その『紙きれ』で救えますか?【完結】   作:帝都造営

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保険と保険屋

 

 

「いや、これは――――まさか」

 

 

 まさか。とコンサルが言ったのも無理はない。なぜならば、今のナリタブライアンのフォームは決して崩れている訳ではないからだ。

 当然だろう、彼女にだって担当トレーナーは付いている。怪我明けの復帰となれば当然フォームチェックには気を遣うであろうし……ある程度は素直に聞いているのだろう、そのフォームは洗練され、むしろ怪我前よりも磨きが掛かったように見える。

 

 

 ただそれは……コンサルの見立てが正しければ、とても「安全な走り」であった。

 

 

「もちろん、ブライアンちゃんが馴らしのためにフォーム練習をしている可能性はあります。でも、私には、ここ最近、ずっと全力で練習しているように見えるんです」

 

 そう言うサクラローレル。彼女にとってのナリタブライアンは憧れで、これからライバルとして越えるべき存在。ブライアンを常に見つめてきた彼女が言うのだから、その言葉には説得力があった。

 

「まるで、もがくように」

 

 

 ――――怪我からの復帰後、調子を落とすスポーツ選手は多い。それはなにもレースに限った話ではない。むしろ復帰後一年のブランクで平然と勝ってしまうトウカイテイオーがおかしいのであって、調子を落とすのが当たり前なのだ。

 

「もちろん。私の勘違いかもしれません。思い違いだといいなって……思ってます。けれど、怪我で苦しむ子を……倶楽部でも、たくさん見てきましたから」

 

 そしてその「見てきた」には、恐らく彼女自身の経験も含まれているのだろう。

 脚部不安に苦しみ、走れたと思ったらまた走れず、周囲においていかれる。

 

 不安。焦燥。競走への熱が、己の内側へと向いていく。

 それは競走ウマ娘が「壊れる」時によく見せる光景だ。

 

「コンサルさん、このことは」

「分かっています」

 

 念のためと釘を刺してくるトレーナーに、コンサルは頷く。

 もちろんだ。こんな情報、もしもRKSTポイントの安定化を望む人々が聞いたら……どんな介入をしてくるか分かったものではない。

 

「とはいえ、これからどうするのですか?」

 

 ナリタブライアンが不調に陥っている――――のであれば、ますます凱旋門賞は遠のいてしまうだろう。

 憧れであった壁を越えてこそなれる「最強」に、このままでは手が届かない。

 

「わかりません」

 

 もちろん、何かをしてあげたいって気持ちはあります。

 

 でも。

 

 それは怪我とは違う。

 治れば、リハビリで身体を元に戻せば。

 それだけで復活できるほど簡単な話ではない。

 

「どうしたら、いいのかな」

 

 願望のようなそれが、桜の少女の口から溢れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれぇ? ブライアンどこいっちゃたんだろう?」

 

 ひとまず夏のレースもあるので、いったん合宿所を後にしようとしたコンサルは、廊下でばったりトウカイテイオーに会う。

 

「あ! やっほーコンサル!」

「お疲れ様です。ナリタブライアンさんを探しているのですか?」

「うん、そうなんだよねぇ……昼寝に行くって朝にいったっきり」

 

 それじゃ朝寝だよねーとテイオー。多分問題はそこではないのだが、彼女もつとめて平静を装おうとしているようである。

 もちろん、本当に昼寝ならぬ朝寝(二度寝)ならそれでもいいのだが。

 

 

『今のブライアンちゃんは……まるで、もがくように』

 

 

「……昼寝、では。ないような気がしますね」

「やっぱり? ボクもそう思うんだよね」

 

 彼女にも思うところはあるようだ。朝の合宿所――――当然ながら、多くのウマ娘たちが一斉に起き出すことで大変に騒がしくなる――――を嫌って二度寝をしに行っただけであれば、そろそろ戻ってくるころである。

 

「もうすぐお昼なんだけれどなー。あ、そうだ! バーベキューにしたら寄ってくるかな?」

「…………」

 

 以前のコンサルであれば、それはないでしょうと言うところなのであるが……。

 なんだろう、多分来るだろうな。情報とはアップデートされるものなのである。

 

