そのため、時空が歪んだり成績が史実と異なる場合がございます。ご容赦ください。
拒否する権利
日本ウマ娘トレーニングセンター学園。
トレセン学園と呼ばれるそこは、栄光の舞台トゥインクル・シリーズにて輝く一等星たちが集まる場所である。
生徒数は数千人。東京ドームが何個も入る広大な敷地で、彼女たちは常にしのぎを削っている。
「はい。チーム〈カノープス〉のナイスネイチャさんの証書写し、確かに受け取りました」
そしてトレセン学園は、研鑽の場であると同時に彼女たちを守る「ゆりかご」でもある。オープンウマ娘が契約することを義務付けられている競走保険の証明書を受け取るのは、学園理事長の秘書である駿川たづなであった。
「よろしくおねがいします」
そして頭を下げるのは、オープンに昇格したナイスネイチャに保険引受人を紹介した「ともしび競走保険コンサルタント」の保険コンサルである。
競走ウマ娘の保険は特殊で、無限責任であることが定められている。つまり競走ウマ娘が怪我をした場合はあらゆる手段を尽くして救済を行わねばならない。
ハッキリ言って、保険引受はリスクだ。
夢を追い求めるウマ娘と、それを応援する引受人。
構図こそ美しいが、ひとたび事故が起きれば両方が不幸になる。
だからこそ、両者の間に挟まる「
「結局、ナイスネイチャさんの引受人は地元の皆さんによる組合引受けになったんですね……」
「コンサルとしては、あまり身内での引受けはお勧めしていないのですが。向こうがどうしてもと言いまして」
ナイスネイチャは、きっと地元の星だったのだろう。願わくば競走人生を全うするその時まで、地元の星で居続けて欲しいものである。
それは栄光を掴むより、ずっと大切なことだ。
「再保険の手続きはしてありますので、大丈夫だとは思うんですがね……」
「あら。お優しいんですね?」
「揶揄わないでください」
保険コンサルは手を振って、頭を振る。
「保険に対する保険、いわゆる『再保険』は保険屋が儲けるための常套手段みたいなもんです。私たちのような馬喰は……」
「でも、大切なことです」
保険コンサルの声を遮るように、駿川たづなは言う。
「ひとつの不幸を皆で支える。それはとても、大切なことですよ」
有無を言わさぬ調子でそう言うと、打って変わった調子で「そうでした!」と彼女は両の手を叩いた。
「『ともしび』さんに、ぜひ。お願いしたいことがありまして……」
こちらの様子を伺うような声の調子。難しいようなら大丈夫? それ絶対大丈夫じゃない奴ですよね?
要するにアレである。ちょっと大変な案件が飛び込んでくる前の
「引受拒否?」
困った顔で差し出された書類。
「はい、競走保険の引受を拒否されてしまいまして……」
「事故があったワケではないのですよね?」
「ええ。調査員の方が来られて、その翌日には引受られないとの連絡が」
書類に書かれているのは詳細を伏せられたウマ娘の基礎情報であった。
「ふむ、ミホノブルボン。現在はジュニア級ですか……ということは、近いうちに格上挑戦を視野に入れているという認識でよろしいですか?」
残酷ではあるが、学園に所属するウマ娘にも才能の差はある。デビュー直後や未デビューであっても「こいつは間違いなく上にいく」と感じられる脚を持つウマ娘は多い。
そんなウマ娘が行うのが格上挑戦。例えばデビュー戦後にいきなり重賞に挑戦したりと、
「
「分かりました。なるべく早く引受人を見つけましょう。具体的な期日はありますか?」
「ミホノブルボンさんは、今年の年末に開催されるG1『ホープフルステークス』への出走を希望しています」
「な、なるほど……」
格上挑戦、どころかいきなりG1と来たか。
デビュー戦の次がG1だなんて、そんなことできただろうかと保険コンサルは内心で首を傾げるが、出走登録業務なども担当している駿川たづな氏が言うのだから、登録すること自体はできるのだろう。たぶん。
†
「さてと、ミホノブルボンのチームは……」
保険コンサルは記憶を元にチーム部室が集中しているエリアへと向かう。首からかけた「
そして、目の前にそびえ立つ黒い影が現れる。
それは巨大なタイヤ。
「……」
露天掘りの鉱山とかで使われる超巨大ダンプ向けの、直径十数メートルの巨大タイヤである。下手な一軒家より大きい。
それがゆっくりと、動いている。
「…………」
そしてその前に、栗毛のウマ娘がひとり。
「……君がミホノブルボンさん、ですか?」
