その『紙きれ』で救えますか?【完結】   作:帝都造営

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スピード・バブル③

 

「私には止められません、絶対に」

 

 それは明確な拒絶であった。力強い視線で彼女は自分の担当トレーナーを睨む。

 

「そも、これは申し上げるまでもないことですが。あなたが他の担当契約に口を出す権利はないはずです」

「そうだな」

 

 それは全くその通り。そんなことは百も承知。

 

「でも、それは正しいことをしない理由にはならない……と、思う」

 

 つい言葉尻が弱くなってしまうのは、彼女の主張が建前としては正当であることを理解しているから。なにより常に正しくあろうとする彼女と真っ向から主張がぶつかることはトレーナーにとって――――いや、誰だって、間違えるのだ。

 トレーナーは己を奮い立たせ、言葉を訂正する。

 

「いや、俺は正しいことがしたい。理由とか、そういうのよりも。大事なことを」

 

 その言葉に、目の前の担当ウマ娘……ダイイチルビーの瞳がわずかに揺らぐのを認める。

 

「キミだって、ルビーだって。本当は止めたいんじゃないのか? ケイエスミラクルのこと」

 

 ケイエスミラクル。今この瞬間も破滅への路をひた走る彼女は、ダイイチルビーの同室、ルームメイトだ。学園では珍しい高等部からの編入、中等部入学の叶わなかった病弱な身体……そして、それらを補って余りある、走るコトへの(止まらないほどの)強い意志。

 トレーナーはその話をダイイチルビー経由で知っている。ケイエスミラクルのデビュー戦には貴重な時間を割いて現地まで赴くほど、ダイイチルビーがケイエスミラクルのことを気にかけていることも知っている。

 

「今のケイエスミラクルは、ハッキリ言って物凄く速い。だけれど、速いウマ娘が強いウマ娘を意味するわけではない……そのことは、知っているだろう?」

「トレーナーさん。その議論はミラクルさんのトレーナーさんとするべきことでは」

「分かっているのに論点をずらすのは止めてくれ。ルビー」

 

 真っ向から担当ウマ娘と対峙するトレーナー。

 今日まで、トレーナーは担当ウマ娘(ダイイチルビー)を追いかけ続けてきた。

 まさか、こんな形で。彼女と対峙することになるとは。

 

「俺たちは止めるべきだ、ケイエスミラクルを」

「……」

 

 トレーナーの言葉に、ダイイチルビーは瞑目。

 それから瞼を開いた彼女は、それでも迷いを見せない。

 

「トレーナーさん。あなたは私がスプリンターズステークスに勝利することを望みますか?」

 

 愚問である。トレーナーは契約した競走ウマ娘を勝利させることが存在意義だ。

 

「では、最大の対抗ウマ娘であるケイエスミラクルさんを回避させることが出来れば、私の勝利は確実なものとなるでしょうね」

「!!!」

 

 その言葉に、トレーナーは息を飲む。飲み下すまでの時間は、あまりに長く感じられた。

 有力候補となるウマ娘をレースに()()()()()()。神事にルーツを持つレースにおいて、それは最も忌むべきとされる番外戦術だ。

 そして当然、そのような勝利は――――――価値がないばかりか、競走ウマ娘の価値を致命的なまでに毀損する。

 

「ルビー、それは。ないよ」

 

 そんなことを言われてしまったら。止められなくなってしまうではないか。

 自分の担当ウマ娘(ダイイチルビー)より他のウマ娘を優先するトレーナーが、いったいこの世の中のどこにいるというのか。

 

「そんなことをしてまで、走らせる意味があるとは思えない。あの子に」

「ですが。私は救われました」

 

 貴方のおかげで、あなたがトリプル・ティアラを走らせてくれたおかげで。

 

 

「あの方から、走ることを……生きる意味を、奪わないでください」

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 流星の如き鮮烈なデビューを果たしたケイエスミラクルは、短距離レースに照準を絞って出走してきた。

 それはもちろん、彼女への負荷を最小にするため。研ぎ澄まされたスピードを活かすには短距離レースが相応しいというもっともらしい理由で、彼女を担当したトレーナーは、高負荷のかかるレースを少しでも早く終えることが出来る短距離路線を選んだのだと、思う。

 

「あくまで予想だ。予想でしかない」

 

 しかしそれは結果として、ケイエスミラクルの研ぎ澄まされた速さを、危うさを。さらに加速させることになってしまったのだと、思う。

 

「……なにせ、短距離路線の重賞は、今よりもずっと少なかったから」

 

 

 一昔前のレースにおいて、強いウマ娘とは長距離を走れるウマ娘であった。

 これはクラシック三冠路線で最長距離の菊花賞を勝つウマ娘が「もっとも強いウマ娘」と言われることからも分かるとおり。

 そもそも、単なる神事であった駆けウマが通産省*1による興業許認可によりウマ娘レース(トゥインクル・シリーズ)として国営興業化されてきたのは、歴史を紐解けば欧州列強に対抗するための陸軍力(ランドパワー)を確保するため、そして国内産業を支える強力なウマ娘労働力の育成に寄与するため――――特に建設、交通運輸に従事するウマ娘人材を求めた政財界が、長距離を走れる(スタミナのある)ウマ娘を「強いウマ娘」と定義するのは当然であった。

