春先の胎動①
日本ウマ娘トレーニングセンター学園の生徒会は、他校と比べものにならない生徒自治を実現している。
それは「全てのウマ娘に幸福を」との
いずれは会社や国家を担い、何千何万の民を率いるべき者が
もちろん、いくら血統を重んじるウマ娘社交界といえどその根底に流れるのは残酷なまでの実力主義。
敬愛するべき母祖や親類の家業を継げるかどうかは、この場所で「実力」を示せるかどうかにかかっている。
「すみません副会長。入浴マナーの説明パンフレット、イラストメインで作ってみたんですけれどいかがでしょう?」
「どれ……うん、いいんじゃないか? ただ、もう少し英字は読みやすい方がいいな。枠をもう少し広く取って……」
――――その観点からすると、コンサルの目の前で書類仕事をこなす彼女、生徒会副会長のエアグルーヴは、まさに現在進行形でその「実力」を示していると言えるだろう。
もちろん、彼女が今年からクラシック期の競走ウマ娘としてトリプルティアラに挑むこと……つまり「大事な時期にある競走ウマ娘」であることを思えば、多くのトレーナーは良い顔をしないのだろうが。
「おい、貴様はどう思う」
そんなことを考えていたからか、男の反応は僅かに遅れてしまう。
少し慌てたように椅子から立ち上がれば、すらりと伸びる高身長。
「……拝見します」
パンフレットの原稿を受け取る彼の装いはスーツに七三分けのステレオタイプな身繕い。
首にかけられたゲストIDがなければ、URAから派遣された学園理事の一員かと誤解されそうな風貌のその男は、競走保険を専門に扱う業者「ともしび競走保険コンサルタント」のコンサルである。
彼は原稿を汚さないように縁をもって眺めると……なるほど、これは確かに読みにくいパンフレットだと内心で呟く。
「
「そうなんですか? でも、相手は愛英*1の王族さんですし……」
あんまり砕けた表現は失礼なんじゃ、と生徒会庶務のウマ娘。
そんなことはないですよと彼は笑ってみせる。
「大切なのは『伝えること』です。もしも伝わらなかったら、せっかくのお風呂が台無しになってしまいますよ」
「た、確かに……難しい表現で伝わらなかったら意味ないですよね」
「ええ。その点、イラストを用いるのはいいアイデアです」
そう言いながら彼は原稿を返す。
ふと思い出されるのは地元の銭湯で見かけた注意書き。
『浴槽に入る前に身体を洗え』『タオルを水につけるな』『身体を拭いてから更衣室に入れ』――――などという文言が力強い筆跡で湿気を吸った半紙に書かれていた。
アレほどの命令口調で言われて従うなら、最初からマナー違反など起こらないだろう。
「特に、身勝手な行為で迷惑するヒトがいるというのを伝える上でイラストは効果があると思いますよ。絵もかわいいですし、困っているヒトも分かりやすい」
「かわいいですか? やった、結構自信あったんですよぉ~これでも!」
ぴょんと跳ねて喜ぶ生徒会庶務。
なんだか喜ぶベクトルが違うような気もするが……いや、学生の活動と思えば、啓蒙活動のアイデアより絵の出来映えを褒められた方が嬉しいのかもしれない。
「なるほど……これは他の留学生向けにも使えるな。寮の連絡会議で提案してみるか……?」
そして絵の出来映えよりも啓蒙活動を重視する副会長であるエアグルーヴは、手帳を開いて予定を確認。それから庶務に向き直る。
「今週の連絡会で議題として出そうと思うのだが、このイラスト、使っても構わないだろうか?」
「はい、もちろん! あっ、じゃあ文字のところを直してまた持ってきますね!」
「よろしく頼む」
そしてパタパタと走って生徒会室を出て行く庶務を見送って、それからエアグルーヴはコンサルへと視線をやった。
「すまないな、待たせてしまって」
「いえ、お気になさらず」
確かに待ったのは事実であるが、競走者と生徒会業務を兼任する生徒会役員たちの時間の方こそ貴重なものだろう。「
「それで、頼まれていた件ですが」
ともかく本題へと入るコンサルに、エアブルーヴは身構える気配。
副生徒会長になったとはいえまだまだ幼駒の所作を残す彼女がこれ以上ペースを乱さぬよう、コンサルはゆっくり言葉を紡いでゆく。
「ひとまず、労働省ウマ娘局の参事官にはエアグルーヴさんの意向を伝えさせて頂きました……その上で、是非前向きに検討させて欲しいと」
「そうか」
「とはいえ、課題が多いのは事実です」
エアグルーヴが現在進めているのは、愛英王室からやってくる留学生……プリンセス・ファインモーションの受け入れ準備である。
エアグルーヴも同行したトレセン学園生徒会の欧州表敬訪問にて縁を結んだ彼女は、アジアのレース情勢だけではなく日本の文化、日本の学生生活にも強い興味を示しているらしく……当初予定されていた短期留学から、年単位の長期留学への切り替え手続きを進めているのだ。
もちろん、世界的VIPの受け入れ先となったトレセン学園はてんやわんや。
先ほど庶務が持ってきていたイラストも、ファインモーション殿下が恙ない学生生活を送るために用意されたモノである。
そんな中で未だに決まっていなかったのが、ファインモーション殿下の寝泊まりする場所。
長期留学でホテル宿泊は無理がある。大使館からトレセン学園までは距離がありすぎる。では学園の学生寮は? セキュリティに問題はないのか――――? とまあ、そんな具合である。
