「ジャパンカップ」のこと。
空港から特急を乗り継いで、2時間ほど。
彼女は、山間に開かれた小さな盆地にいた。
「おう、すまねえな! わざわざこんなところまで来させちまってよ!」
いかにも農作業から上がったばかりといった――――というか、実際に作業中だったところに声をかけた――――彼女。
少し待っててくれと言われて通されたのは畳敷きの一室であった。
そっと空気を吸う……懐かしい匂い。
この匂いが遠いものとなってから、どれほどの時間がたっただろう。
靴を脱ぐための玄関。畳、木と紙、わずかな瓦だけで出来た平屋建て。
どれもこれも、海の向こうではなかなかお目にかかれない。
「それで、何を訊きたいんだ? 正直、話せるようなことは何もないぞ?」
少し申し訳なさそうに言いながら、湯飲みに入ったお茶を出してくれる彼女。
もちろん服は着替えられていて、一応の礼儀と化粧もしたのが窺える。
こちらこそ申し訳ないことをしてしまった。仕事の邪魔になっているだろうと謝れば、気にしないでくれと返される。
仕方がないので、こちらも本題を切り出すことにした。
「ジャパンカップのこと? それを聞きにわざわざ?」
彼女は首を傾げた。そうだろう、彼女にとってのジャパンカップは、耀く青春の1ページ、親友と共に駆けた一幕に過ぎないのだから。
しかし、それでも。こちらにとっては、とても大切なことなのである。
「そりゃ、大事なレースっちゃそうだよ。うーん、でもなぁ……これってアレだろ? レース展開とか、勝った感想とかは訊いてないんだよな?」
もちろん、勝った感想でも構わない。
そう伝えれば、彼女――――――日本勢初のジャパンカップ勝者、カツラギエースは腕組みをして考えを巡らせ始めた。
「そうだな……まぁ、なんつーか必死だったよな」
とにかく勝つぞーって、最初から全力で。
「聞こえるんだよ。一番後ろのシービーの足音がさ。マークしてくるルドルフの視線が」
最高だったよなと、彼女は目を閉じる。
その瞼の裏に移るのは、あの日の東京レース場。
「忘れられないさ。あれだけ苦しくて、楽しいレースは」
そして全てを出し切ったそのウマ娘は。
そのままその年に引退したのである。
再び特急に揺られ、新幹線に乗り換える。
この国の良いところは、こういった高速鉄道が発達していることだろう。彼の地も頑張ってはいるが、やはり飛行機と鉄道がトントンといったところ。アメリカに至っては都市間の移動は全て飛行機という始末で、都市間鉄道は廃れて久しい。
そうして到着した東京。バ事公苑にほど近いURA本部。帰着の報告――――もっとも、形式上籍が残っているだけだが――――もほどほどに、目当ての人物の下へ向かう。
「すまないね。こんなものしか用意できなくて」
応接セットの反対に座った人物は、お茶請けを自ら出しながらそんなことを言う。
クールビズ期間に入ったのだろう。ネクタイも巻いていないワイシャツの下には、鍛え続けているのだろう肉体のラインが見え隠れしていた。
「それで用件は……あぁそうか、本当にそれだけなのか。いや、あまりにも簡単な話だったから、名目上のものだと思ってしまってね」
この組織の空気に慣れるのはよくないなと、執務机の後ろにかけられた緑地の旗を指しながら彼女は笑う。
……国内を彼女のような若者――――現役を退いていくら年月が経とうと、こちらにとっては彼女たちはいつまでも若者なのだ――――に任せて、放浪同然にあちこちをうろついている者としては申し訳なさが募るばかりである。
ともかくも、その「簡単な話」へと耳を傾ける。
「『忘れ物の回収』だよ。なにせ、前年のジャパンカップでの敗北は、私の初めての敗北でもあったからね」
日本勢としては2人目のジャパンカップ勝者――――――シンボリルドルフはそう言って微笑む。