 

 ゆえの短距離軽視。競走ウマ娘法には600メートル以上の競走を競走と定義しながら、短距離重賞は1000メートルからしか存在しない理由。

 

 

 ゆえに、ケイエスミラクルは焦ったのではないだろうか。短距離レースしか走れないという現実に。

 どうすれば輝けるのか、己の存在意義を果たせるのか。

 

「そして彼女の存在意義は、恩返し……いや、己の()()()()にあった」

 

 その罪滅ぼしがどうやって達成されるのか、それは分からない。()()()()()()()()から。

 ただ分かっているのは、ケイエスミラクルが身体を酷使して限界に挑戦し、その限界に追われるようにして短距離レースの連戦を繰り広げたという事実である。

 

 速さを追い求めるように。己を罰するように。

 

「そして誰もが、それを肯定してしまった。いや、見ないフリをしてしまった」

 

 なぜなら、それほどにその輝き(スピード)は素晴らしいモノであったから。ケイエスミラクルの速さを危険視するどころか、彼女のスピードを超えるべしと有力マイラーたちが短距離走者(スプリンター)の領域を開拓し始めた。

 

 

 そう、サイレンススズカによるスピード・バブルと同様に。

 あの時にも確かに、スピード・バブルは存在したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「話をしよう。俺たちの話を」

「話すことなどございません」

 

 あの時と同じ、拒絶の回答。

 

「全て終わったことです」

「ああ。そして、競走保険の義務化によって悲劇は起こらなくなったはずだった」

「そうです。明らかに危険と分かる出走は引受人の保険引き上げによって強制的に出走を回避させ……そして最悪の結果が起こった場合にも、()()()()()()結果は避けられるようにした」

 

 それで十分に、止まらないウマ娘の悲劇は回避できるハズだったのだ。

 しかし現実は、異なる結果に向かおうとしている。

 

「誰もサイレンススズカを止める理由がない」

理由(リスク)がなければ、()()()()のでは?」

代表(ルビー)、分かりきったことを言わないでくれ」

 

 競走保険とは、究極的には部外者にレースからの回避を命じることを可能にする制度だ。そして部外者とは保険の引受人であり、引受人に損をさせないために立ち回る競走保険仲介人である。

 だが、それでも限界はある。保険の関係者も単なる善意で保険事業をやっている訳ではないのである。そこにはリスクとリターンの、冷たい計算が存在する。

 

「俺たちは失敗したんだ」

「失敗などしていません」

 

 じっと見つめ合う2人。

 

「ういういお嬢トレ。そりゃないっしょ?」

 

 コンサルの背後、会議室の扉が開け放たれる。

 入ってきたのはダイタクヘリオスだ。

 

「まだなんにも終わってねーのに失敗? んなわけあるかって! コンソメは今日までお嬢のために頑張ってきたっしょ? まだレースも始まってないのに諦めるとかあるわけ?」

「ヘリオスさん。そういう話では」

「そういう話をしてるんだっての。それにさ」

 

 俺たち、ってのはおかしいじゃんねとヘリオス。

 

「お嬢を引退させたのはお嬢トレじゃん? んでお嬢が競走保険始めたじゃん? よーはこれ、お嬢に責任はないとウチは思うんだけど」

「いやそれは」

「つか!」

 

 ヘリオスがコンサル(元トレーナー)を睨む。ダイイチルビーの説得のために同行を頼んで、それを彼女は快諾してくれたはずだったのだが……どうやら、彼女には別の考えがあるらしい。

 

「お嬢がやるべきコトは引退じゃなかったとウチは思うわけ」

 

 あのスプリンターズ・ステークスの後、ダイイチルビーはほとんど時間を置かずに引退した。同時に彼女のトレーナーも学園に辞表を提出。そして2人は「ともしび」を立ち上げることになる。

 

「別に、ウチに対しては塩でも構わんよ? だってウチとお嬢は違うって知ってるし。ウチはお嬢と走れてテンションアゲだったけど、お嬢はカチ(価値)ってのに、レースの格ってのが大事なんもんね?」

 

 けどさ、競走保険ってアプローチは間違ってるんじゃね?

 

「結局ウチら、走るしかないじゃん。ミラクルにも……」

「知った口をきかないで!」

 

 ダイイチルビーが口を開く。

 

「あなたに、何が分かりますか。最初から十全に走ることが出来た、あなたに」

「お嬢こそ、なんも分かってない! ミラクルのこと知ってたんしょ? それなら、なんで止めなかったのさ!」

「走るしかなかったからですよ!」

 

 私たちには、走ることしか出来なかった。

 そして走ることでは、なにも止めることが出来なかった。

 

「だから、私()引退を決意したんです。貴女が私の行いを逃げと言おうが構いません。少なくとも私には、他に手段がなかった」

 

