手帳が開かれる。
気絶と共に胸ポケットから投げ出された手帳のページが捲られる。
それを、誰も気に留めはしない、何よりも優先しなければならない事を誰も気づけなかった。
スコープの先に広がるのは、怪物同士の死闘。
「貴方のッ!『正義』を救護する事が、救護騎士団部長である私の使命!」
「救護救護って…さっきから本当に煩いなぁ!そんな事で私の進む道を邪魔しないでよ!!」
ハスミが狙いを定める先は、拳同士の戦いにも関わらず爆発音が鳴り響く地獄であった。
銃撃と肉弾戦が交互に繰り広げられ、先程よりは規模は小さいが…それでも脅威である隕石を躱しながら戦わなくてはいけず、多数対一人の状況でありながらミカに優位を握られている。
「くっ……あの羽が無くなれば優先になると思いましたが……!」
馬鹿げている、仮にも普段から戦闘訓練、実戦経験を積んでいる正義実現委員会のメンバーがあの近接戦闘に着いていききれない、加えて降り注ぐ隕石と隙を見て飛んでくる数発の弾丸。
どれもこれも爆発的な破壊力を持ち、後衛の私では一発喰らっただけでも戦闘を継続できるかも怪しい、なので躱す事にリソースを使うしかなく、コハルも同じ様な状況だ。
シスターフッドはヒナタさんを除いて全滅、撤退に部下の人員を割いて隕石の範囲内から外れてもらった。マシロとは連絡が取れないことから恐らく最初の流星群で気絶してしまったのだろう。
加えてあのタフネス、ミネ団長の怪物地味た耐久力とスタミナは知っているが…その彼女とツルギを足した様な存在だ。
「…っふぅ…」
スコープを覗き、動き回るミカの頭に照準を合わせる………。
「…あはっ!だから無駄だよー?」
………スコープ越しに、視線を合わせられた、発射のタイミングでミカが足を地面に叩きつけ土埃が巻い、またもや照準を合わせなくてはならない。
「当たったとしても、あのタフネスでは…」
スコープから目を離して汗を拭う。
一瞬、腕で視界が隠されただけだったが……。
「そうだね、当たっても無駄だし、居ても無駄だからバイバイ」
「なっ!?」
既に近寄られ、振りかざされる拳を視界に捉えてしまった。
(二百メートルの距離を…あの一瞬で……!)
コハルよりも先に離脱してしまうことは許されない、そんな先輩の姿を…彼女の理想の姿を、無様に晒しては……
「終わり゛…ッ!?」
ショットガンによる射撃で、ミカが吹き飛ばされる。
「…ハスミ、立てるか?」
「ツルギ…大丈夫です、貴方も怪我は」
「もう治った、やるぞ」
謎の化け物との戦いであれほどズタボロになっていたツルギだったが、既に完治している。
戦闘態勢に入り、いつものように二丁構えの姿でハスミの前に立った……つくづくツルギには部長としての強さを感じさせられるものだ。
「…ツルギ先輩」
「イチカ、お前も下がれ…後は私がやる」
「了解……っす…」
「コハルもだ」
「は、はい!」
フラフラとした足取りで後方へ下がるイチカを支え、コハルもこの戦場から退却する、ツルギはこと緊迫した戦闘においては単純な戦闘力だけでは無く、その場その場における適切な状況判断を下せる人材、下がれと言われれば下がるのが正しい。
「次から次へと…ついにお出ましってワケ?随分と遅かったじゃん、正実のリーダーさん……先生からの話だと休みだって言ってたけど?」
「……キェへへへへ…私用だ」
「へ〜…そんな怖い顔して、面白い冗談も言えるんだね☆」
「キャハハハハ!!」
「救護ォォォォッ!!」
ミカを見失った後、追いついてきたミネ団長も二人の間に挟まり、話が通じそうで通じない人×3の争いが始まろうとしていた。
(……今更ながら後輩の皆が撤退済で良かったと、改めて思いますね…)
