その『紙きれ』で救えますか?【完結】   作:帝都造営

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スピード・バブル②

 

 レースに「たられば」は存在しない。

 もしも、こうしていたら、ああしていたら、なんて。そんな問いかけは無意味である。

 

 もちろんそれは、レースだけではなく。人生においても。

 

 

 

「うおっしゃぁぁ~! お嬢ッ! もっかい走っとくかぁ?!」

「……」

 

 担当ウマ娘が目線で確認を求めてくる。トレーナーは頷いた。

 

「是非に」

「うっし! んじゃいくで~~~~~!」

 

 

 夏合宿。特別な環境、特別なモチベーション。ウマ娘の成長が格段に見込まれるその場所で、スプリント路線のウマ娘たちが合同練習に励んでいる。

 ……もっとも、短距離路線がさして整備されていなかった当時、スプリンターとはマイル以下を走る選手(マイラー)とほぼ同義。実際、彼の担当するウマ娘ダイイチルビーも、秋路線の大目標はマイルチャンピオンシップに定めていた。

 

「(春のマイル頂点を競う安田記念を獲れたんだ。ここでマイルCSを獲れれば、春秋マイル王者になれる)」

 

 そしてダイイチルビーのトレーナーには、僅かな焦り。

 それはティアラ路線を走っていた頃と比較して彼女の話題性が落ちていること――――もちろん、話題が競走ウマ娘の全てという訳ではないのだが……彼女はとかく、母や祖母に劣らないウマ娘になろうとする意思が強すぎる。

 

「もっと、レースを楽しんでくれればいいんだけれど……」

「トレーナーさん?」

「うおっ」

 

 まさか誰かに聞かれているとは思わず、肩を跳ねらせるトレーナー。

 

「わっ、ごめんなさい。おどかすつもりじゃ」

「ああ、うん。うん、分かってる。こっちこそ驚いてゴメン」

 

 そう言いながらも、トレーナーは()()()()()

 

「ケイエスミラクル、なんでここに……? 昨日レースだったばかりだろう?」

「えっと。そうなんですけれど」

 

 先日のレースを圧勝したウマ娘は、困ったように微笑む。

 

「居ても立ってもいられなくって。ほら、今は夏合宿ですから」

「それはそうだけれど、君のトレーナーは」

 

 ほらあそこにと彼女が指さす先に、追いかけるように走ってくる姿。

 

「ならいいんだけれど……っと!」

 

 休養はいいのか。そう言いかけたその時、視界の端で担当ウマ娘がゴールに到達するのが見えた。ストップウオッチ停止。

 危うく計測ミスするところだったと胸をなで下ろすトレーナーの元へ、ダイイチルビーが戻ってくる。

 

「トレーナーさん。タイムは……ミラクルさん」

「やあ、ルビー。やっぱり君は、はやいね」

「ミラクルさんこそ。昨日のレースはお疲れ様でした」

「ううん。グレードも低いし……こんなところで止まっていられないから」

「…………」

 

 

 レースに「たられば」は存在しない。

 もしも、こうしていたら、ああしていたら、なんて。そんな問いかけは無意味である。

 

 だが、それでも思ってしまう。

 あの時、あの段階で気がつけていれば。止められたのだろうか。

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

「……熱中症には特に気をつけるように。救護班も医者の不養生とならないように気をつけろ。それでは会長。最後にひとことお願いします」

「お前の話は長すぎる。解散」

「こらッ! ブライアン! せめて締まることをいわんかッ!!」

 

 

 今年も夏合宿が始まる。

 

 

 普段通りならメディアの注目はクラシック期。いわゆる「夏のあがりウマ」を探して取材陣が詰めかけるところだが……そうでなくても今年のクラシックは層が厚い。

 最速の機能美(サイレンススズカ)とはまた異なる、ある意味では逃げの正統派といえる奇術使い(トリックスター)の逃げウマ娘。王道の先行・差し戦術を駆使するダービーウマ娘。血統に劣らぬ走りを見せつつも未だに無冠の良血ウマ娘、さらには怪物二世と衝撃を与えたジュニア最優秀ウマ娘に未だ底の見えぬ自称怪鳥のマル外ウマ娘たち。

 

 早くも「黄金世代」とも呼び名の高いクラシック世代を差し置く――――そんな存在が、サイレンススズカ。

 

 

「今年の夏合宿での目標は?」

「去年よりも走ることです」

「宝塚記念は素晴らしい走りでした。ファンに一言!」

「これからも、走ります」

「いまのお気持ちを聞かせてください!」

「……走ってきても、いいですか?」

「「「どうぞどうぞ」」」

「ありがとう!」

 

