時系列としては
①ライスがコンサルに電話する
②ライスとコンサルが面会
③天皇賞(春)
今回は①と②、コンサルがライスと約束した3日後の面会前のお話から始まります。
おわび・稟議書(りんぎしょ)は本来なら複数の上司に回覧するものですが、格好いいので使ってしまいました。
東京大手町。
第一海上損保の本社ビル。
「代表。お時間をとらせて申し訳ありません」
ともしび競走保険コンサルタントのオフィス。会議スペースとして用意されている多目的室にて、コンサルは自身の上司である代表に頭を下げた。
「構いません。大切なお話なのでしょう?」
表情をひとつも変えずに席につく代表。
代表はコンサルよりも忙しい身。今回のレクチャーも、緊急を要すると無理を言って予定を開けてもらっている。
コンサルは早速本題に入った。
「
意外に思われるかもしれないが、この手の依頼は多い。
その関係を解消する、というのは……まだまだ学生である競走ウマ娘には、精神的にハードルが高い。
もちろん、この手の依頼を
それでは商売にならない? それについては問題ない。
基本的に解約支援は、次のトレーナーとの契約成立、そして競走保険の仲介までがセットとなるのだから。
「ライスシャワーさんの依頼は『トゥインクル・シリーズからの引退』です。つまり、次の契約はナシ、今回これきりでレースから身を引くということになります」
レースを引退する。それは決して、特別な出来事ではない。
もっとも、解約支援でレース引退となると……。
「当然ですが、解約支援は再契約までがセットです。引退する時点で報酬は一切発生しませんから、こんな依頼を受ける馬喰はいません」
従って「
だから、受けることは確定している。少なくともコンサルの中では。
問題は代表が許してくれるかどうかだ。
「ではここで、関係者を整理していきます」
荒削りな資料がめくられる。
今回の
そして彼女の担当トレーナー。
「まず、今回の契約破棄の対象となるライスシャワーさんとそのトレーナーさん。2人は共にトレセン学園に所属しており、またURAにも競走ウマ娘と担当トレーナーとして登録されています」
従って、中心人物はライスシャワーとそのトレーナー。そして背後のトレセン学園とURAということになる。
「……そして、この段階で既に問題があります。なにせ私は、既にライスシャワーのトレーナーさんのチームを支援してしまっている」
逆張りシンジケートの結成において、コンサルはトレーナーを支援するレースチーム・コンサルタントとして参加している。
要するに、コンサルはライスシャワーの担当トレーナーと既に契約を結んでしまっているのだ。
これでは契約の重複。利害関係者の双方と契約を結んでいる状態になってしまう。
当たり前の話だが、こんな契約は認められない。
「ですので、この依頼が動き出した時点でトレーナー側との契約を終了します」
代表は押し黙ったまま。続きを催促しているのだろう。
コンサルは続ける。
「そして2人の管轄者であるトレセン学園とURAについては、今回の件における規則上の問題はありません。とはいえ、これはあくまで規則上の話です」
なにせ、まだ走れる競走ウマ娘を引退させるのである。
学園が文句をいうことはない。
引退は
しかしURAは良い顔をしない。
URAは「
とはいえ。原則として、引退自体は競走ウマ娘の判断が尊重される。
規則や法令に違反していない以上は口の出しようがないとコンサルは結ぶ。
代表は微動だにしない。
「では続いて……ライスシャワーさんの引退に伴う利害関係者の一覧です」
①ヨイハル重工業グループ
→トゥインクル・シリーズ応援CMにてライスシャワーを起用
「最も
しかし、ここは問題にはならない。
やはり「逆張りシンジケート」を〈一般企業〉と〈チーム〉の契約にしておいたのは正解だった。
「彼らが結んでいる契約は、あくまで『トレーナーと契約を結ぶウマ娘』をCMに参加させることです。ライスシャワーさんとは無関係です」
ただし、今回の案件は彼らにとっては明らかな背信行為な訳で、今後の関係は絶望的かもしれない。
…………まあ、そんなことはライスシャワーには関係ないから、どうでもいいのだが。
「次です」
②ライスシャワーの保険引受人
→保険料収入・無限責任の負担
「こちらも、大きな問題にはならないことでしょう。保険引受人にとって引退は日常茶飯事です……が、ライスシャワーさんは菊花賞を勝利したことで保険料が上昇しています」
G1ウマ娘はマークされることが多く、接触事故の
なので保険料は値上がりする。
