「先生、ナギちゃんから何か取引とか提案された?」
“と、いうと?”
「例えば、【トリニティの裏切者】を探して欲しい、とか」
“あはは…されたね”
その答えに、予想どおりといった装いで、頬を膨らませて話す。
「やっぱり!ナギちゃんったらまたそんな事して…ちゃんと説明を受けてから補習授業部の顧問になったの?」
“いや、詳しくは何も”
「えっ、取引する前に何も…?先生、『補習授業部の事だね』とか探偵っぽい事沢山言ってたのに、何も知らずに受けたの…?補習授業部のメンバーの勢力だとか、何故このメンバーだとか、目的は?理由は?」
“あ、あはは…生徒からの頼みだからね…”
「もう、先生ったら、ダメだよ?ある程度は分かってても、そうやってほいほい簡単に信じちゃったら……そんなんだから無茶苦茶な取引に…」
“いや、提案は断ったよ”
なんでもないかのように言う先生に対し、ミカはてっきり取引を受けた上でここに居ると思っていたのだろう、目を開かせ驚きの表情を浮かべた。
「えっ、なんで?…自分達の生徒を疑いたくないから? それとも――」
“うん、疑いたくないのも本音だけどね、それよりも、私は生徒を信じてるからさ、先生である以上、そこを違えてはいけない”
“私は、あくまでも、いつか旅立つ生徒の支えでしかないからね”
「…へえ?」
利益を得る訳でも政治的立場を守るためでもない、純粋な思いから出たセリフが、予想外だったのか言葉の値踏みをするような表情をする。
「そっか……先生は『シャーレ』の所属だもんね、トリニティとは本来無関係な第三者、私達にとってはずっと『トリニティ』そのものが世界の中心みたいな感じだからアレだけれど、先生にとってはそうじゃない」
元来、ティーパーティーの権威はこの学園において絶対的とも言える、生徒がティーパーティーからの提案を断ることなど基本的には無いのだ。
故にトリニティの生徒であれば、『拒否』という選択肢が取られる事は滅多に無い、確かにミカには経験の無い事だった。後ろ盾が無いものは従順であれ、トリニティ学園ではそう生きなければならなかった。
「なるほどね……確かに先生の立場としてはそれが正しいのかな?なるほどなるほど…面白い返事じゃんね」
“何が正しいかはその人の立場で適宜変わっていくからね、少なくとも私は私が信じる正しい道を進んでいるだけさ”
「ふ〜ん?じゃあ先生は、誰の味方なの?」
ミカの瞳が、先生を捉える。何かを求む様に。
「先生がトリニティの味方じゃないなら、もしかしてゲヘナ?それとも連邦生徒会?繋がりがあるかはわかんないけど、ミレニアムとか……あ、そうだ、カイザー騒動を解決してあげたアビドスとか?」
“ふふっ……あはは…!随分とわざとらしいね、ミカ……勿論…”
軽快な笑いが響く、この場で笑うというのは、聞きようによっては嘲笑にも取られかねないものだが、先生からそのような意思は一切感じられない。
今度は、返事を返すように先生の瞳がミカを捉えた。
“私は、生徒の皆の味方だよ、誰一人違わずにね”
そう、答えられた。
夢物語その場しのぎだ。そんな答えが、この世界に成立する筈が無い。ミカの心に最初に訪れたのは驚きと落胆、夢を語るのは誰だって出来るものだ、それは夢であるべきで、誰かの味方であれば誰かの敵で居なければならないのが世の摂理であると。
甘く、優しい言葉、偽善とも言える響き。否定すればいい、『それは不可能だ』『狡い言葉だ』と。けれど……ミカの口からその言葉達が出ることは無かった。喉の奥に詰まる言葉は、ミカ自身を否定してしまう言葉になってしまう。心底で望む『みんな仲良く』を。
心拍数が上がる、バクバクと鳴る心音が頭に響いてうるさい、先生の瞳から目を離せない。
ーーそうなの?
本気なんだ、先生は。本当に皆の味方だとでも?
