東京、大手町。
そこはまさに都会の中心、高層ビルが建ち並び、有名企業が所狭しとオフィスを構える場所……「ともしび競走保険コンサルタント」のオフィスは、そんな場違いな場所にある。
理由は単純――――競走保険は、とにかく引受人がいなければ始まらないから。
そして引受人は、保険を「金融商品」として見ているから。
格が必要なのだ。金融商品を扱っているという「格」が。
「はい。かしこまりました。お時間を頂きありがとうございます。それでは、失礼いたします」
受話器を耳に当てたまま、相手が受話器を置くのを待つ。
ノイズのような音がわずかに聞こえた後、通話終了を知らせる電子音が聞こえた。
「ふぅ……やっぱりダメか」
ため息を吐く保険コンサル。
僅かとはいえ居る部下の前ならため息もつけないが、幸いにしてここはブラインドと防音ガラスに守られた個室。平均より高い身長を椅子にもたれかからせ、眉間にシワが寄らないように丁寧に揉む。
ちなみに、そこまで儲かる商品とはいえない競走保険を扱うこの会社が大手町の立派なオフィスに入れているのは、ここが親会社である第一海上損保グループの本社ビルだから。
……ようは居候である。親のスネをかじって金融会社としての「格」を保っている、そんな悲しい企業が「ともしび」であった。
「さて……」
顧客リストに目を走らせ、次の相手に電話を掛けようとしたその時。オフィスの扉がノックされる。
「随分と、根を詰めているようですね」
「代表」
ガタリと立ち上がろうとしたコンサルを手で制する「ともしび」代表。コンサルの上司。
「楽にしていてください」
口にこそしないが、恐らく背丈が低いことを気にしているのだろう。コンサルのような高身長を前にしては余計に目立つのだから仕方がないとも言える。
「グループ合同会議はいかがでしたか」
「悪くはありませんでした。日本ダービーにおけるトウカイテイオーさんのウイニングライブ辞退の件は、概ね高評価として落ち着いたようです」
「そうですか」
損失を最小限に抑えた――――そう判断されたのだろう。ダービー時点ではライブ補填金という「損失」を発生させたと非難の声も飛んできていたことを考えれば、随分と都合の良い話である。
「当然の評価がようやく下ったまでのこと。これからも励むように」
代表の言葉が染み入る。なにせ代表は、最初からトウカイテイオーについての判断を評価してくれていた数少ない存在だ。
「それで、今回の件はどういったものなのですか」
流れるように聞いてくる代表。こちらが本題かとコンサルは判断し、資料を差し出す。
「引受拒否です。恐らく、
競走保険を取り扱う保険会社は少ない。
第一海上損保グループですら「ともしび競走保険コンサルタント」という自グループとの関係を感じさせない看板をつけてリスク回避をしているくらいだ。
オフィスまでは貸せても、
それが競走保険に付けられた「金融商品」としての値札。
「我々が引き受けなければ、ミホノブルボンはホープフルSに出走できない」
それはすなわち、彼女の夢であるクラシック三冠が潰えることを意味している。
それも、競走保険という「オトナの事情」によって。
「それほどなのですか、ミホノブルボンさんは」
「ええ。もっとも、馬喰に評価されても嬉しくはないでしょうが」
コンサルの言葉に仄かに視線を厳しくする代表。ですが事実ですとコンサルは続ける。
「引受人が望むのは、怪我をしないウマ娘の競走保険です。怪我に備える保険の本質とは真逆ですが……彼らにとっては、保険は『商品』でしかない。危険な買い物はしたくない」
株、債権、どんな形であれ金融商品はリスク商品である。
そこには常に、買い手が損失を被る
「究極のリスク回避というのは、結局のところ『買わないこと』ですからね」
とはいえ、競走保険はURA*1が定める競走ウマ娘保護規則にて加入が義務づけられている。
保護規則は法律ではないものの、これに加入しなければURAは出走を認めない訳だから従うほかない。
