「あれ? パドックはもうおしまいなんですね」
想像よりパドックアピールの割当時間が短いことに驚いたのだろう。サトノダイヤモンドはあっさりと本バ場に向かっていくウマ娘たちを見てそう漏らす。
そうだよ~と返したのはトウカイテイオーだ。
「なんなら基本動作*1もないからね」
「G1レースでもこんな感じなんですね……」
欧州における近代ウマ娘レース文化は
もちろん、レースの大衆化・娯楽化は欧州でも進んでおり、パドックアピール自体は設けられているが……それでも、日本のように出走ウマ娘全員を紹介できるほどの時間は取られていないのである。
「むしろパドックアピールがウマ娘の負担になるという向きもあるからな。どっちがいいかは分からないところだ」
ポツリと漏らしたシリウスシンボリ、
多くの競走ウマ娘にとって、レース本番とは積み上げてきた全てを差し出す場所である。ここにおける「全て」とは、努力であり、そして血統により紡がれた才能である。
それは一族を背負うモノにとっては歴史であり、地元や家族、仲間達の期待を背負うモノにとっては思い出であり……そして、国際レースにおいて各国の選手が背負うモノは、国家である。
逆に言えば、パドックアピールはそういった期待の裏返しを直に浴びる場所でもある。
誰かを応援するというのは、誰かに負けて欲しいと願うことなのだから。
「ジャパンカップも、いずれは各国のウマ娘がその威信をかけて集う場所にしたいものです!」
「……」
息巻くのは労働省の参事官。シリウスの表情は……まぁ、そんなところだろう。
「とはいえ参事官。そのために我々は、近々大きな選択を迫られることになりますよ」
URAと労働省の
「欧州のレース場は、基本的に自然の中に作られたものです。コースの起伏やカーブは自然の産物であり、場合によっては周回コースにならず一本道になっているレース場も存在します」
一方、日本のレース場はどうだろうか。大規模な土木工事技術が広く普及した近現代に入ってから大きく発展したトゥインクル・シリーズ。中山の直線や淀の坂、新潟の長い直線など特色的なコースこそあるが、その大半は良くも悪くも「用意された」ものである。事実、定期的にコースには改修が入り、安全な、もしくはよりスリリングなレースを演出するための手が加えられている。
「分かりやすいのは芝の整備でしょう。我が国では芝の保護のためにコースを一部変更したりもしますからね」
つまり今後求められる「大きな決断」とは、レース整備に対する考えも海外水準に合わせていくのか? という決断である。
なにせ、日本と海外ではレースに対する考え方が根っこの所から異なる。
厳しい自然に晒されてこその強者。強者を決めるための欧州レースとは異なり、日本におけるレースは歴史を辿れば神事である。それこそ、国際グレードにあわせる中央はともかく、地方においては未だに競走者の単独原因によるカンパイ*2が認められているくらいだ。
つまり日本のレースに求められるのは
そう。これをエアグルーヴと王女殿下の決闘に当てはめると分かりやすいだろう。王女殿下は12ハロンの最後で敗れたことに負けを認めたわけであるが、これをエアグルーヴは「正しい手段ではなかった」と敗北宣言をしている。実際、行っていたのは4ハロン勝負であるワケだからエアグルーヴの感性は正しい……ように感じる。
では。これがもしも命を懸けた
最初の二回をエアグルーヴは出血しつつも耐え抜き、最後の一刺しで相手を下したことになる。
これを日本では「肉を切らせて骨を断つ」という。この場合、斃れて二度と起き上がらないのが骨を断たれたほうであることは自明の理。
――――なるほど、こんな「死合」を
「なぁ参事官サマよ。
パドックアピールが終わり、誰も居なくなったパドック。
「『ウマ娘の健全な育成と社会福祉の増進のため――――
「トレセン学園の運営理念を諳んじろとは誰も言ってねぇ。国際競走に通用するウマ娘を育てたところで、労働省にはなんのメリットもねえだろって話をしてるんだよ。私は」
その言葉に、参事官は小さく息を吐く。それからシリウスを流し見る眼には、これまで彼の見せてきた失態を感じさせない冷たさがあった。*3
「耐え抜くためです」
「耐え抜くって、なににだよ」
「門戸開放にです」
分からねえなとシリウス。参事官はつらつらと続ける。
「恐らく、近い将来に日本はパートⅠ国に昇格することでしょう。ですがそれは、なにも日本のレースが認められたからではありません。我が国のレース保護主義を終わらせるための飴と鞭なのです*4」
「なんだそれ」
「賞金の話ですよ」
ここ10年で円高が進行して、日本のレース賞金は圧倒的に割高になりましたからね。参事官の言によれば、日本のオープン特別賞金額は愛英の重賞クラスなのだという。
つまり、賞金額の不均衡である。
「一言でいえば、我々はこれまで『ジャパンカップ』という『防波堤』で海外勢を防いでいたのです。日本勢を打ち砕き海外進出は難しいと悟らせることで国内の門戸開放への圧力を減らし、多額の賞金を献上することで国外からの門戸開放への圧力をかわしていたワケです」
これは労働省が海外遠征に積極的でないこと、そして厳しいマル外規制にそのまま通じている。
「オイ、言葉を選ぼうって気はねえのか? 私はシンボリの人間だぞ」
そしてその弊害に苦しまされたのがシンボリ家である。そんなことを直接言われれば、シリウスは当然語気を強めることになる。
「滅相もない。あなた方が勝てたなら、それが一番のハッピーエンドでしたとも」
「ッ!? テメェ……」
「先輩、おちついて」
慌てて止めに入るコンサル。参事官は肩を竦めて寂しく笑うだけ。