「そっか……生徒達の味方、かぁ……それは予想外だったなーなんて……」
「うーん、えっ……と、その、あ、あのね、先生?」
“うん”
「生徒の味方って事は、……はは…えっとぉ…」
「私の味方でも……あるのかな?」
言葉の間に含まれる葛藤、それはまるで自分は先生の味方であることを、己が許さない詰まりだった。
……けれど
“勿論だよ、ミカ”
“君が道に困っているなら導く、頼りたいなら頼って良い、君が望むなら私はそれに答えるだけさ……
「……わーお」
先生は、全ての生徒の味方であるのだ。生徒からの悪意を、害意を、どれだけ傷つけられ、裏切られても、生徒の味方である。それが例え…キヴォトスを滅ぼすものでも、自身を『殺した』ものでも。
それは、あまねく全ての可能性生徒達に降り注ぐ、慈愛である。
「…先生、そんな風に色んな子を勘違いさせちゃう事言っちゃダメだよ?」
“あはは、まぁ不甲斐ない大人のせめてもの矜持ってやつだよ”
「……もう、そこで自分を卑下しちゃったらせっかくのカッコイイセリフが台無し!」
“あ、しまった……デミからも良くこの癖を注意されてるんだけどね……”
「……デミちゃん?」
“そっか、正実所属だからミカもデミの事知ってるよね、色々お世話になってるよ”
「…いやいや、ナギちゃん所有の勢力だから私は関係ないし、それに先生の方が迷惑かけられてるでしょ?沢山騒がせちゃったし」
“生徒の善意からの行動を迷惑だとは言えないさ”
「……徹底してるね、先生」
大人としての余裕の表れか、それとも先生としての立場なのか、どっちにしろそうやって話す先生が輝かしく見える。
「でも、誰か一人だけの味方にはなってくれないんだよね?」
先生は、あの子だけを守ってはくれない。
あの子を傷つける者まで、味方してしまう。それは尊ぶべきなのか、愚かというべきなのか、生徒の皆の味方である先生には、その言葉に対する返答は濁すしかない。
“………そうだね、私は生徒の味方だから、それは事実だよ”
「……そっか」
“…ごめんね、ミカ”
「ううん、違うよ…先生、私は別に大丈夫だから……本当にね」
先生は、これから先待っているミカの悲痛な運命を未だ思い出せていない、ただ言葉の裏に隠れた望みは感じ取れた。
「よし、それじゃ私から先生に、取引を提案させて貰おうかな?」
“【トリニティの裏切り者】が誰かって話かい?”
「……!先生ってば本当にエスパーなのかな?よく分かったね」
酷いマッチポンプだ、そう心の中で嘲笑うミカ。事実を全て手の中に握っておいて、今から先生にこんな依頼を頼む、先生はこんな私でも…味方してくれるのかと、哀愁を抱える。
「ナギちゃんの云うトリニティの裏切者、今必死に探して退学にさせようとしている、その相手、どう?エスパーな先生は誰なのか知ってる?
“………ははは”
「先生、嘘つくの下手だね……まぁいいや、私としてはどっちでもいいし……そもそも、先生のことを補習授業部の顧問に招待したのは私だって知ってた?」
“あはは…生徒に嘘はつけないからね……”
“って、ミカだったの?私の事招待したの”
「そうだよ〜?ナギちゃんには反対されたんだけどね、『せっかくの借りをこんな風に使いたくない』って、先生は確かカイザーとデミちゃんの件でナギちゃんと色々あったのかな?………まぁ私の方でも色々あったけど」
「それで、トリニティでもゲヘナでもない、第三の立場が欲しかったの」
“なるほど”
「それじゃ先生、答え合わせといこっか、 補習授業部の裏切者、その正体が誰なのか……知らなかったら別にいいけど、せーので言ってみる?」
“………”
少しだけ眉をひそめて困り顔をする先生、狡いものだ、先生がそれを知ってても答えれないのを分かっているのに。
「あはは!ごめんね?意地悪しちゃって、『先生』だもんね…これは、取引にも関係あるから、纏めてお願いするね」
一息付き、呼吸を整え…声を吐き出した。
「裏切り者は……白洲アズサ――あの子を先生に、守って欲しいの」
“…………”
「……やっぱり知ってたんだ、ちょっと分かりやす過ぎるよ、先生?……それと、ごめんね、ちょっと単刀直入過ぎたかな? ナギちゃんの悪い癖が移っちゃったのかも」
ニコっと笑い、先生に対して詰将棋の様に逃げ場を失わせて、『知っている』という情報を引き出された、先生の弱点は、言ってしまえば生徒であるのだから。
先生は優しい顔を崩さずに話す。
“……アリウス分校の子だからかい?”
「ふ〜ん?先生、たくさん勉強してきた感じかな?やっぱり全部知っててこの場に来たとかない?第一回公会議の内容まで知ってるというより…この会話の流れでアリウス分校の事を言うなんて、『全部知ってる』っていってるようなものだよ?」
“生憎、それぐらいしか得意な……っとしまった、さっきダメだって言ったばかりなのに、まぁ私は表情から裏の事を読むのも得意ってことにしとくよ”
「あはは、本当に癖なんだね、それとナギちゃんをあんまり虐めないであげてね?先生と話したあと次の日まで、なんだか落ち込んでたし」
“うむむ、虐める気は一切ないのだけれど……疑心暗鬼っていう病は中々難しいものだね”
「……へぇ〜?もしかして、先生ってナギちゃんの説明を教えて貰えなかったんじゃなくて……『教えてもらう必要が無かった』ぐらい、賢いのかな……?」
“あ、あははは”
「…ふぅ、ともかく、裏切り者は白州アズサ…あ、でもこう考えると、生徒って呼んで良いのか分からないかな?」
“…何がだい?”
