一言に夏合宿といっても、メニューは様々である。
クッション性のある砂浜で走り込むのもよし、遠浅の海で泳ぐもよし。合わせ技で波打ち際を走ってもいい。
「トレセーン!」
「ファイオッ! ファイオッ! ファイオッ!」
もちろん。それは波打ち際をチャパチャパ走るなんて生易しいものではない。膝あたりまでが完全に浸かった状態での、高負荷で不安定な走行トレーニングだ。
単純なタイム、身体能力としての走力に挑むことの多い陸上競技とは異なり、レースにはあらゆるスキルが必要とされている。
とくに欧州のレース場は歴史的な経緯から自然にそのまま建設された場所が多く、少しでも雨が降れば足下は簡単に悪くなる。それこそ、脚がハマって抜けなくなるほどに。
「ピッチ遅くなってるぞローレルっ! もっと脚あげて!」
「はいッ!」
だからこそ、サクラローレルのトレーナーはこういったトレーニングを選んでいる。ちなみにこれは副次的な効果ではあるが、脚が常に浸かる状態でのトレーニングなら脚が熱を持ちにくい。
彼女の脚部不安を考えても、適切なトレーニングと言えるだろう。
「(合宿に限っていえば、サクラローレルについて不安は一切ない)」
凱旋門賞への夢と、堅い信頼で結ばれたトレーナーとウマ娘。高いパフォーマンスを挙げるための要素は揃っている。
そう判断したトレーナーは、手帳を取り出して他のウマ娘の予定を確認する。
「今週末の開催は、小倉と函館、そして福島か」
夏合宿に出ずに、もしくは途中合流をする予定でレース場に向かうウマ娘たち。彼女らのフォローが抜かりなく出来ているかとスケジュール共有サービスでチェック。
「あっ、コンサルさん。こんにちは」
例えば、ちょうど声をかけてきた競走ウマ娘がそう。
ライスシャワー。コンサルが支援する専属トレーナーの担当ウマ娘で、天皇賞(春)を連覇した現役最強の競走ウマ娘。
保険仲介こそ別の業者が担当しているが、去年ひと騒動になった「逆張りシンジケート」にて関わりのあるウマ娘である。
「こんにちは、ライスシャワーさん。身体の調子はどうですか?」
時間的にクールダウンの最中だろうか。ゆっくりと歩くようにしてやって来るライスシャワーに、コンサルは気遣うように声をかける。
「うん。だいぶね、調子もよくなってきたの。お姉様も、もう心配ないって」
「それはよかったです」
今年の天皇賞(春)は、まさに激闘であった。
なにせ去年の菊花賞ウマ娘であるビワハヤヒデが相手である。〈BNW〉と呼ばれたクラシックの同期たちと競り合い、その後の有馬記念ではかの〈帝王〉トウカイテイオーの走りを刻まれた。
そして彼女が併せ持つ生来の勤勉さでそれらの全てをモノにした彼女は、もはやシニアの中距離路線では敵ナシと言うべき存在……今回の天皇賞(春)は生粋の
それでも、ライスシャワーは消耗した。消耗させられた。
結局、大事を取って今年の宝塚記念は回避。夏の回復を見つつ秋のローテーションを検討していくことになっている。
他方、ビワハヤヒデはその宝塚記念をレコード勝ち。
それほどに強いウマ娘。それがビワハヤヒデであった。
「ライスね、もっと強くなりたいの」
「……」
コンサルの見つめる競走ウマ娘は、もはや去年の
心身ともに高みへと登った強者の姿。彼女が夢見た「ヒーロー」そのもの。
……そしてビワハヤヒデは、そんなライスシャワーの姿を学び取っている。
そう、強者は常に学習される。
サクラローレルがナリタブライアンに挑んだように。
ビワハヤヒデがライスシャワーに競りかけるように。
「ええ、頑張って下さい。応援しています」
夏が心を焦がす。
夢が、灼熱の太陽に炙られて、熱を帯びていく。
現役最強のライスシャワー、迫り来るビワハヤヒデ。
――――そして三冠を間もなく頂くナリタブライアンが、背後から不気味に大地を揺らす。
そんな甘美な光景が胸に去来したコンサルは、しかし小さく首を振って打ち消す。
「……ですが、無理は禁物ですよ。オーバーワークには気をつけて」
代わりというように、わかり切った釘を刺すコンサル。
それで止まれるなら、苦労はしないと知っていても。
