※タイトルはやりたかっただけです
隠れ家的と言ってしまうと語弊があるかもしれないが、そこは実際、人目にはつきにくい場所であった。
地図アプリにはとりあえず掲載されている程度。コメントもついていないし、写真も道路に面した入り口のそれだけ。
その写真よりもさらに寂れてみえる暖簾の向こう。気難しそうな旦那が仕切るカウンターに、木製の椅子がいくつか並んでいる。棚に整列するのはほとんど日本酒で、草書体で書かれた銘柄は壁に張り付いたみたいに溶け込んでいた。
そんな主張の少ない内装の中に、圧倒的な
「よう、悪いな呼び出して」
「いえ。問題ありませんよ」
だからこそ、ここに彼女がいるという事実に少し常識が揺らぎそうになる。
彼女、シリウスシンボリには――――こういった場所は似合わないように感じたから。ましてワイングラスの代わりにお猪口が置かれていれば、違和感を憶えるのも無理はないというもの。
「そうだろ? 実際私もこんなところが似合うとは思っちゃいねぇ……が、先方がここがいいって言うんでな」
そう言うと、彼女は店の大将にぱっと注文する。同じものを頼むのは、彼女が対等な話をしようという合図だった。
「秋川やよい氏に会いました」
「お。耳が早ええじゃねぇか」
ご存じだったんですねと返せば、私を誰だと思ってるんだと返される。
確かに、シンボリ家が知らないはずもないか。
「ちょうど現理事長の進退問題が浮かんでいたところでしたよね……次の理事長は、彼女で決まりということですか」
「あぁ。学内の理事長ダービーほどつまらねぇイベントはないからな。とっとと決めちまったってことらしい」
それでも秋川家が直接出張ってくるのはさしものシリウスも予想外だったらしく、しばらくは荒れるかもなと呟いた。
「最近、チームに所属しないトレーナーが増えてきてただろ? あれはどうやら、秋川家の差し金だったって話だ」
「……なんだか、穏やかじゃないですね」
トレセン学園は、形式としては文部省管轄外、労働省の運営する学校である。
そしてその役割は、国民的エンタテイメントであるトゥインクル・シリーズに出走するための競走ウマ娘を養成すること。
そして誰も口にはしないが、トゥインクル・シリーズにだって利権はある。
「ま。手懐けるんなら群れより野良犬だ。それに、弱い子犬ちゃんを助けることだって手段のひとつ。そうだろ?」
そしてそれを、学生時代から実践してきたのがシリウスシンボリというウマ娘であった。
ひとつ違いの同門シンボリルドルフの掲げた理念、そのあまりに理想主義的なやり方ではすくうことの出来ない生徒に手を伸ばす……その結果、彼女の下にはそういった「はみ出た」ウマ娘たちが集まった。
要するに彼女は、秋川やよい氏も同じことをしようとしていると考えているらしい。
「シリウスに直接言うのは憚られますが、アレは学生がやっていたから許されていたんです」
「言ってんじゃねぇか。……ま、お目こぼしもらってるのは分かってたよ」
もちろん、学生だからというだけではない。
彼女自身が、彼女に追随した愚連隊の面々が、レースで成果を挙げたからこそ許されていたのだ。アレが単なるはみ出し者たちの集まりだったら、許されてはいなかっただろう。
なんにせよ、と。シリウスは追憶を振り切るように頭を振る。
「これがちょっとした地殻変動になるのは疑いようがねぇ」
専属トレーナーは、大きなチームと比べれば様々な不利を受ける。だからこそコンサルはエンジェル
そして秋川やよい氏は、それを学園内でやろうとしている。学園の用地を用意できる秋川家のことだ。本気を出せば、逆張りシンジケートなんて目じゃない規模の仕掛けが組めるに違いない。
彼女は、レース界になにをもたらすのだろうか。
彼女に支援された専属トレーナーたちは、恐らく既存の〈チーム〉という枠に囚われない……良くも悪くも、その『枠』からはみ出た存在。それが伝統を打ち破り、新時代を築くというのは、なるほど分かりやすい筋書きではある。
しかし伝統とは、勝者であり続けたから「伝統になれた」のだ。
チーフトレーナーが中心となって競走ウマ娘とサブトレーナーを指導するという体制は、確かに個性が氾濫する現代にはそぐわないのかもしれない。
それでもその伝統が勝利し、正しさを証明し続けたからこそ、その体制は今日まで続いてきた。
「いや、違うか。それを崩してしまったんだな」
コンサルはぽつりと言葉を零す。
三冠シンジケートも、逆張りシンジケートも。間違っていたとは思わない。
しかし正しいと信じたことが、そのまま正解とは限らない。
「なにがだよ」
「悪い前例を作ってしまったのかもしれません」
シンジケートはカネがモノを言う。
いや、最初からそうではあったのだ。チームも、集団指導も、結局はカネ。トゥインクル・シリーズはエンタテイメントを提供する巨大産業なのだから、
