本を読むのが好き。
優しい物語が好き。
魔法みたいな、素敵なことが好き。
あの「青いバラ」みたいに、みんなを幸せに――――――
――――なのに。
『しばらく、携帯は電話とメール、LANEだけの使用に留めてください』
コンサルのお兄さんがそう言った時点で、ほんとうはライスも気付いてたの。
『大丈夫だよ、ライス。私たちはみーんな、あなたの味方だからね』
ありがとう、お姉様。
でも、無理してないかな。
ライスは心配です。
声が聞こえるよ。
お前がいるからみんなが不幸になるんだって。
お前のせいでみんな苦しむんだって。
……――――ねぇ、お姉様。
「ライス、やっぱり悪い子だったみたい」
†
「――――社長。お気持ちは分かりますが、まずは落ち着きましょう」
そもそも、表に出ていないだけで
可憐な容姿、そして出自の良さから、トレセン学園生は過去なんどもこういった脅迫や襲撃の類いに晒されてきた。
こういってはなんだが、学園はこういう事態に
それこそ東京都府中市という立地の良さにありながら全寮制として学園併設の学生寮に学生を入居させているのも安全保障上の理由であるし、出入り業者の身元確認やファンレター、差し入れの検査など、平時から徹底した安全管理を行っている。
それが労働省管轄、日本ウマ娘トレーニングセンター学園という場所なのである。
「警備は必要ありません。というか、こちらから露骨な警備を付けてしまっては生徒達に不安をかけないように『水面下で警備を増強』してくれている学園の努力を踏みにじることになります」
ヨイハル系列から派遣されてきたのだろう、警備会社のウマ娘警備員をコンサルは見る。
恐らくは虎の子のウマ娘警備員を揃えてくれたのだろうが、トレセン学園の警備員は全員がウマ娘、しかも学園OGで固めている。
彼らに防げない攻撃は、残念ながら目の前の警備員にも防げないであろう。
……そして社長には言えないが、既にライスシャワーは学園の手配によって安全な場所に避難している。
そのまま休養と夏の強化合宿に移行し、秋の天皇賞に照準をあわせてトレーニングを行っていく予定だ。
「次に訴訟に関しては、これは本当に止めてください。ヨイハルグループは『大きな組織』です。大きな組織による一個人への訴訟は『大衆VS権力』の構図を生みかねません。本当に止めてください」
確かに誹謗中傷を受けているのは事実である。
しかし既にネットは「金持ちに踏みにじられた三冠・三連覇」というイメージが先行してしまっている。ここで訴訟などはじめてしまったら、ますます金持ちが暇つぶしに弱者を虐めているというイメージが強化されてしまう。
そうなれば誹謗中傷がより加速することくらい、火を見るよりも明らか。
というか、その程度のリスクがどうして分からないのか。誰か社長を止める者はいなかったのか。
……もちろん、消耗戦を挑めば最終的には勝つだろうが。それにしたって、得られるものより失うものの方が多いだろうに。
コンサルは頭痛を抑えるようにため息をついた。
「とにかく。今は冷静になってください」
「冷静になれだと? これで冷静でいられるか!」
「だからこそ、私が冷静になってくれと言っているのです」
そう言って、肩を怒らせた社長を見つめる。
冷酷だと思って貰って構わない。しかし冷静にならなければならない。
己まで見失ってしまっては、なにも出来なくなってしまうから。
「わかった…………非常に腹立たしいが……君の方がそこら辺の事情には詳しいだろうからな。それは理解しよう」
では全員下がってよろしい。そう社長に言われたことで、戦闘態勢を整えていた面々は秩序だって退出していく。
「それで? お嬢さんのことはどうするんだ」
「対処療法ではありますが、菊花賞の頃よりあらゆる情報をシャットアウトするように伝えていました」
外野がとやかく言うのは止められない。
だからレースだけに集中していればいい。
菊花賞直後こそ「三冠阻止」のイメージが強いだろうが、その後もライスシャワーが競走ウマ娘としての強さを見せていけばいずれ払拭される。
その対処法は、間違っていなかったはずなのだ。
「……ですが結果として、ライスシャワーさんは天皇賞(春)のインタビューで苦しむことになってしまいました」
「終わったことはどうでもいい。私は『これからどうするんだ』と聞いている」
「することは変わりません」
勝つんです。
勝ち続けるんです。
「私たちには勝者の責任があります」
誰かの栄冠を奪う。それがレースである。
一着は、ひとりしかいないのだから。
「……それで、勝ったとして。
「それは分かりません」
「分からない、だと?」
その言葉に、社長は不機嫌な顔をさらに歪める。
「分からないとはなんだ、君にとっては単なる『案件』なのかもしれないが、こっちは夢を、会社の人財と社名を彼女に託してるんだぞ? リスクを背負ってない
「そんなことはどうでもいい!」
「どうでもよく……」
「どうでもいいんだ!」
本当はどうでも良くなんてない。
馬喰とは、ビジネスマンである。
シンジケートとは、利益を生み出すためにある。
コンサルとは、依頼人の利益を守るためにいる。
――――だけれど、それでも。
「あなたはライスシャワーさんを見捨てないと仰ってくれた。それは本当にありがたいことです……ですが、彼女を会社の一員として扱うのはやめてください」
会社の仲間だから、守る――――とは。
会社の仲間でなければ、守らないのと同じだ。
「今はいいでしょう。ライスシャワーさんはG1を2勝したウマ娘で、CMも悪目立ちという側面が目立ちますが話題を呼んでいます」
しかしこの後、彼女の競走成績が落ち込んでしまったら?