「とにかく、ボクはもうちょっと探してみるからさ! コンサルも見つけたら、声かけておいてね!」

「はい。分かりました」

 

 とったか駆けていくテイオーを見送るコンサル。

 やはりナリタブライアンは、追い詰められている。

 

 

「どうしたものか」

 

 

 ポツリと呟くコンサル。

 実際のところ、答えは分かっている。

 

 どうしようもない。

 馬喰(コンサル)にとってのナリタブライアンは契約外の、なんの関わりもないウマ娘。

 

 それでも彼女は依頼人(サクラローレル)にとって大きな存在であり、そして日本のトゥインクル・シリーズにおいても大きな存在……それこそ、労働省やURAが気にかけるような存在である。

 

 それに、馬喰はウマ娘の味方でなければならない。

 追い詰められているウマ娘を見て黙っている訳には、いかない。

 

 …………が、どうしたらいいか分からない。

 この問題への処方箋がない。

 

 なにせ、怪我はもう起きてしまったのだ。

 そして怪我は治ってしまったのだ。

 

 現代医学に出来るのはここまで。なにせ医学とは、生物として持ち合わせてる治癒能力を引き出すための存在でしかないのだから。

 

 そして競走保険とは、その十全な医学を競走ウマ娘に提供するための存在でしかないのだから。

 

 

 それに、怪我から復帰したスポーツ選手が不調に苦しむのは、本能なのだ。

 怪我とは、とてつもなく危険なことである。骨折は、今日でこそ数ヶ月我慢すれば治るものではある。よほどの骨折でなければ、元通りにも戻る。

 だけれどもし、古代に骨折したら? 武器もなく、草原には沢山の捕食者たちが居て……そんな時、脚が折れてしまったら――――生き残れない。

 

 だから怪我を生物は本能的に恐れる。

 まして()()()()()()()()()()()()()となれば、尚更に恐れる。

 

 そして走れなくなるのだ。ある程度は走れても、全力では走れなくなる。

 

 悪いことではないのだ、それは。

 

 別に走れなくなった訳ではない。

 ただ最終直線で、命を削るように走れないだけ。

 けれどそれは、命を燃やすような儚く鋭い輝きが消えることを意味していて。

 

 

「そうだ。悪いことじゃない。悪いことじゃないんだよ」

 

 

 言い聞かせるようになってしまっている自分がいる。コンサルはそんな自分を叱咤する。

 競走保険コンサルタントがなんのためにいるのか、そんなことも忘れたのかと。

 

 

 

 ウマ娘は走るために生まれてきた。

 2つのウマ耳、綺麗な尻尾。美しく脆い硝子(ガラス)細工の脚を持ち、走るためにターフに立つ。

 

 そして馬喰は、そんなウマ娘たちを守るために生まれた。

 ウマ娘が全てを懸けて存在理由を満たせる(ターフを駆け抜けられる)ように。

 

 

 その走りの果てに、後悔が残らないように。

 

 

 そのために、ウマ娘と、彼女たちの脚を「商品」としたのだ。馬喰は。

 

 

 

「だから、そう。正しいんだ」

 

 なのに。

 

 ナリタブライアンの走りの果てには。

 

 

 

 ――――果てには結局、怪我と後悔しか残らないのか。

 

 

 見えきっていた結論に辿り着いたコンサル。

 

「(……だが、それでも)」

 

 彼は考えてしまうのだ。どうしても。

 

 無事なら、それでいいじゃないかと。

 

 本当に無茶な走りをして、全部を台無しにしてしまうよりは。

 

 

 ずっと、マシじゃないかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京。大手町。

 

 コンサルの勤める「ともしび競走保険コンサルタント」は第一海上損保グループの本社ビルに入居している。

 居候の子会社とはいえ金融商品を扱う立派な会社。それなりに責任ある立場にあるコンサルのオフィスは、ガラスとブラインドで仕切られた個室になっていた。

 

 

「……」

 

 

 コンサルが合宿場から戻ってきた頃には、空に長居していた太陽もすっかり山の向こうに隠れてしまっている。

 誰も残っていないオフィスで明日の予定を確認したコンサルは手帳を閉じ、パソコンの電源を落とし、そしてヴァイオリンケースを取り出す。

 

