その『紙きれ』で救えますか?【完結】   作:帝都造営

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冬芽と手綱

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園――――トレセン学園には大学部が設置されている。

 

 これを聞くと多くの人は首を傾げる。

 なぜ大学が必要なのか、と。

 

 無理もない。

 なにせ世間から見たトレセン学園とは、トゥインクル・シリーズ――――国民的エンタテインメントとして大人気のウマ娘によるレース興業――――に競走ウマ娘を「供給」するのが役割なのだから。

 

 しかし、現実は違う。

 競走ウマ娘はひとたびターフを降りれば1人の学生。どこにでもいるうら若き少女である。

 トレセン学園は彼女たちの夢を叶え、いつかは来る将来――――レースからの引退――――がより実り多きものになるための教育を施す場所であって、断じて興業活動のための道具ではないのである。

 

 だからこそ。文部省管轄外、労働省管轄の学校法人であるトレセン学園には大学部が存在する。

 そして現役のウマ娘にとって、もっとも近しい大学部と言えば――――……

 

 

 もちろん、大学部付属病院である。

 

 

 

 

 

「はじめまして」

 

 その長身の男は頭を下げる。

 革の書類鞄、アイロンの利いたスーツ。ワックスで固められた七三分け。

 

 

「わたくし『ともしび競走保険コンサルタント』と申します」

 

 

 そう差し出された名刺を受け取るのは……学園職員であり、そして学園生に「課外活動」としての競走生活(トゥインクルシリーズ)を提供する役割も持つトレーナー。

 

「すみません、こんな場所にまで来てもらって」

「いえいえ。大切なことですから」

 

 申し訳なさそうに頭を下げるトレーナー。彼らは競走ウマ娘を指導するための資格を持ち、その資格を根拠に〈チーム〉を開業する。つまり彼らはチームという会社の社長である。

 

 そして競走ウマ娘は、その〈チーム〉に所属することで、はじめてトゥインクル・シリーズへの挑戦権が得られる。

 ……そういう建前が必要なのだ。

 学生はあくまで「個人の契約」に基づいて興業に参加しているのだと。トゥインクル・シリーズは学外で行われる「課外活動」であるのだという、建前が。

 

「確認になります。トレーナーさんのチームが現在契約している競走ウマ娘さんは1名、これは間違いありませんか?」

「はい。間違いありません」

 

 1人のウマ娘に1人のトレーナー。「専属」と呼ばれる体制である。

 

 トレーナーはトレセン学園の職員としても働いているので、究極的には担当ウマ娘を持っていなくても問題はない。

 となれば1人の担当に全力集中したい! と考えるトレーナーはそれなりに居て、例えばクラシック期のような重要な時期だとベテランですら一年付きっ切りで1人のウマ娘だけを見たりすることもある。

 

 とはいえ、チーム全体で1人。というのは珍しい体制だったりする。

 サブトレーナーとしてチーム内の1人に注力、というのはよくある話なのだが……。

 

「昨日お会いしたトレーナーさんもそうだったんですが、最近は独立トレーナーさんが多いんですね?」

「? どうなんでしょう……あぁでも、言われてみれば同期はみんな専属体制だったなぁ」

 

 

 どんなことでもそうだが、基本的にチームは大きい方がいい。なぜならマス効果が働くからである。

 例えばスポーツドリンクを買うならまとめ買いがお得である。蹄鉄も、シューズも、なんでも大量に買えば安くなる(値引きしてもらえる)。

 

 それにトレセン学園の場合、どう考えても大規模なチームが有利になる事情が存在する。

 

 それはトレーニングコースの予約。

 所属するウマ娘が多ければそれだけ多くの予約を出せる訳だから、より長い時間、良い練習場を使うことができる。この点はどう考えても有利である。

 

 もっとも、最近はトレーニング場の外部提供(アウトソーシング)事業も増えてきているから……一概に不利とはいえないのかもしれないが。

 

 

「いえ。すみません。話が逸れてしまいました」

「いやいや、いいんですよ。保険屋さんも、僕みたいに大手チームがバックについていないと不安でしょうし」

 

 まして引き継ぎですもんね。気持ちは分かりますとトレーナー。

 そのようなトレーナーを助けるのもコンサルの仕事ではあるのだが、今日に限ってはその話をすることはないだろう。

 なにせ今回の仕事は、コンサルティングではないのだから。

 

 

「……ではあらためて。今回は労働省ウマ娘局『四方山(よもやま)競走信託事業移管タスクフォース』による事業者指定の競走保険引受となります」

 

 

 一ヶ月前、競走保険の仲介と引受を行う四方山(よもやま)競走信託が自主廃業を宣言した。

 なんでも経営が悪化したとかの話であるが……精々が新聞の経済面をちょっと飾ったくらい、多くの人には無関係の話である。

 