今の社長に、その
「私は
馬喰は常に「安全な商品」を求められる。
保険引受のリスクが少ない――――怪我をしないウマ娘。
損失を補ってあまりある栄冠を掴める――――勝てるウマ娘。
そして、義務や規則などのルールで見えにくいが、馬喰はウマ娘からも「安全な商品」を求められている。
怪我をしたとき――――保険引受人に見捨てられないか。
勝てなくなった時――――保険引受人に見捨てられないか。
逆張りシンジケートという保険とは異なる
その本質は変わらない。
「私が普段扱う保険……保険というのは、大きな船のようなものです」
巨人のような海。荒れくるう波と風に揉まれて、小舟など簡単にひっくり返ってしまう。
だから人々は大きな船を作った。
「けれど大きな船も、沈まないとは限らない。だから人々は船団を作った」
もしも隣の船が沈んだから、助けられるように。
もしも自分が沈んだら、助けてもらえるように。
再保険と呼ばれる「保険のための保険」が生まれたのはこのためだ。
しかしシンジケートに、再保険は存在しない。
「シンジケートは一隻の船です。それも未知の、海図さえない大海原にこぎ出した船です」
しかしその船には、夢が積み込まれていた。
だから、危険な航海でも船乗り達は挑んだ。
「社長。私は馬喰です。この名を名乗った日から、私の役割は決まっています」
それは恨まれ役。
最後の夢を
「私は――――――――」
――――ライスシャワーさんの引退をお勧めします。
「……は?」
「というか、もう既にライスシャワーさんのトレーナーさんには相談をしました」
「なんだと? おまえ、それはお前が勝手にやっていいことじゃないだろう!」
「なにを言ってるんですか? 社長」
あなたは〈チーム〉と契約したんだ。
ライスシャワーさんとは契約していません。
れっきとした事実を突きつけるコンサル。
「そもそも私は、専属トレーナーであるライスシャワーの担当トレーナーに『適切なサポート』をするためにこの逆張りシンジケートを仕掛けました。そして今、シンジケートは目的である『ライスシャワーさんに栄冠を掴ませること』に成功している」
目的は既に達している。
三冠シンジケートのような
それは見事に三冠シンジケートを上回り、先行事例である名家のメジロ家……それも最高峰と名高いメジロマックイーンを抑えて天皇賞を制してみせた。
「社長、あなたは見事に
もともと、そのための6チーム体制。リスクを
今が引き際なんですよ。
「……今なら、まだ。全員、無事で引き返せる」
†
「……ねぇ、お姉様」
悩んでるんだよね?
その一言は、彼女の担当トレーナーの表情を動かすには十分だった。
「なんのことかな、ライス?」
「隠さないで、お姉様」
あのね、と。小柄なウマ娘は静かに切り出す。
いつもよりも一回りは小さく見える背中を、震わせながら。
「うれしかったんだ。ライスのこと、信じてくれて」
勝てるって、勝って、みんなを幸せに出来るって。
「だからね、ライス。いっぱい頑張ったんだよ?」
「しってるよ。しってる」
精一杯のキモチを込めて、担当ウマ娘の髪の毛を撫でる。
黒くて、少し硬くて。そんな髪の下には、小さくて強い身体が隠れている。
「ねえ、お姉様」
ライスシャワーが、意を決したように。
「ライスのお話、聞いてくれる?」
その小さな口を――――開く。
「ありがとう。お姉様」
――――ライスの才能を「咲かせて」くれて。
「ごめんなさい。お姉様」
ライスのせいで――――貴女までヒドいことを言われてしまって。
ここは、大手ホテルチェーンが経営するホテルのスウィートルーム。
ふかふかのベッドに、広いお部屋。
ここまでは、学園警備部の人たちに案内されてやってきた。
それからしばらくして、たづなさんがダンベルとか、簡単なトレーニング機器を持ち込んでくれた。
――――ごめんなさい。理事長秘書さんのお仕事、忙しいよね?
