そこには、ずっと光があった。
『ねーちゃん!』
『はは。そうだ、おいでブライアン』
真っ白な髪を揺らして前を走る偉大な姉。それに追いつく、追い抜かすために走り続けて、ここまで来た。
『ビワハヤヒデ選手は、今後のレース予定を全て白紙にすると…………』
そしてその光は、いとも簡単にかき消えてしまった。
『姉貴』
『あぁ、ブライアンか。すまないな』
謝らないでくれ。
そんな顔をするな。すぐ、戻ってくるんだろう?
『ねぇブライアン――――「最強」ってなんだと思う?』
『知らん』
興味もない。
『ふ~ん。知らなくていいんだ?
だからどうした。
『――――トレセン学園にこい、ブライアン』
あの日、姉貴に見せてもらった光は、もう消えてしまったというのに。
マル外規制とはなにか。
それは保護主義である。海外の「強すぎるウマ娘」から日本のウマ娘を守るための規制である。
マル外規制とはなにか。
それは強大な壁である。世代の頂点のダービーや、栄誉ある天皇賞への出走を阻んできた壁である。
マル外規制とはなにか。
内部規則である。URAが主催するレースの、出走登録における内部規則。
いとも簡単に変えられてしまう、内部規則である。
「――――――労働大臣!」
であるからこそ、記者達は無謀と理解していながらも「そこ」へ突撃するしかなかった。
霞ヶ関は労働省。日本八千万の労働人口を守護し、社会福祉の増進と健全な人材教育をはかるための組織。
「マル外規制の緩和についてコメントを!」
「性急に過ぎるんじゃありませんか?」
ぶら下がり取材と呼ばれる、登庁時を狙った押しかけ取材。公用車を降りた大臣に群がる記者、押しのける警備。進路を塞いでは「ぶら下がり」ではなくなってしまうので、それなりの秩序が維持された無秩序が形成される。
マル外規制――――――外国籍ウマ娘の例外出走制度とセットで運用されている出走規制、それを一部緩和するとの発表がURAから流されたのは、本当に突然のことであった。
それと同時に、どこかから「今回の決定は労働省からの鶴の一声」であったとする真偽不明の情報がリークされる。
社会部記者ならそれが露骨な「撒き餌」であると気付いただろうが、それで黙っていられるレース係の記者ではない。裏取りという確認作業をするために、彼らはいきなり本丸へと乗り込んだのだ。
もちろん、本来であればいくらURAが労働省の外郭団体であるとはいえ、いきなり労働省へと乗り込むべき案件でないことは明らかなのであるが……ナリタブライアンブームとその熱は、記者達にそれを許させるほどに高まっていたのである。
そう――――高まって「いた」。
この熱が
だからこそ、彼らの目にはURAの行いが「とんでもないこと」のように見えたのである。
「天皇賞秋には既に複数のマル外ウマ娘が出走を表明しています。これは、その分だけ本来ならば出走できたウマ娘の出走枠が減るということになりませんか」
「いくらなんでも急すぎます。これで天皇賞をマル外に獲られでもしたら……」
「――――私は」
そして、ピタリと。大臣が足をとめてふりかえる。
「私は日本の
あなた方はどうですかと、言外に大臣は語る。
「ではこれで」
「大臣……!」
「大臣ッ!」
ほとんどサプライズ同然のものとして受け取られたマル外規制の撤廃。言葉だけを取り上げると大胆な規制緩和にも見えるが、それそのものは大したことではなかった。
「なにせ、国際交流競走や地方交流競走でもない限り、トゥインクル・シリーズに出走する条件が『トレセン学園に在籍していること』という条件は変わりませんからね」
事務的な手続きが増えるわけでも、減るわけでもない。
強いて言うならレーシングカレンダーの「マル外除外競走」の文字が消えるくらい。もちろん、来年のカレンダーを作っている部署にとってはかなりギリギリのタイミングだろうが……。
