「――――なにか、ご懸念でも?」
はっとしたコンサルが顔を上げれば、視線の先には「ともしび」の代表。
口に出ていただろうか。
「顔を見ればわかります」
「ともしび」――――ともしび競走保険コンサルタントは、保険大手の第一海上損保グループに属する競走保険専門の保険会社である。
コンサルはそこに勤めており、代表は彼の上司にもあたる。
「いえ、すみません」
「構いません」
それより、言葉になさってはいかがですか。
「……」
2人は運命共同体である。お互いに多忙な身といえど、多忙を理由に
そういう訳で、2人は常日頃から朝食を共にしている。広い食卓の向こう側から、代表の瞳がまっすぐにコンサルを見据えていた。
「…………そう、ですね」
先日、シリウスの仲介もあって実現したレーティングス・マッチ・ジャパン……国際的な金融格付機関に勤める
そこで聞かされた「RKSTポイント」構想に対して、コンサルは良い感情を抱いているとはいえなかった。
「日本における競走保険は、前提として過去の実績に依っていマス」
出された日本酒に軽く口をつけて、それから彼は切り出す。
「ツマリ、これまでの勝利数と入着した回数。ありていに言いマスと『獲得賞金』をモトに保険料を算出しているワケです」
彼が最初に語るのは前提。獲得賞金を基準にする現行の保険システムは、実績のないウマ娘に格安で保険を提供するシステムである。
実際、この仕組みのおかげで条件戦なら学園が提供する集団保険のみの利用で出走も可能なわけで、オープン戦出走時に求められる高額な個別保険は条件戦で得た賞金を使って加入できる。理にかなったシステムといえるだろう。
「しかしナガラ、この方法にはいくつか弱点がアリマス」
ピンと指を立てる
もちろん、それは彼に指摘されるまでもなくレース界の皆が理解していること。
「ひとつに、この組みではオープンウマ娘の負担が大きくなってしまうコト。そしてもうひとつに……あなた方、保険業者の経営が厳しくなるコト」
実際、条件戦のウマ娘さんタチにも声をかけているのではありマセンカ?
「……」
これは馬喰の扱う個別引受型の競走保険が重賞などのオープンクラスレース出走時に求められるからであるが、それが条件戦のウマ娘に馬喰が関わらないことを意味するわけではない。
もちろん、条件戦クラスのレースに出走するのであれば学園が提供する集団引受の競走保険でも規則上は問題ない。
ただし、学園の集団保険はあくまで最小限の保険料で最低限の保障を提供するだけなので、個別引受の保険へ早々に乗り換えるウマ娘やチームもそれなりにいるのである。
それこそ、名家のウマ娘となればデビュー前から実家でさっさと引き受けてしまうだろうし、そちらの方が
そして馬喰にとっても、
それこそ……解約手続きの代行・支援であったとしても、である。
「まぁ、馬喰はウマ娘の夢と脚を守るためにいるわけですから。その程度の負担は当然のことでしょう」
「
他の方はどうでしょうか? そう目で問いかけてくる分析官。
答えが分かりきった問答をするほど不毛なことはないので、コンサルは続きを促す。
「大切なのは、適切な負担を適切な箇所にしていただくことです」
そしてそれがRKSTポイントで実現するのだと、彼は言うのである。
「彼の指摘するとおり。現行の競走保険の金融商品としての弱点は、無限責任が定められていることです」
労働省の競走ウマ娘保護規則では、競走ウマ娘の事故が発生した際に治療費や利益逸失を含むあらゆる損失を無制限に保証する必要がある。
そして無限責任に保険が対応する方法はひとつだけ――――想定される支払いより保険料を高く設定することである。
少し「たとえ話」をしよう。
レース事故が発生する可能性0.05%として、競走ウマ娘が20回レースを走るとする。
事故率0.05%とは1万回走ると5回事故が起きることを意味する。
低い確率ではあるが、レースを20回走って一度も事故が起きない可能性は約99%*1……つまり低い事故率であっても繰り返しレースに出走することで、全体を通した事故率は1%になってしまうのである。
つまりこのたとえ話の場合、100人に1人のウマ娘が現役中に事故を起こすことになり――――裏を返せば、1人のウマ娘の事故を「支える」ためには100人分の保険料を使うことが出来る。
よって、保険料は治療費の100分の1以上であればよい。
以上が、現行の競走保険制度における保険料決定の「たとえ話」。