 しかし、競走ウマ娘にとってはそうもいかない。

 

 

「四方山競走信託が保険の引受と仲介を出来なくなったと言うことは、つまり競走保険の契約も失効するということになります」

 

 なにせ競走保険とは怪我したウマ娘の未来を守るため、ウマ娘に対する無限責任が定められている。

 廃業、つまり事実上倒産した会社に競走保険が引き受けられる筈がない。

 

 

「もちろん、今が無保険状態というわけではありません。ですが再契約が必要です」

 

 

 そこで「ともしび」に話が回ってきたという訳である。

 労働省の事業である以上、他の会社にも同様の話が言っているだろうが……それにしても数が多い。おかげでここ一ヶ月、コンサルは右へ左への大忙しであった。

 

「幸い、トレーナーさんの担当ウマ娘の引受人は四方山競走信託本体ではありませんでしたから、仲介業者を『ともしび』に移していただき、同様の条件で契約すればよいかとは思っておりますが……」

 

 そこで言葉を止めるコンサル。そう、実のところこれは移管事業。従って競走保険に関わる審査や、引受人探しをする必要はないのである。

 ないのだが。

 

「……療養中となりますと。いちおう調査が必要となりまして」

「ええ。分かっています。よろしくお願いしますね」

 

 

 競走保険とは、決して慈善事業ではない。

 そこには、リスクとリターンの冷たい計算がある。

 

 怪我なく走りきれば、もちろん一番。

 しかし事故に備えることこそ、保険の本質。

 

 引受人が破産しない程度の負担に済ませ、キチンと競走ウマ娘も救済する。

 それが競走保険の意義であり、また競走ウマ娘保護規則により保険が義務付けられている理由なのである。

 

 

 

 

 

 

「気分はどうかな。ローレル」

「あっ、トレーナーさん! ……そちらの方は?」

 

 無機質な病室に似合わない、ぱっと咲いたような笑顔になる少女。

 そしてコンサルの顔をみて首を傾げる。初対面の人間がトレーナーと一緒に病室に来たらそうもなろう。

 

「ああ、こちらは……」

 

 ざっくり事情を説明するトレーナー。彼に渡したのと同じ名刺を渡すと、ベッドの上の症状はすっとこちらに視線を流す。

 ……不思議な目だ。まるで万華鏡が瞳の中に落ちてしまったかのような。

 

「ともしび……そうですか、あなたが」

「知っているのかい?」

 

 トレーナーの反応も当然だろう。

 

 ともしび競走保険コンサルタントは親会社こそ大手保険会社の第一海上損保であるが、競走保険会社としては出来たてほやほやの新興。さしたる実績も――――保険仲介業者としては――――ない。

 

 

 とはいえ……まぁ。単なる新興と呼ぶには、少々悪目立ちしすぎていた。

 

 

「ええ、初めまして。ウソつきの馬喰(ばくろう)さん?」

「ちょ、ローレル?」

「いえ、いいんです――――はじめまして。サクラローレルさん」

 

 もちろん、競走ウマ娘に馬喰呼ばわりされた程度でどうこうなるコンサルではない。

 夢を守るための恨まれ役――――それが馬喰(コンサル)の仕事なのだから。

 

「バクシンオーちゃんが()()()いましたよ? 素晴らしい手腕だとか」

「……」

 

 褒めてはないだろう。それは。

 

 彼女の言う「バクシンオーちゃん」とは、もしかしなくても短距離の王者、サクラバクシンオーのことである。

 彼女はライスシャワー・ミホノブルボンの同期であり……おそらくは、ライスシャワーの件を詳細に知っている人物。

 

「競走保険コンサルには守秘義務があります。知っていることを知らないと言わなければなりませんから、嘘は必要ですね」

「ええ、とっても。そうですね!」

 

 手をぱん、と合わせて。にこやかに微笑む競走ウマ娘、サクラローレル。

 ……本来笑みは攻撃的な表情である、という言葉は今日のためにあったのかもしれない。

 

 なんにせよ、とコンサルは膝をつく。

 

「それ以上のことは、働きで示せれば幸いです」

「ふふっ、お願いしますね?」

 

 

 ――――馬喰(ばくろう)、とは。

 ウマ娘で金を稼ぐ商人たちのことである。

 

 競走ウマ娘の脚を「商品」にする競走保険だけではない。彼らは様々な場面(シーン)において、競走ウマ娘を守るための「憎まれ役」となる。

 

 であるからこそ、その働きは独善的であってはならない。

 馬喰とは、最後にはウマ娘の脚を、そして夢を守らなければならない。

 

 

「それで今日は、私の脚に値段をつけに来たんですよね?」

「ローレル、そんな言い方しなくても」

「構いませんよ」

 

 なにせ事実である。競走保険とは一般に供される医療保険とは訳が違う。

 

