最終試験 五日前
「――もう嫌っ!」
「こんな事やってらんない! わかんない! つまんない! めんどくさいッ! ――それもこれも、全部先生のせい!」
“あはは……頑張ってね、コハル”
「他人事みたいに!いや他人事だけど!!」
場面は戻り、遂に最終試験まで来てしまった補習授業部一同。ガリガリと鉛筆を動かしながら文句を垂れ流すコハルは恒例となったもので、皆微笑ましい顔をしながら勉強を続けている。
“……”
授業をしながら、手元の資料……先程受けてもらった模擬試験の点数を確認する先生。
第三次模擬試験結果
ハナコ――百点
アズサ――八十点
コハル――七十五点
デミ――九十八点
ヒフミ――八十二点
引き上げられてしまった合格ライン、その点数は九十点……その壁は思っているよりも高い。ハナコも事情を知ってからは百点を叩きだし続けている、他のメンバーに勉強を教える事に尽くしているのにも関わらず……流石といった所だろう。
アズサ、コハル、ヒフミはまだまだこれから伸びる。コハルはあの広げられた試験範囲に対応出来ていないだけで、勉強すれば自ずと届くだろう。アズサとヒフミは個人レッスンを絡めるか、それともひたすらに試験範囲の内容を頭に叩き込むか、悩む所だ。
そして…
「コハルちゃん、そこの数式のケツの部分、順列逆っすね」
「え?あ、本当だ…気づかなかった」
“デミも随分と勉強を頑張ってくれたんだね”
「やること無いからっすねぇ、暇つぶしの延長線っすよ」
九十八点、ハナコに続き合格ラインを越えたもう一人の生徒。実はここまで高い点数を取るのは予想だにしていなかった……ヒフミの話を聞く限り、過去、中々に試験に手こずっていたようだから…何か手伝いが必要かと思ったが、変更された範囲にもしっかり対応している。
そして今日も授業を進めていく。
「ーーー敏感な所を寄せあって…」
「エ駄死!」
………うん
「あぁ、ちょっと分かり辛かったですか? では、実際にやってみましょうか、もう少しこう、足を開いて頂いて……」
「え、えっ……や、やめて! 近付かないで! 知りたくないし分かりたくもないしまだ早いからっ!?」
「えいっ♡」
「や、やめっ……やめてぇっ! たっ、助けて先生ッ……!」
“……風流だね…”
…まぁ、授業中にもハナコの淫語は止まることは無かったが、そうこうしている間に授業が終わり、皆自習の時間に突入していった。
〜五時間後〜
「あ〜疲れたっすねぇ……はぁ、マジであのティーパーティーの子の羽根、唐揚げにしてやろっかなぁ」
デミが変更された範囲の勉強をしていると、ふとそんなふうに愚痴を漏らす。
「デ、デミちゃん…ナギサ様に失礼…いえ、補習授業部の部長としてはプンプンな気持ちなのですけど…」
「そ!も!そ!も!なんでこんな目に私達が会わなきゃいけないの!? …私、ヒフミやアズサ、デミ先輩とハナコがこんな形で、悲しんじゃうのは…ヤダ」
コハルの真摯な気持ちがアズサに痛い程伝わっていた。何故こんな目に会っているのか、その答えが自分自身であるからだ。
「……」
「コハルちゃん…大丈夫ですよ、私達には先生が居ます、ですから後は一生懸命勉強するだけですよ」
“なんてったって顧問だからね、任せて”
ハナコは既に、先生が信用に値する人物だと認めている。打算も悪意も作為も無く、ただひたすら生徒の為を思う気持ちを伝えてくれているから。
「……あ!そうでした!!」
ガタン!とヒフミが椅子から飛び起きてデミの方を向いた。唐突な反応に皆驚く。
「急にどうしたんすか、ヒフミちゃん」
「すみません、えっと…デミちゃんにプレゼントしておきたいものがあったんですけど、色々あり過ぎて忘れちゃってて……これをどうぞ!沢山勉強しているデミちゃんにです!」
横に掛けられているペロロ鞄から、黒いノート数束と手帳を取り出して手渡すヒフミ、話から察するに、自習用ノートだろうか?手帳の話も知っている、普段の生活で楽しかった記憶を書き留めておくとデミから話された事がある。
「ん?おぉ!新しいノートっすか、それに手帳も!」
「前にお部屋にお邪魔した時に……その、結構スッキリしちゃってので、それに前から書いてた手帳もいつの間にか無くなっちゃったみたいですし」
「…あ〜ヒフミちゃん、ありがと!それじゃ早速ノートは自習用に使わさせて貰うっす!」
「あらあら、本当にお二人とも仲が良くて羨ましいですね…それに、あれだけ『先の事考えたくない』 みたいな事を言っていた割に、点数取れてますし……本当に努力家ですね♡」
胸ポケットに手帳を収めて、軽く微笑むデミ。彼女は良く肯定の意を示す時に軽く微笑む癖があるのだが、本人は気づいていないようで、普段見せない「笑い」では無い優しい笑顔を見せている、そこら辺もハナコに
「さてと、自習もある程度頑張ったんで、気分転換に少し外出してくるっす、そこら辺歩き回るだけなんで許可は大丈夫っすよね?」
“うん、行ってらっしゃい…気を付けてね”
「あいよ、っす」
「では、私もお共しても良いでしょうか?」
「…良いっすよ」
「はい♡それでは…」
「……」
そうしておもむろに服を脱ぎ出すハナコを見たデミが先生の目にピースを差し込んだ。
“ウグワァァァァ!?!?”