夏合宿の熱も中盤戦。中休みということで実家に帰省するウマ娘もチラホラ出始める頃。
「コンサルさん、ありがとうございます」
「いえ、このくらいなら」
――――なぜかコンサルは、買い出しに付き合わされていた。
ことの発端はいつも通り、トウカイテイオーが「ねぇねぇコンサル~」と呼び出したことに始まる。なにか問題が起きたのかと出向いてみれば、振られたのは買い出しに出るための車を運転して欲しいとのこと。
ヒマでしょ?(ヒマという訳ではない)と言われてしまえば特に断る理由もなく、ましてトレーナー陣もそれなりに数が減る中休み期間となれば人手が足りないだろうと、承諾したのだが……。
「それより、あなたこそいいのですか? キタサンブラックさん」
「はい! それは大丈夫です。今日は休めって、トレーナーさんからも言われちゃいまして……」
アハハ、と困ったように頬を掻くのは、真く艶やかな鹿毛に白い流星が映えるウマ娘――――キタサンブラック。トウカイテイオーに憧れてトレセン学園に来たらしい。
「でも! 休んでるだけなんてウズウズしちゃいます! だからテイオーさんにアタシから頼んで、生徒会のお手伝いをさせてもらってるんです!」
「なるほど」
……それなら、もっとちゃんと休んだ方がいいのでは? とは、思わなくもない。
メイクデビューも済ませていないウマ娘が夏合宿に参加することは滅多にない。
理由は単純、学園と違い管理がどうしても行き届かない合宿所は危険だからである。やむを得ない理由がなければ未デビューウマ娘の参加は認められない。
そして今回のやむを得ない理由とは、彼女の所属するチーム〈スピカ〉の運営体制……サブトレーナーを持たないチーフトレーナー1人で運営する体制のために、夏合宿に全員を連れてこざるを得なかったというもの。
つまり、キタサンブラックはそもそもトレーニングをするために夏合宿に来ているわけではない。あくまでチームへの帯同。学園で行うのと同じメニューを、成長途上の身体に負荷にならない程度に行う前提での参加。
だからこそ、休みも他のメンバーより多く取らなければならないのだ。
「よーし、買い出しで皆さんをお助けしちゃいます! おー!」
……それで素直に休んでくれるなら苦労はしないか。
そう思いながらコンサルは買い出しの品目をキタサンブラックと一緒に積み上げていく。生徒会がとりまとめた買い出しリストは、なるほど車があっても運ぶの大変な量であった。
「ふ~。これでほとんど終わりましたね! えーと、あとは……」
ばんえいウマ娘向けかと勘違いしそうな巨大カートを2両ほど埋めて、買い出しリストの大半を埋めたキタサンブラック。恐らく最後であろう買い物メモをめくると、彼女はピタリと動きを止めてしまう。
「? どうかしましたか?」
「えーと……」
ちょっと困った様子でメモを見せてくる。そこには丸っこい文字――――おそらくトウカイテイオーのもの――――で「キタちゃんの好きなモノ!」と書かれている。
なるほど、そういうことか。
「ええっと、これっておつかいなんですかね??」
「というより、トウカイテイオーさんからの『ご褒美』じゃないですかね」
買い出しをしてくれたことへの感謝。
そしてもうひとつは、チームの手伝いをしてもらったことへの、贖罪。
それが悪いことだとは、決して思わない。目標への近道が同じトレーナーに師事することであるのは疑いようがないし、それに〈スピカ〉は良いチームだ。チームメンバー以外ならダートに埋めないし。
とはいえ、トウカイテイオー本人としては、
――――自分でない「誰か」を目指すというのは、それだけで重荷だ。
それは他でもないトウカイテイオーが、身に染みて感じていることだろう。
「おつかいの特権ですよ。余ったお金で好きなモノを買ってしまいましょう」
もちろんそんなことには触れず、折角なんだから好意に甘えるようキタサンブラックに促すコンサル。彼女はう~ん……と悩んでいたようだったが、やがて「よし、きめた!」とコンサルの方へと向き直る。
「私、みんなが喜ぶものを買いますね!」
「みんなが?」
「はい! だってアタシは、お助け大将ですから!」
初耳である。
「いえ、まあ。キタサンブラックさんがそれでいいなら」