「愛英の方々も日本の治安水準には一目置いているとのことでしたが、それでも未だに
そこで言い淀むコンサル。彼とてエアグルーヴが多忙な副会長という立場を掴んだ理由を知っているため、あまりこういう口出しの仕方はしたくないのだが――――。
「――――ファインモーション殿下と同室を希望されるというのは、その。いささか負担が大きいのでは?」
「構わん。元より望むところだ」
しかしエアグルーヴの表情は揺るがない。そこには少々の不安もあったかもしれないが、それを吹き飛ばすほどの強い決意が満ちている。
「先代会長に約束したのだ、私は『理想』を体現すると」
そのためなら、どんな壁にも挑んでみせると。
「…………ですが、今回の件は」
「言ってくれるな」
そこで少々頭を抱えるエアグルーヴ。
そうなのだ。この件にはおそらく……いや十中八九、欧州で引っかかった厄介な縁が関わっている。
つまりファインモーションの姉、エアグルーヴを口説き落としにかかり、挙げ句の果てに
彼女のことを思えば、短期留学から長期留学への切り替え、学園寮への入寮希望……全てが王女殿下の手のひらの上という可能性も否定できない。
もちろん、ファインモーション殿下の同意と協力なしにそんな企てが成立しない以上、まさかと言いたいところだが……。
コホン、とエアグルーヴは咳払い。
「ともかくだ。私はあの王女殿下にも理想を見せつけねばならない。来てくれるならむしろ望むところ、日本の血統が放つ輝きを直に浴びせるのみだ」
「(それ自体はファインモーション殿下を受け入れなくても出来るのでは?)」
とはいえ、決めたことであるのだから口を出すことでもない。コンサルは了解した旨を伝えると、淡々と事務的な話を片付けていく。
「ところで」
そしてひとしきりの用件が片付いたところで、コンサルは水を向ける。
「東条トレーナーとは、その後どうでしょうか」
「ん? あぁ……これといった問題はないぞ」
競走ウマ娘保護規則でも定められている通り、トゥインクル・シリーズに挑戦するウマ娘は有資格者であるトレーナーと契約を結ばなければならない。
これは競走ウマ娘をあらゆる方向から保護するためであり、いかなる例外も認められない規則――――そして生徒会活動とレースの両立……悪く言うならどっちつかずな活動を目指すエアグルーヴにとっては、なかなかに厳しい規則。
そこでコンサルが提案したのが、名門チーム〈リギル〉を率いる東条トレーナーとの契約だった。
「よく見ていてくれるし、私の生徒会活動にも理解を示してくれる。流石に、専属トレーナーほど密着して指導してくれるわけではないが、それでも彼女の豊富な知識と適切な助言には助けられている」
あのようなトレーナーがもっと増えれば、多くのウマ娘がさらなる高みを目指せるだろうにとエアグルーヴ。
「ええ、そうですね」
もちろん、本当に東条トレーナーの指導法が「正解」なら今頃トレセン学園は徹底した管理主義でトレーニングを行う場所になっていることだろう。
しかしそうはなっていない。〈リギル〉のような管理指導を受け入れられるのは、エアグルーヴをはじめとする高い志、つまりレースへの目的意識を持ち、ストイックな性格をしているウマ娘だけである。
「それにしても、よく彼女への伝手があったものだな」
「仕事柄、当然のことですよ」
「それはそうだろうが……」
なにかを言いたげに口を開きかけるエアグルーヴ。しかしそれは言葉にならなず、視線と尻尾が戸惑うように揺れる。
「貴様はなぜ……いや、そうだ。頼みたいことがあったのだ」
頼んでばかりで申し訳ないが、と。
「馬喰程度に出来るお手伝いであれば」
「…………実は、貴様に見て欲しい競走ウマ娘がいてな」
「学外の方ですか?」
「いや」
エアグルーヴは生徒会室備え付けの書類棚からあるものを取り出す。
それは選抜レースなどの出走表に載せられる、簡単な経歴を記した出走者カード。
「彼女なのだが……」
「拝見します」
胸から上を写した写真には、端正な顔立ちのウマ娘が写されている。
ストレートの栗毛。
小さく結ばれた唇。
一見するとピントがあっていないようにも見える深い瞳。
年相応の活発さや幼さを感じさせない雰囲気が写真越しにも伝わってくる。
そして競走名の欄に書かれた名前は――――
「――――サイレンススズカ」
「彼女は地方の出身で
そこで言葉を濁すエアグルーヴ。
「なにか問題でもあるのですか?」
「いや、問題はない。正確には、この学園において問題とされるような問題ではない」
妙な言い回しをするエアグルーヴ。コンサルがその真意を確かめるより先に、彼女はつまりはこういうことだと切り出した。
「彼女は、走ることが好きでな」
「それがなにか問題でも?」
「そう、そこだ」
決して、走ることが好きなことは問題にはならないのだとエアグルーヴ。
なにせここはトレセン学園。競走ウマ娘を育成する場所であればこそ、走るのが好きという生徒の個性は尊重されるべきもの……むしろ必須要件ですらある。
いかなるトレーナーであろうとチームであろうと、走らないトレーニングメニューなどはないのだから。
「では、他に何か問題が?」
「いいや」
生活態度も問題なし、同級生との関係も良好。
サイレンススズカは決して問題児ではないと何度も、何度も前置きをした後にエアグルーヴは彼女の問題点を告げる。
「走ることが好きすぎるのだ、彼女は」