「競走保険?」
「はい。競走ウマ娘の皆さんが安心して走るための保険です。それを管理するのが競走保険コンサルの仕事になります」
ざっくりと説明するコンサル。もちろん、条件戦までを走るウマ娘は学園が引受ける集団保険に守られているので、そもそもデビューすらしていないサイレンススズカには関係のない話だ。
「そうなんですね……それで、今日は保険のお話を?」
「いいえ。本日伺ったのは保険の話をするためではありません」
そう言いながらコンサルは競走保険コンサルが持つもう一つの顔を見せる。
それは旧来からの馬喰が役目としていた、トレーナー探し。
……厳密には、どうしても担当トレーナーと反りが合わずに解約支援を申し出たウマ娘に「次のトレーナー」を紹介する仕事となることが多いのだが……どうしても担当トレーナーが見つけられない未デビューウマ娘が用いることも、なくはないサービスだ。
「むむ? ということはですよコンサルさん」
横から口を挟んだのはマチカネフクキタル。
「コンサルさんは、ワタシにトレーナーを見つけて下さる方? やはり運命のヒトなのでは?!」
「いえ、まあ。そのような依頼があれば、もちろん探しはしますが……」
当然だが、そんな依頼は基本的にない。
ウマ娘が
なにせチーム側からしてみれば、誰とも契約していないウマ娘は「狙い目」である。G1にしか興味がないチームはまだしも、大抵のチームにおいて
……メディアに露出するのは華麗なG1レースばかりだが、そもそも開催されるレースの大半が条件戦なのだ。
従って、チーム側からすれば選抜レースで成果を挙げていないウマ娘も十分に契約する意義がある。なにせ未勝利戦を勝たせるだけでも上澄みの3割*1にランクインできるし、なんなら勝てなくても〈チーム〉への月謝は発生するのだ。契約しない理由がない。
そして、そういった事情があるために競走ウマ娘の専属契約は
「とはいえ、かの〈リギル〉や〈スピカ〉といったトップチームに入りたいとなれば話は別です。そういった場合には、こちらにも様々な支援を行う用意があります」
「むむ……では運命のヒトではなく運命を用意するヒトですか……」
入りたいチームに入ることが「運命」ならば、そういうことになる。
もっとも、チームに入ることを目標としているウマ娘が大成した例は聞かないが……いや、大成したらそんなことは誰も言わないか。
そんなことをコンサルが頭の片隅で考えていると、サイレンススズカが控えめに手を挙げた。
「あの……少し聞きたいことがあるんですけれど……」
「なんでしょう」
「コンサルさんの言った〈リギル〉や〈スピカ〉というのは、その。強いチームなんですよね?」
「そうですね。昨年も複数の重賞を獲っています」
「やっぱり、強いチームと契約した方がよいのでしょうか……?」
原則としては、その考えは間違っていない。
強い〈チーム〉とは、常に強いからこそ強いチームである。それは特定のスターウマ娘に頼らないチーム運営が出来ることを意味しており……ウマ娘の素質を見抜き、そしてそれを的確に伸ばすメソッドがあることを示している。
しかし、そのメソッドが全てのウマ娘に当てはまるとは限らない。
これは個人的な考えですが、そう前置きしてコンサルは言う。
「競走ウマ娘本人の目標によります。いわゆる『強いチーム』は知名度の高いレース……それこそ、ダービーや有馬記念のことを熟知しており、そのレースで勝ちたいのであれば、そういったトップチームに入ることは悪くない選択肢です。しかし、地方との交流重賞を勝ちたいのであれば、地方重賞にも精通したダート専門のチームに入ることをオススメします」
そもそも適性や脚質も分からないのに
「も、目標レースですか……?」
眉を下げ、困ったような顔をするサイレンススズカ。
当然だろう。トレセン学園に入学するウマ娘は、そのほとんどが自分の脚質も知らずにやってくる。ほとんどのウマ娘は有名なレースを「知っているから」という理由で目標レースに掲げており……そこには目的意識も、自分の走りへの課題意識もなにもない。
「いえいえ。デビューもまだのタイミングで目標レースを決めるのは難しいことです。そうですね……ではもっとざっくばらんに」
あなたの夢はなんですか?