「『何かを学ぶ』という事が無い生徒の事を、生徒って呼べるのかなって」
“ミカ、それは私達が決めれる事じゃないさ……アズサ自身が選ぶんだよ”
“アズサが学びたいという意思を持てば、私はそれに答える。どれだけ学ぶ機会に恵まれず、『学ぶ』っていう意図すら理解できなくても、アズサが求めるなら、彼女を生徒として私は先生の責務を全うさせてもらう”
「……あは」
予想外にも先生に強めに返されたミカ、先生としての矜持とやらの強さは生徒に対する想いや愛に直結しているのだろう。
「うん、やっぱり『先生』だね。だからこそ頼みたいんだ、私は今、ホストじゃないからナギちゃんには干渉できない」
「理不尽に潰されて、トリニティの敵対者となってしまったアリウス分校、その出身だからといって、こんな複雑な政治争いの中心に巻き込まれて退学だなんて、させちゃいけないから」
「お願い、できる?先生」
お願い、そう…お願いだ、生徒として…先生を利用させてくれ、という私のお願い。本心と、既に起こってしまった取り返しのついてない事態は、未だに進み続けている、人殺しの…私は、進み続けるしかない。
“勿論、可愛い生徒の頼みだからね”
「……ありがとう、先生…よし!それじゃ、今日はこんなところかな、先生とまたお話出来て楽しかったよ、これ以上二人っきりでいると変な噂が立っちゃいそうだし、私は全然構わないけどね!」
“…へ〜?そうなんだ、先生の事、好んでくれるの?ありがとう、ミカ……返せるものは無いけどね…”
「……あ、えっと…」
“あはは、ごめんね?大丈夫だよ、大人の茶目っ気って奴だから許してくれるかい?私は生徒に対して絶対邪な気持ちは抱かないようにしてるから”
「…………へー」
“……?”
「ううん、ともかく、今日はここまで!またね、先生!」
プールサイドから上がって、足を拭き、靴をしっかりと履いて帰ろうとするミカを先生が呼び留める。
“ミカ”
「ん?どうしたの先生、何かまだ話したいことある?」
“全部、話せたかい”
「…………」
“君の中にある後悔は、君にしか償えないものだけど、それを共に歩み支える事はできる”
「…………」
“ミカ”
「……先生」
“待つよ”
頭の中での、長い、長い長い葛藤、シナリオ通り…セイアちゃんの現状を話せばいいだけ、の筈…。
「……先生は」
「全部、話して欲しい?」
“うん”
苦しい、苦しくて苦しくて堪らない、今までの会話、見てきた行動記録、そして『先生』としての形。それらを知ったから言える、まさに聖母の様な人だと、そんな先生を…騙す心が痛いのか、
「全部話したら、きっともう私は……崩れちゃう、全部、全部…!ティーパーティーとしての私、あの子が求めた私、ナギちゃんやセイアちゃんと生きてきた私、全部、壊れちゃうからさ」
「……先生には、話しちゃ駄目なんだ、私の全部を…預けて、私の全部を受け止めて、私の全部を背負って…………本当に先生は、私が心から信頼していいって、言える?それで、生徒のみんなの味方が出来る?」
“……そうだね、言葉だけじゃ君の全てには足りないね”
先生は懐から、『黒いカード』を取り出す。ボロボロで、もはや原型が残っておらず、今すぐにでもチリになってしまいそうだ。それをミカに差し出す。
「……これは?」
“『私』さ”
「……え?」
“『私』の全てだよ、愚かで不甲斐なくて、情けなくて後悔ばかりで……それでいて、あまねく全ての輝きを見た、『私』の全て”
「……何を…」
“ごめん、今の私は先約があってね……あの子の戦いが終わるその時まで差し出せない、だから……これを、受け取ってくれるかい”
「何を言って…!!」
“ミカが、全てを賭けて戦っているのなら、私も全てを賭けるだけさ……文字通り、それは『私』、君が殺意を持って砕けば、私は死ぬ”
「……え、え?し、死ぬって……」
“生徒の皆の味方と言って、どうしてミカだけが仲間外れになるんだい?”
「で、でも!死ぬんだよ?それを私に差し出して…!なんで……」
“なんで……か、ミカに殺意なんて抱かせたら、私の責任だし……それに、忘れたのかい?”
“私は、ミカの味方なんだからさ”