競走ウマ娘を守るための保護規則が、競走ウマ娘の足枷となる――――。
「買い手自体は、いるのではないですか?」
「高額な保険料であれば、です」
それも、治療費を払った方が安いかもしれない保険料である。
これでは何のための保険なのか分からない。
「それは今だけでしょう」
代表は冷静であった。どうやら代表も、この件のことは気に掛けていたらしい。
「代表の言わんとすることは分かります。ですが、その『最初』で事故が起こってしまったら? 残るのは高額な保険料負担だけですよ」
それなら、走らない方が皆のため。なんて、口にはしたくもないが。
「せめて、ミホノブルボンの距離延長を保証……でなくとも、肯定的にみてくれる人物がいればよいのですが……」
†
夜明け前は最も暗い、とは。誰の言葉だっただろう。
眠らぬ街も眠りにつき、ネオンも消えた夜明け前。
冷たい空気に触れたウマ耳が、ぴくりと震える。
誘われるように空を仰ぐ。
街は目覚める寸前。慌てん坊の始発電車に、まばらに人影の見えるスクランブル交差点。信号待ちのトラック……そしてそれに答えるように――――
ビルディングの向こうが、白む。
肺に吸い込んだ空気。その冷たさがちくりと身体を刺す感覚。
淀みのないこの時間の空気は、普段と少しだけ違う味がする。
「なんだ、もう、朝かと~……」
空が広がってゆく。
雲がムラサキ色になる。
「ひとり、ごつ……」
何かを思うより、先に。
「――――ってる場合じゃないっッショ!!??」
「イエェア! パンっちブチ焼けてるぅ!?」
「ぬりぬりバター最高なんだわFoooo~!!!!」
ここは無人の繁華街。もはや彼女の独壇場。
「止んだ雨ってことは太陽サンサン! なまがわいてないで上げてこうゼェ~イェア!」
「朝から元気ですね。ヘリオス」
ですが近所迷惑ですよと、そんな彼女に声をかけたのは細身で高身長な七三分けの男。
「あ! コンソメじゃん! おは!!!」
「コン
訂正しながら、静かに微笑む彼。保険コンサルである。
「それにしても今朝は冷えますね」
「それな! 温度急にサガってマジヤバ! でもそーゆー時こそアゲてかんとね!」
「それも結構ですが、まずは身体を温めませんと」
そう言いながら差し出された缶飲料。近くの自販機で買ったのだろう、冷えた指を焼くかのように温かい。
「うわっ、コン
「今日は相談したいことがありまして」
「ちょちょい! コンソメなのに塩でウケる!! もしかして朝から仕事モードな感じ?」
「朝ですからね」
ワックスで固めた七三分が、朝日を反射して鈍く光っていた。
「んで? ウチに聞きたいコトって?」
場所を変えて、駅前のカフェに来た2人。朝食のサンドウィッチを摘まみながらヘリオスはコンサルに促した。
「逃げウマについて。もう少し正確には、逃げウマの距離延長についてです」
「あ~~~」
納得したような、そうでないような声を上げるヘリオス。
「でもそれ、バチバチ
そう、ヘリオス……ダイタクへリオスは短距離路線で活躍するウマ娘である。G1としてはスプリンターズSを制覇するなど、とにかく速さを極めたウマ娘。
「今回の依頼人が、長距離を走りたいスプリンターなんですよ。ちなみに脚質は逃げです」
「逃げウマでスプリンター? ウチと一緒じゃん!」
「ですが長距離を目指しているわけです」
正確にはクラシック三冠なので中長距離だが、そこまで依頼人の情報を明かす必要はない。
「……ってか、距離延長ならコンソメの方がくわしくね?」
「逃げウマは専門外です」
「な~る?」
疑問形とはいえ、とりあえず納得はしてくれたらしいヘリオス。
逃げウマにしか分からないことだってあるだろう。と、コンサルは知り合いの逃げウマ娘を頼ったのである。
さて。
一般的に逃げウマは、フィジカルの弱さやメンタル面の課題から「バ群を避ける」ことを目的として逃げという戦術を選ぶ。つまり「逃げ」しか手段がないから逃げるのである。
しかしミホノブルボンはこのタイプではない。あれだけ鍛え抜かれたフィジカルと強い精神力があれば、他の戦術でも調子を崩すことはないだろう。