一応はサポートとして射撃体制に構える……もし私が前衛ならどう考えてもここに混ざれる訳が無い、唯一デミならば……と、思考をした事でふと彼女の安否が気になって周囲を見渡す。
「…結局、あの薬も時間じゃないのに無くなっちゃったし……後で報復しなきゃね」
「貴方が後を考えるのは!救護を受けてからです!」
「キャハハ、ギャハハハハハ!!」
とんでもない地獄の様な状況を片目に、もはや原型を失った合宿場を見渡すと、ライオットシールドと共に倒れている彼女を見つけた。
(良かった、気絶してるだけ……)
血も特に流していないし、一安心だ。
早くツルギのサポートを…………。
そうやって視線を動かした時だった。
「……?」
黒い手帳が目に止まる、デミの傍にある事から彼女の持ち物だろう。
「…目線が……動かせない」
自分の身体の異変に気づいたのは一瞬のフリーズを挟んでからだった、目線が止まる、止まらされている。
本能があの手帳から目を逸らすなと告げているのだ。
「うっ………ツルギ!!」
すぐさま一番頼りになる者の名を叫ぶ、何故か動かない私の身体の代わりに、あの危険物の傍に居るデミを回収して貰わなくては……。
ただここで、ハスミが視線を外さなかったのは幸運だったと言える。
手帳から溢れ出した闇が、デミを呑み込んだ。
「な…!?」
■
摂理。
生命とは与奪の連続であるが故に、そこで失われる命に尊さが見出される事は少ない。
その輝きを受け入れるのは神のみである。
可愛い子猫が、生きる為にネズミを殺す。
可愛い子供が、生きる為に食事を行う。
生命の尊さを語るには、余りにも命とは多くのものを奪い過ぎる。
命とは罪深すぎる、取捨選択の自由がありながら他者の命を喰らわずには居られない……生きる為に。
故にそれは必然である、神に導かれ、生き続ける間は尊さも外法も等しく認められる、神という前提条件を以て、必然である事実に尊さを見出すのだ、愚かさも等しく。
日々の生活を拡大解釈をすればそうなるだろう、ただ別に難しく考える必要は無い。
「人間が弱った子猫を助けるとする」
「人間は、その子猫が生きる為に他者の命を喰らう事を許容して、助けるのか?」
「違う、可哀想だからだ」
「その存在が、また別の命を潰して生きる事なんて計算に入れてない」
人と人同士でも変わらない、助ける、救う、そういった行為を行った者は、『行った』事の尊さに満足して、その責任を手放す。
日々の食事に、私達は生きる為の権利を得る必要は無い、『社会』という群体は、人個人の責任を保証してしまった。
「…責任、だから私は先生が大好き」
救う、でもなく、助ける、でもなく、それは導く者である。
責任を負い、世界を導く者として生きる。
「拾った子猫の面倒、最後までとってね」
闇の中で聞こえた声は、私には何の事か全く分からなかった。
「…………ーーて」
頭がクラクラとする、ライオットシールドをぶつけられてからの記憶が無い、気絶していたのかな?
「………ーーして」
そうだ、結局あの戦い……どうなったんだ?いやまぁツルギ先輩とミネ団長、ハスミ先輩に正実の皆に先生……流石にミカ様ちゃんでもこの詰み盤面は覆せないだろ、後はまた前と同じ様に先生がどうにかしてくれる事を祈ろう。
早く、先生と逢いたい。
「…………」
…寒い。
「……」
寒い。
「デミちゃん」
あぁ
「どうして…?」
暖かい
逃げた、心も身体も、誰かの為に死ぬからといって逃げた。
自分の引き起こす事に目を背けて逃げ続けて、自己犠牲で全部丸く収まるならそれでいいって。
血が冷えきって、心が冷えきって、精神が凍てついても痛いものは痛くて、誰かの為に死んであげれなかった。
だから、その責任を取らなきゃ。
■
先生の最も特筆する点は、『視点』だ。
“ナギサ!走れるかい!”