その問いかけに、目を輝かせたのはマチカネフクキタルであった。
「はい! 運でトゥインクル・シリーズを制覇することです!」
独創的な夢である。それ自体は大変素晴らしいこと。
「ではその夢を叶えるために、何をすれば良いでしょうか?」
「ぬぅっ? そういわれますと、確かにどうすれば……? 功徳を積んだり、お守りを身に付けるとかですかね?」
そして
「ええ、ですから。そこで馬喰の出番です。皆さんの夢を支える方たちをご紹介します」
そしてもしも夢破れる日があれば、その時は喜んで恨まれ役にもなる。
口にすることはないが……もしレースをやめたければ、それでも構わない。
「サイレンススズカさん。あなたの夢は?」
「夢……か、どうかは分かりませんけれど……走るのが好きです」
コンサルはその瞳をじっと見つめる。透き通って湖のような瞳が小さく揺れる。
「レースをすると、もっと早くなれるような気がするんです。私を、もっと速くしてくれる」
だから私はレースで走りたい、とサイレンススズカ。
コンサルは次の言葉を選ぼうとして、選ぶべき言葉がないことに気付く。
今の話を聞く限り、レースで走ること自体は目標ではないのだろう。かといって、
全力疾走の走り、極限状態での最終直線――――それでも競走ウマ娘がしばしば限界の先へと一歩を踏み出すのは、高め合うライバル、競走相手がいるからこそ。
それは、本当に素晴らしいことなのだ。
本来なら、素晴らしいことであるべきなのだ。
†
呼び出された先は、小洒落たバーであった。
国際レース課の先輩ならもっと暗くてアングラ風な場所を好むだろうなと頭の片隅で考えながら、コンサルはそのバーの扉を開ける。
「よう。久しぶりだな」
カウンター席で手を挙げるのは、コンサルにとっては見知った顔。
促されるままに隣に座ったコンサルに、マスターが無言でグラスを差し出してくる。
「いえ、今日は」
「そう言うな。少しは飲めよ」
「……では」
舐めるように、少しだけ。
もちろん、こうして酒を勧めるという行為だけでも相手が前向きに話を聞いてくれることは伝わる。そういったメッセージはありがたくもあるのだが……。
「それにしても、まさか貴方がくるとは」
「ん? そうなのか? アンタなら想定内かと思ったが」
「呼び出し先が学園でなかった時点で、そんな気はしていましたが……」
結論から言うと、目の前の彼とは微妙に反りが合わないのである。
「なんだよ。俺がお前のこと嫌ってるとでも思ったのか?」
「いえ、そういう話ではなく……」
「アレがアンタの仕事だろ? 分かってるよ」
結論から言うと、コンサルとトレーナーは何度か衝突している。
「大事なのはテイオーが走りきることだった。そうだろ?」
もちろん、かのトウカイテイオーの怪我を巡って、である。
通産省が主催するトゥインクル・シリーズに出場するためには〈チーム〉との契約が欠かせない。チームはトレセン学園に所属する競走ウマ娘に課外活動としてのレース活動を提供する存在であり、チームの中でレースに向けた厳しいトレーニングを積むことになる。
チーム〈スピカ〉との契約を結んだトウカイテイオーは、トレーナーの提案する独特なトレーニングによってメキメキ走力をつけていった。
そして一方、労働省の競走ウマ娘保護規則に則り競走保険を提供するのがコンサルの仕事である。コンサルの仕事は究極的には事故を起こさせないことであり……要するに、トレーナーの提案する「独特なトレーニング」に度々疑問を呈していたのである。
これはコンサルの立場としては当然である。彼は保険の仲介人であり、つまり引受人にハイリスクな保険を売りつける存在。トレーニングやレースで競走ウマ娘が怪我をしてしまえば、損をするのはコンサルの商売相手である引受人だ。
「ま、テイオーが卒業しても、すぐ関わることになるだろうとは思ってたさ」
この業界は狭いからなとトレーナー。
確かに、トゥインクル・シリーズを中心に回るレース業界は狭い。トレセン学園はマンモス校だが、それでも数千人の生徒数。その生徒たちも全員がチームに所属するわけではないから、チームの総数はそう多くはならない(なれない)のだ。
「では、本題に入っても?」
確認するコンサルに、もちろんと肩を竦めるトレーナー。こういう相手とはビジネスライクな関係を強調するに限る。お互いに。
「サイレンススズカさんと会って、お話ししました」
エアグルーヴからの頼みを受けた時点で、コンサルのやるべきことは単純であった。
つまりはトレーナーの紹介。契約への支援……そして、おそらくは「危険」な走りをするサイレンススズカを、守るためのスキームの確立。
「彼女の考え方……トゥインクル・シリーズに挑戦する理由は、端的に言えば速さの追求なのでしょう。
