その『紙きれ』で救えますか?【完結】   作:帝都造営

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スピード・バブル④

 ノックの音が聞こえた。

 

「出走前計量のお時間です」

 

 スタッフの呼び出し。控え室の競走ウマ娘は微動だにしない。

 

 深呼吸をする。

 呼吸を抑え、心拍を抑えるように立ち上がる。強く結んだ瞼を開く。

 

 それでも、目の前の担当ウマ娘は動かない。

 

「ごめん」

「あやまらないで。あなたに落ち度はありません」

「落ち度はあるよ。いや、落ち度があるってことにさせてくれ、ルビー」

 

 なにも出来ない俺にも落ち度があることにして(責任の一端を持たせて)くれと。そうどうにか絞り出した言葉は、あまりに空虚。

 

「……いや、違う。そうじゃないんだ」

 

 もっと言いたいことが、言うべきことが、ある。

 それが彼女に届くとは、もちろん思ってはいないけれど。

 

「ヘリオスの言うとおりだった。俺がルビーをレースから遠ざけた」

「それは違います。私はいったではありませんか。あの時。私を壊して(もう走りたくない)と」

()()()の望み通りにするのが正解とは限らなかったってことだよ」

 

 当時の自分を子供扱いされたダイイチルビーの表情に影が混じる。

 そう。あの時のあの場所には、結果論からすれば大人のフリをした子供しかいなかった。

 

「俺は競走保険(かみきれ)が君を救うと信じるしかなかった」

 

 それが夢を叶えなくても。

 それが脚を治さなくとも。

 事故を防げないとしても。

 

「いいえ。救ってくれたのです」

 

 だからこそ、私はあなたのことを救わなければなりません。

 ダイイチルビーの言葉に、コンサル(元トレーナー)は視線を落とす。それから、上げる。

 

 今なら、あの日に言えなかった言葉を言えるような気がした。

 

「俺のことは、どうだっていいんだ。ルビー」

 

 

 ――――それでも、君だけには無事でいて欲しい。

 

 

 今日まで、もう二度と悲劇を起こさないと誓って走ってきた。

 それはかつて悲劇を肯定してしまった担当ウマ娘(ダイイチルビー)の心を守るためだった。

 

 そしてその結果、彼女は再び危険なターフの上に赴こうとしている。

 

「……さて。出走前計量でしたね」

 

 思い出したように言う彼女。灼熱を秘めた冷たい焔を思わせる勝負服。

 その胸元からチェーンを取り出して、首にかけられたそれを外す。

 

「爾後を任せます」

 

 そして、小さなリングに通されたソレを、リングごと彼の手に渡した。

 余計なモノ(デッドウェイト)はいらないとばかりに。

 

「ルビー、本当にいいんだな?」

「ええ。私の身命を賭してでも」

 

 つまり、それほどの価値があると。

 あの日の後悔を少しでも削ぐために、これだけする価値があると。

 

 つまり、やはり。

 紙きれは君を守ってはくれなかったということか。

 だからって、こんな。こんな分の悪い賭け(レース)に臨まなくても……!

 

 

「なにを仰いますか、トレーナーさん。いまさらですよ」

 

 

 レースも、保険も。

 全てはギャンブルから始まったのですから。

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 メジロブライトは運命を信じない。世の中の出来事は確率の問題であり、自らの努力で確率を引き上げ、結果を引き寄せることは可能だからだ。

 

 しかし今日のレース……天皇賞秋の枠番については、皮肉のような運命を感じずにはいられなかった。

 

 

「スズカさま」

「あら、ブライト。今日はよろしくね」

 

 なんでもない挨拶を返してくるサイレンススズカ。今日の彼女に割り当てられた枠番は1枠1番――――最内枠の経済コースを、そのまま最速でぶち抜けと言わんばかり。

 

「はい~。よろしくお願いいたしますね」

 

 そしてこの時点で、サイレンススズカへの干渉は相当に難しくなった。大逃げ戦術を採用する彼女に競りかける最大のチャンスはスタート直後だが、最内枠となれば彼女は進路を一切変更せずにハナを獲ることが出来る。干渉のしようがない。

 

 そして、だからこそ。メジロブライトはこの運命的な巡り合わせを運命と呼ぶことしか出来なかった。

 