 

 相も変わらずお茶目な受け答えしかしない(できない)彼女であったが、記者陣も慣れた様子で多種多様な「走ることです」回答を引き出していく。

 

「むむむ……すごく人気ですねぇ、スズカさん」

 

 そしてちょっと羨ましそうなのはマチカネフクキタルだ。コンサルは彼女のトレーニング支援コンサルティング業務として作成したトレーニングプランを手渡す。

 

「トレーナーさんには既に許可を頂いています。秋シーズンのローテーションは、夏の様子を見ながら調整していきましょう」

「あのー……コンサルさん?」

 

 夏合宿中の大まかなプランが印刷された紙に目を通したフクキタルは首を傾げる。

 

「このプラン、ちょっと簡単すぎません?」

「負荷をかけるわけにはいきませんからね」

 

 フクキタルの爪に異常が見つかったのはつい最近のことだ。そのため、この脚部不安が一過性のものなのか、それとも慢性的なモノなのかも分からない。

 そしてこういう場合に怖いのは、本来なら一過性で済んだモノを、下手に悪化させること。

 

「無理は禁物です。焦らずにじっくりといきましょう。ちなみに復帰戦の希望はあったりしますか?」

「……」

 

 どこか不服そうなフクキタル。どうしたのかと問えば、いえと返される。

 一応これでも、秋のG1戦線に間に合うスケジュールでトレーニングプランを用意しているのだが……とはいえいきなり負荷を上げるわけにはいかないので、とにかく今はこれで納得してもらうしかないだろう。

 

 

「(それよりも……)」

 

 

 不安なのはサイレンススズカの方だ。

 

 

「(()()()()()、だったか)」

 

 スピードの向こう側にいくための、第一歩。

 それはそのまま破滅への一歩である。

 

 逃げて差す……ただでさえトップクラスのスピードで大逃げをしていたところに、最終直線でさらに加速する(差す)。身体が持つとは思えない。

 

 にも関わらず、サイレンススズカの脚には予兆のひとつも現れない。

 それは〈スピカ〉トレーナーの天才的な指導によるものなのだろう。スピードを追求することは、それだけスピードに全てのチカラが向くようにすること。前進するためだけにエネルギーが消費され、それによって脚には許容範囲内の負荷しかかかっていないのだろう。

 

 だが、それでも。サイレンススズカにレースは追いつきつつある。宝塚記念だって、重賞を勝ったことすらないウマ娘が2着に食い込む波乱具合である。彼女がそれだけのスピードを出せたのだ。そういったウマ娘が、これからドンドン増えてくる。

 

 まさしくスピード・バブル。

 それが今のトゥインクル・シリーズ。

 

 

「それにしても、サイレンススズカさんの走りは素晴らしいですよね」

「いいよなぁ……気持ちよさそうに走ってくれるんだもの。取材のしがいがあるってもんだ」

「もうちょっとインタビューの回答にレパートリーは欲しいですけれどね~」

 

 

 いつも通りの「走ることです」回答を受け取った記者陣が、それでも満足げに歩いてコンサルの脇を通り過ぎていく。

 彼らにとって、サイレンススズカは取材対象でしかない。その取材で得られた「走ることです」をいい塩梅に記事にするのが彼らの仕事。きっと彼らは、全国のファンをさらに魅了するような素晴らしい記事を書くのだろう……そうして、サイレンススズカはさらに注目の視線を浴びることになる。

 

 …………そして、この状況下でコンサルが声をあげたとしても。誰もサイレンススズカの走りに潜む「リスク」には目を向けない。「あの時」と違ってサイレンススズカは心身ともに充実しているのだから、なおさら。

 

「(だが、それでも。リスクはリスクだ)」

 

 世間は気にも留めないだろう。

 だがコンサルは知っている。

 

 あの時だって、コトが起きるまで――――世間はもちろん、ごく一部を除くレース関係者だって、そのリスク(ブラック・スワン)には目も向けなかったのだ。

 

「…………」

 

 そして、そのコンサルに目を向けられていないフクキタルは。

 じっと、彼のことを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「コンサルさんは、幸せってなんだと思いますか?」

「また、唐突ですね」

 

 それは本当に突然の問いかけであった。突然呼び出されて、合宿所前の海に連れてこられたと思ったらいきなりコレである。

 

「色々ありますが、短期的にはフクキタルさんが今夜ぐっすり眠っていただくことでしょうか」

「そういう話ではなくて」

 