「肯定。私はミホノブルボン。名札より
なるほど。
なぜ保険の引受が拒否されたのか、とりあえず理由だけは分かった。
「お茶をお持ちします」
「いや、お構いなく」
「メソッド【社交辞令】を確認――――……コーヒーと紅茶、どちらがよろしいですか?」
「…………では紅茶を」
部室に通され、応接用というよりは普段使いな雰囲気のあるソファに座らされる。
お茶については……本当に大丈夫だったのだが、期待の眼差しを断るのも気が引けて頼んでしまった。無表情ながらもソワソワしながら準備をするミホノブルボンを見守る。
電気ケトルのスイッチをやけに長い棒で押し、跳ねた髪の毛をぴょこぴょことテンポ良く動かしながら、彼女はやはり無表情のまま口を開いた。
「本日、来客があるとマスターから聞いておりました。ですので、オペレーション【おもてなし】を実行します」
そうこう言うウチに、電子ケトルが湯気を吹いて止まる。
「……どうぞ」
パックを引っこ抜いたばかりの紅茶と、お茶請けらしき菓子類を出すミホノブルボン。ちなみにお菓子のメーカーは全て北日○食品工業*1で統一されていた。
……ひょっとしてギャグでやっているのか? いや、ここはスルーが賢明か。
「マスターはすぐに戻ります。少々お待ちください」
それにしても、トレーナーを
……これはもしかすると。
引受拒否に、調査員の勝手な憶測も含まれていそうである。
例えば――――対象のウマ娘はコミュニケーション能力が欠如しており、意思疎通の失敗による
コンサルは内心でため息。調査員に文句のひとつも言いたいところであるが……競走保険という「義務付けられているが儲からない仕事」というのは、残念ながら優秀な人材は集まりにくいものだ。
まして相マ眼*2があるならトレーナーになるのだから、ウマ娘を理解している調査員など殆どいないのが実情である。
「ではこれで。失礼します」
「ああ、ちょっと待ってください」
明らかにトレーニングに戻りそうな雰囲気になった彼女を呼び止める。
「今日は黒沼トレーナーではなくて、君に会いに来たのですよ」
「そうなのですか?」
首を傾げるミホノブルボン。彼女に名刺を差し出す。
「なにせ走るのはトレーナーではなく、君自身ですから」
「理解しました。では、
直立の姿勢を取るミホノブルボン。とりあえず座らせてあげて、それから
ひとまず問題は把握しているが、ここからはその問題の解像度を上げねばならない。
「さっきのトレーニングは、いつもやっているものですか?」
「肯定します」
「他には、どのようなトレーニングを?」
白紙の手帳に内容を書き取っていく。トレーニングの大まかな内容、セット数、インターバルの有無と時間。休養日の過ごし方についてトレーナーから指示はあるか……。
ミホノブルボンというウマ娘は数字が好きらしく、トレーニングの内容を事細かに答えていく。少し素直すぎるきらいがありそうだ。コンサルとして秘密は守るが、記者やライバルに聞かれたらマズいだろうに……とはいえ、応対は極めて良好。曖昧な質問を混ぜれば意図をしっかり聞き返してくるあたり、コミュニケーションに難があるということはなさそうだ。
そんなことを考えながら、コンサルの聞き取りはつつがなく終わった。
「ありがとう。それじゃあ最後に聞きたいのですが……」
そんな彼女の目標レースは、ホープフルS。
ジュニア級G1……ジュニア期としては最長距離G1となる芝2000m。
まだ身体が完成しきっていない若駒たちであれば、マイル1600mの朝日FSを目標と定めることが多いのだが……。
「君の、目標はなんですか?」
「回答します。私の目標は――――クラシック三冠」
やはりか。
ホープフルSは中山2000m。クラシック三冠のひとつめ、皐月賞と同条件で開催される。
これは当たり前の話だが、クラシック三冠――――皐月賞に日本ダービー、菊花賞の全制覇を狙うとなればそれらをひとつも落とすことはできない。
その中でも皐月賞は意味が異なる。ここで負ければ、三冠という夢物語の入り口に立つこともなく終わってしまうのだから。
ゆえにG1という大舞台で「ならし運転」を行いたいと考える陣営は多く、ならばと皐月賞と同条件のG1を選ぶ。
理にかなった選択といえるだろう。
「では、その目標のためにトレーニングを?」
「肯定。私は生まれつき
……オーバーワーク気味な自覚はあるわけか。