 1枠2番。サイレンススズカの隣。

 となりの1番(サイレンススズカ)に競りかけていっても、怪しまれない枠番。

 

「スズカさんッ!」

 

 ブライトの冷たい決意を遮るように声が聞こえる。フクキタルが2人の間に割り込んできた。

 

「今日はよろしくお願いしますねッ!」

「ええ……まさかフクキタルまで来るとは思わなかったけれど」

 

 実際、春の天皇賞を制覇して春秋天皇賞制覇を狙うブライトと異なり、マチカネフクキタルの出走表明は不自然だ。療養を経てジャパンカップか有マ記念に向けて進むと思われていたからこそ、なおさらに。

 

「ええ、これも運命ですので!」

「そう」

 

 そして運命に興味のないサイレンススズカはよろしくねとだけ言って会話を終わらせる。アピール止めの号令がかかり、いよいよ本バ場入場の時間が迫ってくる。

 

「あの~、ブライトさん?」

 

 そして地下バ道にて、フクキタルはこっそり耳打ち。

 

「先ほどからルビー先輩、とんでもないオーラを放っているのですが……本当に大丈夫なんでしょうか」

「大丈夫ではないとしても。わたくしたちにはどうしようもございませんわ」

 

 ブライトは振り向くこともしなかった。というより、振り向けなかった。

 なにせターフの上に立ってしまえば、全ての競走ウマ娘は()()()()()()でなければならない。

 いくら大切な同期を救うためとはいえ、それがレースの神聖さを毀損したとあっては、由緒正しき天皇賞を興行中止に追い込もうとしていた人物――――ダイイチルビーのためになんでもしてきた元トレーナーと同じになってしまう。

 

「それにしても、まさかあれほどとは。思いませんでしたわ」

「ブライトさん?」

「いいえ。ただ、お母様の優しさを改めて思い出した。それだけですわ」

 

 鍛えるのは趣味だからねと笑っていた母の姿。引退後の走力減衰には個人差が大きく出るとは聞いているが……いつか走りを教えてくれた彼女も、ケロリとした顔でG1クラスのレースを走れてしまうのではないだろうか。

 そう思えてしまうほどに――――かつてのスピード・バブルを制したダイイチルビーの姿には、鬼気迫るものがあった。

 

「ですが、ここはスプリンターズ・ステークスではありませんわ」

 

 ここは東京レース場。目指すは歴史の重み(秋の楯)

 

 

 

 

 

 

 ゲートインが始まっている。それを巨大なターフ・ヴィジョンで確認したコンサルは、小さく息を吐いた。

 

『枠入りが始まっています。サイレンススズカ、最速の機能美にして異次元の逃亡者。日本レース界(トゥインクル・シリーズ)を新たなステージに昇華させる夢のような彼女は、今日のレースは1枠1番、1番人気』

 

 彼女たちを止めることが出来なかった時点で、コンサルからはあらゆる選択肢が奪われている。2000メートル、競走ウマ娘の脚をもってすれば2分と少しで走ってしまえる距離。

 そしてレースとは、もっともウマ娘の事故が発生しやすい魔の領域だ。人々を熱狂させるドラマと引き換えに、競走ウマ娘は己の命を燃やす。その焔がトゥインクル・シリーズを輝かせる。

 

「信じるしかありませんよ」

「……そう、だな」

 

 コンサルは隣の影に弱々しく同意することしか出来ない。

 もちろん、今日までトゥインクル・シリーズが事故を野放しにしていたわけではないのだ。レース場には救急車が配備され、医務室には第一線で活躍する医師看護師が待機している。

 労働省の競走ウマ娘保護規則だって……抜け穴や欠陥がありつつも、常に競走ウマ娘を守るために進化し続けてきた。

 

『全ウマ娘、ゲートに収まってゆきます……体勢完了。いまスタートです』

 

 レースそのものだって進化を続けてきた。裁決委員には審議の権限が与えられ、進路を妨害する斜行、危険な接触やあからさまな妨害行為に様々なペナルティを与えることで競走ウマ娘の保護を図ろうとしてきた。

 ゆえにこそ1枠2番のメジロブライトはサイレンススズカの前を塞げない。下手に前に躍り出れば斜行判定を受けてしまう。安全距離とされる2バ身のリードを確保するには、サイレンススズカのスタートは完璧で、速すぎた。

 

