最終試験 一日前の昼時
“ズビビ……”
「「「「「……」」」」」
先生は大号泣していた、第六次模擬試験の結果、全員合格を叩き出した補習授業部の皆が誇らしくて堪らないのか、ずっとニコニコしながら涙を流し鼻を啜っている。その様子に皆、ある程度引いていた。
“本当にみんな…頑張ったね…”
「こちらこそ……ハナコちゃんとデミちゃん、そして先生の尽力のお陰で合格点まで届いたんですよ!ありがとうございます、先生!」
“ヒフミ……ヒ゛フ゛ミ゛…”
いつもはあれだけ整っている顔が崩壊して、大滝が如き涙を噴射して倒れてしまった。大袈裟にも思えるその反応……しかし、前代未聞の合格ライン九十点を踏み越えた、補習授業部の皆は成し遂げたのだ、悪意の黒い手を真正面から打ち砕いた。睡眠時間を削り、尚且つ朝早くからの授業と自習、先生も補習授業部の皆も全力を尽くした結果が実ったとなれば、それは言葉に言い換えられない喜びがあるのだろう。
ただ、まだ試験本番では無い、その事実が皆の肩を固まらせている。両手を挙げ心の底から喜び合いたい気持ちもあるのだろう……百点を取り続けていたハナコ、一番の伸び代を見せたコハルからははち切れんばかりの歓喜の感情が見え隠れしている。それ故、コハルから声が上がった。
「せ、先生!私も頑張ったよ!エリートって、ハスミ先輩に胸を張れる位にね…だから、その…」
モジモジと、ハッキリと言葉には出せないが『褒めて欲しい』の意を表す様に羽をパタパタとさせて、その様子を見た先生が我に返り、その手を伸ばして頭を撫でる。
“コハル、本当に頑張ったね…!コハルは正実の紛れもないエリートだよ、良く勉強して、良く理解して、一番成績が伸びて……きっと試験でも合格出来るさ”
「元から言ってたでしょ?エリートだって!ふふん!」
胸を張って元気よく誇らしそうに話すコハルを見て、ハナコもヒフミもアズサも、一人を除いてコハルに飛びついていく。
「はい!コハルちゃんが一番頑張ってたと思います、普段慣れてない夜更かしをしての勉強や、殆ど知識の無かった数学、色んなことを克服してここまで来たんです!絶対合格しましょう!」
「夜中に数度、コハルの姿が見えなかった時はどうしたのかと思っていたが、自習していたのか……私も、コハルは正実のエリートに相応しいと思うよ」
「え、えへへ…二人ともありがと!」
「コハルちゃん…♡」
部長であるヒフミ、そして同じく最初は六十点の合格ラインを乗り越えられなかったアズサが各々コハルを褒めたてる、最後にハナコが淫靡にコハルの名を呼び、いやらしい手つきを見せるが…いつもの様にコハルは忌避しようとはしない。
「ハナコ…」
この結果は勿論、自分自身の努力の甲斐が有ったと思っているが、彼女は彼女自身の分析を誤らない、頭が悪くて物覚えが良くなくて、口も悪くなってしまう時がある。そんな自分と付き合い続け、九十点台を取る事が出来たという事、それは他ならぬ先生と補習授業部の皆の協力があってこそのものだったと分かっているから。
「……ハナコ、ハナコにもお礼を言っときたいの、最初は…変な奴だってぐらいしか思って無かったけど…勉強を真剣に教えてくれたり、みんなとの思い出を大切にしたり……」
「…えっと、ハナコはハナコなりに、頑張ってくれたんだって…私も、みんなも、一生懸命勉強して………だから、その………えっと、あ、ありがとうございます!ハナコ先輩!」
「……」
コハルなりに胸の内を振り絞った言葉、それがハナコの心を…悦びで殴り倒した。
「…ハナコ?」
硬直したハナコをコハルが指でツンツンと押してみるが反応が無い。
「コ…」
「コ?」
「コハルちゃん…♡♡♡!!ありがとうございます…!絶対に、ぜぇったいに!合格しましょう!!あともう一度ハナコ先輩って…」
物凄い勢いでコハルの身体を撫で回すハナコ……。
「きゃァァァーーー!?!バカ!えっち!変態!」
「うふふふふふ…♡」
“……風流、だね…”
「あ、あはは…」
■
“さて…今日は随分と呆けているけど…大丈夫、じゃなさそうだね、デミ”
「………ん、大丈夫っすよ」
