それでも、彼等は非日常を生きる。   作:ありあんろっど

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果たしてこれは本当にシノビガミの二次創作と言えるのか……!?


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 日常を退屈だと思ったことはない。

 

 それなりに充実した高校生活、彼女こそいないが恵まれた友人関係、没頭出来る部活動、まあ悪くはない成績。一般的には充実していると言って差し支えない青春を送っている自信があった。この日常が繰り返されることに違和感は無いし、理想を言うならこの日常こそ続いて欲しいと願っていた。

 

 それと同時に、心のどこかで少し非日常を求めていた。

 それはきっと、思春期の男子なら誰もが心の底に秘めた願望。勇者の剣で魔王と戦いに挑んでみたり、超能力や変身ベルトで街に潜む闇と華麗に戦ってみたり……。そんな、実際に声に出して言ってみれば笑ってしまうような、そんな非日常を、漫画やアニメの中みたいな世界を、少しだけ夢見たことだって勿論あった。

 

 

 

 

 ──日常がひっくり返った瞬間、そんなものはクソだと痛感させられた。

 

 

 

「ぁぁあっ……! ぐっ……ぉぉあああっ!!」

 

 

 

 全身を引き裂くような灼ける痛み。震えて碌な力も入らない手足。苦しみに耐えかね、叫び続けて切れ始めた喉。けたたましく鳴り響く耳鳴り。

 霞む視界に映るのは、焦げて煙が上がっているコンクリートや、所々切れて垂れ下がった電線。真夜中の路地に人通りは無く、誰にも助けを求めることは許されない。

 

 

 雲一つない夜空に、三日月が煌々と佇む。たった一つの月明かりは、まるで雷が落ちたかのような痛みに蹲る少年を小さく照らしていた。

 

 

 凡そ「日常」から離れた痛みを一身に受けながらも、少年は虫のように両手足を必死に動かし、這うように前へ進もうとする。或いはそれは進んでいるのではなく、何かから逃げているようにも見えた。

 

 遠くから聞こえる消防車のサイレン。その音が聞こえた途端に耳鳴りは更に激しくなり、少年の頭が異常を知らせるべく鋭く痛み始める。ただの頭痛で片付けられない程の痛みは、這うように動く少年の動きを止め、再度蹲らせるにはあまりにも十分過ぎた。

 

「ぁぁぁああっ……、もう、もう嫌だっ……!」

 

 痛みが増していくと同時に、少年の身体が青白く輝き始める。パチパチという何かが弾ける音と共に、空気が焦げるような臭いを発し、輝きは光の線香花火のように──或いは雷のように緩やかに拡散し始めた。

 その輝きは次第に強くなり、パチパチと鳴っていた小さな音はどんどん大きくなり、バチバチという激しい音へ。空気が焦げる臭いは顔をしかめる程の強さへ。全身の痛みに蹲るしか出来ない少年は、確かに「雷を纏っていた」。

 

 

「収まれ……収まれって……っ!!」

 

 

 少年の声を嘲笑うかのように輝きは増し続け、真夜中の路地が真昼のように明るくなる。閃光は地面に時折ぶつかり、アスファルトを白く焦がして煙を上げ始めた。このまま帯電した雷が一気に放出されたら……アスファルトが白く焦げるだけでは済まなくなるだろう。

 最早痛みに抗う叫び声も迸る雷音に掻き消され、帯電し続ける身体は見えない程に輝いている。明らかに一般人からかけ離れたその光景は、紛れも無い「非日常」を体現していた。

 

 

 その「非日常」に入り込める者がいるとするなら──それは「非日常」を受け入れ、いつしかそれが「日常」に変貌した者しかいない。

 

 

 

「──やっと、見つけた」

 

 

 

 三日月のスポットライトに照らされた少女は、白地に桜の模様が入った着物に、紫色の袴を着けていた。結わえた黒髪に栗色の瞳、薄い紅色の唇はまるで造られたモノのように美しく、どこか人形を思わせる彼女は、夜を滑るように少年の方へ歩いていく。それは或いは、灯りに手を伸ばす羽虫のように。或いは、地獄の底にいる罪人に蜘蛛の糸を差し出す天使のように。或いは──動けない獲物を見つけ、ゆっくり喰らおうと近付く蟷螂のように。

 

 

「……っ!? あぐっ、ダメだ……っ、こっちに、こっちに来るな……!」

 