しかし巧妙に隠された――――少なくとも露骨にはされていなかった――――それを、コンサルは暴いてしまったのかもしれない。専属トレーナーに集中的な投資を促すシンジケートが成功したことで、既存の〈チーム〉という枠に囚われる必要のないことを証明してしまったのかもしれない。
そしてその「前例」があるからこそ、秋川家は「乗り込む」ことを決めたのではないだろうか。
「あの『ちびっこ理事長』サマは、そこまで考えてねえよ」
アイスクリームの件だってそうだろ? とシリウスは言う。
まあ実際、合宿所に向かう途中でアイスクリームを見かけたから買っていこうとして、大量のアイスを運ぶ手段がなくて立ち往生なんて考えナシにも程があるかもしれないが……。
「カネを持ってる気分屋がなんとなくで投資するのはいつものことじゃねぇか。それをどう活かすのか、それが私らみたいなプロの仕事なんじゃねぇのか」
「成長しましたね、シリウス」
「なんでお前に言われなきゃなんねえんだよ」
「いや、それはそうですけれど……昔の
コンサルの言葉に、
「そうだな。変わっちまった、なにもかも」
あの頃にも滅多に見せなかった表情を一瞬だけしたシリウスは、ちらと腕時計に目をやる。
「お客が来る前にこっちの用件を片付けるぞ。海外遠征の件だが、とりあえずURA本部に反対する気配はない」
ここまではある意味予定調和。日本のレース界が掲げる「強いウマ娘づくり」とは、そのまま世界に通用する競走ウマ娘を育成すること。海外遠征を止める理由がない。
「で、問題はここから。今回の遠征を、URAは
「大々的?」
「そうだ。私らの頃は向こうとの調整まで全部やったもんだが、手続き的な所も支援するとのことだ」
これまで、海外遠征といえばシンボリ家であった。
スピードシンボリに始まる海外遠征。シリウスシンボリ、シンボリルドルフ……それらの遠征は、つねに実業家であるシンボリ家の財力と海外人脈に支えられてきた。
つまるところ、これまでの海外遠征はシンボリ家が自前の資金と責任で行うものであり、そもそもURAは特に反対も賛成もしていないのである。
「意外だろ? どうも労働省からのテコ入れがあったらしい」
「労働省が?」
首を傾げるコンサル。トレセン学園やURAに直接の影響力を行使できる労働省は、基本的にはそういった「挑戦」を避ける傾向にある。
もちろん、将来あるウマ娘たちを預かる立場である訳だから、その姿勢は歓迎されるべきものだとは思うが……しかしそれだと、海外遠征に乗り気になることの説明がつかない。
その疑問に答えるべく、シリウスはトゥインクル・シリーズに深く関わるもう一つの省庁の名前を挙げた。
「連中、この企画で通産省に対抗するつもりだ」
「……勘弁して下さい」
コンサルは頭を抱えた。
通商産業省――――――誰もが知る、日本経済の旗振り役。
「教育」としてのトレセン学園を運営するのが労働省ならば。
「興業」としてのトゥインクル・シリーズを管理するのが通産省である。
もちろん、通産省と労働省は役割の異なる組織。お互いが同程度URAに影響力を持つからといって、わざわざ競い合う必要はない――――いつも通りなら。
「仕方ないだろ? 久方ぶりに労働党の議員サマが労働大臣になったんだ。本家本丸で『成果』とやらを挙げたいんだろうよ」
「嫌ですよ。政治のためにウマ娘を利用するなんて」
当然の反応である。
コンサルが応援するのはウマ娘であって、選挙の票ほしさに政策を実行する政治家ではない。
嫌悪を隠さないコンサルに対して、私に言うなと苦虫を噛み潰したような顔で返すシリウス。
「トゥインクル・シリーズの運営は国のバックアップがなきゃ成り立たねぇ。スポンサーの意向が絡んでくるのは当然だろ?」
「……それは、そうかもしれませんが!」
ここで「どうせ黒字なんだから、国鉄や専売公社みたいに民営化すればいいのに」と言えたらどんなに楽だろうか。
しかし現実にはそうもいかない。トゥインクル・シリーズを民営化、つまり営利団体たる企業に運営させてみればどうなることだろう。想像したくもない。
「まあ聞け、政治以外にも理由はある。この間の四方山競走信託の廃業騒ぎは憶えてるだろ?」
もちろん憶えている。なにせ同業者の突然の廃業である。
それはつまり競走保険がある日突然「消える」ことを意味しており……世間ではあまり騒がなかったが、レース界が機能不全に陥りかねない大問題であった。
「アレを受けて、どうも競走保険にもメスが入るらしい……
格付け評価――――――それは芸能人が高額な商品の真贋を食べ比べや聞き比べによって判定するというバラエティ番組*1、ではなく……いや、その本質は殆ど同じ。
「ソイツは『本物』なのか?」という問いである。
「競走保険が不安定な商品なのは知っての通り。そして
このままじゃ業者が全滅すると踏んだんだろ。とシリウス。
競走保険は儲からない。
引受人側もリスクばかりが目立って引き受けたがらない。
そして競走保険を誰も引き受けなくなれば、競走ウマ娘保護規則は機能しなくなりレース界は崩壊する。
