ソフト・ランディング
今日からトレセン学園でがんばるみなさんに、大切なお話をします。
あなたたちを守るためのルール、競走ウマ娘保護規則についてです。
競走ウマ娘保護規則では、みなさんがレースでちからいっぱい走れるように色々なルールを定めています。レース前の健康チェックや勝負服に安全装備をつけること。その他にも色々なルールが決められています。
その後ろ姿を見るのは久しぶりだった。
「お姉さ……じゃなかった、トレーナーさん!」
それが嬉しくて、ライスシャワーは危うくお姉様と呼びそうになってしまう。
ひとまず言い直してからパッと駆け出し……そうになって、すんでのところで踏みとどまる。カバンの中の原稿が崩れていないことを確認して、安心。
「ライスちゃん? うわぁ、すっごく久しぶり!」
ライスシャワーの姿を認めた
慌てて手を伸ばそうとするライスシャワーだったが、流石に距離が遠すぎた。
「あわわわッ?」
競走ウマ娘のような体幹を持ち合わせていない
「……っと。もう、ダメですよトレーナーさん。いきなり走っては」
「あはは。ありがとねぇグラスちゃん……」
その姿を見て、ライスシャワーは少し安心。トレセン学園を卒業したライスシャワーの心配事のひとつに、とにかくおっちょこちょいな
ライスシャワーは小さく微笑んで、お辞儀をする。首から提げたゲストIDが揺れた。
「はじめまして。テレビで活躍は見てるよ。有マ記念の優勝、おめでとう」
「こちらこそ、お目にかかれて光栄です。先輩」
「
「いえいえ。お世話だなんてとんでもない。トレーナーさんからは多くのことを学ばせて頂いておりますので」
挨拶と、ちょっとの軽口を交わすライスシャワーと現役の競走ウマ娘。気まずそうにしたのは
「ええっと、それで……ライスちゃんはどうして学園に来たの?」
「あ、えっとね。これを持ってきたんだ」
ライスシャワーがカバンから取り出したのは茶封筒に収められた原稿用紙。そこに収められているのは、来年度に大幅改正される競走ウマ娘保護規則の案内パンフレットだ。
「うっわぁ。やっぱりライスちゃんは絵が上手だねぇ……」
表紙に書いてある「あたらしい保護規則のおはなし」を見て、
「あら? こちらの資料、労働省ウマ娘局のままでいいのですか?」
「あれ、ホントだ。
「あっ、あれ……? ライス、もしかして間違えちゃった……!」
納品直前の誤植発覚。青ざめるライスシャワー。
パンフレットの表紙には確かに「労働省ウマ娘局」の文字が。現在進行中の行政改革*2によって労働省女性局や厚生省の各局と統合されることがほぼ既定路線となっている部局の名前が残ってしまっている。
とにかく修正を――――この誤植が本文なら良かったのだが、表紙は印刷のスケジュールが詰まっているので遅れが許されない――――と慌てて引き返そうと踵を返すライスシャワーの目の前に、動く緑色の茂みが現れた。
「ご安心ください! ライスシャワー先生!」
「えっ誰?!」
「誰でもありません! デジたんはいちウマ娘ファン! 困ったウマ娘ちゃんをお助けするのが私の使命!」
「えっと、デジタンさんってお名前……なのかな?」
「ささ! ここに国内5社の原稿用紙をお持ちしましたッ! 確かインタビューで筆記具は持ち歩いてると仰ってましたよね!? となるとあと足りないのは机!! 不肖アグネスデジタルっ、ライスシャワー先生の机となってみせましょうぞ!!!」
「えっ、ありがとう……? でも、文字の所だけ直せば大丈夫だから」
「ぬはぁッ!? 言われてみれば!?」
そして飛び出してきた謎の不審ウマ娘は勝手に撃沈。女帝直属の風紀委員会が飛び出してきて回収せんとするが、そこは不審ウマ娘を担当している
「とにかく、どこかでパパッと直しちゃわなきゃ……
「うん、いいよ~。それじゃ……」
「いえ。その必要はありませんよ。ライスシャワー先輩」
ライスシャワーたちの所に歩み寄ってくるウマ娘。
風紀委員がパッと姿勢を正すのは、生徒会副会長のエアグルーヴだ。
「競走ウマ娘保護規則はまだしばらく労働省ウマ娘局の管轄となります。ですのでそのパンフレットに関しては、その記述で問題ありません」
「あ、そうなんですね……よかった」
ほっと一息つくライスシャワー。
「わざわざ学園までご足労かけてすみません。原稿のチェックは生徒会室で行いますので」
そしてエアグルーヴは、どうやらライスシャワーを迎えに来てくれたらしい。彼女に案内されて学園の中を進んでいく。