 

 少年は悶え苦しむ中、霞む視界で月明かりに照らされる少女を見つけ、必死に声を絞り出して制止する。近付いてくる少女から少しでも距離を取ろうと、動けもしないのに全身をよじって地面を這い蹲る。

 そんな少年の制止も聞かず、少女はゆっくりと歩みを進める。這うことしか出来ない少年と、足を使って歩を進める少女では、距離は縮まるばかりだ。一歩、また一歩と、少女が少年へ近付いていった。

 

 

「ダメだ……もうやめてくれ、もう俺は……っ!」

 

 

 泣き出しそうな声で漏れ出る、少年の本心。実際、少年の目には涙が浮かんでいた。それは全身を引き裂くような痛みから来るものなのか、はたまた──

 

 

 

「もう俺は、誰も傷付けたくない……っ!!」

 

 

 

 ──その声がトリガーだったかのように、少年が纏っていた雷光が一気に迸り始める。目を灼くような光量、耳を殺すような轟音。一気に放電されたその「力」は、辺り一帯を焼き払うには十分過ぎるエネルギー量だった。少年の言葉とは逆に、圧倒的なエネルギーが放出され、落雷と同等以上の爆音が真夜中の路地裏にこだまする。ほどなくして放電に耐え切れなかったアスファルトや電線が発火し、辺りは煙に包まれ、焦げた臭いが風に乗る。

 少年が纏っていた青白い輝きは放電と共に消え、脳を割らんとする程の頭痛も引いていた。代わりに全身の痛みは増しており、少年は手足を震わせて浅い呼吸を繰り返すことしか出来なくなっていた。

 

 

 

 

「──大丈夫、大丈夫だよ」

 

 

 

 

 ──炎と煙に包まれた中から、少女の声が聞こえた。

 

 その声を聞いた途端、少年の全身の痛みが引いていく気がした。

 霞む視界の中でもはっきりと映った、白い着物に紫の袴。月の光すら煙に遮られて差し込まないはずなのに、朧気な視界の中でも輪郭も、そしてその表情も、眉の動きすらも感じ取れた。

 

 

「……な、なんで」

 

 

 少年の声は困惑と、そして少しの安堵が混じっていた。煙の中から現れた少女は、あまりにも「非日常」の世界の中で、それが「日常」であるかのように、自然に微笑んだ。

 

 

 

「大丈夫。私は君と──同じだから」

 

 

 

 

 少女はゆっくりと、地に伏す少年に手を差し伸べる。

 それは「非日常」の世界を「日常」に変える誘い。或いは「日常」だった世界が「非日常」になる誘い。

 

 ──それでも、少年は少女の手を掴もうと手を伸ばした。伸ばさずにはいられなかった。

 煙に遮られて届かなかったはずの月明かりが、少女に向かって差し込んでいる気がしたから。灯りに群がる羽虫のように、そこに吸い込まれるかのように、必死に手を伸ばす。

 

 

 

 そして、少年は意識を手放した。その手を、少女に預けたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───────────────────────

 

 

 

 

 

 

 ──二〇二三年、某月。

 

 △□県、とある公立高校にて、校内で突然停電と同時に教室が発火する怪事件が発生。

 火元となった教室に居合わせた生徒八名、教員一名が重傷、六名が軽い火傷を負い、煙を吸った影響か十数名の生徒が体調不良を訴えた。火はすぐに消火されたが、未だ一名の生徒が行方不明。出火元も停電の原因も不明であり、事故と事件両方の可能性で警察は捜査を開始した──。

 

 

「……これかな」

 

 

 小さなワンルームマンションの一室。少女は小さな椅子に腰掛けてパソコンの画面に映し出されたネットニュースを眺めていた。停電、発火。状況があまりにも一致している。

 少女はゆっくりと立ち上がり、着ている着物の袂から一枚の折り紙を取り出す。自らの指の肉を歯で少し噛み切り、漏れ出た血を紙に垂らす。

 落とされた血液は紙の上でひとりでに紋様を描き──真っ赤な桜の花片があしらわれた折り紙へと変身した。そして誰も触っていないのに、折り紙はまるで意志を持っているかのようにひとりでに折り目を付け、魔法のように勝手に作品が完成していく。

 