……というのはもちろん名目で、G1ウマ娘なら賞金収入も多いだろうから補填しようという目論みがそこにはある。
もちろん複数の引受人がいる以上、ある程度の市場原理は働くし、度が過ぎれば行政指導もあるが……少なくなくとも現時点でのライスシャワーの保険料は「普通に高額」な状態である。
「保険料収入を得たいがために、引退判断に口を挟む引受人は……ごく稀にですが、います」
もちろん「保険料は支払いません」と競走ウマ娘が言ってしまえばそれで終わり。
しかしそれで終わってくれないのが
引退するならもうレース界の保険を引き受けない――――トレセンの仲間が困ったことになるぞ。
もちろん、表に出たら一発アウトなのであくまで都市伝説の域をでないのだが……ようは、引退するにもそれなりに筋を通す必要がある、という話。
「とはいえこれは保険料収入の問題ですので、レースに出場しない前提で割引いたトレーニング保険のみを続行し、損失を補填するという形で対応すればよい*1でしょう」
お金の問題はお金で解決すればよい。そしてライスシャワーには
前例もある安全な手段である。ここは穏便に済むだろう。
③ライスシャワーの競走保険コンサル
→保険仲介手数料の収入
「これに関しては、補填の方法がありません」
当たり前である。ライスシャワーが引退するということは、つまり競走保険市場からひとつの保険需要が消えるのである。
保険仲介で稼ぐ競走保険コンサルにとって、これは単純に損失である。
……もしも「ともしび」が仲介していれば、こんなことは考えなくても良かったのだが。
それは今さら無理な相談だ。
「以上をまとめると、今回の件で整理する必要のある利害関係者は以下の通りとなります」
①ヨイハル重工業グループ(担当トレーナーと契約してライスシャワーをCM起用)
②競走保険引受人(保険料収入・無限責任)
③競走保険コンサル(仲介料収入)
「そしてそれぞれに対し、以下の対応が必要です」
①ヨイハル重工業グループ(担当トレーナーと契約してライスシャワーをCM起用)
⇒特になし(依頼者と契約関係にないため)
②競走保険引受人(保険料収入・無限責任)
⇒保険料収入の損失補填
③競走保険コンサル(仲介料収入)
⇒仲介料収入の損失補填
「このうち、①には対処をする必要はなく、②の保険料補填に関しては目処がついています」
よって、残る問題はあとひとつ。
③競走保険コンサル(仲介料収入)
⇒仲介料収入の損失補填
「ライスシャワーさんの競走保険を仲介している業者には
その内容は――――――と、コンサルは①を指差した。
「逆張りシンジケートです」
①ヨイハル重工業グループ(担当トレーナーと契約してライスシャワーをCM起用)
⇒特になし(依頼者と契約関係にないため)
⇒新しい業者を紹介
③競走保険コンサル(仲介料収入)
⇒仲介料収入の損失補填
⇒逆張りシンジケートのコンサルティングを委譲
「ヨイハル重工業の社長は情熱をもってレースを愛している方です。逆張りシンジケートは誰のコンサルを受けても続けられるでしょうし……なにより、もうあの
実際、競走ウマ娘の支援や広告については社長が指揮をとっているのだ。
コンサルが離脱したところで心配することはないし、そもそもこの案件に着手したら自動的に崩壊する関係である。未練もない。
「……以上が、今回の依頼における関係各所への対応となります」
そしてこれは「紙きれ」の限界でもある。
損失の補償でライスシャワーが引退できる道筋をつけることは出来ても……彼女が引退を望むに至った原因そのものを取り除くことは出来ていない。
代表は最後まで静かに聞いていた。
「そして最後に、ひとつだけ」
コンサルはそう言いながら稟議書を代表に差し出す。
「唯一。関係各所の中で補いようのない損を被るのが、わたしたち『ともしび』です」
では、サインをお願いします。
その言葉を受けた代表の眼が、僅かに細められる。
「――――――姿勢が悪い」
「!」
長身のコンサルが机の上に稟議書を差し出せば背中が曲がる……という話ではない。
代表が言っているのは、コンサルの身の持ちよう。
「あなたは依頼を受けると決めた。この依頼を受けることが『ともしび』の理念を貫くことであると確信している」
であるからこそ、稟議を持ち込んだのでしょう。
「ならば胸を張りなさい」
「……分かっています、代表」
背筋を伸ばす。
そして――――1人のウマ娘を、引退させる。
「よろしい」
万年筆の走る音。
「では、あなたはなすべき事を」
「はい」
コンサルは踵を返す。
稟議は通った。準備は出来ている。
だが案件を動かす前に――――絶対に、筋を通さないといけない相手がいる。