『1番サイレンススズカ良いスタート、ハナを取りに行きます。2番メジロブライト追走、下がりません追いすがります』

 

 しかしメジロブライトは下がらない。最内の経済コースを突き進むサイレンススズカに一歩も引かずに食らいつく。

 

『驚きましたメジロブライト譲りません』

『サイレンススズカに勝つ唯一の手段と言うことでしょう。豊富なスタミナ(持ち前の長い脚)を使った消耗戦……同門のメジロマックイーンを彷彿とさせますね』

 

 困惑気味の実況にしたり顔といった具合の解説。とはいえメジロマックイーンの圧倒的スタミナを用いた消耗戦術は先行脚質におけるもの。大逃げに対する追従はあまりに不利だ。

 

「これが最初で最後のチャンスなのは分かる。このタイミングを逃せばサイレンススズカは()()()()()()()

「そうですね。彼女はあまりに……速い」

 

 コンサルは苦い顔。しかし観客は沸き上がるばかり。

 それはそうだろう。なにせ、あのサイレンススズカに正々堂々競りかけるウマ娘だ。

 しかもG1の大舞台――――芝2000メートルという、彼女がもっとも得意とする距離で。

 

『さて先頭は1番サイレンススズカ――――』

 

 実況が読み上げるのに合わせターフ・ヴィジョンの映像がそれぞれのウマ娘にフォーカスする。やはりサイレンススズカは涼しい表情で、メジロブライトは苦しいよう。いくら長距離走者(ステイヤー)のブライトといえど、サイレンススズカほどのスピードに追いつくためには脚を使わざるを得ない。有酸素運動で足りない脚を、少し少しと足すようにして使っていけば……やがて最後には追従することも叶わなくなる。

 だが、それでも。彼女はやめない。

 

「……不安ですか」

「それは、そうだろう」

 

 コンサルの視線はメジロブライトの僅かに後ろ、サイレンススズカの背後にピッタリと追従するウマ娘へと向けられていた。

 それはもちろん、彼の元担当ウマ娘。

 

「本当なら、走る必要もないレースだ」

「そうですか?」

「……キミは、ルビーにこうして欲しかったのかい?」

「はい。だってルビーは走るのが、好きですから」

 

 結局、彼女もまたウマ娘なのだ。

 ウマ娘は、走ること以外でなにかを変えることは出来ない。

 

 しかしそれは、走ることも出来ず、なにも変えることの出来なかった自分よりは……きっと、マシなのだろう。

 

「頼む。無事に帰ってきてくれ」

『1000メートルを通過、タイムは――――』

 

 会場がどよめく。メジロブライトが競りかけたのもあるのだろう。しかしなにより、サイレンススズカ自身が速く、速さを求めている。

 

 まさにスピード・バブルの果て。

 そして縦長となった競走ウマ娘たちの列は――――いよいよ、大欅(おおけやき)の向こうへと。

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 

 全力疾走しているウマ娘の、その脚。

 それが砕けたとしたら、その時に何が起こるだろうか。

 

 実のところ、それは痛みを感じる――――いわゆる「ランナーズ・ハイ」によって痛みを感じにくいという話は別として――――以前の問題だ。

 なにせ骨が折れたことに気付く頃には、ウマ娘は転倒しているのだから。

 

 これはウマ娘の高速域における特殊な脚使いが関係している。速歩程度まではウマ娘も一般的な走行……つまり踵で着地し、爪先で地面を蹴るというサイクルで走っているが、これが駈け足、ましてレース中に用いられる襲歩となれば話は変わる。

 なにせ時速50キロを越える速さを()()()()()()()で走り続けるのである。踵で着地すれば負荷に耐えきれず関節が砕けてしまうだろう。ゆえに爪先から、足裏から大腿に至るまで全ての関節と筋肉を用いて衝撃を緩和し、そして着地時点で折り畳まれた全ての関節をバネのように解放することで更なる走りへと結びつける――――そんな極めて不安定な走法を用いるウマ娘にとって、骨折とはその些細なバランスを崩すことに他ならない。

 

 片方の着地と跳躍の姿勢が崩れる。残った片足でそのズレを修正することは不可能。

 だから数完歩もまたずに体勢が崩壊する。下手をすれば、折れた瞬間には転倒している。

 

 

「――――!?」

 

 