 やがて少女の手のひらの上には、紅い桜を翼につけた折り鶴が完成していた。折り鶴は命を与えられたかのように翼をはためかせ、少女の手のひらの上から離陸する。

 

 

「この学校の様子を見てきてほしいの。お願いね」

 

 

 少女は折り鶴にそう語り掛け、小さなベランダに繋がる窓を開けた。若干の陽光と共に、暖かい風が部屋に入り込む。同時に意志を持った折り鶴は風と入れ替わるかのように、窓の外へと羽ばたいて飛んで行った。それはまるで、陰陽師の代わりに手足となって任務を遂行する──紙人形の式神のように。

 

「んっ……」

 

 陽光と暖かい風に誘われたのか、部屋の片隅に置かれているベッドから小さな呻き声が聞こえた。その声を聞き、少女は表情を緩ませて振り返る。

 

 

「気がついた?」

 

 

 ベッドで眠っていたのは──全身に小さな火傷の痕のような、蚯蚓脹れや水脹れを作った少年だった。目は泣き腫らしたように膨れ、顔色も少し悪いように見える。

 

 

「どこだ、ここ……あと、俺の服」

「ここは私の隠れ家。ごめんね、服は今洗濯中。男用の服がここに無かったから上は脱がせたままにしちゃった。下は脱がせてないから安心して」

 

 

 寝惚けているのか、それとも脳が理解を拒んでいるのか、それとも恐ろしい程にマイペースなのか。少年は目が覚めた途端に襲いかかった「非日常」という名の現状を前に、ぼんやりと疑問を口にすることしか出来なかった。

 働かない頭で、少年は昨日の出来事を思い返そうとする。燃えるように痛む全身、鉛のように重い身体、靄がかかったように薄い視界、その朧気な記憶の中で最後に縋った手。その相手は、今目の前にいる少女のような、白い着物を着ていた──

 

「──お前、昨日の」

「そう。灰原アゲハ。よろしくね」

 

 白い着物に、帯の代わりに真っ黒な太いベルトを巻き、黒いスカートを履いた少女──アゲハは柔らかく微笑んだ。少年の脳裏にフラッシュバックする、彼女の「もう大丈夫」という声。アゲハの声が、その微笑んだ顔が、少年の緊張を、怯えを綻ばせた。

 

「知らない場所に運んじゃってごめんね。あそこで放っておいたら、他のシノビに何されるかわかんなかったからさ……あー、まだ何が何だか解ってないよね。えっと、どこから説明したらいいかな……」

 

 アゲハは人差し指を顎にあて、どうしたものかと思案を始める。少年はそこでやっと脳が覚醒し出したのか、ベッドからがばりと起き上がった。

 

 

「……おい、お前怪我してないのか!? 昨日、夜、だって俺はまた意味わかんねえ雷みたいのを出して、それでっ、お前が、巻き込まれてっ──」

 

「大丈夫。大丈夫だよ、私は君と「同じ」だから」

 

 

 その言葉は、少年が意識を手放す前に最後に聞いた言葉と同じだった。あの時極限状態で、全てに於いて必死だったはずの少年だが、その言葉は異様に覚えていた。未だ少し痛む全身。アゲハは子どもをあやす様な優しい口調で、少年を落ち着かせるかのように話し始めた。

 

「私は君と同じ……正確には、君が「私達」と同じになってしまった、って言う方が正しいのかな。とにかく、君が一番心配している所は大丈夫だよ。私は君の雷を確かに幾らか受けたけど、あれくらいじゃ大したダメージにはならない」

 

 そう微笑むアゲハの身体には、少なくとも衣服で隠れていない場所に火傷らしきものは見当たらなかった。アスファルトを焦がし、電線を焼き切る程の威力があったはずのあの雷を至近距離で受けていた筈なのに。それはアゲハが常人では無いことを強く証明し得るものである。

 

 

「私はね、シノビなんだ」

「シノビ……?」

「そう。忍者って言った方がわかり易いかな。超人的な異能、技術を持った、特殊な血の持ち主達のことをそう呼ぶの」

 

 

 非日常が──或いは「非現実」が目の前に突き付けられる感覚。シノビ、忍者、異能、特殊な血。どれも単語として理解が出来ないワードでは無いが、それが日常の中で語られるのはフィクションの中での話だ。現実のものとして大真面目にその存在を語る者は存在しない。だが、アゲハは今恐らく大真面目に、その存在こそが自分自身だと語ってみせた。少年はその言葉に対する反応すら返せず、ポカンと口を開けることしか出来ない。

