夜のトリニティの街道、夏にしては冷たく吹く風が服の隙間を通り抜けていく、厚着をしている訳では無いので肌寒さを感じながらミカの部屋、ミカに指定された噴水まで足を運ぶ。
夕暮れが差し掛かり、太陽の熱が消えていく感覚が指先で感じられる、待ち合わせの噴水近くまで行くと、指定された時間の1時間前だというのにミカが噴水の縁に座っていた。
“やぁ、ミカ”
「…え、あっ…先生」
“ごめんね、待たせたかな”
「だ、大丈夫だよ?というか先生も待ち合わせの時間より早く…」
ミカが座っている隣に、先生も腰を下ろして肩と肩が触れ合う距離にまで近づいた。
“少し寒くなってきたね、ミカは大丈夫?”
「あ、うん……私なら別に」
“あの日から、眠れてるかい?また一段と顔色が悪くなって…心配しちゃうな”
「…そうかな〜…私は元気だよ?先生」
そう言って笑う姿に、気力は感じられなかった、枯れ木に付いた緑葉のような笑顔をして。
“…部屋に、向かいながら話そうか、冷えると困るしね”
「うん」
先生が先に立ち上がり、ミカに手を差し伸べる。ミカの出で立ちの美しさと、風景とが合わさって、エスコート…一種のプロポーズの瞬間を切り取った様に見える。
その手を取って立ち上がり、二人で噴水を後にする。ミカの部屋へと足を運んでいく。
“ミカは、本当に優しい子だね”
「…あはっ、いきなりどうしたの?先生…口説くにはちょっと早いんじゃない?」
“ミカは、ミカが思う以上に優しいし、みんなが思う以上にミカは優しい、まだ誰も君の本当に可愛い所を見れてないんじゃないかなって”
「私に、そんな所は無いよ、先生……というか、それなら先生もまだその『私の優しさ』を見れてないじゃん、どうしてそんな事を言えるの?」
“ん〜…まさに今見せて貰ってる所だからかな”
その言葉に怪訝な反応をするミカ、何を言っているのだこの男は……最早ナンパの台詞とそう変わらない事を吐き出し始めた先生に対して、少しだけ呆れる。
“アリウス”
「……先生?」
“アリウス、スクワッド”
「……は」
“……ミカは本当に優しい子だね、やっぱり魔女なんかじゃないさ”
呆れていた所に、スっと聞こえてはいけない単語が聞こえた気がして、呆然としてしまう。何故その単語を知っているのか、それを知っているのは私だけ、あの場で交渉を行い、アリウスとの協定を結んだ……。
“そ、うだ…そうだったな、サオリも…早く…”
「……」
何か、何か不味い気がしてならない、せっかく
“……ん、あぁ…ごめんね、せっかくミカが自室に誘ってくれたのに、他の女の子の話をしちゃうなんて”
そして、恐怖心からか、この一瞬だけ先生が味方でいて欲しくてついこんな事を話してしまう。
「………先生はさ、私の事…好き?」
“勿論、私の生徒だからね”
「…はぁ、そういう所だよ?」
思っていたより平凡な答えが帰ってきて一安心なのだが、心に巣食う違和感は離れない。
“私は先生だからね、生徒の事が好きなんだ、例えミカがどんな悪い子でも、人を騙したり、傷つけても、支え助け、手伝っていきたい”
“私は、先生だからね”
「せ、先生、さっきからちょっと変じゃない?」
何を見ているのか、何を聞いているのか、何を話しているのか、明らかに文脈が繋がっていない言葉の羅列が驚く程心に突き刺さっていく。
“生徒が築く未来は、無限の可能性がある、その
“私はまだ、ミカから目を離さないよ”
「……っ、アリウーー」
“ははは、ごめんね、少し遠回しだったかな……私はミカには、みんなと話す時間が必要なんじゃないかなって、ちょっとしたアドバイスさ”
掲げた右手を、下ろす前に止められる。既にアリウス学徒は周囲を取り囲んでいて合図があれば即座に先生を鎮圧し、私の部屋に閉じ込める算段だ。
「…そんなに、先生には私が駄目そうな子に見えてるのかな〜?」
“身近に駄目過ぎる子がいるからね……ちょっとだけ心配性になっちゃった、…そうだ、ミカにも渡しておきたいものがあってね、受け取ってくれるかい?”