現在の競走保険は『リスク』を前提とした商品設計となっているわけである。
「これにたいして、RKSTポイントは将来の活躍を見越した評価となります」
格付け機関の分析官が語るところによれば、RKSTポイントは将来の活躍から怪我などで発生するリスク評価を差し引いた数値だという。
つまり、レースで発生した損失は競走ウマ娘の活動により「補填」できるという考えに基づき、リスクとリターンを同時に評価するのだという。
ちなみに同様のシステムを運用する海外では、保険引受の担保として競走ウマ娘本人が獲得した賞金は引退まで引き出せなくなってしまうが……現役中に賞金を引き出すウマ娘は基本的にいないので、それは大きな問題にはなっていないようである。
しかし、コンサルの顔は決して明るくはなかった。
「とはいえ……これは擬似的な先物取引のようなものです」
先物取引。
それは、原油や小麦などの取引市場で用いられる「権利」の売買である。
「先物」――――――それはまだ産出・収穫されていない……生産される予定である
その「先物」の「所有権」を買い取るという制度が先物取引である。商品の前払い、と言い換えても良いだろう。
この制度を用れば、生産者は「生産物が完成する前」に資金を受け取ることができる。この資金で生産者は従業員の給与支払いや設備投資を行うことができ、生育に長い時間のかかる農作物や、巨額の開発コストがかかる原油を安心して生産することが出来る。これも投資の一形態といえるだろう。
そしてここからが肝心。
生産者に前払いをすることで投資家は「先物」の所有権を得るわけだが……これを投資家は売ることができるのだ。
傍目から見れば実物ではなく「権利」を売り買いするという奇妙な構図であるが……そもそも当たり前の話として、投資家は金を出すだけで小麦や石油を使うわけではない。
投資家の目的はあくまで「売る」こと。彼らが売った所有権をメーカーが買い取り、買い取った所有権を使ってメーカーが原材料を得ると考えれば話は単純。
要するに、メーカーは投資家を通じて来年以降の
本来ならば、原材料の生産者とメーカーの取引は成立しない。
なぜなら彼らはお互いに生産者であり、モノを売ることで資金を得る。従ってモノが完成していない状態では資金を得ることが出来ず、よって原材料を買うことも出来ないからだ。
しかし先物取引を用いることで、間接的に来年の原材料を買うことが出来る。
原材料が確保できれば生産計画が立てやすくなり、安定した商品の生産が実現する。
安定した商品が世の中に出回ることで、品薄や値崩れのない安定した市場が成立する。
このようにして、先物取引は安定した経済活動に大きく寄与しているというワケである。
…………まぁ、もっとも。
この仕組みを競走ウマ娘という「非生産者」に当てはめれば、先物取引の空虚さが目立つ。
「要するに、RKSTポイントとは競走ウマ娘の評価額です」
そもそもの仕組みからしてそうだ。
リスクをリターンで打ち消す。コンセプトはいい。
しかし「リスク」とは治療費をはじめとする
要するにRKSTポイントとは「その競走ウマ娘が生涯の競走活動によって得られるであろう収入」の評価。
表向きはポイントという呼称が用いられるが、なんらかの係数を掛けることで通貨への換算が可能な指標となることは間違いない。
「四方山競走信託の倒産に強い危機感を感じているのは分かります。しかし……いくら海外で通用しているからと言って、日本でもそれが通じるとは思えません」
通産省も、他の馬喰たちも慌てているのだろう。制度には「急ごしらえ感」もにじむ。
なにせRKSTポイントの「RKST」とは、今回の企画に参加した4社の格付機関――――R(レーティングス・マッチ・ジャパン)・K(日本格付信用研究社)・S(日本スターティング&ランディング)・T(投資情報センター)――――の頭文字を並べただけなのだから。
もちろん名前と同様に運用も4社の横並び。それぞれの分析官、レース専門の評論家などの意見を総合してポイントを算出するというが……果たしてどこまで正確な予測ができるものやら。
「ですが……」
そこで一度言葉を濁すコンサル。
そう、海外での運用実績があるように、これは決して悪いシステムではない。
むしろ競走ウマ娘の視点から見れば、単純に保険料が低下し無限責任の保証もそのままと制度としては改善されている。
