……シュタルク様は、それで良いんですか……?」
シュタルクは間髪入れずに頷いた。
「いいよ。どこにでも付き合うぜ」
フェルンは、その笑みに強い安心感を覚えた。
今まで、違和感を覚えてからずっと不安だった。
魔族である可能性に気付いてからは、漠然とした恐怖が拭えなかった。
けれど……彼がそう言うなら、大丈夫かもしれない。
顔をくしゃりと歪ませ、シュタルクにすがり付くように胸元に額を擦りつけた。
「バカ、ですね。
でも……ありがとう、ございます……シュタルク様」
「へへへ……あ、でも一度フリーレンにちゃんと話聞いてみようぜ?
俺が聞いてくるからさ。旅をやめるって決めるのは……それからでも良いだろ?」
その言葉に、フェルンは素直に頷いた。
フェルンだって、本当は旅をやめたい訳ではない。
フリーレンと、弟子として、シュタルクと、仲間として、共にいつまでも楽しく旅を続けていたい。
そうして旅の終着点で……ハイターと両親に再会して、旅の思い出話をしたかった。
ただ今は、フリーレンへの不信感が積もりに積もった今は、共にいる事は出来なかった。
フリーレンの事情を、フリーレンが知ってる事を知りたいけれど、今のフェルンは冷静にフリーレンと会話出来る気がしなかった。
だから、シュタルクの申し出は有り難くて、本当に心強かった。
自分すら信用出来ない今、シュタルクが全面的に味方になってくれた事が、本当に嬉しかった。
「……うん……お願い……」
震える声で絞り出すように言われた言葉に、シュタルクは笑みを浮かべて頷きを返した。
「おう、任せろよ」
その言葉に安心感を覚え、フェルンは目を閉じる。
シュタルクの胸にすがり付きながら、暫くの間、フェルンは肩を揺らし続けていた。
「さ、さて、そんじゃそろそろ戻るか」
少し顔を赤くしたシュタルクが、少し落ち着いた様子のフェルンから離れ、崖を見上げて呟いた。
今更照れがきたらしく、その声は少し上擦っていた。
そんなシュタルクの様子を、目尻に残った涙を拭いながら、フェルンは微笑んで見ていた。
「そうですね、デンケン様も、心配してらっしゃるでしょう」
「……そうだな。いよし」
崖をもう一度見上げた後、シュタルクは体を解し始めた。
肩を回し、首を回す姿を見て、フェルンは怪訝な顔でシュタルクと崖を交互に見る。
シュタルクが自力で登る気満々である事に思い至ったフェルンは、しらっとした顔で呟いた。
「……私が抱えて飛びますから」
「お?そう?じゃあ頼むよ」
きょとんとした顔で自分を見下ろしたシュタルクは、自分の服についた木っ端や木の葉、汚れを軽くほろい始める。
魔法で綺麗にするのに……と思いつつも、その小さな気遣いが嬉しかった。
やがてシュタルクは乱雑に自分の服についた汚れを落とし終え、崖に向かい合ってフェルンに背中を向けた。
「よし、じゃあフェルン、頼む」
「はい、戻りましょう」
フェルンもシュタルクの襟……ではなく今回は脇に手をいれた。
そして、シュタルクが驚きの声をあげる前に飛ぼうとして――。
「フェルンちゃん」
「!」
フェルンにとって聞き覚えのある声が響き、その動きを止める事になった。
直ぐに振り向き、声のした場所へと体を向ける。
「……今の声は……?こんな所に、他に人がいるのか……?」
次いで、シュタルクも怪訝な表情を浮かべて振り向く。
ここは、黄金郷のすぐ近く……用がなければ人も魔族も近付かない場所の筈だ。
そんな二人の前に現れたのは……老婆……と言えなくもない壮年の女性だった。
髪は白く、傍目には老人だったが、背筋はピンと張っていて、年寄りという印象は受けない。
ニコニコと笑みを浮かべて、フェルンを見る女性。
フェルンはその女性を見て、驚きの声をあげた。
「モーナおばさん……」
そのフェルンの呟きに、モーナ、と呼ばれた女性は笑みを深めた。
「久し振りですね、フェルンちゃん。大きく、なりましたね」
二人が面識があり、妙に親しげな様子に、シュタルクが小声て口を挟んだ。
「知り合い?」
「はい、私のお母さんの……お姉さんみたいな方で、幼い頃は良く遊んで貰っていました。
でも、私達が紛争に巻き込まれる一年くらい前に、やらなきゃいけない事があると言って別れたっきりでした……」
シュタルクは納得したように頷き……けれど何処か緊張した面持ちでモーナを見つめていた。
「リリィが亡くなってしまったと聞いた時は胸が引き裂かれそうでしたよ。フェルンちゃんだけでも生きてて安心しました」
何処か緊張しているのはフェルンもだった。
懐かしい、生前の母親をよく知る、親しい人物との再会だというのに、何故か体は目の前の存在に警鐘を鳴らしていた。
「……ええ、モーナおばさんもお元気そうで何よりです。
ですが、何故こんな所にいらっしゃるのですか?
やらなきゃいけない事というのは、終わったのでしょうか……?」
フェルンの問い掛けに、目を細めて笑っていたモーナが、ゆっくりと目を開いていく。
そして、その瞳に見つめられた二人の顔に緊張が走った。
「いえ、これからです。これから漸く……私の用をこなす事が出来ます」
その瞳はひどく昏く、澱んでいて……泥の中にいるかのような錯覚を覚える程だった。
目の前の女性には、ほぼ間違いなく戦闘力はない。
魔力も筋力も、そこらの村人と比べて遜色ない、正真正銘の一般人だ。
にも関わらず、目を見開いた彼女から感じられる圧力は、二人をたじろがせるのに、充分だった。
「その、用とは……?」
フェルンは恐る恐る問い掛ける。
自然とその体は、杖をいつでも取り出し、魔法が使えるように身構えていた。
シュタルクも同様に、背中に背負った斧に知らず知らず手を伸ばしていた。
そんな二人の様子を気にする事なく、モーナは口を開く。
突然その圧力を霧散させ、にこりと笑みを浮かべて。
「フェルンちゃん、貴女を解放しにきたんです。あの、エルフから」
モーナは語る。
「フェルンちゃんは、あのフリーレンとかいうエルフに体よく利用されていたんです」
フェルンの知りたかった事を。
「どの面下げてフェルンちゃんをこき使っているのでしょうね?信じられませんよ」
フリーレンが語るのを躊躇っていた事を。
「なにせあのエルフは、リリィのお母さんを……フェルンちゃんのお祖母さんを」
フリーレンの古傷を。
「孤児院を経営し、ただただ平穏に暮らしていた、アリウム先生を」
フェルンにとって……残酷な真実を。
「惨たらしく殺したのですから」
目を見開き、息を飲むフェルンを、モーナは昏い瞳で見つめる。
衝撃を受けた様子で体が硬直し、何も言えずに固まるフェルンを見つめ、モーナはその笑みを深めた。
その笑顔の奥から覗いた瞳はひどく空虚で……まるで魔族のような感情の感じられない、冷たい瞳だった。
「あのエルフに、私達からアリウム先生を奪ったあのエルフに、当然の報いを受けさせる。それが、私のやらなければいけない事です」
魔族の子供の次はどれが読みたいですか?
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〈戦士と魔族〉
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「平和だった町」
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[一級魔法使い第二試験]