日が経つに連れて窓の外を眺める時間が増えていったデミ、皆で一通り褒めあった後に、この様子を見て不安がっていた補習授業部の皆には、一旦引いてもらって一体一で話す先生。彼女がこうなっている原因は見た目で分かる。
酷く黒ずんだ目元、開ききっていない瞼、ボサボサになっている長髪、寝巻きの体操服を着て……完璧に寝不足のソレであった。
“…みんなから聞いたよ、夜寝れてないんだってね”
最終試験に挑む事になってから…というより、それより少し前…美食研究会を捕まえたあの時から上手く寝れていない様だった。それが段々と悪化してきたらしく、あの時トイレ帰りのコハルとヒフミから話を聞かせてもらった。夜中に浮き続けているデミのヘイローを見たという。
「………試験は、合格するんで安心して下さいっす」
“ううん、今はデミの事が心配だから…安心出来ないかもね”
「…そっすか」
返事さえも、何処か夢の中に居るみたいに、ボーっとして返す。
“……なるほど、デミ…おいで”
シッテムの箱を数回タッチした後、先生がデミの背丈まで高さを合わせ、しゃがみ、背中を見せてポンポンと催促をする。取り敢えず今は寝室に連れて行って安静にしてもらおうとしていた。
(“アロナでヘイローに干渉出来なかった、か”)
デミのヘイローらしきもの、キヴォトスの住民は意識があやふやになればそれ相応にヘイローが点滅したり、消えたりする。それが一切ブレなく浮かんでいる事と、アロナによる矯正昏睡が行えなかった事から、『ヘイローらしきもの』として断定した。
「…そーゆー事、あんまし他の人にしちゃダメっすよ」
のそのそとナマケモノの様に先生の背に登って、数秒……一瞬で寝入ってしまった。強く腕を回して離れようとしないので、このまま寝室へと向かおうとする先生……その時、教室のドアから慌てて飛び込んでくる補習授業部がやってきた。
「せんッ……せい良かったデミちゃんは寝たみたいですね」
“…ヒフミ、何かあったのかい?”
「あ!そうでした!!こ、これ見てください!」
“おっとと、………なる、ほど…これはやられたね”
見せられた掲示板に載せられていた情報は、まず試験場である第十九分館には大規模な正義実現委員会と、特例的に『ティーパーティーに推薦された生徒』の派遣が決定され、建物全体を隔離するという連絡。
「本当になんなのよ!?!先生!これってやっぱりティーパーティーのあの人のせいよね!?」
「………エデン条約に必要な重要書類を保護する――という名目でティーパーティーから…いえ、ナギサさんから建物全体を正義実現委員会として守る厳戒態勢に入りました、現状は戒律令も出ていて本館には一切誰もたち入れません」
“戒律令、という事は…エデン条約締結まで解除はされないという事だね”
「…え、えぇっ!?」
寝耳に水、青天の霹靂、聞いたこともない『戒律令』とやらに補習授業部の活動全てを否定されかけているヒフミから素っ頓狂な声が上がった、更にもう一つ、驚くべき情報が掲示板に挙げられていた
『ゲヘナ風紀委員会からの、羽音デミの引き渡し要請』
期限は、今日の深夜一時まで。
“……”
険しい顔をせざるを得ない、トリニティ内だとまさに邪智暴虐が如し策略を見せられる。更に風紀委員…恐らく万魔殿の方だろう、第二次試験の時といい、両校の上層部が互いに手を取って行動してきている。あれほど普段は犬猿の仲、龍と虎の様な関係性であるのにも関わらず。
「……アリウスの時と、同じ」
ポツリ、ハナコが嫌悪と憎悪を軽く混ぜた声で呟く、規模は違えど似ているのだ、共通の目標を得てしまった両校の悪徳と。そしてここでアリウスの事が頭をよぎったのはハナコだけでは無かった。
「私の、せいか」
声が震える、手が震える、心が凍える。いつも背にかけている愛銃がやけに重たくて仕方がない。
「っ!なんでそこでアズサのせいって言っちゃう訳!?こんな訳の分からない意地悪ばっかしてるのはアッチの方で…!」
“…アズサ”
「…………」
■
昨夜
トリニティ郊外 廃墟
普段はサオリから支給された簡易式迷彩と、新しく設営されたアリウス自治区への近道、それを使ってアリウス自治区での報告が常となっていた。
