ソレは脚を治せない。
けれど、君を守れるのなら。
トレーナー同士の関係というのは、良くも悪くも他人行儀なものだ。
学校の同期や歳が近い、趣味が合うなどの繋がりはあっても、トレーナーとは突き詰めれば〈チーム〉の統括者であり、競走ウマ娘にレースという「課外活動」を提供する業者である。つまりは同業他社ということになるわけで、それぞれがチームの企業秘密を持っている。過度な接触は情報漏洩や癒着に繋がりかねない。
……ただ、それでも。まだまだ経験が足りない新人トレーナーへの助言や指導は、決して悪いことではない。
――――そして、もちろん。新人トレーナーが先輩の言うことを聞く理由なんてものは、存在しない。
「あの子は止まれないんじゃない、止まらないんだ……お前、その意味が本当に分かってるのか?」
だから、その言葉を聞いた彼が顔を歪めたとき、直感で止められないのだと悟った。
一度でも走りに魅入られてしまったら、止められなくなる。それは、ウマ娘だけではなくトレーナーだって同じなのだから。
そして少しばかりの時が経って……彼は、大量の学術書を抱えていた。どれもウマ娘に関するケア、怪我の予防や身体作りに関するもの。
学校で手に取るよりも格段に難しいそれらに、彼は真正面から食らいついていた。
「彼女は、走ることで……走れるから、あんなに幸せそうなんです。それを走らせないことなんて……自分にはできません。誰も契約しないなら、自分が契約します」
覚悟を、決めたのだろう。ならば、もう、言えることはない。
「なあ。これ、よかったら役立ててやってくれ」
「え、これって……」
「ウチの担当の身体作りをするときに使った本と、ざっくりと訳したノート。ま、自分用だったから鵜呑みにはしないでくれよ?」
「……! ありがとうございます!」
なら、せめて。彼らに後悔が残らぬように。
「前は、脅すようなこと言って悪かった。応援、してるからな」
そうやって、俺は――――2人を笑顔で地獄に突き落としたのだ。
†
春シーズンを締めくくるグランプリ――――宝塚記念は、文字通りのお祭りだ。
「よっしゃ! ナカヤマ、環境七福神*1はひとり騒音大明神にならない55デシベル未満で騒ぐぜッ!」
「……たく、細けえなぁオイ。ようは節度を守って騒ぎゃいいんだろ?」
パドックで芦毛と鹿毛のウマ娘が「親♡父」「罵って♡」などと書き込まれた
「
「
「「きゃ~! だっちしちゃうわ~!」」
「他山の石とするんだよ。オル」
「ふん……余があのような羽目の外し方をするものか」
そして祭りとは、人々を自由に――――解放する。
ファン投票で上位を獲得することによって出走権を与えられるグランプリ・レース。それが宝塚記念。ゆえにここに集まったウマ娘は……誰かに背中を押されて、ここにいる。
「あの~、コンサルさん?」
「なんでしょうか。フクキタルさん」
「ワタシ、どうしてここにいるのでしょうか……?」
そんな阪神レース場にて、バツが悪そうに縮こまっているのはマチカネフクキタル。
「お暇だったのでは?」
「んな雑な理由?!」
そんなワケはない。
「グランプリレースを見学しておくことは、いい勉強になりますよ」
「うっ…………やはり、コンサルさんも怒っていますよね……」
「まさか。理由がありません」
前年の秋シーズンは文字通りに神がかった活躍をしたフクキタルであるが、金鯱賞にてサイレンススズカに敗北。そして宝塚記念を前に脚部不安が明らかになるなど、春シーズンを散々な結果で終えることになった。
そして、今回の宝塚記念回避をフクキタルは気にしているようだが……コンサルとしては口にしたとおり、その点については全く気にしていない。
むしろ、
「こう考えてください。グランプリレースは年に2回もあるんです。もし悔しいとお考えなのでしたら、その悔しさをバネに、今年の有マや来年の宝塚で活躍すればいいのです」
まさしく正論でフクキタルを励ますコンサル。
今年のレース結果に対しては「いやぁ勝てなかったのは運がありませんでしたね!」と言っていた彼女であるが……脚部不安を運がなかったと言うつもりはないらしい。もちろん、天罰とも。
彼女にとって「運のせい」と「自分のせい」の境界はどこなのだろうか。
トレーニングなど、努力できる部分は自分。そしてどのトレーニングを選ぶかというのは運頼み。コンサルの助言を聞いているのも、コンサルが運命のヒトだというお告げ(?)があったからに過ぎない。