そう言って手渡されたのは、黒い紐。髪ゴムかのようにも見えるそれはどことなく不思議な雰囲気をまとっていた。
「先生、これ…何?」
“お守り、かな…ミカにも身に付けておいて欲しいな”
「うん…」
せっかくの覚悟が肩透かしを喰らっているようでもどかしい、羽をパタパタさせていると先生が懐からタブレットを取り出して、こちらにウインクをしてくる。
そうして、大きく息を吸い込んで一息付いてから、話し始めた。
“そして、私は君の選択を尊重した上で、やはり否定しよう、間違えていると”
“君が、君自身の選択で苦しみ、泣いてしまうような世界であるのならば、それを私は否定し変えなくてはならない”
“君がその苦しみの渦中に居て、尚もその苦しみに自分を見つけれていないのなら、それは間違えているんだよ、ミカ”
“ミカは魔女じゃない、私の大切な
「……」
“トリニティの裏切り者、だなんて、元より何処にも居なかったよ、居たのは優しく、聡い、今を生き未来を築こうとする
「…………っ」
“間違えてもいい、失敗してもいいんだよ、ミカ……してはいけないのは、諦める事、未来を、夢を……幸せを”
「先生ッ!!」
目の前にあの黒いカードを見せつけて破く素振りをする。だが、止まってくれない。急に話し始めた先生の言葉は、まさに馬鹿で愚かで、間違え続けている私を指している、分かるはずないのに、分かるわけないのに。
“ミカ、君は何がしたい、何を望む、どうしたい?この世界は君が思っているよりも、希望と仲間に満ちている、そしてその希望は君自身だよ”
私と目を離さない、吸い付いて離してくれない、貴方の命は今、私の手の上にあるというのに……。
ふと、先生の顔が逸れる。
“…分かったか、ベアトリーチェ、見ているのなら消えろ”
“私はお前を絶対に許しはしない、他者との繋がりを地獄と称すお前とはな”
先生がそう吐き捨てた瞬間、周囲のアリウス学徒が散開し、先生に照準を定める。
「……先生が、先生が何を言ってるか、私…全然分からないや、馬鹿だから、ナギちゃんも言ってたんだ、馬鹿な私には分からないことが多いって」
「うん、私は、馬鹿で、愚かで、分かんないことばっかだから…ごめんね、先生……ごめんね…」
黒いカードをポケットに仕舞って、先生を気絶させにかかる。
ガギィンッ…!!
何かに遮られ、拳が宙で止まった。
“おいで、私の可愛い
「っ…じゃ、まっ!」
力任せに拳を振り抜いて、その何かを無理矢理砕く。そのまま意識を落としにかかる、先生に脅しなんて効かない、超えていくには…暴力でしか……!
パスッ……。
「……えっ」
“…………ケホッ”
合図を出してないのに、誰か…発砲した?