「はい! あっ、でも……なにを買っていったらみんな喜んでくれるかなぁ」
確かにそれは問題である。
そもそも必要なモノはお使いリストに書いてある訳で、追加でトレーニングや合宿に関するモノを買っても仕方がないだろう。
となると、分かりやすく喜ばれそうなのはレクリエーションにも使える花火セットや水鉄砲……しかしそれは、既にトウカイテイオーたち生徒会が準備済みである。帰省もせずに頑張るウマ娘たちが根を詰めすぎないよう、レクリエーション大会を行うのだとか。
「(ん? そういえばテイオーは『キタちゃんには秘密だよ!』とか言ってたような……)」
つまり、キタサンブラックがレクリエーション系のグッズを買わないように誘導する必要があるということ。どうやらテイオーに仕事を押しつけられたようである。
生徒会長になるとヒトの使い方が上手くなるだなとコンサルは感心。
「いま、我慢しているものを買ったらいかがです?」
「ガマンしているもの?」
目を丸くするキタサンブラック。
合宿は集団生活、とにかく独りで気を休められる時がない――――基本的に学生寮に入寮することになるトレセン学園であっても、学園内ならなんだかんだとプライベート空間は存在する――――まして「今は合宿中だから」と気を引き締めていれば、なにかしら我慢しているということもあるだろう。
とはいえ、彼女はパッとは思いつかなかったらしい。頭に手を当てると、むむむと考え始めてしまう。
「うーん。ガマン、アタシのガマンしているもの……」
「いや、そんなに真面目に考えなくても」
別に我慢しているものがなければ、もちろんそれでいいのだが。
「あっ!」
「?」
「マックイーンさんがスイーツをガマンしてます!」
「ぷっ」
思わず笑ってしまったコンサル。自分の話ではないじゃないか。
しかもマックイーンがスイーツを我慢と。マックイーンと言えばメジロマックイーン。名家の生まれで節制も身につけているであろう彼女が、スイーツを我慢しているだなんて。
「えぇー! なんで笑うんですかぁ!?」
「いや、いやいや。はは、キタサンブラックさんもお菓子は好きですか?」
「はいっ、大好きです!」
笑みがこぼれてしまうのも仕方ないではないか。
彼女たちはこんなに純粋で、一生懸命に生きていて。そんな誰しもが持っているハズの輝きが――――今はこんなに、あまりにも眩しい。
「なら、スイーツを買うことにしましょうか」
「うーん、でもいいのかなぁ……」
「いいんですよ。おつかいリストにも書いてある訳ですし」
キタサンブラックは少し迷っている様子だったが、それでも子供らしい、素直な表情が言葉よりも雄弁に語っている。
「よぉーし、みんなの分も買っちゃうぞぉ~! アイスクリームに、ピーナッツ、キャンディー、それからえーと……」
ウキウキした様子でカートを押していくキタサンブラック。
ところが、それが良くなかった。
「のぉわっ?!」「にゃーん!?」
タイミング悪く曲がり角の向こうから出てきた小柄な影。それと鉢合わせてしまったのである。
「うわっ!?」
慌てて急停止するキタサンブラック。どうやら衝突は避けられたようだが、相手は驚いたために体勢を崩してしまう。
「あわわ、どうもすみませんでした……!」
「危険ッ! カートを扱うときは、周りに気を配ることだ!」「にゃーん!」
ビシッとキタサンブラックを叱る小柄なその人物。広いツバのある帽子の上に乗った猫も警告するような鳴き声をあげる。
とそれから、その人物は目を丸くして言った。
「むっ、その制服……キミはトレセン学園の生徒か?」
「え? はい、そうですけれど」
当たり前の話ではあるが、夏合宿は学園公式の行事である。従って、それに参加する生徒は原則として学生服を身につけている。キタサンブラックも多分に漏れず学生服を着用していた訳であるが……。
「懇願ッ! どうかこの私を助けてはくれないかッッ!?」
「え? ええ~!?」
「感謝ッ! 頑張るウマ娘たちのために『おいしいアイスクリーム』を買った所まではよかったのだが……――――」
失念ッ! 合宿所まで運ぶことがすっかり抜け落ちていた!