もっとも、これは調子を崩さないというだけの話で……勝てるかは全く不明だが。
「ヘリオスも距離延長の経験はありましたね。実際、どうでした?」
「んーとね。楽しかった!」
ちなみにレースの結果は惨敗である。
「苦しい、ではなく?」
「だってゲート開くじゃん? その瞬間にはバイブスブチアガってんだわ!」
逃げの距離延長に必要なのは、やはりメンタル面なのだろうか。そんなことを考えるコンサル。
「スタミナを温存するとか、そういう戦術面のあれこれをやる余裕はありましたか?」
「ウチは無理! でも依頼者さんができるかって話よね? んー……」
ダイタクヘリオスは考える。
「そういやさ。コンソメは学園にいないのになんで『逃げ』ってわかるん?」
「少々『
引受拒否案件は、注意して見守るべきである。だから調査に多少のリソースを割くのは当然のこと……というのもあるが。
「やっぱ好きじゃんね。レース」
「否定はしません」
単純にミホノブルボンの走りが見てみたくなった。これに尽きる。
「……話を戻しましょう。依頼者はゲートからスルリと抜けると、そのままハナを奪って最後まで先頭。そのままゴールしました」
「おわり?」
ヘリオスが首を傾げる。ゴールしたのだから続きはないと思うが、なにか問題があっただろうか。
「うんにゃ違くて! コンソメっていっつもメッチャ語るじゃん? そゆのないん?」
「語ってませんし、そもそも語る内容がありませんよ」
実際、本当にそれ以上説明のしようがないのである。レース特有の駆け引きだとか、どこかで仕掛けたとか。そういうのはない。
先頭に立って、そのままゴール。ただそれだけである。
「やっべぇー……それガチで強いタイプの『逃げ』じゃんね?」
「ええ。そうです」
さきほど、逃げを選ぶウマ娘にはフィジカルやメンタルの課題があるといったが……それは逃げを選ぶしかなかったウマ娘である。これは消極的選択の「逃げ」と言える。
しかし一方、逃げの方が有利だから。逃げた方が楽ちんだから逃げるウマ娘もいる。
積極的な「逃げ」の選択――――圧倒的な
これは〈怪物〉マルゼンスキーなどが分かりやすい例だろう。周りとの差がありすぎると、気付くと先頭にいた……なんてことがありえる。
「だからこそ、もったいない」
「え、強いんだから問題ナッシングじゃね、って……そか。距離延長の話だったけか」
「そうです」
距離延長はリスクだ。
そして距離延長には「短距離でも勝てるのに」という風聞がついて回る。
もちろん、それを払拭するためにミホノブルボンはホープフルSへ出走する。
距離延長なにするものぞ。リスクなど何一つないと示すために。
しかし示すまで、リスクはリスク。
リスクが拭えない状況で、保険の引受人は現れないだろう。
この際、高額な保険料でもいいから引き受けてもらうのも手かもしれない。赤字になる可能性が高いとは言ったが、クラシック三冠さえ獲れてしまえば賞金であっさり払えてしまうのだから……。
「いやいや、それはダメだろう」
賞金ありきで考えるのは危険すぎる。そもそも保険はウマ娘の人生を守るため。競走生活を人生をチップにした「賭け事」にしないための仕組みである。
それをレースに勝つことが前提の仕組みとしてしまっては、何のための保険なのか分からない。
しかし保険の引き受け手は通常の保険料では現れないだろう。結局、誰かが最初にリスクを取るしかない――――そうすればミホノブルボンは走り出せる。
走り出しさえすれば、あとは。彼女は自分の脚でいけるところまで走っていくだろう。
誰か、誰でもいいから……
「……ん? 誰でもいい?」
「どうしたんコンソメ?」
コンサルは立ち上がっていた。
そうか。
「ひとりごつ」×パリピ娘ウェィ!ダービー概念は某動画サイトのコメントに着想を得ました。
なんか速くて可愛い娘。ウマ娘。
(ひとりごつの楽曲コード、優しい方が情報提供して下さいました。ありがとうございます。感謝です!)