「私には勝利が必要だった。この世界を変えていくためには、誰にも文句を言われない実績が必要だった。だから勝った……」
語気を強めてそう言って、それから彼女は迷うように視線を泳がせる。
いや、
「『勝ち』に焦っていた。私は大切なもののために、大きなことを成し遂げたつもりだった。しかしそれは、きっと間違いだったんだろうな」
つまり、あの学園で私はなにも学べなかったということだ。
そう自嘲する姿は、世間が今でも彼女に向ける羨望――――すなわち「皇帝」としてのシンボリルドルフ――――とは大きく異なる。
彼女はゆっくりと執務机に歩み寄ると、そこに飾られている1枚の写真立てを手に取る。
「……それに気がつくのに。あの日々は、トゥインクル・シリーズは、あまりにも短すぎた」
暗い話になってしまったなと困ったように笑う彼女。しかし実際、それ以上の思いがないのだと言い訳するようにこぼす。
彼女にとって「勝利」とは「当然」で。大いなる夢を叶えるための「手段」でしかなかったということである。
それがジャパンカップであろうと有馬記念であろうと。ダービーですらも。
なれば、彼女には訊かねばなるまい。
「――――海外勢が強かったか、だって?」
すまない、憶えていないな。
カツラギエースに敗れた彼女はそう答える。
そんな彼女が選手生命を絶たれるのは、皮肉にも海外でのことである。
タクシーを捕まえて、23区の外へ。
もちろん向かう先は府中市。日本ウマ娘トレーニングセンター学園。
東京ドームおよそ8個分の巨大な敷地の中、生徒たちの学び舎である中央校舎。
その一角に、彼女の部屋はある。
「ふ~ん? じゃあキミは、歴代ジャパンカップ勝者に訊いてまわってるの?」
それなら、もうマ……シンボリルドルフさんには話を聞いたんだよね!?
ウマ耳をピコピコさせるのは、日本勢3人目のジャパンカップ勝者――――――トウカイテイオー。
三度の骨折からも復活して見せた優駿。まさに「不屈」の代名詞。
そして、現在の学園生徒会長でもある。
「相手が強かったかって? そりゃもちろん!」
そう言いながら当時の強豪がどれだけ強かったかを説明していくテイオー。そこにはカツラギエースのような
「でも、やっぱり一番の敵はボク自身だったかな」
2回目の怪我の後だったしね。と、振り返るようにして彼女は言う。
「1回目の時はさ、もうぜ~ったいに菊花賞に間に合わせるぞ! って考えてたけれどさ。あの時は、なんていうか、強い気持ちが持てなくて」
そういう自分に勝たなきゃって、そう思ってたよと。
敵を知り、己を知れば百戦あやうからず――――そう故事は説く。
そして彼女にとっての「敵」とは、自分自身のことだったのだろう。
己と向き合い続け、そして彼女は栄冠を手にしたのである。
本当に、十人十色であると感じずにはいられない。
同じ日程、同じレース場。出走者だけが
「でも、なんでそんなこと聞くの?」
そして、この疑問だけはあらゆるウマ娘にぶつけられる。
それは
なにせ、過去のレース記録など参考程度にしかならない。
結局レースを決めるのはその瞬間だけなのだから、当然である。
――――大切なことなんだ。それでも。
そう返せば、ふうん? と顎に手を当てるトウカイテイオー。
「まあいいけどね。キミが何かを見つけられたのなら」
そう。見つけたとも。
長らくこの国を離れていた間に――――――君たちは本当に、強くなった。
この列島の脈動が聞こえる。
準備が、整いつつあるのを感じる。
いよいよ。「あの計画」を動かしてもいいかもしれない。
それは、ジャパンカップ創設の最大の目的。
それは、この国の誰もが夢見た……いや、まだ夢すら抱けていない、夢。
キミは、知っているかい?
海の向こうの、熱狂を。
(もう新シナリオ実装直前ですが)凱旋門賞シナリオ、やります!