そんなことを堂々と言い放つのは、もちろん先ほど出会った人物である。
「いえ! お役に立てたようならなによりです! ……って言っても、今回はアタシ、なにもお助け出来てないですけれど」
少し困ったように、というか残念そうに言うキタサンブラック。
確かに荷物を運ぶだけなら彼女にもお助けする余地があったかもしれない。しかし今回は相手が悪かった。
「なにせ、この猛暑だからな! 自動車を運転するトレーナー君がいて助かった!」
はーはっはっはっ! と笑うその人物。実際、コンサルの運転する車がなければアイスクリームは運ぶ最中にドロドロになってしまったことだろう。
……と、その前に。一点訂正しておかないといけないことがある。
「失礼ながら、私はトレーナーではありませんよ」
「なにっ?! となるとキミは何奴だっ!?」
「馬喰です。『ともしび競走保険コンサルタント』に勤めております」
「むむっ! あの『ともしび』か……となると、キミがあの
少し有名になりすぎた感があるなと、コンサルは思った。
まあ、三冠シンジケートの仕掛け人にして、その対抗バである逆張りシンジケートまでやった人間である。やむを得まい。
「あ、そっか。そういえばコンサルさんはトレーナーさんではないんですよね」
そして今更な事実にちょっと意外そうな顔をするキタサンブラック。
「トレーナーバッジを付けていませんからね」
代わりにコンサルの首に掛かっているのは許可証である。あくまで部外者が内部に入るために、発行されたゲストID。
馬喰はあくまで部外者である。というか、そうあるべきなのだ。
いざとなれば恨まれ役になる。恨まれ役になることで、ウマ娘の脚と夢を守る――――それが、彼らの存在意義なのだから。
「む……」
コンサルの言葉を受けてアイスクリームの人物が何かを言いそうになったので、彼は「それにしても」と言葉を繋いだ。
「秋川家の方がわざわざお越しになるなんて、なにかあったのですか?」
そう、彼女の名前は「秋川」やよい。あの秋川家に連なる者である。
メジロにシンボリ、綺羅星のような名家で埋め尽くされたトゥインクル・シリーズであるが、その中でも秋川の名は知る人ぞ知る、というかレース界に深く沈んだら必ず突き当たる存在だ。
なにせ彼女の家は、トレセン学園の建設用地、その建設資金の調達に大いに貢献したことで知られている。最初は西日本と東日本で分割される予定だったトレセンを統合し、しかも東京のど真ん中に建設させる……それに絡むであろうトンデモない規模の利権を見事にさばききって見せたのだ。
そしてもちろん、その影響力は今日においても健在。日本のレース界が推し進める「強いウマ娘づくり」に関わり続けた……いわばレース界の
それが、秋川家なのである。
「慰問ッ! この暑いなかで努力を続ける、ウマ娘たちを労おうと思ってな!」「にゃおん!」
慰問、か。
そんな家に連なる彼女が、まさか。それだけの理由で顔を出すハズがあるまい。
これは一悶着ありそうだと、コンサルは密かに身構えることにしたのであった。
栗東・美浦という寮の名前があるってことは、多分なにかの由来があるんだと思います。そういった背景に想いを馳せると、楽しいですよね。
まあ栗東については国立レース場付属学園時代に行われていた阪神・京都校合同の夏合宿(琵琶湖エリアで開催)とその成果を披露するレース大会(現在の種目別競技大会)である「栗東祭」が由来で間違いなさそうですけれど