 そんな少年の状態を見て尚、アゲハは言葉を続けた。

 

 

「さっき「私は君と同じだ」って言ったよね。その意味はつまり……君もシノビってこと。ううん、正確には──シノビになった、ってこと」

「……は?」

 

 

 ただ只管に突き付けられる非日常。それを馬鹿馬鹿しいと払拭したいのに、少年はただただその言葉に驚き、そして──受け入れるしかなかった。フラッシュバックするのは昨日の自らの身に起きた出来事。あの雷は、あの力は明らかに日常の中では説明が付かない現象だ。

 

 

「信じられないよね、というか理解が追いつかないよね……でも、それが嘘でもデタラメでもないっていうことは、君が一番よくわかっていると思う。だからまずは教えてくれないかな、どうして君がその力を得てしまったのかを」

 

 

 

 

 ───────────────────────

 

 

 

 

 赤城大雅、高校二年生。彼はその日常に満足していた。

 クラスでは仲のいい友人と絡み、男女関係無く気兼ねなく話すことが出来る性格。男子バスケットボール部のレギュラーにも選ばれており、インターハイ出場を目指して部活に汗を流す日々。文武両道を謳う部活方針に逆らうこともなく、成績も中の上を維持し続けていた。

 

 その日は中間テストの真っ最中で、テスト期間ということもあり部活は休み。それなりに勉強した数学にそれなりの手応えを感じながら、電車に揺られて帰路についていた。まだ太陽が高いうちに電車に乗ることはテスト期間以外に殆どなく、妙に新鮮な気持ちになりながら、いつもと違って空いている車内で明日の日本史の一問一答を解いていた。

 

 家に帰ってからも、勿論やることは勉強だった。日本史と物理。どちらも得意とは言い難い科目であり、特に日本史は範囲も広かった為に不安要素が多かった。自室に籠り、夕方まで日本史の復習をしていたが、どうしても気分転換がしたくなり、身体を動かそうと外に出た。

 

 ランニングは趣味にも近かった。体力をつける為と中学生の頃から始め、気付けばほぼ毎日欠かすことなく続いていた。おかげで体力を激しく消耗するバスケの試合でも、他のプレイヤーよりもタフに動くことができた。

 決まったコースを走ることはなく、いつも思うがまま、気の向くままに走る。好きな音楽をイヤホンで聴きながら、今日はどっちに向かって走ろうか、次の分かれ道はこっちにしようかなんて考える時間が好きだった。

 

 

 ──多分、その日に選んだ分かれ道が、結果として「日常」と「非日常」を分ける道だったんだと思う。

 

 

 その日、大雅が選んだ道は神社へ続く道。地元ではそこそこ大きな神社であり、初詣は毎年この神社へ参拝に来ていた。夕日が鳥居越しに差し込む境内へ続く長い階段を、軽い足取りと規則的な呼吸で駆け上がっていく。

 そこそこ大きな神社と言えど、別に有名な神様が祀られている訳でもなく、そして平日の夕暮れ時。子ども達が遊ぶにしては境内に辿り着くまでの階段が長過ぎる為、境内まで昇り切った時、その場に誰もいないことはそう不自然には感じなかった。

 

 

 誰も、いなかったのだ。その場には、大雅しかいなかった。

 

 

 からん、と。イヤホンをしていたはずなのに、鈴が鳴るような音が聞こえた。そこで初めて違和感を感じた大雅は、足を止め、呼吸を整えながらイヤホンを外す。

 その音は、本殿から鳴っているように思えた。生温い風が大雅の髪を揺らし、無人の境内がざわざわと音を立てる。

 

 からん。

 

 からん。

 

 少し不気味に思えた。早くこの場から立ち去って、また別の所を走ればいい。そう思った。だがしかし、同時にこのからん、という鈴のような音の正体がなんなのか、それが解らないまま終わることも不気味に思えてしまった。

 きっと、明日テストを受けている最中。ふと難しい問題に手が止まった瞬間に、「そういえば昨日神社で聞いたあの音はなんだったんだろう」と考えてしまうことが、まるで奥歯に何かが挟まったような違和感として残り続けるのではないかと思ってしまった。

 

 からん。

 

 からん。

 