 ゆえにサイレンススズカが気付いた時、既に彼女の脇にはメジロブライトが()()()()()()()

 ……いや、入り込んでいるのではない。

 コーナーの途中でバランスが崩れたために()()()()()()()()()()()()()サイレンススズカを、メジロブライトが支えたのだ。

 

 そして密着体勢になったことで視界に大写しとなる鹿毛に困惑するよりも先に、彼女の反対側、内ラチ寸前の場所にもうひとりが入り込む。

 サイレンススズカの背後でその瞬間を――――来てくれるなと願いながら――――待っていた、大人になりきれなかったウマ娘(ダイイチルビー)が。

 

「先輩ッ、15番で!」

 

 ブライトが叫ぶ。それはURAが「美しく魅せる準備体操」として策定したパドックアピールにおける基本動作(足さばきのガイドライン)。様々なウマ娘が用いることの出来るように揃えられた多様なテンポのひとつである15番基本動作のペースで、減速させようという意図。

 そしてそれを寸分の違いなく受け取ったルビーは、体格差のあるサイレンススズカを強引にブライトと挟み込みながら15番のテンポを呼び出す。急なピッチ変更はもちろん脚に良いはずがないが、これは仕方がない。それよりも大事なことがある。

 

 サイレンススズカの脚が宙を切る、その瞬間に痛みが脊椎を駆け抜ける。思わず身じろぎした彼女のために、両脇の支柱がぐらりと揺れる。

 ブライトは歯を食いしばった。なにせ加速していないだけ、慣性の法則で60キロ、70キロ近い速度でコーナーの外側へと吹き飛び続ける自分とほとんど同じ重量(サイレンススズカ)を支えているのである。

 

 だが、もしもここで支えるのを止めてしまえば。サイレンススズカの体躯(からだ)はそのまま転倒し、恐らくは背後を走る競走ウマ娘たちへと襲いかかることだろう。

 …………もしも彼女たちが一切の手出しをせず、傍観に徹したのであれば。サイレンススズカは天才的手腕のトレーナーに鍛え上げられたフォームを維持したまま、静かに外へと弾き出されていったのかもしれないが――――そんな()()()()は、ブライトには関係のない話だ。

 

 とはいえそれでも、何事にも限界はある。復元力を越えた遠心力により体勢が崩れる。

 

「ワタシもお助けしますッ!」

 

 そしてそれのフォローに入ったのはフクキタルである。弾き飛ばされる寸前のブライトに殆ど体当たり、2本脚の危ういバランスを無理矢理に保つ。

 とはいえ均衡が生まれるのは一瞬だ。反動で逆に弾き出されるフクキタル。

 

 それでも、彼女は叫んだ。

 

 

「さあ、()()()()()!」

 

 

『そしてここで最内をダイイチルビーが突く。……ッ! 故障発生です、恐らくサイレンススズカに故障発生。追走のメジロブライトに接触か』

 

 最終コーナーが迫り熱を帯びつつあった実況が途端に冷える。きっと実況の目には転倒したサイレンススズカがブライトに衝突したように見えたのだろう。その後も後続を巻き込んだ大事故が発生したと言葉を続けていく。

 会場からは悲鳴。矢継ぎ早に電光掲示板に灯る「審議」ランプ。救急車のドライバーはアクセルを踏み込み、初動担当の人員が動き始める。

 

「……」

 

 そしてコンサルは、それをただ眺めていた。

 ブライトが体勢を崩す、フクキタルがフォローに入り、飛ばされる。

 

 ――――事故が起きれば、関係者全員が不幸になる。

 

 そして、サイレンススズカに後続のウマ娘たちが()()()()()()()。まるで不幸の連鎖のように、静かな水面におちた水滴がもたらす波紋のように。

 

 ――――それでも、大きな悲劇も分け合えば。

 

『大変なことになってしまいました。これは大変なことになってしまいました…………』

「コレじゃ結局、全員が不幸になるだけだ」

「そうですね」

 

 コンサルの隣の影は言う。そして続ける。

 

 

「――――でも、きっと。()()()()()()()()()()()()()

 

 

 全員が不幸になる――――だからこそ、分け合った悲劇は小さく「許容可能な痛み」になる。

 

 それが、保険の限界だ。

 

 

 

 

 

 

 




明日の更新で完結となります。
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