コンサルの問いかけに、チーム〈スピカ〉のトレーナーはグラスを傾けた。
まるで時間を稼ぐかのようにゆっくりとその中身を楽しんでから、彼は言う。
「確かに、危険というのは言い過ぎだよな」
「……」
「だってそうだろ? ウマ娘にとっちゃ
トレーナーはそう言いながら、言葉を選ぶように一息。
「ま、アンタが懸念してることは理解してるつもりだ。ウマ娘の脚は『ガラスの脚』。強力なエンジンに耐えきれず、身体がもたないってことはよくある話だ。それで、彼女の話を勘案するに……」
「……ええ。サイレンススズカさんは、本当に『走ること』だけを見ていました」
彼女が本心から走るのが好きなのは分かった。
ただ純粋に、本心から。走るのが好きなのだと分かった。
であれば……トゥインクル・シリーズへの出走は。リスクの高い競走者としてのキャリアは。
「彼女にとっては、最良の選択ではないのかもしれません」
「それで? 走らせないって選択肢があるのかよ」
コンサルは頭を振る。
まさか。馬喰は競走ウマ娘の味方である。競走者でないウマ娘は、そもそも
「とはいえ、このままでは最悪の事態も想定しなければなりません。ひとたび事故が起きてしまえば……全員が不幸になる」
もちろん。それが保険の目的である。
ひとつの悲劇が当事者だけに襲いかからないように、分散する。
そして等しく、関係者全員が不幸になる。
だからこそ、全員にとっての最良は、常に事故を起こさず、競走ウマ娘が走りきることになる。
そしてなにより、事故が起きれば……当事者たる競走ウマ娘は走ることの叶わぬ身体になってしまうかもしれない。走ることが好きなウマ娘から走りを奪う、それがどれほどむごいことか、コンサルには想像することもできない。
「だからこそ。サイレンススズカさんには、是非とも『事故を起こさない』トレーナーの指導の下で走って頂きたいのです」
理想論である。
怪我をしないトレーニングなど存在しないし、事故の起きないレースなど存在しない。
常にリスクが潜んでいるからこそ、競走保険は商品となるのである。
「……なるほどな。少し話が見えてきたぞ」
〈スピカ〉のトレーナーはコンサルを見やる。真剣な表情の中に、イタズラ好きの悪ガキのような気配が潜んでいる。
「アンタ、サイレンススズカを転籍させる前提で話してるな?」
トゥインクル・シリーズでは、
「トレーナーと競走ウマ娘の契約はあくまで契約です。である以上はプラトニックな関係であるべきです」
「指導方針が合わないなら、サイレンススズカの手綱が握れないなら担当を変える。それはいい。だがそれを前提にするっていうのはどういう了見だ?」
「なるべく早く契約を結ぶ必要があるからです」
コンサルは事情を説明する。王女殿下の留学と学園内の問題児、愛英連合王国の懸念、忖度する学園上層部。そして契約相手が見つかりそうにないサイレンススズカ。
それをひとしきり聞いて、トレーナーは大きなため息。
「……で、俺に踏み台としての白羽の矢が立ったってワケか」
「ピンフッカーと言って欲しいものね」
割り込んできた声に、トレーナーの肩がビクリと跳ねる。彼はバツの悪そうな顔をしてから声の主を見て、それからコンサルを睨んだ。
「おい、来てるとは聞いてないぞ」
「予想されたことでは?」
コンサルと〈スピカ〉トレーナーの相性がそこまで良くないのは周知の事実である。
それなら、いざという時に間を取り持つ役目を持った人物が控えているのは当然のことであろう。
そうして現れたもうひとりのトレーナー、名門チーム〈リギル〉を率いる東条トレーナーはマスターに慣れた様子で注文。
「正直に言うとね。
そして彼女は内情を説明していく。
すなわち、なぜ彼女がサイレンススズカをスカウトするに至らなかったかの経緯を。
「私は、あの子が一番長く活躍できて、つつがなく競走生活を送るためには先行か差し戦術で走るのがいいと思っているわ。ただ……彼女の考えには合わないでしょうね」
チーム〈リギル〉は管理主義的トレーニングを採用しているチームだ。シンジケートを通じてスポンサーやスポーツ大学とも連携し、所属するウマ娘たちの競走能力を数値化、トレーニング負荷や出走スケジュールを調整していく。
数字に裏付けられたトレーニングに支えられることで、ウマ娘をより速く、より強靱にする。
その取り組み方は――――ひたむきに走るのが好きなサイレンススズカとは相性が悪い。
「とはいえ、どうしようもない学園の都合で退学にさせられるくらいなら私が引き取るしかないとは思っていたけれど……まあ、その時は後々貴方に任せればいいと思っていたしね」
「おいおい。聞いてねえぞ?」