「それじゃこの馬鹿引き連れて行ってくるっす」
「せ、先生ェー!!?」
「あん♡ちょっと、デミちゃん…見えちゃいますよぉ?」
「ハ、破廉恥!!ちょっとデミ先輩!それ以上服引っ張ったら見えちゃいますってばぁ!!」
ワンアクションを起こすだけでドッタンバッタン騒ぐこの光景は見慣れたもので、もう何度もこういったやり取りは行ってきている。先生は目を抑えながら転がり回り、コハルはいつも通り頬を赤く染めて頭の羽で目を隠している。
そんな様子を見て…
「ふ、ふふっ、アハハ…」
「…ふふっ♡」
いつの間にか、アズサにも笑顔が増えていた。氷の魔女と呼ばれている彼女のこんな笑顔が見れるのは、補習授業部の皆だけ…そんなアズサの様子を見てハナコも笑顔が花咲く。
「それじゃ、行くっすよ」
「はい♡」
“ぐぉぉぉ…気を付けてね〜……”
扉を開けて二人が外へ行くのを見て、先生も立ち直った。そして打って変わってヒフミが先生に対して少し憂うような表情をして話しかける。
「…最近、お出かけ多いですね…あの二人」
“…何か気になる事が?”
「あ、いえ…」
一言目で軽い否定を表すヒフミだが、泳ぐ目とおろおろとした様子が『何か』あると告げてならない。
“…ごめんね、アズサ……私達も少し席を外すよ”
「あぁ、分かった」
“行こうか、ヒフミ”
「…はい」
結果、教室に一人残されるアズサ。静かな部屋で一人自習を行う、しかし雑念がずっと頭に詰まっていた、昨日の夜…サオリに会いに行った時に伝えられた指令、『桐藤ナギサの襲撃』試験終了二日後に行われるこの作戦は、試験に向かって努力する気力を奪ってしまう。
「……」
先程まで騒がしかった部屋は一瞬で静かになり、余計に色んな事を考えてしまう。そんな時、手首に付けていた黒い紐が目に入る、先生に付けておいて欲しいと言われたものだ。
『抗うことをやめてしまうかい?』
「ふっ…」
アズサは、改めて…自分らしく無かったと感じる。私の前へ進む一歩が周りにどう受け止められるかは分からないが、それでも抗う事は辞めない。
vanitas vanitatum et omnia vanitas。
例え全てが虚しいものだとしても、抗う事を辞める理由にはならない。
■
アリウス自治区の廃墟、そこでサオリが静かに銃の手入れをしている、アズサに教えた様に、銃の細部までメンテナンスを行っていく。戦場では武器自体を命と思わなければならない、今まで一度も不具合を起こした事の無いはずの小銃の内部が気付かぬうちに傷ついていた。訓練所での調子が悪かった訳だ。
今日の空模様は雨雲でザアザア、程では無いが、外出には難しい量の雨が降っている。
カチャ…カチャ…と銃の部品を丁寧にバラし、損傷していると思わしき部分を新品と交換していく、丸ごと新品にしてしまうのも一つだったが流石に撃ち慣らしたものを手放すのは惜しい。
「……アズサ」
あの子は、
…マダムからの指令で聖園ミカを利用し、件の先生とやらを殺害し、桐藤ナギサも誘拐、新たなる武装集団にアリウス生徒が核となり、エデン条約を破壊した後は、スケープゴートになって貰う。
「結局、虚しいものだったか、全て、虚しい」
マダムに問い詰めらた事も未だによく分からない、あれほど焦ったマダムを見るのは初めてだ、何より本当に記憶が無いのだから…任務として受けた情報は忘れる事は無い、それに端末にも記録は残す。何があっても『忘れる』事は無い…筈。
「……」
ただひたすらに、銃のメンテナンスを行う。これが人の命を奪うものだと、殺意が形になったものだと分かっているからこそ、丁寧に……丁寧に。
「…羽音デミ、か」