「は、はい!」
生徒に、大人に踏み込む立場において…大人としての力を持ち、生徒に対して精神的な中心核まで足を進めるのにも関わらず、その先生としての立場からの視点を絶対に崩さない。
ある生徒にはその理想を叶える為に尽力し、逆に理想の形成が上手くいかずに暴走する生徒は先生として向き合う。
ある生徒にはその精神性を理解し一定の距離を保ち、逆に他の生徒に踏み込みすぎてはないか?と思う程にコミュニケーションを取る。
人格が変わっているのか?と錯覚する位には……コロコロと生徒への対応を変える割に、先生として生徒の為という前提は変わる事が無い。
“走れ、走れ私!”
胸を抑えながら走る。
先生は、その超越的視座と他者への理解…そして齎される生徒との記憶を使って先読みを行う、故に羽音デミに対してはその能力を一切発揮出来ていなかったのだが、先生自身が自らフィルターを掛けていた為に気づかなかった。
だから走る、走って動いて、生徒の為に駆ける。
“…はッ…はっ……ごほっ…”
胸を掻きむしりながら走る。
『擬似心臓シッテム』
破壊された心臓の代わりに生命維持を続けている、元シッテムの箱。
『A.R.O.N.A』がその命を懸けて、己とクラフトチェンバーを組み込み改造し作り上げた逸物、先生の異次元の指揮能力と処理速度を100%サポート出来る人造の物としては最高峰の人工臓器。
出力を抑える代わりに肉体の傷の修復と、耐久性の向上、キーストーンを元に作られた活性ナノマシンを注入する事による強制的な肉体生成、蘇生の為に用意されたこの臓器は………奇跡を起こす事無く、散った筈の残骸だった。
冷血が、熱く煮え滾る。
“………クソっ”
何故か調子が戻らない、既に錠剤は三つ取り込みある程度の活動は保証された筈だが……足が重い、動きにくい。
「先生!」
“…アロナ”
「異物探知!胸元から心臓部へ何かが侵入しています!」
すぐさまコートごとシャツを脱いで異変の原因を見る。
“……これもデミの仕業か”
黒い泥…いや、正体不明の黒い何かが胸にへばりついて離れない、触れもしないし掴む事も干渉する事すら出来ない、が……こちらの身体には不調を与え続けている。
「先生、それは……キャアッ!?」
すぐさま服を着直すが、それと共に地響きが起き初め、倒れかけたナギサを支えてその震源を探った、といってもこの状況で見るべき点は一つ…グラウンドだ。
先生の胸に巣食う黒い塊と同じ、闇で覆われてしまっているグラウンド。
“あれは……”
《生誕の時、来たれり》
《創造主、救世の時来たれり、悪神たる我らが主、理解を、神への理解を進めよ》
《理解は、この世を持って完遂される》
闇からクジラのような、蛇のような何かが飛び出した、広がる闇と共に出現したそれは、とてつもない大きさで合宿場に収まりきらない。
《真なる世界への旅立ちの時来たれり、秩序を求め私は飛び立つ》
《しかして理解を求む、この世が狂い、悪に満ち、不完全であるという証明を求む》
《善の世界の証明を悪である世界を以て証明する、私は神秘であり、恐怖であり、知性であり、激情でもある、ルキフグスの名を冠し、尚も理解を求む預言者》
《証明は、破滅を以て完遂される》
蛇の口元に光が集まる、破滅の光、トリニティに滅びを齎さんとする災害。
“…ビナー”
ここからでも見える、アビドス砂漠を襲ったのと同機体…預言者ビナー。
黒い装甲の隙間から赤い光が漏れだし、周囲一体を砂……では無く、闇に変換していっている、このままあれが稼働し続ければトリニティは崩壊する事を察知、すぐさま行動を起こす。
“アロナ”
ナギサが目にしたそれは、唯の人一人が起こすには余りにも大きすぎる『奇跡』だった。
“対終末、対デカグラマトン兵装起動”
“サンクトゥムから聖槍変換、シャーレ及びミレニアム、ゲヘナの電力遮断、複製したロンの槍を射出、テクスチャー侵食開始”
揺籃に幕が降りる。