「ともしび競走保険コンサルタント」がサクラローレルとそのトレーナーとのコンサルティング契約を結んで、1週間。
その間に、コンサルは国際レース課のシリウスシンボリとの折衝をはじめ、環境調査を進めていった。
「海外遠征に行く」と言うだけなら簡単だが、国の許認可や受け入れ先への事前交渉。やるべきコトは多岐に渡る。一年という時間は、決して長くはないのである。
「……ということで、大枠としてはこのようになります」
もちろん仕事である以上は
「トレーナーさんの側でも準備を進めているとのことで、内容に被りがあるかもしれませんが。ひとまずURA国際交流部からのヒアリングで得られた遠征準備の概略についてまとめてあります」
「なるほど。じゃあこちらからも……」
そして入れ替わるように、机の向こうから資料がやってくる。
「凱旋門賞遠征計画の草案になります。まだ構想段階、というか……たいしたブラッシュアップもしていませんが……」
もちろん差出人は、サクラローレルのトレーナー。既に退院して低強度のトレーニングを再開しているサクラーローレル本人も隣に控えている。
2人の距離感が一般的なそれより近いように感じるのは……気のせいということにしておこう。
「拝見します」
そう言って受け取り、中身にざっと目を通すコンサル。
問題はない、どころの騒ぎではなかった。
「よくできていますね」
それ以上の感想がないくらいには、よくできている。
――――――もう少し正確に言えば、ノウハウがゼロの状態からどうやって組み上げたのか分からないレベルに仕上がっている。
これ以上の遠征計画は、実際に海外遠征を経験してみなければ分からないだろう。
少なくとも海外遠征の経験がないコンサルには作れない完成度であった。
「これでも、ずっと凱旋門賞のことを考えていましたから」
そして喜ぶ気配もなく、目の前の2人は真剣に資料へと視線を注いでいる。
それほどに本気。それゆえに全力。
「……ありがとうございます。これはお返しします」
その内容に目を通したコンサルは、遠征計画の資料を2人に返す。
「いいんですか?」
「
競走ウマ娘を相手に商売をする馬喰にとって、トレーニングの支援も立派な業務の一部である。コンサルもトレーニング支援には自信があったが、やはり本職の専門家には勝てない。
当たり前だ。トレーナーは担当ウマ娘のことを文字通り四六時中考えている。保険仲介やら何やらにアレコレ手を出している馬喰が敵うはずがない。
それにコンサルはあくまで支援役。事前交渉に必要な情報は遠征の規模感……つまりどの程度の期間現地に留まるかという点だけだから、具体的なトレーニング計画なんて知る必要もなかった。
「ちなみに、現地順応のためにこれだけの期間滞在するとなると。それなりに費用がかさみます。予算はどのように考えていますか?」
そして結局、コンサルにとって一番に大事なのは
「それはいくらでも! ……と、言いたいところですが」
いくらなんでも、ない袖は振れない。
海外遠征を組むウマ娘にありがちな現地調達――――遠征先でバンバンレースに出て賞金を調達するというもの――――も、サクラローレルの脚部不安を考えれば難しいだろう。
消極的な額を提示するローレルのトレーナーに、コンサルは小さく頷いた。
「とはいえ、お二人に関してはそこまで心配することもないでしょう。遠征費が膨らむ主な要因は、現地の通訳や食生活への順応によるもの*1です」
サクラローレルの脚部不安は確かにマイナス要因かもしれない。
しかしサクラローレル本人に限っては、間違いなくプラス要因。
「そうですよね。だって私、フランスには慣れていますし!」
我が意を得たり、とばかりにポンと手を叩くサクラローレル。
彼女の父親は、芸術の都パリで活躍するデザイナー。彼女にとってのパリとは、決して見知らぬ街というわけではない。
「それにトレーナーさんも。フランス語の勉強までされていたとは」