「少しお手を煩わせてしまいましたが、どのみちパートⅠ国を目指す上でマル外規制の撤廃は絶対に必要でした」
もとより、海外進出と国内の規制緩和はセットである。規制の撤廃はメディアには驚きをもって迎えられているが、規制緩和自体は既定路線であり時期に多少のサプライズ感が出ただけのことであった。
「それに、秋の天皇賞は中距離路線増強のために距離を変更したりと、8大競走の中では時代に先行する競走です。少なくとも、いきなり
「あぁ、すみません。パドックに集中していました」
首を傾げたコンサルに、聞いていないわけではないですよと参事官。
少々言い訳じみた説明をしてしまっている自覚はあるコンサルであったが、労働省ウマ娘局に勤める彼の反応を見る限り、そこまで労働省は根に持っていなさそうである。
「来ましたよ。彼女の名前はアグネスデジタル……『あらゆる場所でウマ娘ちゃんのご尊顔を、もっとも近くで拝見する』ことを信条としている米国出身のマル外ウマ娘です」
いや、これは海外ウマ娘マニアでもある参事官が
「言動を見聞きする限りでは非常に謙遜さを見せる彼女ですが、その内実は芝であろうとダートであろうと中央であろうと地方であろうとレースでは勝つという傲慢さを秘めています。なにせ『ご尊顔』が拝める場所とは、レースにおいては1着が一番よいロケーションな訳ですからね。そして見て下さいあの顔! なめずり回すように他の出走ウマ娘へと注がれる視線。いいですねぇ、強者の貫禄、いや捕食者の本能が出ています。私もウマ娘であったのならば、彼女の視○におか、コホンさらされることも叶ったものですが…………アッ! あれを見て下さいコンサルさん。あれはエイシンフラッシュ! ドイツ出身で日々のルーティーンは秒単位で管理しているとの噂があります。ドイツと聞くといまいちピンと来ないかも知れませんが、彼の地におけるウマ娘は騎士階級でもありまして。おっと、それはレースには余り関係ありませんな割愛しましょう。しかし管理! 管理とはとても甘美な響きとは思いませんか。私も管理されてたいものです。あのような美しいウマ娘に管理されるのならばディストピアもすべからくユートピアに変わるというものではありませんか。なにせ人間がウマ娘に勝てるわけがないのですから――――――おや、コンサルさん? コンサルさんどこへ行かれたのですか?」
……武士の情けだ。見なかったことにしよう。
コンサルはそう誓って、人混みの中へと消える。
サクラローレルは集中していた。
東京レース場。パドック。思い出されるのはあの日の喧騒と熱狂。
――――――『日本ダービー』。
あの日、ナリタブライアンを「憧れ」で終わらせないために挑んだ東京レース場のパドックは、パドックの段階から1人のウマ娘に制圧されていた。
そう、皐月賞をレコード勝ちしたナリタブライアンによってである。
「(ブライアンちゃん)」
そんな彼女の気配は、いまは感じられない。
「ふぅ――……ふぅ――――……」
浅く、繰り返すような呼吸。周囲に立ち上る熱気。
「ナリタブライアンの調子はどうだ……?」
「大丈夫、仕上がりは悪くなさそうだよ」
「噂じゃライスシャワーの
「担当替えは間隔短いから調整間に合わないよ。ここの結果が悪かったら来年からかな」
「皆で念を送るわよ。せーのっ、」
「「「ブライアン様~」」」
「もう怪我は勘弁だよぉ、頼む……」
パドックを取り囲むファン達の声が聞こえる。
みんな言いたいこと、思っていること。口に出さないこと。色々あるのだろう。
それでも、ここに居る人たちは敵じゃない。
「(敵じゃないんだよ。ブライアンちゃん)」
きっと、彼女にとって今の世界は全部が敵に見えてしまうのだろう。
だって、あなたはいつも周りから怯えられていた。自分に注がれる畏怖の視線ばかりを見てきたから、パドックの皆がまさか、自分を『心配』しているなどとは思いもしないのだろう。