マックイーンさんからも電話があった。
最初に、迷惑をかけたことを謝られて……それから、メジロ系列の会社が東京の外への避難の手はずを整えてくれていると教えてくれた。
――――ごめんなさい。ホントはマックイーンさんが、一番悔しいはずなのに。
『誇りになさってくださいまし。ライスシャワーさん』
このメジロマックイーンより先着したという事実を。
そうやって、笑顔で言ったマックイーンさん。もっとも次は負けませんがとも言ってくれた。
――――きっとああいう人が、みんなを幸せにしていくんだろうな。
「お姉様は、きっと最後まで、ライスの味方でいてくれるんだよね」
貴女はそういう人だから。
青くて、不気味なバラを見捨てないでいてくれた、優しい人だから。
「でもね。ライス、ホントは青いバラじゃないんだ」
ライスは、悪い子だから。
いつも周りのみんなを不幸にしちゃうから。
「そんなことない。ライス、あなたは……」
「……もう、お姉様。だめだよ」
人差し指を、お姉様の口にあてる。
そのお喋りなお口が、最後まで開かないように。
「ライスのお話、最後まで聞いて?」
いつか、こうなる気はしてたんだ。
だから、お姉様の名刺入れ。こっそり見させてもらったの。
『……はい。こちらは「ともしび競走保険コンサルタント」です』
「こんにちは。ライスシャワー、です」
『はい。こんにちは、ライスシャワーさん。今日は、どうされましたか?』
お姉様が悩んでること、当ててあげる。
コンサルさんから、
『…………なるほど、事情は理解しました。私に手伝えることはありますか?』
「あのね。ライスから、お仕事。お願いしたいの」
あれ、
いつ頼んだのって? ブルボンさんが、引退するって分かったとき。
……そっか、お姉様は知らなかったんだね。
ライス、ずっとブルボンさんのこと見てたもん。ジャパンカップと有馬記念を回避して、頑張ってるのに骨膜炎になっちゃって……それでも、ライスなんかのことを気に掛けてくれた。
「……みんな優しいの。優しくて、つらいの」
『では
「うん。ありがとう……じゃあ、お願いします」
ライスは、悪い子なんだ。
お姉様の夢も。
社長さんの夢も。
ブルボンさんの夢も。
マックイーンさんの夢も。
ぜんぶ壊しちゃう、悪い子なんだ。
ライス、知ってるよ。守ろうとしてくれていること。
お姉様が、たづなさんが、社長さんが。
「ぜんぶ、話してください」
「ええ。こちらが……ライスシャワーさんを取り巻く現在の状況になります」
ブルボンさんの復帰が絶望的になった時、
……でもそれで、またライスの周りが不幸になっちゃうかもしれない。
だから聞いたんだ。
コンサルさんに、全部。きいたの。
「こんなことに……ライス、なんにも知らなかった」
「当然です。みなさん必死になって、ライスシャワーさんにだけは情報が届かないようにしていましたから」
「じゃあ……それを破ったコンサルさんは、悪いヒトだね?」
「ええ。あなたより、ずっと悪人です」
教えてもらったよ。
トレーナーと担当ウマ娘の契約って、ウマ娘が有利なんだって。
ウマ娘のほうから「やめたい」って言えば、いつでも契約を解除できるって。
「もし天皇賞を勝ったら、どうなっちゃうのかな?」
「いくつかシナリオがあります。最良で現状維持、最悪は……あなたの身に危険が」
だめだよ、絶対に言わせない。
――――
「現実的なシナリオとしては、ヨイハル重工の社長が『キレて』反撃に出ることですね。これに加えてライスシャワーさんへのバッシングは『敗者であるメジロマックイーン』さんも貶めることに繋がりますから……メジロ系列のメディア各社がキャンペーンを張るかもしれません」
「そうすると、どうなるの?」
「単純です。
ライスのせいで、もう沢山の不幸があふれてしまったの。
不幸はどこかに行くしかなくて、その行き先はライスに悪口を言ったヒトなんだって。
……優しいね? ううん、違うよ。お姉様。
ライスは、もう
ライスに関わったみんな、みんな不幸になっちゃう。
それが違うって、証明したいだけ。
……そうしないと。ライスの居場所が、なくなっちゃう。
…………変わりたかったな。
でも、ダメだったんだ。
泣かないで、お姉様。
「では。天皇賞(春)後に姿をくらませ、その後ほとぼりが冷めてから怪我で引退……という
「いいの。ライスがブルボンさんとした約束は天皇賞を獲ることだけだし……知らないフリをするだけなら、できると思うな」
「……今日から四六時中、あなたは『知らない』という嘘を吐き続けなければいけません。いわば、寝ている時すらも無知で可哀相な悲劇の
「
だからこれでおしまい。
コンサルさんから貰った一枚の紙を取り出す。
はじめてみた紙きれ。
学園が見えないように隠しているのを、
――――――この