3回。ドアがノックされる。
コンサルが意識をそちらに向けたのと、扉が開くのは同時であった。
「どうした」
「アーロン・プライスさんが来社されましたが……
「まさか本当にアポなしで来るとは」
……が、その来訪自体は予期されたものである。
「どうされますか?」
「もちろん会いましょう。『ぶぶ漬け』*1を用意しておいてください」
パソコンを閉じ、デスクを立ち上がったコンサル。それから彼はガラスとブラインドで仕切られたオフィスを出ようとして……入り口で立ったままの部下に気付いた。
「えっ、と……」
「冗談です。本当にぶぶ漬けを持ってこないで下さいよ」
「も、もちろんです」
それに客人である以上、コンサルにはそれをもてなす義務があった。「ともしび」はコンサルのものではなく代表の会社。そこでの粗相は代表の品格に関わるからだ。
だから、最低限の礼節は守る――――あくまで最低限は。
「ポーレイ茶*2を用意して下さい」
「……りょ、了解です」
サクラローレルの凱旋門賞不参戦――――海外遠征の取りやめと同時にやってきたのだ。
彼の考え、そしてこちらに伝えたいこと。それを予想するのは簡単であった。
「――――RKSTポイントは正直デス」
コンサルの目の前に座る男は力説する。もちろんポーレイ茶と、お茶請けの月餅をしっかりと平らげた後にである。
「ローテーションの発表によってサクラローレルさんのRKSTポイントは急落、我が社含め主要4社は全て彼女の格付けを下げることになりマス」
「よく分かりませんね。天皇賞・秋へ出走することとなれば、獲得賞金の期待値はむしろ増えるはずですが……」
もちろん、そんな話でないことはコンサルも把握している。
RKSTポイントが急落したのはサクラローレルの方向転換が急であったこと、そしてなにより「突然のローテーション変更から凡走したウマ娘」が直近に存在することが原因である。
「ナゼ急に海外遠征の撤回を? サクラローレルさんの調子に問題があったなら、天皇賞秋には出走しないハズ」
「……プライスさん。本当に申し訳ないんですがね」
それを私に聞かれても困りますよとコンサル。
ローテーションの決定権は陣営にある。
この場合の「陣営」とはたいていの場合〈チーム〉のことを指し、場合によっては「逆張りシンジケート」のようなステークスホルダーまでを含めることもある……が、基本的にはトレーナーとの契約に基づく出走である以上、決定権が最も強いのは競走ウマ娘本人だ*3。
「ノー! コトの重大性を理解していないデスよコンサルさん」
演技なのか本気なのか。大げさに頭を抱えるような仕草をするプライス氏。
「我々はサクラローレル選手が『期待通りに』活躍することを願っているのデス」
「それはナリタブライアン選手が『期待通りの』走りをしなかったからですか?」
「コンサルさん。これでも我々は『心配している』のデス」
……心配、か。
その言葉そのものに間違いはないのだろう。『期待』と『心配』はほとんど同じ意味で使われる。つまりは興味を抱かれている状態であり、それは『失望』を意味していない。
妙な言い方にはなるが、このように介入されること自体が『見放されていない』状態を示しているのである。
そして『見放されていない』ということは。
まだ『サクラローレルは価値を生み出す』と思われているということである。
「なんとかして、サクラローレル選手の調子を取り戻さなくてもいいのデスカ?」
「その調子を取り戻すための海外遠征撤回なのでしょう」
いずれにせよ、私がサクラローレルさんと結んでいるのは海外遠征の支援業務です。
のらりくらりと躱すコンサル。プライス氏は感情的な表現を徐々に仕舞いはじめ、単調に事実を告げるようになってくる。
「あれほど熱心に海外遠征を希望していたというのに。世論からの批判は免れませんよ」
「レースファンが興味を持つのは『現地で見られない』凱旋門賞ではなく『現地で見られる』天皇賞です」
「労働省の海外遠征プロジェクトはどうするのです。彼らを失望させる結果になりませんか」
「プロジェクトLAR'Cのお話しでしたら、公費での海外遠征は来年からですよ。今回はサクラローレルさんの自費遠征です」
「競走保険の引受人は納得していますか?」
「それに関してはノーコメント。守秘義務がありますので」
「ここまで言っても分かりませんかコンサルさん。これは警告なのデス」
分かりますよ? 口にしなかった自分を褒めて欲しいとコンサルは思う。
「もしも
「……うん?」
ナリタブライアン?
「どうしてナリタブライアンさんの名前が?」
「ご存じないでしょうが、いまナリタブライアンさんの陣営は揉めているのデス」
……。
「あの、申し訳ないのですが。『ともしび』とナリタブライアン選手の間には一切の契約関係がございませんよ?」
「分かりませんか。いま私があなたにお伝えしたことが、全てナリタブライアンさんに降り掛かっているのです。現在進行形で」
「…………」
「いいデスカ? 次の天皇賞秋でナリタブライアン選手が勝てばなんとかなります。スプリンターズSの敗北は単純な距離適正の問題だと分かるわけですから、RKSTポイントは回復することでしょう」
ですが、得意であるはずの中距離でも負けたなら?