「だって、言わなくてもサイレンススズカが走っているのを……もどかしそうに走っているのを見たら口を出してくるでしょ?」
ああ、口より先に手が出るかしらねと東条トレーナーは軽口。
「おハナさん*3からの信頼がなくて泣けるぜ、余所のウマ娘に手を出すなら義理くらいは通すってのに」
「ええ。だからそのタイミングでお願いするつもりだったわ」
「おいおい……」
呆れたように言うのは〈スピカ〉のトレーナー。
「じゃあアレか、俺はおハナさんの尻拭いをさせられるところだったってことか?」
「あら。いつもトモを触ってる貴方なら出来るでしょ」
「人聞きが悪いこと言わないでくれ。トモは競走ウマ娘を如実に語るんだぜ、そこに触れなくて何が分かるっていうんだよ」
「あの、話進めてもいいですかね?」
横道に逸れつつあることを察したコンサルが口を開くと、一斉にコンサルを見た2人は咳払い。まさか忘れていたなんてことはないだろうが……いや、ともかく話を詰めなければ。
「それで私の提案としましては、サイレンススズカさんのトレーニングや
可能な限り、と強調するコンサル。
それはつまり、サイレンススズカかトレーナー、どちらかが限界を迎える前にチームを転籍させるという意味である。
「なるほど、それでおハナさんとの直接契約はナシになったわけか」
「ええ。一度〈リギル〉から転籍してしまうと、サイレンススズカさんに悪い印象を持たせてしまう可能性が高いですので」
それは申し訳なさであったり、もしくは反感であったり。
いずれにせよ、彼女たちがまだ学生で、仕方ないことを仕方ないと割り切れない子供である事実には配慮しなければならない。
「一人目のトレーナーで上手くいけばそれでよし。ダメなら次のトレーナーにバトンタッチってワケだな」
「そうです。それを理解したうえで、サイレンススズカさんを引き受けて頂きたい」
†
「おハナさんはさ、どう思うよ。この件」
コンサルが去った後のバー。トレーナーは隣に座るライバルに問いかける。
「どうもなにも。私は有効な選択肢と思ったから乗っただけよ?」
「そりゃ、アイツと話をまとめたおハナさんはそうなんだろうけどよ……」
頭を掻くトレーナーに、東条トレーナーはグラスを傾けてから一言。
「そもそも。本来ならスカウト控えなんか起きず、みんな
トレーナーと競走ウマ娘の契約は常にウマ娘優位。これはウマ娘が自分にあうトレーナーを自由に選ぶためのシステムである。
「私たちは、悲劇に敏感になりすぎね」
「おハナさん。それは」
止める声を聞かず、東条トレーナーは言葉を継ぐ。
「事故は統計的に起こりうることなのよ。だから保護規則では保険の加入を義務づけている……それに、本来なら学園に入学した時点で『リスクは折り込み済み』でないとおかしいでしょう?」
もちろん、それを夢見る少女に過ぎない競走ウマ娘たちに求めるのは酷だろう。彼女たちは生身で時速70キロを叩き出す。彼女たちにとって速さは
「なら。誰かが止めるべきだった」
無論。事故は関係者全員にとっての悪夢である。引受人が損をする、トレーナーの名声に傷がつく、ウマ娘の夢が潰える……潰えるだけならまだいい。
「誰かが止めなかったのだから、その責任は止めなかった誰かが負わなきゃいけない」
「じゃあなんだよ。走る
「
その言葉は、そのまま競走保険への批判となる。
つまり、競走ウマ娘を絶対に救済するという――――その理想への。
「彼
競走ウマ娘の救済システムを証券化する。それは怪我をしてしまったウマ娘を救済するためには絶対に必要なことであった。現代医療の治療費はとんでもなく高額で、リハビリテーションも全てを健康保険でまかなえるわけではない。
脚が治る保証もないし、治ったところで……「馬喰」という
しかし競走ウマ娘の走りに値札をつけたことは、そのまま競走ウマ娘という「リスク」を顕在化させることになってしまった。
シンジケートによる小口資金の動員、RKSTポイント導入による海外マネーの呼び込み……それでも、リスクはリスクのまま。
「そして、サイレンススズカはリスクになってしまった」
速すぎるウマ娘が怖い、なんて。トレーナーとして矛盾した状況に追いやられてるのよ、私たちは。そう言う東条トレーナー。
「けど、アイツはサイレンススズカの引受人を見つけてくるだろうよ」
「ええそうでしょうね。
でもその次は?
「いずれ……いいえ、すぐにサイレンススズカよりも『速い』ウマ娘が現れるわよ。この後にもすぐに。そうして何度も繰り返して、何度も上手くいくと思う?」
「けどよ。おハナさん、俺たちはトレーナーだぜ? トレーナーにウマ娘を速く走らせない選択肢なんてあるか?」
「ええ。だから、いつか来るのよ。保険で救えない子が現れる日が」
グラスの中の氷が、僅かに溶けて音を立てた。