本来カタコンベを経由し無ければ辿り着けない筈のアリウス自治区に、謎の肉壁の通り道を歩けば辿り着くようになった。ぬちぬちとした肉壁の道を歩けばアリウス自治区へと何故か辿り着く、原理は不明だった。ただ…マダムと呼ばれる者によって作成されたものであり、文字通りアリウスに学籍を置くものだけが通れる仕組みだ。
しかし、今日はトリニティ郊外で報告をする事となり、迷彩を起動し足を運ばせ、いつも通りの報告で終わる筈だった。
「アズサ、日程が変わった」
「………?」
「明後日の午前、約束の場所で命令を待て」
「ま、待ってサオリ、明後日は……」
「…何か問題でも?」
「……まだ準備が出来ていない、計画よりも日程を早めるのは、リスクが大きすぎる」
口の中に湧き出る唾液を飲み込み、提言する。基礎的な事だが計画の前倒しにはリスクを伴うもの、この一つの計画を遂行する為に私はトリニティに潜入し、スクワッドも動いている。失敗すればこの日までの労力を全て無駄にするということ、そこは少しでもリスクを抑えるのが……
「――生徒会長が決定した事だ、明日の決行は既に確定事項……計画を前倒しにするリスクよりも、この機を逃すデメリットの方が大きい。…焦燥している事は確かだと言える、だが、出来る限りの準備をしておけ、最低限動ける程度にはな」
生徒会長、アリウスの生徒会長は…件のマダムだ、名しか知らされず絶対的な権力者として、マダムにどれだけの貢献が出来るか、それだけがアリウスでの価値だった。目の前に居るのは、その中でも最も価値を得た人物…アリウススクワッドリーダー、錠前サオリ、その言葉を覆せはしない。
「………っ、マダム…が?」
「アズサ、お前の知りようがない所で既に事態は動き続けている、明日になれば全てが変わる、私達アリウスにも、このトリニティにも、不可逆の大きな変化が起きる事になる」
この戦争の玉座に座った者が次の世代の支配者になる、表向きにはトリニティとゲヘナ、実情はアリウスが両校に魔の手を伸ばし、王手に手が掛かかりかけていて、更にはアリウスに『大人』が付いている。
「トリニティのティーパーティー、そのホスト――桐藤ナギサのヘイローを破壊殺害する……その為にお前は此処に居るんだ」
ティーパーティーの聖園ミカは既にこの作戦のスケープゴート役、百合園セイアは死亡、桐藤ナギサが堕ちればトリニティはアリウスの手中に、長年のトリニティへの憎悪は決着し、残るはゲヘナを滅ぼすのみ。
「アズサ、お前の手は、心は、私達と同じだ」
「暗く穢れ、憎悪の循環の中に居る」
「……分かっている」
「あぁ、お前の『実力』は信頼しているよ、上手くやれ――百合園セイア、あの女を殺した時の様に」
その言葉に、どこまでも温もりは無かった。
「――了解」
空返事だった、部隊訓練であれだけ鍛えられてきた返事を返す事、今は力無くうわ言の様に言葉を吐き出す。そのまま廃墟の床に散らばるガラス片を踏み砕いて帰ろうとしていた……。
「アズサ」
「……?」
窓から差し込む月光が二者の瞳を照らして向き合わせる、夜風は二人の髪を靡き混ぜ合わせ、美しい白と少し煤汚れた暗い蒼が夜に映えた。
「――忘れていないだろうな、『Vanitas Vanitatum』」
それは、アリウスの
この身が幾ら変わろうと、聞かされ続けてきた真理。
思え返せば、全てをそう教えられてきた、失敗すれば価値を失う、抗えばその牙を折られる。体罰が当たり前の世界で、厳しい訓練と味気の無い食事、娯楽の無い生活、明日を生きる事すら精一杯の世界に生きて、生きて生きて生きて……
ひたすらに大人からの命令を受け入れ、搾取される存在に成り下がり、全てを虚しいものと知りながら明日を生きて………
「……全ては、虚しいもの」
それでも
『君は一人じゃない』
「どんな努力も、成功も、失敗も……全ては、無意味なだけ」
それでも
『抗う事を、やめてしまうかい?』
「――一度だって、忘れた事はない」
それでも、抗う事を辞める理由にはならない。
■
「皆に、言わなきゃいけない事がある」
「…アズサ……ちゃん…」
「ハナコ、コハル、ヒフミ、先生……デミ」
皆の名前を呼ぶ度に、声が震えていく。伝えなきゃ、伝えろ、真実を。
「……私が、皆が狙われるのは、わ、たしが…!」
「私が、『トリニティの裏切り者』だからだ」