「あくまで日常会話レベルですよ」
しかしそれなら、さほど時間をかけずに現地スタッフと実務レベルの会話が出来るようになるだろう。
結局の所、言語とは
「現地のトレセンに受け入れて貰えるかどうか、凱旋門賞に向けたステップレースを選択するのかどうか。まだ解決すべき課題は残っていますが……お二人がこれだけの熱意をもっていれば、海外遠征の実現性はかなり高いと思います」
いやむしろ、今からホテルと航空券さえ手配すればすぐにでも行ってしまいそうな雰囲気すらある。
……そして、それだけの熱を前にしてこそ。向き合うべき問題があった。
それは、マル外規制である。
「――――――なにを言ってるんです? サクラローレルは『マル外』じゃないでしょう」
声量こそ抑えられていたももの、コンサルがいきりたっていたのは隠しようもなかった。
「まあ落ち着けよ。そんなことは私だって分かっているさ」
新橋の西洋料理店。静寂に香りをつけるような音楽が流れるその場所で、シリウスシンボリはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「これは制度の問題だ。そもそもマルガイ、マルガイというが。お前はマル外、外国籍ウマ娘の例外出走制度についてちゃんと勉強してるのか?」
知っての通り、日本は移民と難民に厳しい国である。
いわゆる入管法*2により日本国籍を持たない者の労働は制限され、働くには在留資格が必要とされる。
もちろん通産省*3の開催するトゥインクル・シリーズは興業、つまりは労働行為にあたるわけで、そこに参加するには在留資格が必要だ。
「つまり、マル外――――海外出身のウマ娘っていうのは単なる留学生ってワケじゃねえ。トゥインクル・シリーズへ出走するには、本来なら在留資格を留学から就労に切り替える必要がある*4」
そしてもちろん、留学しながら就労するなんて話は通らない。それは「悪しき前例」になるからだ。
「しかし日本のレース界も『鎖国』というワケにはいかねぇ。で、編み出された苦肉の策が外国籍ウマ娘の例外出走制度ってわけだ」
「……しかしですよ、シリウス。それは関係ないでしょう」
そう、大前提としてサクラローレルはキチンと日本国籍を持っている。
つまり何の問題もないわけで……。
「だが、二重国籍なんだろ?」
しかし、彼女の父親はフランス人。血統主義を採用するフランスでは、父親がフランス人であれば子もフランス人である、つまり国籍が与えられると定められている。
日本とフランス、2つの国の国籍を持つ状況……これを二重国籍という。
「それでも、二重国籍そのものに問題ありませんよ*5」
そう強弁するコンサルに、んなこた分かってるよとシリウスはため息。
「こういう問題を建前で語るんじゃねぇ」
いいか? と彼女は続ける。
「そもそもなんでマル外なんて面倒な制度を設けてまで、日本は海外のウマ娘を留学させようとしてると思う?」
「それは、日本レース界の発展のため。ですよね?」
わかりきった話だ。日本のレース界は遅れている。
レース先進国からトレーナーやウマ娘を招き、それを直に学ぼうとするのは当然のことだ。
「じゃあ聞くが、なんで外国籍ウマ娘は
「……っ、それは」
言葉を詰まらせるコンサル。
答えなんてものは、もちろん分かりきっていた。
日本のレース界、その最高峰に君臨するはずの日本ダービー。
そこに外国籍のウマ娘が出走を許されない理由は……
「外国人に持ってかれたくねえんだよ。レースの賞金を」
レースの上位者に与えられる賞金は、ある種の配当金といえる。
より速く、より強く。鍛錬を続けてきた……つまり投資を続けてきたウマ娘に対する
それはインセンティブになる。三冠シンジケートの返済原資にもなったように、レースで賞金が得られるという事実はより多くの投資を呼び込むのに役立つ。
それを国外に持って行かれてはたまらない。