こんにちは。わたくし、ともしび競走保険コンサルタントの――――――
……――――はい、そうです。お世話になっております。
はい。弊社の方針といたしましては、ライスシャワーさんのお気持ちを尊重したく――――……
ええ。そのとおりでございます。
ご心配をおかけして、申し訳ありません。
すべて私どもの責任でございます。
――――……
…………――
――――――……
――――――はい。お伝えしたいことは以上となります。
さいごにひとつだけ。
お子様の夢を閉ざすことになってしまい。本当に申し訳なく思っております。
†
そして、時は流れて――――――春の天皇賞、その後のヨイハル重工本社。
結局、現実はコンサルの予想したシナリオの中でも悪い方に寄った展開となった。明らかに加害行為を匂わす投稿、キレた社長。
そんな世界を見せ続けられた、ライスシャワー。
「今が引き際なんですよ……今なら、まだ。全員、無事で引き返せる」
本当にギリギリのタイミングだ。
まだ犯行予告は現実になっていない。
まだ社長は実力行使に出ていない。
「だが、夢はどうなる。私の夢じゃない、
――――ライス、ライスはね。ヒーローになりたい。
「ええ、私だって。叶えてあげたかった」
ですが、現実はそうはならなかったとコンサルは言う。
「夢は終わったんです」
だからこそ――――彼女は私に電話をかけてきた。
「彼女はいま、走ることが苦しいのです」
菊花賞に勝った。
祝福されなかった。
まわりが優しくしてくれる。
まわりに、優しくさせてしまっている。
「だけれど彼女は止まれない。なぜなら、止まることも苦しいから」
引退すれば――――――大勢の人に迷惑がかかってしまう。
でも走り続けることでも、大勢の人を苦しめてしまう。
『……みんな優しいの。優しくて、つらいの』
「ライスシャワーさんは、とっくの昔に気付いていたんですよ。自分を取り巻く状況に」
インターネットを使わないように厳命されて。
おそらく寮や、学園の図書室などからは週刊誌の類いが撤去されて。
それが意味することを理解出来ないほど――――彼女は子供ではない。
「彼女の夢――――――みんなを幸せにするヒーローに、彼女はなれますか?」
それとも、と。
コンサルは息を吸ってから、吐く。
「それとも――――――『なれる』と言い続けることで、社長は利益を得たいですか?」
「まさか。それこそまさかだよ。君」
私は夢をみたいだけだ。
社長の言葉に、コンサルは静かに頷く。
「だとしても……それは今の彼女には重荷だ」
もう、許してやってくれませんか。
「あんなに小さな背中に、こんなに大きな夢と、期待と、中傷と、責任を背負わされて」
なにがいけなかったのだろうか。
三冠シンジケートを組んだことだろうか。
投資を投機にしてしまったことだろうか。
逆張りシンジケートの話を受けたことだろうか。
ライスシャワーと、出会ってしまったことだろうか。
まさか、否。否である。
全て正しいと信じてやったこと。
「社長」
「なんだね」
もはや、社長の声には怒りの感情は残っていない。
彼も彼なりに、状況を俯瞰したのであろう。コンサルは続ける。
「なぜ、馬喰が……レースという神事に由来する物事で商売をすることを許されているか、ご存じですか」
家族であるウマ娘を農村から引き剥がし、幕府や藩に売り飛ばした者達。
そして現代の馬喰は、レースとライブ。
熱狂する国民的エンタテインメントの中で、ウマ娘と、彼女たちの脚を「商品」とした。
「必要だったからですよ」
飢饉に襲われた村にウマ娘が、あまりにも多くの食料を必要とする彼女達が居ては、村が全滅してしまうから。
レースという「たったひとりの勝者」に熱狂するあまり、無数の敗者のことを世間が忘れてしまったから。
「私は馬喰です。馬喰の存在意義は、ウマ娘の味方であること」
故郷の村が自分のために全滅することを望むウマ娘がいるだろうか?
世間に忘れられたウマ娘に手を差し伸べる者がいるだろうか?
「必要悪なんですよ。馬喰は恨まれるために存在する」
恨まれることで――――ウマ娘に選択肢を示すために。
「ですから私は、彼女に『もう走らなくていい道』を示します」
ライスシャワーはもしかすると、レースを簡単には引退できないと思っているのかもしれない。
ならば馬喰は、そんな障壁は存在しないと示して、道を切り開くまでである。
「君は……それで、お嬢さんが幸せになれるとでも?」
「まさか。私は保険屋ですよ」
「チッ」
その時。舌打ちが聞こえた。
もちろん会議室にはコンサルと、社長しかいない。
「まるで悲劇の
次回、わるいこにおしおき