それはつまり、アレか。
「サクラローレルさんに、天皇賞に出るなと?」
サクラローレルが凱旋門賞に挑み、ナリタブライアンが天皇賞に挑めば。
両方とも勝ってRKSTポイントが維持できるとでも思っているのか。
サクラローレルが来れば簡単に負けてしまう……そう思われるほど、ナリタブライアンは見放されているのか。
「なんにせよ。それは、一介の馬喰に対して伝えるべきことではないような気がしますね」
コンサルの言葉に、あなたは「一介の馬喰」ではないでしょうとプライス氏。
「
門戸開放とRKSTポイントによる安定的な資金供給。日本のレース業界のためにも、これは必要なことなのです。
…………もしかすると、彼は彼なりに。彼の理屈でレースのためと思っているのかもしれないが。
いずれにせよ、それは外野の意見である。
『はッ! 面白ぇことになってるじゃねえかよ、なぁ?』
「勘弁して下さい」
電話口で笑い飛ばしたのはシリウスシンボリである。
『いやなんだ。
「やはりそうでしたか」
先ほどのプライス氏はともかく、労働省にしてみれば海外遠征とRKSTポイント、2つの意味でハシゴを外された格好になる。介入してくるのは当然のことだろう。
『とはいえ、流石に本人の口からローテーションの変更を表明された後となっちゃどうしようもなかったようだ。どうやらサクラローレル陣営には優秀な
「先に言っておきますけれど、私は何もしていませんからね」
コンサルの言葉に、
……そう、支離滅裂ではあるのだ。
世間も、そうは思っている。
ただ幸いにも、サクラローレルと凱旋門賞にそれほどの興味がないから、どうにかなっているだけで。
それはつまり、三冠ウマ娘であるナリタブライアンのスプリンターズSは、その注目度ゆえに騒動を巻き起こしたということである。
「それよりも、プライス氏の伝えてきた『ナリタブライアンさんの陣営は揉めている』という話について。なにかご存じありませんか」
『おいおい、いまは自分のクライアント様を心配しろよ』
「その
『そういうことかよ』
「お願いします」
そうして、学園時代の後輩連中から聞いた話だがと前置きしたシリウスは。
『ナリタブライアンのトレーナーを変えろって話が出ているらしい』
「は……?」
トレーナーを変えろ? なぜ命令形なのだ。
ナリタブライアンがトレーナーを替えたければ、契約破棄を突きつければいいだけの話。
『お前の言う、ブライアン陣営が揉めているって話は本当だ。保険引受人が今のトレーナーにはナリタブライアンを任せておけないと言って、別のチームに移籍するか、担当替えをしろと言っているらしい』
「無茶な、保険引受人にそんな権限はありませんよ」
保険引き受けとはあくまで競走ウマ娘の身になにかがあったときに補償するための契約であり、競走ウマ娘と担当トレーナーの契約に口を出せる存在ではないというのに。
『ああ、だから「現在のトレーナーではナリタブライアンは危険な走りに晒される」として契約の更新権を行使、保険料を引き上げるっていう脅しをしてるんだとよ』
ほとんど言いがかりに近い交渉だ。
これまでなら、現在の保険と同額で引き受ける別の引受人が現れて無意味に終わるところだが……。
『RKSTポイント、引き上げの根拠となる基準が登場しちまったからな』
――――引受人の理屈は、分かる。
阪神大賞典後のナリタブライアンには関節の炎症が認められた。
もちろん、炎症そのものは休養すれば治まるので問題ない。とはいえ炎症が出たという事実はナリタブライアンにとってのクラシック三冠競走が過酷であったこと。そして故障の予兆が掴めたかも知れないことを意味している。
そしてそれを、彼女の担当トレーナーは見抜けなかった。
だからトレーナーを変えるべきだという意見が通ると引受人は考えた。
……もう少し正確には「その引受人の考えを世間が肯定する」と考えたのだろう。
「ですがその理屈は、保険料を引き上げるための理屈です」
『んなこた誰だって知ってるさ』
引受人とはなにか?
彼らは競走ウマ娘の怪我に備えるための存在であり、
ゆえに彼らにとって重要なのは、いかにして
ナリタブライアンは凡走した。RKSTポイントは下落した。
実績のあるウマ娘が、将来の獲得賞金を得られないと判断されている。
従来の契約でも、RKSTポイント式の契約でも、保険料は高額になる。
もちろん、本来なら世論が黙ってはいない。
競走ウマ娘のレースは神事であった。ゆえにウマ娘を金儲けの対象にするのを世間は嫌う。競走保険コンサルタントを「馬喰」と呼ぶくらいには。
しかし、ナリタブライアンは無茶なレースに出走して負けた。
ここでナリタブライアンの敗北はトレーナーが引き起こしたと、トレーナーのせいでナリタブライアンが危険にさらされていると主張したなら、どうだろうか。
保険料を引き上げようとする引受人の動きは、途端に正当化されることだろう。
それは――――世間が
応援する気持ちは、時に紙きれよりも重い。
それが自分の紙きれでないのなら、なおさらにである。
『それで? どうするんだよ。どちらかに天皇賞を回避させるのか?』
「まさか。それでは問題の先送りです」
つまるところ、この問題はRKSTポイントなのだ。ファンや専門家の期待に背いていることが問題なのだ。
なにか、どうにかして……その期待を高めることが出来たのならば。
「先輩」
『なんだよ』
「少し、手伝って頂けませんか」
コンサルはひとつの打開策を提示する。電話の向こうが笑う声。
『なんだそりゃ、解決策にもなってねえ策だな』
「ですがルールの枠内ではありますよ」
そのルールを少し変えるなら、ではあるが。
それでも、
まずは、自分たちが信じなければダメだろう。
コンサルは電話番号を押す。
代表の名前を借りるようで心苦しいが――――――このまま、まだ見ぬ輝きが失われてしまうならば。
「ともしび」は喜んで最後の砦になろう。
「いつもお世話になっております……ええ。はい。お手数をおかけして、大変恐縮でありますが――――」
『先生』のお時間を、少し頂きたく。
この「先生」には超法規的な権限はありませんが、法規そのものを変える力があります(議員立法)