 もっと大きな視点で、イチバンの幸せですとフクキタル。

 ……どうやら、言い逃れを彼女は許してくれないようだ。

 

「もちろん。一番が何かと聞かれたら、競走ウマ娘の皆さんが無事に走りきることです」

 

 それこそが馬喰の存在意義である。そのためだったらどんなことだってやり遂げる。

 それはコンサルの覚悟であり、決意だ。

 

「なるほど、流石はワタシの運命のヒト(馬喰さん)ですね」

 

 

 ではワタシの幸せを発表しますとフクキタル。

 

 

「それは――――長生きすること!」

「……」

 

 ずいぶんフワッとしていますね、なんて。コンサルは茶化すことも出来ない。

 フクキタルに馬喰として関わる以上、彼女の家族構成を把握していない筈がないからだ。

 

「ほら、大事な人とたくさん過ごすには長生きしなきゃじゃないですか」

 

 ニコニコと笑顔で彼女は言う。月明かりに照らされたそれは、混じりけのない本心であることが窺える。

 

「50歳より100歳! 100歳より200歳! 長生きすれば時間も倍々。ご長寿バンザイです!」

「……流石に200歳は難しいですよ」

「確かにそうですね。でも、少しでも長く一緒にいたいヒト、誰にでもいると思うんです!」

 

 フクキタルがなんの話をしているかは明白だ。だからこそコンサルは言わねばならない。

 

「そうですね。とはいえ、幸せはヒトそれぞれです」

 

 誰しもが自分の夢を持っている。夢を持っているから、目的があるから行動をする。

 競走ウマ娘がトレセン学園の門を叩くのは。

 トレーナーが競走ウマ娘をスカウトするのは。

 

 誰しも掴みたい、夢があるから。

 

「その通り! そしてワタシは今、とっても幸せですよ!」

 

 だって、コンサルさんやトレーナーさん、ファンの皆さんとレースで一喜一憂して、毎日いっぱい走って!

 

「それに――――お姉ちゃんの分まで、走っていられるんですから」

 

 そして。

 

「コンサルさんも、そうなんですよね。きっと」

「……」

「誰かの代わりに、走ってるんですよね」

「…………」

 

 真剣な眼差しだった。

 彼女は、言い逃れを許さない。

 

「あなたには関係のないことですよ」

「いいえ! あります!」

 

 なぜなら、アナタはワタシが幸せにしたい人だから!

 

「……はぁ」

「いいじゃないですかハッピーだって! だってワタシはハイパーアルティメットウルトラスーパーフクキタルですよ!」

「そうは言われましても」

 

 それで解決するならどんなに楽な話か。

 

「さぁ! さぁどんと聞かせてください! コンサルさんはどうしたら幸せになれますか!?」

「フクキタルさん。私は他人です」

「ですがワタシの傍にいます!」

馬喰()を幸せにする必要は、ないんですよ」

「あります! ワタシがそうしたいから!」

「……あなたには分かりませんよ」

「はい! わかりません!」

 

 ですので、友達を頼ることにしました!

 フクキタルがそう言うと、すっと現れるのはメジロの彼女。

 

「コンサルさま」

「メジロブライトさん」

「ご無礼をお許しくださいまし。それでも、同期(なかま)を慮るのは、いけないことでしょうか」

「まさか」

 

 それを、私たちは出来なかったのですから。

 コンサルの呟きが、月夜に溶ける。

 

 

 

 

 

 

 

 東京、大手町。

 

 競走保険専門「ともしび競走保険コンサルタント」のオフィスは、第一海上損保のビルディングに間借りすることで一等地を確保している。

 

 それは当たり前の話だ。なにせこの会社は、巨大な企業連合体であるダイイチ・グループを率いる創業者一族の令嬢が()()()()展開する会社なのだから。

 

 

「代表」

 

 

 そして、その代表――――ダイイチルビーの姿は、そのオフィスの区画のひとつにあった。防音会議室に守られたその部屋で、彼女は純白のシャツに袖を通し、真っ黒なスーツに身を包んでいる。

 

「この件については、既に話がついたはずでは?」

 

 そしてダイイチルビーが責めるような視線を注ぐのは、競走保険事業を展開してきた競走保険コンサル。彼の手から渡された書類は、サイレンススズカに充当される競走保険のリスク・レポート。

 

「いいえ。話は終わっていません。代表、いや。ルビー」

 

 

 話をしよう。俺たちの話を。

 

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