それに、問題点があるならそれを洗い出せばいいだけのこと。ひとまずモデルケースとして誰か……それこそ、海外遠征を希望するウマ娘で試験運用すればいいのである。
ゆえにコンサルの悪感情は、ある種の不信感からくるものであった。
「……私は、懸念していると。代表は仰いました」
その懸念を拭うことは、非常に難しい。
「この件が労働省と通産省の……政争の道具にされていると思うと、果たしてこれで正しいのか。と」
経済活動は、基本的に国家の枠内で行われる。主たる経済指標に
どうしても、どうやっても。政治から逃れることは出来ない。
「代表は、どう思われますか」
コンサルの話を、時折カトラリーを動かしながら聞いていた代表。静かにナプキンで口を拭い、その小さな口を開く。
「悪い話ではないかと」
コンサルは代表の次の言葉を待った。
「保険料が格上挑戦の大きな障害となることは、貴方も重々承知のはず」
であるならば、貴方の懸念はレース政策が官僚や政治家によって取り仕切られていることになります。
その指摘は実際その通りである。そして政策を官僚や政治家が実行するのは当たり前。理屈では、コンサルだって分かっている。
「……機会を設けます」
「機会?」
オウム返しをするコンサルに、代表は頷く。
「RKSTポイントと同様の制度が運用される欧州において、レースがどのような存在であるのか。そして」
彼の地では、いかようにしてレースと社会が交わっているのか。
「どうしてこうなった」
東京都は大田区。目の前には東京湾。
東京国際空港――――羽田空港は、日本最大級の空港であると同時に東京の玄関口。
タクシーを降りたコンサルの目の前に鎮座しているのは、その第3ターミナルの入り口……ではない。
――――――ビジネスジェット専用ゲート。
機会を設ける。とは聞いていた。
こういう場合の「機会」が勉強……ことさら今回のような場合においては短期留学のようなことになるのであろうと言うことも予想はついていた。
「よう」
「……シリウス、あなたの差し金ですか」
呆然としていたコンサルに、いつの間にかハイヤーでやって来たシリウスシンボリが声を掛ける。力ないコンサルの問いかけには、まさかと嗤う。
「私ならこんなやり方はしねえな。だが学園にはヤツの『直系』がいるだろ?」
そう言いながら、くいとゲートの方に視線をやるシリウス。そこから現れたのは正装の……といっても学生の正装は学生服なので、いつも通りの格好をした「彼女」。
「お待ちしておりました。シリウスシンボリ国際レース課課長殿」
それでも、その学生服に纏う雰囲気は普段とは全く異なるそれ。
トレーニング中にはポニーテール纏められている髪を解けば、腰まで届きそうにフワリと拡がる鹿毛。白い流星には気品が漂い、一歩一歩の脚の踏みだし、お辞儀に至る全ての所作に魂がこもる。
「……チッ、やめろテイオー。気持ちわりい」
「おや? カチョー殿? ご気分が優れないようですが、どうかされましたかぁ~?」
あからさまに嫌そうな顔をするシリウスに、姿勢を崩さず表情だけをニヤニヤさせる
とりあえずこの妙な膠着状態が続いても困るので、コンサルはさっさと話を進めることにした。
「トウカイテイオー会長。今回は随行員のご推薦、ありがとうございます」
「いーよいーよっ! だってカイチョーはウマ娘の夢を叶えるのを応援するモノでしょ?」
コンサルは今凱旋門賞を目指してるんだもんね! と続ける彼女。
「いえ、私が目指しているというと語弊があるというか……」
「あっ、きたきた! おーいっ、こっちこっち!」
コンサルの台詞を遮って、ブンブンと手を振るテイオー。
先ほどまでの雰囲気をまるごと振り払った彼女の視線の向こうには、キャリーケースをガラガラと押すウマ娘とトレーナー。
「すみません、遅れちゃいましたか?」
「ぜんぜん大丈夫だよっ。荷物はそれだけ?」
そう、サクラローレルとその担当トレーナーである。コンサルが今回の随行員として会長に推薦してもらったのが彼女たちなのである。
「というわけで、今からローレルは生徒会庶務*2ね!」
「はーい、わかりましたっ」
とても形式的で簡素な任命が終わる。テイオーはゲートの方を振り返ると、そちらに向かって声をかけた。
「エアグルーヴ~! 悪いんだけれど、荷物持って行ってもらっていい~?」
「了解です。会長」
なんと奇妙な巡り合わせというべきか、テイオーが声を掛けたのは合宿所で出会った生徒会のウマ娘であった。相変わらず硬い様子の彼女は、ぎこちない様子でキャリーケースを受け取ろうとする。