これはなかなか厄介な話になってきたとコンサルが手帳を閉じると、ガチャリと音を立てて部室の扉が開いた。
「すまない。遅れてしまった」
黒沼トレーナー。筋肉モリモリ、マッチョマン。それを見せつけるかのように上半身は素肌にジャケット羽織るだけという奇抜な見た目のトレーナー。そろそろ冬だが、寒くないのだろうか。
しかし寒さを微塵も感じさせない――――もしくは感じさせないように――――サングラスをかけた彼は、ミホノブルボン担当トレーナーである。
彼は保険コンサルを一瞥。会釈で応じて名刺を取り出す。
「はじめまして。わたくし、こういうものです」
「……知っている。用件を頼む」
そう言いながら黒沼は差し出された名刺を受け取り、ミホノブルボンの隣に座った。
「トレーナーも来たことですし、一度認識を共有しておきましょう」
まず目標はクラシック三冠ということでしたが――――コンサルはカップに少し口をつける。
この話をするには、互いに心の準備が必要だろう。
「まず前提として、
なにせ既に「リスク有り」と判断されているのである。
好んで引き受けるお人好しは……少なくとも
「となれば方法は3つです」
――――ひとつ、通常よりも多くの保険料を支払う。
「これは競走保険をよりハイリスクな商品として扱う手法です。証券などの有限責任、つまりお金を出した分だけしか損しない商品ですと多少のリスクが高くても売れますが……」
競走保険は無限責任。何かが起こればスーツのボタンを売ってでもウマ娘を救済しなければならないことを意味している。
「従って、相当高い保険料を積まなければ引き受けてくれるヒトはいません。つまり、怪我をしなくとも競走成績が振るわなければ赤字となります」
――――ふたつ、親族や親しい友人に引き受けてもらう。
「私はこれをお勧めしていません。そもそも競走保険が義務化されたのは、怪我した競走ウマ娘の治療費を払えず破産した家庭が多かったからですから」
そして理事長秘書経由で話が来ている時点で、彼女の周りに引受資格を持っている親族や友人はいないと思われる。
そもそも競走保険を引き受けるには十分な資産*3を保有していないといけないのだから、実家が資産家などでなければ身内での保険引受は不可能だ。
――――そして、みっつ。
それは、引受人と『約束』をすること。
「ミホノブルボンさんの競走保険が『安全』であることを約束すれば、引受人が現れるかもしれません。ですので……」
――――クラシック三冠という目標を
「そういった
「ない」
ミホノブルボンが口を開くより早く、黒沼トレーナーが断言。やはりか。
「ミホノブルボンさん」
じっと目の前の競走ウマ娘を見つめる。揺らぐことのない瞳が、こちらを見つめ返してくる。
「あなた、デビュー直前にトレーナーを変えていますね。前任のトレーナーも中長距離での実績はありましたし、こちらで三冠を狙うことも出来たはずです」
もちろん、そうしなかったのには理由があるのだろう。あの練習風景と、書類に書かれていた前任者の名前を見れば分かる。
ウマ娘の素質を「活かす」ことを考えるタイプのトレーナーである彼ならば……巨大タイヤを曳かせるようなトレーニングは
「はい。前任のマスターは、クラシック三冠を
「だから引き取った。ブルボンにクラシック三冠を取らせる、これが俺たちの契約だ」
そして黒沼トレーナーは、ウマ娘の能力を「伸ばす」タイプ。
「彼女の『素質』は短距離路線に向いていた。しかしそれは、
「マスターは私に、三冠達成のためのロードマップを示してくれました。私はそれを実行することで、クラシック三冠を達成します」
黒沼の言葉を、ミホノブルボンが強い言葉で肯定する。
意思は堅く。能力も決して悪くない。
トレーニング内容をこと細かに覚えているなど、どこか危うさすら覚える
ここに黒沼トレーナーの手腕が加われば……なるほど三冠ももしや、と思わせるだけの余地がある。
しかし……。いや、ここでする話ではないか。
「なるほど。分かりました」
コンサルは鷹揚に頷く。
「ホープフルSまでは時間がありませんが、なんとか引受人をさがしてみましょう」
今回は黒沼Tが担当なので関係ないですが、アプリのブルボントレって「助言だけ、指導はしない」って言いながらズルズル契約まで行っちゃった典型的な「手綱の引けない」トレーナーって感じがしますよね。でもブルボンの三冠への意思がとにかく強いからなぁ……。