私が知らない、マダムを脅かす敵の一人。先生がマダムの敵になり得るのは理解出来る、共に『大人』と分類される人達だからだ、それでいて…マダムからここまで嫌悪を向けられる存在が、まさか学生であるのが不思議でならない。
「まぁ、いい…」
正義実現委員会所属、強大な戦闘力、それ以外に特筆する点は無かった。巡航ミサイルの直撃があればヒナ同様に恐れる相手では無い。
最も此方には、あの二つ頭の人形から提供される、
「……」
思い出すのは、あの興奮した様子で良くペラペラと話す人形。
『あの少女との出会いは正に奇跡であった、手を伸ばし近づく事すら出来ぬ『神秘』…恥ずかしながら、以前『神秘』というものは、私では形容すら出来なかった』
『崇高に、文献に、現象に、
『分かるか、キヴォトスの生徒達よ、漏れ出るその一部分の輝きですら手が届かぬ心情を、闇の中を歩き続ける恐怖を、そこに差し込まれた輝きの美しさを』
『『神秘』 不滅たる神の肉 『恐怖』 無限たる可能性』
『理解不能、他者、その恐怖をラベリングし、神秘と成る、概念的に成立した神秘は不滅であるが、……ゴルコンダの言葉を借りるなら、虚像として在ったテクストが忘れ去られる事が起きうる。そこに神秘としての力は薄れ、不滅性を失っていく…黒服が語る『名も無き神』は、私の定義と同じく
『……私も芸術家として、司祭が消そうとする理由も分かる。形あるものは何れ朽ち果てる運命にあるが…芸術は在り続ける、不滅であり、その価値を証明し続ける。神秘と紐付けられた『名も無き神々』の
『形は違えど、小さな成功を納めれた……いつか来たる先生への公演が楽しみだ』
驚くべき事は、マダムですらあの人形の状態を知らなかった事だろう。マダムの手引きにより、私達の目の前に現れたあの人形は血に塗れていて、片方の頭部にはドス黒い血がこびり付いていた、これが普通であるのか、狂気の中に居るのかは……定かでは無かったが、あの人形もマダムと同じ匂いがした。『大人』の匂いだ。
「『大人』…大人とは、皆ああなものなのか………どうなんだろうな、先生」
「…アズサは楽しそうにしてたね、サッちゃん」
後ろから、アツコの声が聞こえた。その言葉には『先生』という存在に対しての答えであるかのように、私達と同じであると思っていたアズサは……笑っていた。
ーーvanitas vanitatum et omnia vanitas。
「姫……そう、だな…虚しい筈だ、全て…虚しいと教え、それを身に染みて味わってきたのに、まだ理解していない」
「この世界の真実は、そう簡単に変わる事は無い…きっと直ぐに目を覚ます、姫…あの人形との取引は?」
「エデン条約の締結の裏でユスティナ聖徒会を複製してもらう、私の…「戒命」の力、締結された条印によってエデン条約機構を担うのはアリウスに、ユスティナ聖徒会は私達の戦力になるって」
「そうか、ヒヨリとミサキを呼んでおいてくれ、当日の戦略を練り上げる、私も整備を終えたらすぐ戻る………高々文言だけのものを、戒律に基づき複製する事で、不滅の軍隊となるとはな、恐ろしいものだ」
話している間にも整備は進めておく、身に覚えの無い場所まで損傷しているが、これも例の生徒の影響だろうか。
「…サオリ、あの指令は…」
「羽音デミの抹消か、それがどうかしたか?」
「……ごめん、大丈夫」
アツコが私の傍にレーションを置いて戻っていく、そういえばもう昼時だったな、雨のせいで空模様が変わらないから失念していた。
袋詰めのクッキーをモサモサと食べながら、整備音しか聞こえないこの場所で、今日もまた必死に生きる。何も意味を持たず、何も成さず、無意味に無価値に虚しく。ただただ、生きていく。
「この日常から、アズサ…逃げられるものか」