では、彼女にとっての脚部不安とは「自分のせい」なのだろうか。別にレース中に無茶をしたりトレーニングや日常生活でミスをした訳でもない。単純に身体に弱い部分があって、そこの脆弱性が露呈しただけである。
「……」
「およ? どうされましたコンサルさん」
「あ、いえ。なんでもありません」
「そうなんですか?」
では、ウマ娘がウマ娘であるが故の弱さ――――速すぎるスピードに脚が持たないことは、果たしてウマ娘の責任なのだろうか。
『誰も契約しないなら、自分が』
『それで? 走らせないって選択肢があるのかよ』
『その選択は競走者としてあり得ない』
『コンサルさまに止められなければ、誰に止められるのですか?』
きっと、それは。
ウマ娘の責任では、ないのだろう。
コンサルはウマ娘を守るためと馬喰になった。そしてウマ娘をいざという時に守るために、ウマ娘の夢を叶えるために尽力をしてきた。
馬喰は完全な他人ではならなかった。あくまで近しい他人でなければ、いざというときに止めることが出来ないから……そう言い訳をし続けながら、夢へとひたむきに走っていくウマ娘たちの、背中を押してきた。
そして、その結果が、これだ。
『それでは続きまして……本日の一番人気をご紹介しましょう。ファン投票でも堂々の第一位を獲得、栗毛の弾丸、異次元の速さ――――サイレンススズカ!』
パドックに詰めかけた観客が一斉に沸く声が聞こえる。
トゥインクル・シリーズは通産省による興業だ。ウマ娘の健全な育成よりも、いかにその熱狂を活用してレースを盛り上げられるかに注力する。
だからパドックアピールを盛り上げるためのアナウンスは当然のこと、人気ウマ娘を最後に紹介するのも当然のこと。
なにも、間違ってなんか、いない。
「……――――さ――――」
サイレンススズカがスピードの限界点に達してしまうのはいつだろうか。
次第に洗練されていくスタートダッシュ。スタートした瞬間から進路妨害も許さない大逃げ戦術。
そして、サイレンススズカの「走ることが好き」という致命的な
「――――さん! ―――ルさん――――!」
彼女はきっと。いや間違いなく。
『生命には生まれながらに自己を保存するための本能が備わっている――――躊躇うさ』
「コンサルさん、コンサルさーん?!」
「!」
フクキタルの声かけで我に返るコンサル。既にパドックアピールは終わっており、観客たちは続々とコースサイドへと向かっていく。
「す、すみません。少し考え事を」
「考え事? もしや、どなたが勝つのかを考えていたのですか?」
「……そんなところです」
サイレンススズカが勝つだろう。
いやいっそのこと、サイレンススズカより速いウマ娘が現れてくれれば――――
『スピード・バブル、ですわ』
――――――次はそのウマ娘が、脚を壊す。
「珍しいわね。貴方が
声をかけてきたのは東条トレーナーであった。単純に観戦しにきただけのコンサルとは違い、彼女は担当するエアグルーヴの付き添いとして来ている。
「階下は凄い混雑ですからね。フクキタルさんに負担はかけられません」
今は空前絶後のレース・ブーム。そして春シーズン締めくくりの宝塚記念となれば冗談では済まないほどの観客が押し寄せている。フクキタルを連れてきた手前「もしも」が許されないコンサルは、とにかく安全策で関係者席へと回ったのだ。
「……そう」
どうやら東条トレーナーには思うところがあるようだが、フクキタルの方をチラリと見ただけで本題には切り込んでこなかった。
「それで、誰が勝つとみてるの?」
代わりに放たれるのは、当たり触りのない雑談。
「サイレンススズカさんですよ」
「あら。
「お世辞を言って欲しいんですか?」
もちろん、勝ちの目がないとまでは言わないが。
「過大評価とは、考えないのね。サイレンススズカのこと」
「過大評価であって欲しいと思っていますよ」
それは紛うことない本音である。
視界の向こう、4コーナーのあたりでゲートインが進んでいく。くるくると左回りをしながら係員に誘導されて収まっていくサイレンススズカ。
「栗毛の弾丸、最速の機能美、異次元の逃亡者……スピードで全てを押し切る走りには、駆け引きもなにもありません」
最初から先頭で最後まで先頭だったら1着を取れる。
それは単純明快で、理論上は最強の走り――――それを現実のものにしようとしているサイレンススズカが、一回目の直線を駆け抜けていく。
苦しそうな顔で捕まえにかかるウマ娘もいるが、それをものともせずに彼女はするりと集団を抜け出し、1コーナーにかかる前には
大盛り上がりの観衆、今回も強い強すぎると歓喜の渦。