 意を決して大雅は本殿へ向かう。走り続けて温まっていたはずの身体が、不気味さにあてられて冷えていくのを感じる。それでも、何か起きた時の為にいつでも踵を返して走り出す準備は整っていた。

 

 からん。

 

 からん。

 

 規則的に鳴り続ける音。大雅はやがて賽銭箱の前に辿り着き、鈴緒の更に奥、閉じられた戸の隙間から本殿の中を覗き込む。その音の正体を掴むべく──。

 

 

 

「なんだ、あれ……」

 

 

 

 からん。

 

 からん。

 

 

 隙間から微かに見えたのは、木で造られたカラクリのような細工だった。天秤のような形をした「それ」は、真ん中に垂らされた木の玉が、両端に付けられた木の鈴の間を振り子のように行き来し、鈴と玉が当たる度にからん、からんと音を立てている。

 一体何の意味があって音を鳴らし続けているのか、神社にそんなものが何故あるのか、何もわかりはしなかったが、ただ、その振り子が鳴らし続ける音、そしてその細工には不気味で、かつ引き寄せられるような何かがあるような気がした。今までこの神社に来た時にこんな音は聴こえなかったが、まるで神代の時よりずっと、時計の代わりとして時を刻み続けてきたような、そんな力を感じた。

 

 

 からん。

 

 からん──。

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 振り子が止まった。

 

 時が止まったような気がした。今まで流れていた音も、風も、呼吸も、全てが止まったような気がした。

 

 ただ、大雅の心臓の音だけが鳴り続けていた。

 

 

 

 ──記憶は、そこで途切れている。

 

 

 

 

 

 

 ───────────────────────

 

 

 

 

 

 日常の中にあった、たった一瞬の非日常の出来事。

 

 それがもう自分に起きた話では無かったかのように、まるで他人事のように少年──赤城大雅は話していた。

 

「──それが多分、一昨日の話だ。気が付いたら俺は自分の部屋のベッドで寝てて、だから俺はそれが夢なんじゃないか、テスト勉強で疲れてたんじゃないかって。そう思った」

 

 突拍子もない話をしている自覚は、大雅にもあった。支離滅裂な話をしていることも、なんとなくわかっていた。だが、アゲハはそんな話をずっと頷きながら真剣に聞いてくれていた。それだけで、大雅は赦されている気分になった。

 

「夢じゃなかったんだって思ったのは……昨日になってからだった。学校に行って、日本史のテストを解いている最中だったんだ」

 

 

 ──からん。

 

 

 あの音を思い出すと同時に、大雅の鼓動が早くなっていく。

 

 

「──酷い頭痛と一緒に、幻聴が聞こえ始めた。からん、からんっていう……あの、木の鈴の音。どんどん頭痛は激しくなって、身体も熱くなっていった。ヤバい、って思って、テスト中だけど保健室に行かせて欲しいって先生に頼もうとした瞬間──」

 

「──君の身体から雷が迸って、周りにいた人達が吹き飛ばされた。そうだよね」

 

 

 凄まじい爆音、目を灼くような光量。一瞬遅れてクラスメイト達の悲鳴、監督教師の叫び声、窓ガラスが割れる音、何かがひっくり返る音、火災報知器の警報音。全身が溶けてしまうのではないかという程に身体が熱く、教室の中だというのにそれを冷やすように外の風が吹き込んでくる感覚だけがあった。

 その爆発が、その雷が自分から発せられたと理解したのは、目が光に慣れて見えてきた時、監督教師が足を引きずりながら大雅に何かを訴えかけているのが見えた瞬間だった。クラスメイト達の視線が吹き飛ばされて怪我をした友人か、自分に向けられていることが理解出来た時、異様な吐き気と耳鳴りに襲われた。

 

 そしてその吐き気と耳鳴りと同時に、再度身体が熱くなる。何が起きているのか理解は出来なかったが、大雅は本能的に「自分の身体は同じことをもう一度行おうとしている」ということを理解した。そしてそれは──再びの放電。教室内をもう一度爆音と雷鳴の餌食にするということである。

 

 

「……クソみたいな話だけどさ。テスト期間中で運が良かったんだよ。テスト期間中ってさ、テストの答案を順番に返せるように、席の並びを出席番号順に変えるだろ? 俺は「赤城」って名字で、出席番号だと一番だからさ。一番前の、一番端っこでテストを解いてたんだよ。これが教室の真ん中だったら、もっと沢山の奴らを巻き込んでたかもしれねえし、二回目の爆発が始まる前に、割れた窓ガラスから外に飛び降りて逃げることが出来たんだ」