URAの言い分も、決して理解できないわけではない。
「この国はとにかく過保護だからな、海外のウマ娘にはハナから勝てないと踏んでやがる」
バカにしてるよなと零すシリウス。
「だとしても、それがサクラローレルさんにどう関係してくるというんです」
「言ってんだろ。頭で考えるんじゃねぇ」
ここで考えるんだよ。そう言いながらシリウスは自分の胸を親指で指し示す。
「外国人の父親を持つウマ娘が、日本のレースに目もくれずに海外の重賞を目指す……それも、日本のトレーニング施設を使ってだ」
「それが、周囲からは踏み台にされていると感じる?」
少しばかり、被害妄想が過ぎるのではないだろうか。
「知らないのか? この国は
その視点は、長く海外から日本という国を視てきた彼女ならではのものなのかもしれない。
「あとついでに、目標のレースが凱旋門賞なのも良くねぇな」
「なぜです。悪い目標ではないでしょうに」
悪いどころか、むしろ日本の悲願である。
「
日本初の凱旋門賞ウマ娘が
「な、なんですか……それ」
コンサルは拳を握りしめていた。
気に食わない? 気に食わないって、なんだ。
「挑戦するのなら、誰だって応援されていいはずじゃないですか」
そもそも凱旋門賞の夢はサクラローレルとそのトレーナーのものであって、顔も知らない「気に食わない奴」のものではないだろうに。
憤るコンサルに対して、シリウスはプリプリするのは結構だがな、と続ける。
「いいか? 海外遠征っていうのは『面倒臭え』んだ。それをホントに、お前らは分かってんのかって話をしているんだよ」
「……」
これを。
この話を彼女たちに伝えたら、どんな顔をされるだろうか。
『なるほど! では
「…………言いそうだなぁ」
「? なにをだよ」
「いえ、こちらの話」
コンサルとしては、シリウスの懸念は大げさに過ぎるように感じている。
サクラローレルが二重国籍者とは言うが、多くの時間を日本で過ごし、日本語話者であり、日本のトレセンで教育を受けている彼女がフランス人だと感じる人間は少ないだろう。
「
ごもっとも。しかし、信じがたい話であった。
「ま、お前らは運がいい」
なにせこの私が国際レース課にいるからなとシリウスは笑う。
「足場くらいは用意してやるよ。『本物』なら、それで十分だろ?」
「ありがとうございます」
心からの感謝を述べるコンサル。シリウスは表情を変えずに続ける。
「お前が気にかけるほどのウマ娘だ。面白くなりそうじゃねえか」
その言葉に、少し表情を崩すことで返答とするコンサル。
買い被りすぎだと言っても、彼女は聞き入れてくれないことだろう。
「マル外」制度あるの?という質問はありそうなので少しだけ補足します。反転してあるのでご興味のあるヒトだけ見てね!
(以下反転)
現実の競馬における「マル外」の出走制限は、内国種牡馬の保護という側面がありました。そして内国種牡馬の保護政策は現代でも報奨金という形で残っております。
ただし、ウマ娘世界において「内国父」という概念は存在しません(ウマ”娘”しか居ないので)。これはそのまま競走馬の血統において最も重視されるサイアーライン(父の父を辿る血統)が存在しないことを意味します。
そこで本作では、マル外の出走制限についての解釈として日本の家長制度を曲解(←ここ重要)することにしています。ですのでここでシリウスが指摘した問題は、外国籍を保有することそのものようにではなく「『フランス人の父親』を持つウマ娘が活躍する」こと、ということになるわけです。
実際の競走馬でも日本の繁殖牝馬を種付け目的で輸出、年が明ける前に再輸入すれば生まれた仔馬はマル外にならない、という制度があります(サクラローレルはこれ)し、だいぶん恣意的な運用されてますよね、マル外。って話です。
(以上)
ちなみにネタバレにはなりますがマル外規制でサクラローレルが邪魔されるとかそういう展開はありません。
(だって国内より海外の壁の方が高いし)