それほどに世界は真っ暗で。光が見えなくて。
でも、その暗闇は……あなたの足下から伸びている。
「(今の貴方は、昔の私)」
サクラローレルも怖かった。怯えていた。
自分の
本当なら、自分を支えてくれるはずのソレが、怖くてたまらなかった。
それがもしも砕け散ってしまったら……そんな未来が、痛みで、震えで、痺れで伝わってくる。
「(でも、あなたがいたから)」
あなたの走りを見せつけられたから。
そんな自分の「影」なんて、どうでもよくなったんだ。
「……だから、みせてあげる」
本バ場入場が始まる。マル外規制の緩和があろうとなかろうと中距離路線の覇者を決めるG1レース。東京レース場のスタンドには溢れんばかりの観客が詰めかけ、ひとり、またひとりと地下バ道からウマ娘が現れる度に歓声があがる。
「それで? このロクな解決策にもなってねぇ策でよかったのか。本当に」
関係者エリアに佇むコンサルに言葉をぶつけてくるのはシリウスシンボリ。URA国際レース課の課長であり、今回のマル外規制緩和においては側面から支援してもらった功労者でもある。
「いいんですよ。これで」
「RKSTポイントの安定化に繋がるとは思えねぇが」
「いいえ。そうとも限りませんよ」
なにせ、ファンはともかく引受人の狙いは保険料の引き上げにあった。
それはRKSTポイントを低く保つことでこそ成立する。
「もし仮に、天皇賞……内国ウマ娘しかいないレースにナリタブライアン選手が勝てたとして。RKSTポイントの復調は限定的なものに留まるでしょう」
これは妙な話にはなりますが、サクラローレルさんが凱旋門賞を回避したことに関係してきます。
「あぁ……そういうことかよ。
「実際がどうかはともかく、引受人たちはそう誘導するでしょうね」
そしてその動きが「前例」となってしまえば。
引受人たちはあらゆる手段を使ってRKSTポイントを下落させ――――RKSTポイント、つまり獲得賞金の期待値が低いから損失を補填するだけの担保がないとして保険料を引き上げるようになる。
……そういう、自らの利益を最大化するような行いが常套手段として定着してしまうことだろう。
別に、それを問題視するつもりはコンサルにはない。
引受人たちが利益を最大化しようとする。それは文句を言っても仕方のないことであるし、なにより防ぎようのないことである。
この国で採用されているのは資本主義。利益を「エサ」にして引受人を呼び込むのが競走保険市場の本質。
それでも、例えそのような舞台裏があるとしても。馬喰たちはウマ娘を「商品」とすることを選んだのだ。
全力で駆け抜けた後に後悔が残らないように。競走ウマ娘の輝きを最大化するために。
「エゴだな」
「もちろんです」
分かっているから、コンサルは胸を張る。背筋を伸ばす。それでいいのだと肯定する。
「マル外規制が撤廃されたことで、天皇賞も国際重賞として解放する準備が出来たことになります。パートⅠ国は全てのオープンレースが外国籍ウマ娘に開放される……我が国のパートⅠ国昇格に、また一歩近づくことになります。誰にも損はさせませんよ」
「だから、お偉方も協力してくれたって訳か」
ま、飼い主サマのご威光も存分に含まれてそうだがな。ハナで笑うシリウス。
先輩が協力してくれたからこそですよと、コンサルは微笑み返した。
「……もちろん、代表には感謝してもしきれませんが」
コンサルだってこれが自分1人の力で為しえることだとは思っていない。シリウスのシンボリ家やURAだけではない。「ともしび」を率いる代表が自分を信任していてくれているからこそ為しえたこと。
「で? もしナリタブライアンが上がってこなかったらどうするんだ」
「上がってきますよ」
なにせ、彼女には――――
秋の東京に、桜が咲く。