「なんで私が海外ウマ娘のファンなのか分かりますか? 彼女たちが素晴らしいからですよ。彼女たちの美しさ・速さは天元突破しているといって過言ではない。なかでも王女殿下は最高です、私たちを
「それはテメエの性癖だろうが!」
「門戸開放がなされれば、いずれみんなそう言うようになりますよ。マル外ウマ娘がダービーを、有馬記念を……天皇賞を勝つ時代がくる」
マル外規制を終わらせるとは、そういうことなんです。
「だからこそ、海外遠征プロジェクトは成功させなくてはいけない」
国内の
「もちろん、保護主義を続けるのも悪い選択肢ではありません。幸い、我が国は島国でありますし、ウマ娘もかつてほど
ですがそれでは、あまりに暗い未来だとは思いませんかと。そう語る彼の目は、少なくとも真剣に考えている目ではあった。
――――だがそれは、勝手な外野の理由。
走るウマ娘の、理由にはならない。
「すみません。そろそろレースが始まりますので、移動しませんか」
コンサルはそう切り出す。
やるなら勝手にやってくれと、言外にこめて。
「これが、凱旋門賞……!」
コンサルは目を輝かせている競走ウマ娘たちを見ていた。憧れの舞台に胸を高鳴らせ、夢を真っ直ぐに見つめている彼女たちを見ていた。
そんな彼女たちの夢を守ること。それが馬喰の存在意義であり使命であるはずだった。
それなのに、現実はそれを許してくれない。
なんにだって現金が必要なのは分かっている。怪我の治療にだって、勝負服の製作にだって、レースの開催、遠征、トレーニングにすら経費は発生する。
競走保険制度が危機に瀕しているのも、評価額に基づく保険取引が海外で一般的なのも。RKSTポイントだって、現在の制度と平行して導入すれば大きな問題にはならないであろうことだって、分かっている。
「なんだか、浮かない顔をしていますね?」
「! ……すみません、そういうつもりでは」
コンサルの顔色を覗き込んだのはサクラローレルのトレーナーであった。
「コンサルさんには感謝していますよ。僕らの夢を手伝ってもらってくれている訳ですから」
「いえ。それは当然のことです」
なにせコンサルティングの手数料をもらっているのだ。
「当然じゃないですよ。あなたは僕らの夢を否定しなかった」
「……」
「他人の夢を信じる。口で言うのは簡単ですが、そうそう出来ないモノです」
「それを言うなら、トレーナーさんこそ」
「はは」
なにか含みのある笑みを浮かべながら、サクラローレルのトレーナーが言う。やはり彼らは、契約という単純な関係を越えている――――言うなれば運命共同体。
もちろん海外遠征の支援契約にあたっては、コンサルだって両名のことを調べている。担当を支えるのは当然と軽く言ってみせる彼であるが、彼がサクラローレルと歩んできた道程は全く平坦なものではない。
そしてそれは、これから国内で頭角を現し、海外遠征へのステップを踏むにつれて……さらに険しく、厳しいモノとなっていく。
「もう。私を仲間はずれにして大人だけで秘密の会議ですか?」
ひょこりと顔を出したのはサクラローレルである。秘密もなにも、最初から横にいるから会話は聞いていただろうに。
そしてトレーナーはローレルに目配せ。
「そうだね。秘密と言えば秘密かもしれない」
「! ……ふふっ、そうですね」
「?」
なんだ今のよく分からない間は。
絶対になにか意味がありそうであるが、コンサルには理解が出来ない。情報が足りなすぎるのだから、当然判断のしようもない。
……とはいえ、なんとなく察しはつく節もある。コンサルだってウマ娘に深く関わる人間なのだから。
いずれにせよ、契約だけの繋がりであるコンサルは蚊帳の外、せめてコンプライアンスは遵守していることを祈るしかない――――そして。
「(たぶんコレが、勝機だ)」
日本のレースは発展途上である。そのまま
だからこそ、競走ウマ娘と担当トレーナーの強い絆はひとつの突破口となり得るのだ――――それは積み上げたものではなく。奇跡という名の偶然がもたらすモノだから。
だがそれでも、それだけではピースが足りない。なにせウマ娘とヒトの絆は欧州にも、むしろ欧州にこそ多くあるはずで。要するにこれはまだ、日本が欧州に並んだということに過ぎなくて。
欧州を抜きん出る何か、それがなければ……。
『――――! ――――――! ――――!』
最終コーナーを回るウマ娘たち。日系資本の後援する彼女はズルズルとバ群に消えていく
「っ!」
――――それがふいに、サクラローレルの姿に重なる。
だめだ。勝てない。
勝てるビジョンが、見えない。
なぜダメか? そんなこと、わかり切っている。
『分散してどうなる。貴様らのいう分散は損失の補填であって、損失そのものをなくすわけではないだろう』
『ええ、仰るとおりです』
冷静だからだ。一所懸命ではないからだ。
『夢を託すってのは、どうなんだろうな』
『あなた方が勝てたなら、それが一番のハッピーエンドでしたとも』
労働省の推進するプロジェクトでは――――ダメだ。
みんなどこか、他人事で。『次』があると思っていて。
もちろん、予算は確実に確保できるだろう。一番のネックであった遠征費用は容易に解決する。だが。
このままでは、欧州遠征は失敗する。確実に。
そして凱旋門賞の熱狂が風に流されていった頃。
コンサルはターフを睨みながら口を開いた。
「……復帰戦は、東の金杯でしたよね」
その言葉に、その通りですと返すローレルのトレーナー。それがどうかしましたか? とサクラローレルが言葉を継ぐ。
年始に開催される金杯。そこからサクラローレルは始動する……凱旋門賞へと向かって。
「分かりました。時間をください」