「では実務的な話を。引受人はサクラローレルさんのことを高く評価しています。特にダービーの判断を」

 

 その言葉に、少し寂しそうな表情をするサクラローレル。

 トレーナーの表情は……わざわざ伺うまでもないか。

 

「一生に一度の日本ダービー。そこで『手綱を握れたこと』を、引受人は評価しています」

 

 

 手綱を握る。

 それは「不可能」の代名詞。

 

 走り出したウマ娘を手綱なんて道具で止めることは出来ない。なにせ走ることは、彼女たちの存在理由(レーゾンデートル)なのだから。

 しかし目の前の競走ウマ娘、サクラローレルは……その手綱を握ってみせた。

 

 

「そもそもがリスクを承知した上での出走だった、というのは存じ上げております。それでも、ダービーです」

 

 東京優駿(日本ダービー)

 ――――――クラシック世代のみが出走を認められる、最高峰の舞台。

 

 そこに出走したサクラローレルは、結論から言えば凡走した。

 凡走? まさか。凡走せざるを得なかったのだ。

 

 

 ()()()()()()()()()、入院「程度」で済んでいるのだ。

 検査と少しの療養で復帰できる。それがどれほど幸運なことかは……説明するまでもない。

 

 

「こういうケースは珍しいのですが、引受人は保険料を据え置き、それどころか値下げしようと言っています」

「!」

「……」

 

 息を呑んだのはトレーナーである。

 一方のローレルは、身じろぎひとつもしない。

 

「……競走保険とは『怪我のリスクを評価して保険料を決める』システムです」

 

 G1に出走できるレベルのウマ娘が脚部不安を抱えており、さらにレース後に入院が必要なほど消耗するとなれば。

 保険料は跳ね上がるのが道理である。

 なにせ、既に入院費や検査費を引受人は背負っている。むしろ怪我をした段階で怪我の再発を恐れ、保険の引受を拒否する引受人もいるくらいである。

 

「私としても驚いてはいますが、悪い話ではないと思います。こちらが契約書に――――」

 

 

 

「――――……はぁ」

 

 

 

 だというのに。

 どうしてかその競走ウマ娘は、大きなため息をついた。そして。

 

「お断りします」

 

「え、はい? 断るんですか?」

 

 もちろん困惑したのはコンサルである。

 

「あの、確認しておきますが。サクラローレルさん、競走保険は無限責任であり、保険料減額に伴うデメリットはありませんよ? そもそも、あなたの保険料は既に高額で……」

「その『高額』というのは、脚に不安のない子たちと比べた場合。ですよね?」

 

 それはそうだが。

 

「なら断るしかありません。だってこの保険料は、私の脚に対する正当な評価ですから」

 

 その言葉は。

 そのまま、危険な走りを続けるという宣言にしか聞こえない。

 

「……ビジネスの話を。サクラローレルさん」

 

 

 競走保険とは。義務である。

 労働省が策定した競走ウマ娘保護規則に基づく義務である。

 

 だが見逃さないで欲しい。義務には意味がある。

 

 なぜ道路交通法があるのか? 交通事故を起こさないためだ。

 なぜ刑事罰が存在するのか? 誰かの悪意が暴走しないためだ。

 

 ルールには必ず、誰かの願いが込められている。

 世の中の不幸を、少しでも減らすために。

 

 そして競走ウマ娘保護規則という義務(ルール)の大原則は、全ての競走ウマ娘に「無事に走って欲しい」という願いだ。

 だからこそ「走り抜ければ全員が得をし、事故が起きれば全員損をする」という仕組みが作られている。

 

 

「引受人が求めているのは、あなたが長い現役生活を送ることです。ダービーですら諦められるほどに理性的なあなたが、長い間走り続けることで、定期的な保険料支払いを続けることです」

「あら。私って『理性的』なんですね? ふふっ♪」

 

 トレーナーさん。私、褒められちゃいましたよ?

 

「……あぁ。そうだな」

 

 同意からは少し遠そうなトレーナーの反応。

 コンサルが言葉を続けようとしたのを、サクラローレルは遮るように言う。

 

馬喰(コンサル)さん。私、そんなに理性的じゃないですよ? ダービーは夢を守るために諦めたんです」

「『夢を守るため』……?」

 

 日本ダービー。全てのウマ娘が憧れるといっても過言ではないレースの頂点を、夢を守るために諦める?

 

「では、あなたの夢とは」

 

 コンサルが口にして当然の疑問。

 それを聞いたローレルは、いつの間にか隣に並んだトレーナーと目を合わせて、頷く。

 

 

 

 

()()()の夢は…………」

 

 

 

 

 

 そのレースは、美しい河のほとりで開かれる。

 歴史ある旧市街と、太陽を反射して輝く新市街の間で揺れる熱狂の焔。

 

 

「Prix de l'Arc de Triomphe――――凱旋門賞」

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