 

 

 赤城大雅はその「日常」に満足していた。

 クラスメイトも、彼ら彼女らと送る学校生活も、ダルい、早く部活がしたいと愚痴りながらも勉強し、仲のいい友人と点数を競い合うテストすらも、いずれ消えゆく一コマの青春として謳歌していた。

 

 その「日常」を、壊したくなかった。

 きっと他のクラスメイト達も謳歌していたであろう、謳歌したかったであろうその「日常」を、自分の手で壊す訳にはいかないと思った。自分が、そんな罪を背負いたくなかった。

 

 それなら、飛び降りた方がマシだった。たとえ自分の過ごす二年六組の教室が、三階に位置していたとしても。

 

 

「……君は、学校が、クラスメイトが好きだったんだね」

 

 

 アゲハは昨夜のことを思い出していた。今にも雷が解き放たれようとしている時、大雅はアゲハに向かって「もう俺は、誰も傷つけたくない」と言った。あまりに悲痛だったその声は、恐らくその前にクラスメイト達を傷つけたことから来たのだろう。

 

「怖かったんだ。俺が知らないうちに俺じゃなくなりそうで……」

「そうだね……当たり前だったものが自分のせいで壊れるのは、怖いよね」

 

 大雅はゆっくりと、自分の胸を撫でる。確かに心臓は動き続け、間違いなく今自分は「赤城大雅として生きている」ことは実感する──が、目覚めた時には火傷の痕として残っていた蚯蚓脹れや水脹れが、撫でた場所にはもう無いことに気付き、その異様な肉体の回復の速度に驚き──昨日までの自分としては生きていないことを実感させられた。

 

 当たり前だったものが、当たり前じゃなくなっていく。

 

 どうして? 

 

 

「君の力はシノビの力で間違いない。普通の人間が持ち得ない異能、肉体……大雅君、君の身に起きていることはそれらと同じだからね」

「シノビの力……でも、お前さっき言ってたよな? お前の言うシノビっていうのは「特殊な血の持ち主」だって」

「そう。私達シノビは基本的に「忍神」っていう、忍者の始祖の血を受け継いで産まれてくるの。その血に気付かず、力が発現せずに生涯を終える人間もいるけどね」

「じゃあ、俺もその血を……持ってたってことなのか?」

「……ううん、後天的にシノビになる例外が一つある──神器との適合だよ」

 

 

 からん。

 

 思い出すのは木の鈴の音。

 

 

「神器との……適合?」

「そう。忍神の肉体から分離したと言われる、六つのアーティファクトのことを「神器」って呼ぶの。神器は幾つかの欠片になって分散しているって聞いた──君が偶然見てしまった木の細工が、きっとそうなんじゃないかな」

 

 

 もし、あの時。ランニングのルートを神社にしていなかったら。

 もし、あの時。鈴の音に誘われることなく、真っ直ぐ帰宅していたなら。

 もし、あの時。本殿の中を覗かなかったなら。

 

 今もまだ、「日常」の中で平和を謳歌していたのだろうか。

 

 

「忍神の肉体から分離した神器と適合し、その身体に宿してしまった場合は──忍神の血が混じり、シノビの力も発現する。今回君の身に起きたのは、それだと思う」

 

 

 アゲハの言葉を聴きながら、幾つもの「もし」を考える。それら全ては無意味なものだとわかっていても、「あの時こうしていれば」を考えてしまう。

 

 

「──でも、大雅君。君はきっと運が良かったと思うよ。もし、君が神器と適合出来なかったら──それを目にした時に、その力に呑まれて死んでいたかもしれない。君は神器と適合出来た、すごい人なんだよ」

 

 

 

 ──灰原アゲハのその言葉が、赤城大雅の「非日常」を「日常」に変えてしまう切欠の一言になってしまうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

「……ねえ、大雅君。お願いがあるんだ。私を──助けて欲しいの」

 

 

 

 

 

 日常がひっくり返った時、非日常なんてクソだと思った。

 

 

 

 ──それでも。アゲハの言葉を聞き……赤城大雅は、その日「非日常」に足を踏み入れた。

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