視界にうつる校内の設備は記憶のまま、けれど飾られたポスターや廊下を走っていく学園生徒の姿は、知らないものばかり――――事実、ミホノブルボンをはじめとするライスシャワーの同期達はもう誰も学園には残っていない。ライスシャワーのことを学園内で知っているのは、長く勤めている寮母さんや用務員のおじさん、学食のみなさん……そして、お姉様くらい。
そしていずれは、そんな学園関係者もいなくなり、お姉様だってトレーナーを引退する日がくる。そうすればきっと、ライスシャワーを覚えている学園の人間はいなくなってしまうのだろう。
でも、これがきっと。卒業するということ、大人になるということなのだ。
今はそう信じて、ライスシャワーは少しの寂しさを隠して、ゲストIDのかかる胸を張ることにする。
「会長、ライスシャワー先輩をお連れしました」
そしてエアグルーヴが扉を開けると、そこには鹿毛のウマ娘。
「…………えっと、サクラローレル先輩。会長は? 先程までいらっしゃいましたよね?」
「うーんとね。逃げちゃいました♪」
「あんの……ブライアンっ!」
拳をぎりりと握り締めたエアグルーヴ。まあまあ、とサクラローレル。
「ひとまず私たちだけで確認しちゃいましょ?」
「いえですが、いや、まぁ……そうか……先輩、大変に申し訳ないのですが」
「ううん。いいよ、全然ライスは気にしないですから」
それにしても副会長さんは大変そうだ。1個上のトウカイテイオー、ナイスネイチャ両先輩のかけあいを思い出して、ライスシャワーはまた少しだけ昔のことを思い出す。
本当に、色々なことがあった。学校行事に
……そして、この新しい競走ウマ娘保護規則のパンフレットには、そんな自分たちの
そうやって、少しだけ足跡が残るのだろう。これからもきっと続いていく、レース史に。
競走保険について。
トレーニングやレース。どんなに気をつけていても、ケガにつながる事故は起こってしまうものです。
そんなケガに備えるために、競走ウマ娘の全員は競走保険へ入ることが義務づけられています。
この保険はみなさんの権利であり、安心して走るために必要なものです。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、色々お話聞けてよかったです。副会長さんも、頑張ってね」
小さく拳を握って、胸の前で頑張れとエールを送る。これからも活躍していくのであろうエアグルーヴ副会長に見送られて、ライスシャワーは帰路につく。
「……よかった」
わざわざライスシャワーが手渡しで原稿を持ってきたのは、今の学園がどうなっているのか、ちょっと不安だったからだ。
前年の天皇賞秋――――
出走したウマ娘の殆どが競走中止、残りも棄権するというとんでもないレースは、当たり前のこととしてレース界に衝撃を与えることになった。
無論、それは天皇賞の伝統だとか、G1の格式といった話ではない。
これまでは、レース中の事故は「無視」すること。ないものとして扱うのが鉄則だったのだ。
その鉄則を破ってレースの出走者全員で
「(……というより、
それでも、それが悪いことだとはライスシャワーは思ってはいなかった。
だって。悪いことだとは思えないのだ。
レースに係わる人間は……レースだけじゃない、世の中のどんなことも。みんな自分のことだけを考えている。
ライスシャワーと
そうやって、みんな自分のことだけを考えているはずなのに――――だからこそ、レース中にケガをしたウマ娘は見捨てることになっていたのに――――それを、救ってみせたのだから。それが「悪い前例」なるハズがない。
「(それでも。
学園の正門を出るライスシャワーの視界に談笑するウマ娘たちの姿。何かのお祝いなのだろうか。花束を抱えた栗毛のウマ娘を中心に、仲の良さげな数人のウマ娘が取り囲むように歩いている。
それはライスシャワーの記憶の中の学園と変わらない、いつも通りの光景。
「ほっっっんとに良かったです! 私、スズカさんのことが心配で心配でご飯が三杯しか喉を通らなかったんですから~!」
「ややっ、スペちゃんさん。それは普通に食べているのではありませんか?」
「フクキタルさま。『スペちゃん』さまではなく『スペシャルウィーク』さま、ですわ~」
「……ふふっ」
「――――悪いコトじゃ、ないはずだよね」
あなたの走りを、私たちは応援します。
あなたのゆめを、私たちは応援します。
いつかあなたが、素敵な大人になれる日まで。
その『紙きれ』で救えますか?〈完〉
これにて完結となります。皆さまの感想・評価・お気に入り登録に支えられた連載でした。
ご愛読ありがとうございました!