vanitas vanitatum et omnia vanitas。
全ては虚しいもの、どんな努力も、成功も、失敗も…全ては最終的に、無意味なだけ。
それがこの世界の真実だから。
■
生きる為の『悪』を否定せねばならないのか?それしか出来ない、それしか知らない、『
みんな、そうするしか無かった。明日を生きる為に、何の為に生きるかも分からず。
「アツコちゃんは、それでもいいんすか?」
あの夜、不思議な子と出会った、出会いに行った、彼女を殺す為に。瓦礫の絨毯の上には気絶したサオリとミサキ、ヒヨリが寝かされていた。そして何故か私の頭を撫でている。
「……何…を?」
「全部跳ね除けて皆で笑い合いたいだけ、明日を生きる理由はそれで良かった、それが壊された今、アツコちゃんはどうしたい?」
目の前の生物と言っていいかすら分からない不思議なモノに話しかけられる。それでいいのか、どうしたいのか。相も変わらず頭をさすられている。
「……」
「マスク越しっすけど、やっぱり嫌だって顔してるっすね」
手を離され、今、目の前のナニカに見つめられている。サオリ達を打ち倒してからというものの、自身の頭を撃ち続け、泣いた顔のまま話しているナニカに。
「それじゃみんなから私の記憶……アツコちゃんだけを除いて消しとくんで、ベアトリーチェに聞かれても黙ってて下さいっす」
「……貴方は」
「みんなを幸せにする為に」
私の発言を待たず言葉を重ねられる。
「みんな、先生が居るから大丈夫、私が殺す」
「…違う、幸せになれる」
「先生は生徒の味方だから、アリウスのみんなの味方でもあるんすよ、安心して………」
「……違う」
目の前のナニカは、狂っていた。狂気に蝕まれて口から聞こえる言葉に支離滅裂な単語がどんどん混ざっていく。
「…ごめんなさい、ごめんなさい…ちょっと調子が悪い…」
「私も手を離すから…だからッ!!違うって!!分かってるから!煩い…違う、ごめん」
目の前のナニカは、壊れていた。私の言葉に対しての返答の脈絡が分からない、普通に話しているのに泣いている、怒っている、微笑んでいる。プログラムのバグの様な動作をし続けている。
「先生が居る、先生が居るっす、アツコちゃん……貴方達の生きる未来が、ずっとそのままな訳ないじゃないっすか」
「……」
「『仕方ない』なんて、許される事は無くても…貴方達のニヒリズムは、憎悪は、悪性は終わる。先生がいるから……その憎悪が巡る世界にはならないっす、アツコちゃん、元いアリウススクワッド」
「過ぎたことは許されはしない、けれど歩む事は、
目の前の
「アツコちゃんも可愛いっすねぇ…ヒヨリちゃんのお腹もタプタプしていいっすか?」
「…いいよ」
ヒヨリに飛び付いた彼女は、元に戻っていた。
■
悪夢の様な時間だった、帰ってみればお咎めは無く、マダムの焦りが増えただけ。皆の記憶からあの子は消えていた。
銃の整備をしているサオリを後ろから眺める。
「どうなんだろうな、先生」
『先生』その単語を聞く度に胸が跳ねる、あの子が話していた人物。詳細は余り知らなくて、シャーレという部活の顧問を担当している大人としか教えられていない、そしてマダムの敵意を受ける者としか。けれど…
「…アズサは楽しそうにしてたね、サッちゃん」
アズサの顔に、何処か柔らかさを感じた。幸せそうな、楽しそうな、大切なものを、見つけられた様な、それが答えだろう、先生という存在は……
『先生が居るから大丈夫』
私達をこの世界から連れ出してくれる。サオリを、ミサキを、ヒヨリを、アズサを、アリウスの生徒達を。
vanitas vanitatum et omnia vanitas。
例えこの世界の真実が虚しいものだとしても
私は皆と明日を生きたい。