 そう。他に手段はなかった。コンサル(元トレーナー)は思う。

 あの日、虚ろな瞳で部屋にうずくまっていた彼女。ライブも見事にやりとげ、ファンを安心させ関係者を安堵させた彼女に、コンサル(元トレーナー)が出来ることはなかった……いや、()()()()()以外に出来ることがなかった。

 

 そして、その選択肢のない行動が、今日の彼らを規定してしまった――――競走保険の限界点まで、走るしかなくなってしまった。

 

「もう、私のような思いはさせないと決めたのです」

 

 終わったことはとりかえせない。

 だからせめて、未来をよりよいものにしようと決めた。

 それでも。

 

「それでも、未来を変えることはできますわ」

 

 割り込んできた声。ダイイチルビーは嘆息。

 彼女の視線の先には、メジロブライトとマチカネフクキタルがいた。

 

「今日は、やけに来客が多いのですね」

「……ごめん」

「なぜ謝るのです。()()()()と仰ったのはあなたでしょう」

 

 そして失敗を認められない代表(ダイイチルビー)を説得するのに彼女ら現役の競走ウマ娘を呼んだのだろう言外に告げるルビー。

 

「そうだね。そのために呼ばせてもらった」

 

 卑怯なことをしていることはコンサル(元トレーナー)も承知している。

 そうやって、無理に虚勢を張って。俺たちはここまで来てしまった。

 

「ダイイチルビーさま。学園の先輩に対するこの無礼、どうかお許しください」

 

 恭しく頭を下げるブライトに慌てて頭を下げるフクキタル。

 頭をあげたブライトは、落ち着いた様子で代表(ルビー)を見つめる。

 

「今日は。お願いしたいことが、ふたつ、ございますの」

 

 無言でブライトの言葉を待つルビー。

 彼女は微笑むと、それからコンサル(元トレーナー)の方を見た。

 

「このお方を、止めてくださいませ」

「……えっ?」

 

 驚いたのは勿論コンサルである。自分を止める? 止めるべきはサイレンススズカではないのか。

 そもそも、今日はサイレンススズカを止めるために、止められない理由のひとつであるコンサルの上司(ダイイチルビー)を説得しにきた筈なのだが……。

 

「いいえ! ワタシたちは今日、コンサルさんを止めるために来ました!」

 

 フクキタルの放った想定外の言葉に困惑するコンサルに、そこまで驚くようなことでしょうかとブライトは続ける。

 

「半年以上も時間がありましたのに。止められなかったではありませんか」

 

 つまり、それは正規の手段ではどうしようもなかったということでしょう。

 ブライトの指摘はその通り。身体を壊すまで走ることを止めないウマ娘を止めるために作られた競走保険の制度では、()()()()()()()()()()()()()()()ウマ娘を救うことは出来ない。

 

「そして、コンサルさまは。既にサイレンススズカさまの限界点を見定めているのではありませんか?」

「……そうですね」

 

 ウマ娘の本格化については様々な議論がある。それでも業界で一致している見解は、本格化を迎え、成長が踊り場を迎えてからおおむね3年。本格化を迎えてからの成長は、3年間がピークであるという点だ。

 であれば、サイレンススズカがいつ最も速くなるか、いつ最も壊れるリスクが高まるかの想定は容易だ。

 

シニア1年目(本格化から3年)の秋シーズン」

 

 そしてマイルCS(1600)では負荷がかかりきらず、ジャパンC(2400)はスタミナ調整を意識するからスピードを出し切らない。かつG1以外ではサイレンススズカに競りかけるウマ娘が多くはならず、サイレンススズカの「逃げて差す」は発動しない。

 

 

 

「東京芝2000m――――天皇賞秋」

 

 

 

「そのレースを、()()()になさるおつもりだったのでは?」

「…………まさか」

 

 それは馬喰の理念に反している。関係者たち(ステークホルダー)の利益にも反している。

 しかしブライトは、そうでしょうかと微笑むだけ。

 

「コンサルさまは、それこそ()()()()()のためなら、何でも出来てしまうのではありませんか?」

 

 机の向こうからじっと見つめてくるダイイチルビーからコンサル(元トレーナー)は目を逸らしつつ、ありえませんよと応じる。

 ブライトは、そうであれば良いのですがと言うだけだった。

 

「わたくしたちは、結局。最後の最後まで、走るしかないのですよ」

「……その件は分かりました」

 

 彼が進めている如何なる根回しも差し止めておきましょうとダイイチルビー。

 

「それで、もうひとつのお願いとは?」

「はい。これは、ダイイチルビーさまの為にもなると信じてのお願いなのですが――――」

 

 

 

 

 

 

 もう一度だけ、走っては頂けませんか?

 

 

 

 

 

 

*1
本文では割愛するが、通産省は戦後組織である。ウマ娘レース管轄の行政機関は公認ウマ娘競走時代には帝国陸軍(事実上)→競走ウマ娘法成立後は農商務省→商工省→軍需省→商工省→地方財政委員会→地方自治省へと移管され、日本中央ウマ娘競走会(URA)法の成立時に労働省による教育・通産省による興業という分業体制が確立された。(地方レースは自治省へ移管)




次回。天皇賞秋。
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