 

「――――――」

 

 

 密かな日課だ。

 

 小ぶりな木の曲線を抱き、弓を構えて弦の上を走らせる。

 なにかと対話するように、静かに旋律を紡いでいく。

 

 ヴァイオリンは応えてくれる。コンサルの姿勢を褒めるように。

 ヴァイオリンは叱ってくれる。コンサルの過ちを正すように。

 

 その時間を、もう少し、もう少しと味わううちに……――――

 

 

 

「や。相変わらず、いまにも泣きだしそうな演奏だね」

 

 

 ――――ふいにかけられた声に、演奏が止まる。

 

「……あなたは」

「久しぶり。いい音が聞こえたから、ちょっとつられて来ちゃった」

 

 それはかつての競走ウマ娘。

 神と呼ばれたウマ娘の次に伝説を打ち立てた三冠ウマ娘。

 

「ミスターシービーさん。来るなら、そう仰ってくれればよかったのに」

「ヤダ。キミってば誰かに似て、すぐ盛大にもてなそうとするんだから」

 

 私がそういうの苦手なの、知ってるでしょと。そう言ったミスターシービーは背中にしょった巨大なリュックを降ろす。

 そのリュックには、国際線の預け手荷物であることを示すタグがついていた……どうやら面倒くさがって、取っていないらしい。

 

「変わりませんね。あなたは」

「そう? けっこう変わったよ。はいこれお土産」

 

 リュックから取り出されたのはトーテムポールにマトリョーシカ、世界各地とコラボをしている猫のキャラクターグッズ……いや、どこに行ってきたんだ彼女は。

 

「それで、こっちはここの代表さんに」

「あぁ、ご丁寧にどうも」

 

 お土産をテーブルにぽんぽんと広げるミスターシービー。代表へと出されたそれは、老舗の和菓子屋が用いる包みで包装されていた。

 

「上手くいってないみたいだね。お仕事」

「そう見えますか」

 

 コンサルの言葉に、その演奏を聞けばねと返す彼女。ウマ耳の備える聴力が優れているのは知っていても、流石に聞こえたとは思えなかったが……。

 

「泣いているのは誰だろう。キミ? それとも――――」

「ミスターシービーさん」

 

 彼女の視線がコンサルの手元に向いたのを避けるように、彼は手早くヴァイオリンをケースにしまう。

 もちろん、弓もケースへと。大切にしまう。

 

「丁度良かった。貴女に、聞きたいことがあったのです」

「うん。アタシもキミに、伝えたいことがあったんだ」

 

 視線が交差する。

 

「いまのキミは、とっても不自由そうだ」

「そうでしょうか?」

「だってキミは、この先なにが起こるか知ってるんでしょ?」

 

 まるで全てを見透かしたかのような彼女。

 いや、知っているからこそ。今ここに彼女はいるのだろうから、当然か。

 

 

「……それでも、動きませんよ。私は」

「本当は放っておきたくないのに?」

「私の意思は関係ありません」

 

 

 ここから先は、ナリタブライアンが自ら切り開くしかない。

 そこにあるのは、真っ暗な闇――――果てがあるとも知れぬ、長い長いトンネル。

 

「競走保険が出来るのは、損失を補償し、損害を分散させるところまでです」

 

 怪我が治ってしまえば、保険の役割はそこで終わり。

 

 もし仮に、復活できなくとも。それは、それで……悪い話では、ない。

 

「馬喰は、夢を叶えないのです」

 

 コンサルの言葉に、矛盾してるねとミスターシービー。

 

「後悔するかもよ?」

「させません。二度と」

「アタシはキミのことを聞いてるんだけれどな」

 

 ミスターシービーは肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして夏が終わり、秋のG1シーズン。

 

 

「私は強者との対戦を望んでいる。だから、もっとも早いG1に挑む」

 

 

 それだけだ、と言い放って。

 ナリタブライアンは――――――短距離G1「スプリンターズステークス」への出走を表明した。

 




本当は夏合宿BBQで焼き肉シミュレータ―ごっこをしたかったのですが、やめました。
シリアスパートなので……。
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