そんな未来を――――誰も否定することは、できない。
「だから格付け評価で競走保険市場の適正化を図る、言わんとすることは分かりますが」
「国際標準に合わせるって意味もある。海外を目指すんなら、どのみち避けては通れないだろ?」
海外では当たり前のように行われている競走ウマ娘に対する格付け評価。ポイント制で表されているそれは、海外では保険料算出の基準として利用される。
そしてコンサルも、国際水準の保険評価が必要なことはもちろん理解している。
「とはいえ、それはつまり。その国際水準の導入における通産省と労働省の主導権争い、その先鞭にサクラローレルさんの海外遠征が利用されるということです」
国際水準を導入するためには、どうしたってモデルケースが必要だ。
それに当たって、積極的に海外遠征を志向する競走ウマ娘は願ったり叶ったり。
「ま、いいじゃねぇか。利用してやろうぜ? 少なくとも、これでサクラローレルの二重国籍がどーのこーの言われる心配はなくなったわけだからな」
海外に通用する人材として、帰国子女や外国にルーツを持つ人物を活用する。なるほどこの言い回しであれば、国籍問題に敏感な人間も悪い意味では捉えないハズである。
「……なんにせよ。為替の問題もありますし、国際的なレーティングをそのまま国内に当てはめることは出来ませんよ」
「その通り。だからまずはそれを知ることから始めようじゃねえか」
不適に笑ったシリウス。
彼女には、シンボリ家には、URAには、通産省には、労働省には……いったい、どのような景色が見えているのか。
「そうですね。まずは知ることから」
世界を知らなければならない。
その仕組みを、現実を、理想を、善意を、そして悪意を。
そうでなければ、馬喰がその存在理由を果たすことは出来ないのだから。
「そら、お出ましだぞ」
シリウスの言葉と共に、暖簾をくぐって現れるスーツ姿の男。長身のコンサルと比べれば低いが、どっしりとした体つきが重厚感を与えることで、見劣りがない。
「コンバンワ!」
そしてなにより、鼻が高くて眼は薄い碧。ハキハキとしながらも独特のイントネーション。彼は外国人であった。
するりとカウンターについた彼は「ヘイタイショウ!」と注文を飛ばす。
「ハジメマシテですね! ワタクシ、こういう者でゴザイマス」
流れるように差し出される名刺。合わせるように名刺を取り出すコンサルの目に、ひときわ目立つよう書かれた中央の文字が留まる。
「
ご丁寧にふりがなが書いてあるあたり、当て字だろうか。珍走ウマ娘が羽織るジャケットとかによく書いてある「
「Yes! ワタシはアーロン・プライス。
どうやら茶目っ気の溢れる人物らしい。改めて差し出された名刺には、キチンと日本語と英語両方が記載されていた。コンサルも名刺入れを素早く裏返すと、英字で書かれた側を表に交換する。
「ともしび競走保険コンサルタントです。今日はご足労頂き、ありがとうございます」
「イエ! ワタシもあなたとは一度お話したかったですから。それにここの肴はゼッピンでしてね?」
目が笑っていない。
早くも本題に入らせてくれと言わんばかりの調子である。
「……私とお話ししたい、というのは。
「どちらもです」
つまり
「シリウス。有名人にはなるものじゃありませんね」
「そうか? だがそのお陰でお前は
ため息を吐いたコンサルに。さぞ楽しそうに嗤うシリウス。
そしてレーティングス・マッチ・ジャパン……世界的格付け会社の
「今日は『RKSTポイント』について、コンサルさんの忌憚なき意見を伺いたく」
これが、後に語られる「RKSTポイント」騒動の始まり。
要するに、まったくもって嫌気が差すような話に発展するワケであるが――――
――――こんな話がウマ娘たちに投げつけられないために、馬喰は存在するのである。
政治の話なんてしたくないですよね……って奴いる?!いねぇよなぁ!?(※普通にいます。だから反転する必要が、あったんですね)
ということで作品世界の政局についてざっくり触れます。
いわゆる「30年体制」にピリオドが打たれ、日本の政局は地殻変動の真っ只中にあります。
30年体制の政権与党である立憲友民党を下野させた新党ブームはそのまま非友民・非赤衛の連立政権を誕生させましたが、連合政権は国民の期待に反して短期間のうちに崩壊。その後に誕生したのが「水と油」といわれた労働党=立憲友民党による大連立。そこに先進党を加えた3党が現在の政権与党を担っています。
内閣総理大臣は労働党議員なので形式的には労働党政権ですが、実態としては議席や大臣数で立憲友民党の比重が大きい政権です。
ちなみにシリウスの言っていた「本家本丸」というのは、労働党が都市労働者向け政策を重視していることを示しています。本作世界の労働省は保護規則でウマ娘を守っていますが、それは国民的エンタテインメントを維持するためでもあります。