直前で力を緩めてしまった為、そのまま先生に倒れ込む形で地面に転がっていく。
「あ……あれ、先生?」
ミカの真っ白な服に鮮血が塗りたくられる、手に、視界に……赤色が増えていく。胸元から流れ出す血が止まらない。
「あ、ち、ちがう…だ、誰が撃てってッ!!」
“ミカ、だいじょうぶ……あろな…”
誰かの名前を呟いた後、先生の手元に注射器の様なものが現れ、勢いよく首に刺される。その瞬間血管が蠢いておびただしい量の血を吐きながら先生が立ち上がる、人目で分かった……今のは絶対に良くないものだと。
“ゲホッ、ゲホッ……ふぅ…随分と腕のいい子が居たんだね、逸れて良かった……油断してた”
再度展開される見えない何か、先生とミカの距離は変わらないまま、周囲からの射撃が始まる。既にここ一体の出入りはティーパーティーの権限で封じているため、この銃声が聞こえるものは先生とミカを除いて居ない。
しかしどの銃弾も全て弾かれていく、バリアの強度が増し、絶対不可侵の領域を作りあげていく、そこには先生が傷つけられた確かな怒りを、意識を感じさせられた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……先生…」
“ははっ、やっぱり優しいねミカは”
「……でも、私は、それでも止まれないの、先生、私はゲヘナが嫌い、嫌いで仕方ないんだ…!」
「だから、今ここで…貴方を乗り越えなくちゃいけないの…!!」
“………うん”
先生が手に持つタブレットが淡く光る、周囲でガラスがパリンパリンと、大量に割れる音が聞こえたと思ったら銃撃が終わり、辺りは静寂に包まれた。恐らく先生が何かをしたのだろう。
「おぞましいゲヘナの性根は知ってる!身をもって味わった!だから、だから……!ゲヘナとは絶対に相容れない、ごめんね、先生……エデン条約まで、大人しくしてて欲しい」
“私は君の憎悪を、まだ知らない、まずはまた、一から信用を築く所からかな”
「っ〜!そういう話じゃ……」
一心不乱に先生に言葉をぶつけていると、誰かの足音が聞こえる。
「……足音?そんな、ここには誰も立ち入りを…」
「ーーデミちゃん?」
現れたのは、正義実現委員会二年生、羽音デミ。
「こんばんは、デミちゃんっす、先生…帰るっすよ、明日、大事な試験なんだから」
“……デミ”
「ミカ様?ミカちゃん?まぁ口癖でミカちゃんって呼んじゃうかもしれないけど、許して欲しいっす」
「な、なんで、なんで貴方がここに…」
その衝撃と動揺は余りにも大きなもので、先生に気取られてしまう。
“…ミカ、君はデミと一体……”
ゴチンッ!
スタスタと近づいてきていたデミが先生に拳骨を落とす。
“ぐぅおおぉお!?”
「こんのど阿呆!また無茶したんすね?人には言っておいて、私はみんなから叱られたんすよ?帰ったら説教っす、馬鹿には鉄拳制裁が一番効くって身をもって味わったんで」
ズルズルとミカから先生が引き剥がされて、そのまま持って帰られる、とても重そうにしているが精一杯力を振り絞って帰っていく。
「ま、待って!デミちゃん!」
「駄目っすよ、ミカ様ちゃん、先生と喧嘩したいなら全部ぶつけないと、止まったら駄目っす、進み続けなきゃ」
「……その変な呼び方、やっぱり覚えて…」
「うん?なんの事っすか?」
呆けるデミの顔からは、本当に何のことか分からないのが見て取れる。
「………もう、いい、ここで逃がす訳ないじゃん」
「…はぁ、せんせー!」
“いだ!いデデデ!!わか、分かりました!耳引っ張らないで!”
タブレットが再び淡く光り出す。
“ふぅ、ミカ……絶対に、絶対に君から目を離したりなんかしないから、間違えながら、違えながら、私の元へおいで、君の憎悪の終わりを、私は迎えるよ”
「せんっ……ぁ…」
そうやって話した後に、二人の姿が掻き消える。残る静寂はミカを包み込むだけ。
「…………失敗しちゃったな」
「もっと迷いなく、最初から先生を気絶させれば良かった」
手元に再び、あの黒いカードを握る、先生は本当に分かっているのか、貴方の命は未だ私が握っていると。
「…でも、もう駄目かも、先生が撃たれたことを、ここに来た事を話せば…」
計画は、終わる。
「……」
衣服と、手に付いた先生の血を眺める、地面に吐き捨てられた大量の赤黒い血を……。
手に付いた血を舐めて、その味を脳裏に刻む、私のミスで無駄に傷つけてしまった、その味を。
「……先生の血は、優しくて……甘いね、甘くて仕方が無いや」