「世間では、今のレースが一番面白いらしいわよ」
「スピードだけではなく、人気もバブルって訳ですか」
「バブル?」
首を傾げた東条トレーナー。いえ、こちらの話ですとコンサル。
サイレンススズカは向こう正面へ。彼女の大逃げに付き合わず、かつ彼女をギリギリの射程圏内に収めようとするウマ娘たちが位置取りを調整していく。
「……コンサルさん? 大丈夫ですか?」
フクキタルが心配している。なにかを答えなければと思うが、上手く言葉に出来ない。
鼓動が早まっていく。ターフヴィジョンに大映しになるサイレンススズカ、すぐに後続へと代わる画面だが、コンサルの網膜には彼女の顔が張り付いて離れない。
笑っている。
そうだ。きっと彼女はいま、とても幸せなのだろう。
走ることが好き、走っているから楽しい。そしてスピードの先へ。
彼女の想いを叶えるなら、今が正しい。こうして彼女が走っている今が、正しい。
――――それに、あの時とは違って、明確な予兆も、本人の焦燥だってない。
『彼女は、走ることで……走れるから、あんなに幸せそうなんです』
それでも、コンサルの脳裏に浮かぶのは覚悟を決めて微笑む誰かの顔。
「コンサルさん?」
「あぁ、いえ。大丈夫ですから」
呼びかけるフクキタルの声に焦りが混じったのを聞き取って、コンサルは慌てて返事をする。サイレンススズカは3コーナーへ。
そして阪神レース場の大回りな3コーナーから4コーナーへの接続点で――――後続集団が、動く。
「あっ!?」
コンサルの顔に恐怖が浮かぶ。サイレンススズカを捕まえる群れから一気に飛び出した1人のウマ娘。当たり前だが、先頭よりも速い速度で襲いかかる。
「うっひょ~ッ! さすがッ!!」
フクキタルが面白いものを見つけたとばかりに声をあげる。そういえば、あのウマ娘もフクキタル、そしてサイレンススズカの同期だったか……もうひとりの同期、メジロブライトは後方に控えたままタイミングを伺っている。
『そして「強いウマ娘」の定義は「速いウマ娘」に置き換わりますの――――であるからこそ。誰かが路を示さなければ』
彼女はスピードには付き合わないのだろう。それは至難の路だ。いくら天皇賞春を制した彼女も、中距離となれば
「ここからよ」
東条トレーナーが拳を握りしめる。エアグルーヴが進出、いよいよ最終直線。
――――スピードの限界点が、せまる。
「……とまって、くれ」
同期のウマ娘が、エアグルーヴが、メジロブライトがサイレンススズカの背中を追う。
その差が縮まって、接触しそうな場所まで来て、僅かに並んで。
「!」
――――だが、捕まらない。サイレンススズカ再加速。
そのまま突き放し、1着でゴール板を駆け抜ける。
大歓声が爆発する。放心気味のウイニングランを終えたサイレンススズカが、思い出したように観客席へと微笑みながら手を振っている。
「やられたわね……これが、アイツの言ってた『逃げて差す』」
最初はなに言ってるんだかと思っていたけれど。そうため息交じりに座る東条トレーナー。
それからエアグルーヴを迎えるために地下バ道へと移動しようとした彼女は、固まったままのコンサルの姿に気付いた。
「ねえ、いつまで突っ立ているつもりなの?」
「…………」
コンサルはターフを見ていた。
そのターフというのは、おそらく阪神レース場。
しかし宝塚記念では、ない。
「どうして、止まってくれないんだ」
「……そう」
その言葉の意味を理解した東条トレーナーは、己のすべきことを瞬時に判断。
「マチカネフクキタルさん」
「ふえっ? ワタシですか?」
「ええ、悪いけれど一緒に来てくれるかしら?」
「へっ……いえでも、ワタシはコンサルさんに連れてきて頂いていますし」
「彼は
言葉よりも、強い視線で語りかける東条トレーナー。その視線は、醜態を晒すコンサルへと向けられている。
「あなたは、結局『あの頃』に囚われたままなのね」
†
阪神レース場。
地下バ道にて、彼は静かに担当ウマ娘の帰りを待っていた。
胸ははち切れそうなほどに高鳴っていて、本当は今にでも走り出したいくらいだったが――――それでも、彼女に相応しいトレーナーであろうと、高鳴りを抑えようと努力し、胸を張る。
「トレーナーさん」
「!」
走らないように、彼はゆっくりと前に踏み出す。
おかえり、お疲れ様、おめでとう、ジュニアを準備期間に充てた甲斐があったね――――言うべき言葉は、いくらでもあったのだろうが。
「
なによりも心に焼き付いて離れないのは。
「素晴らしい走りだった。そしてなにより――――」
素晴らしい、スピードだったよ。