「ああ、いいよ。僕がやるから」
「ですが」
「こういうのは
それを遮ったのはローレルのトレーナーである。
「……では、ご案内します。こちらです」
「わぁ♪ さすがトレーナーさん、頼りになりますね!」
楽しげなローレルにしれっと腕を絡められて、2つのキャリーケースをそのまま押していくトレーナー。
じっと彼の顔に視線を注ぐローレルの表情は……いや、もはや何も言うまい。
「うーん。やっぱりボク、怖がられてるのかなぁ?」
そしてエアグルーヴの背中を見つめながら、少し困ったように首を傾げるトウカイテイオー。そんな彼女に疑問を呈したのはシリウスだった。
「おいテイオー、なんで
シリウスの指摘はもっともである。学園生徒会による欧州表敬訪問。国際交流を目的としたそれは、不定期とはいえ幾度か行われてきた正式なイベントであり……人選も適当ではいけない。
「家格も十分だし、語学も堪能だからだよ」
あっさりと、塩の抜けた海水みたいな回答。
本心じゃないですよと示すような口調に理由を探して……やはり、後継者問題だろうかとコンサルは当たりをつけた。あとは一応、他に候補が居ないという事情もあるだろう。
夏合宿が終わり、秋のG1シリーズは既に始まっている。ローレルのように事実上秋シーズンの回避を決めているならともかく、現役のウマ娘は今のタイミングでの表敬訪問には参加しにくい。
かといって
「そうかよ。ま、深いことは聞かねえでやる」
シリウスはそれだけ言うとエアグルーヴたちの後を追ってゲートの中へ。専用ゲートには保安検査場や出入国審査の場も備えてあるので、あとは待合室で飛行機が来るのを待つだけである。
そして残されたのは、トウカイテイオーとコンサルだけ。
おそらく、彼女はなにかを言いかけていたのだろう。そうでなければこうして場を――――エアグルーヴにローレル達を送らせ、
それでも、彼女はあえて何も言わなかった。
「(いや。ならば、何も言うまい)」
事実上競走生活を引退しているトウカイテイオーに、馬喰が出来ることはもうないのである。
「……ちなみに、まだ誰か待っているのですか?」
水を向けたコンサルに、もっちろんと生徒会長はニッコリ笑顔。
「ちゃんとコンサルも感謝してよね~? なんてったって、これから来るのは『超☆セレブ』なんだから!」
「超セレブに、感謝……?」
訳が分からない。が、その意味をコンサルはすぐに理解することになる。
そう、最初は黒塗りの
しかしどうだろう。その胴体の――――――長いこと長いこと。
「リムジン……!?」
ビジネスジェット専用ゲートの車乗りに突如現れた胴長のリムジン・カー。
確かにビジネスジェットを使うような
そもそも最初に立ち返るべきなのだ。代表から与えられた「機会」はあくまで欧州で勉強してこいというもの。断じてビジネスジェットに乗るようなものではなかったハズ。
なのに気付けば国際便ではなく
そしてリムジンが、止まる。
「……」
身構えるコンサル。開く扉……そして現れる、メイド。
「メイドさんだ……」
メイドさんが会釈。あ、どうもとコンサルも会釈。
そしてメイドさんがリムジンカーの扉脇に控えると、静かに扉を開いてゆく。
そしてサングラスを掛けた「超☆セレブ」が現れる。
それに手を引かれて、借りてきた猫みたいになっている謎の人物も。
「さぁさぁ! つきましたよ、トレーナーさん!」
「え、え……?」
なびく鹿毛に大きな
「さ、サトノ家の至宝……!」
「はい、サトノダイヤモンドです♪」
「ヤッホーサトちゃん! 今回は飛行機貸してくれてありがとね!」
「いえいえ! ロンシャンレース場を直に見れると聞いたら、居ても立ってもいられませんでした!」
「え、え、え…………?」
仲よさげに会話するテイオーとサトノダイヤモンド。後ろの謎の人物――――トレーナーバッジはつけているので、十中八九トレーナーであろう――――は、いまだ状況が飲み込めていない様子。
そう。今回使用するビジネスジェット機とは、なにを隠そうサトノ家のビジネスジェット。新興
「うふふ。とっても楽しみですね! あ、でもテイオーさんは一応お仕事なんでしたっけ?」
「まーねっ。でも行くからには楽しんじゃうもんね! マックイーンやキタちゃんも来られれば良かったのになぁ……」
そしてさらりと流し、さもちょっとした遠足に行くかのように話す
「よーし、じゃあみんな揃ったことだし……いこっか!」
「はい、参りましょう!」
――――――