それでも、彼等は非日常を生きる。   作:ありあんろっど

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「あっ、見てこれ! 大雅君、こういうの似合うんじゃないかな」

「お前それ本気で言ってるのか……!?」

 

 デフォルメされた猫が「今日はダラダラするんだニャ」と言いながらソファで寛ぐ姿がプリントされたシャツを手にして目を輝かせているアゲハに、大雅は今日一番の驚きと疲れた顔を見せた。

 

 大雅が非日常に足を踏み入れて最初に体験したことは、「本来は学校があるはずの平日昼間に、女の子とショッピングをすること」になってしまった。県内でも有数の大きさを誇る複合ショッピングモール。アゲハは目を輝かせながら、様々な服を手に取っては大雅の方を振り返っていた。

 

 

 ──時は遡る。

 

 

 アゲハの口から零れた言葉は、凡そ大雅の予想していたものとは全くの逆方向だった。

 

 私を助けて欲しい。

 

 その言葉はあまりにも切実で、同時にあまりにも脆く、儚い──今にも壊れそうな声色だった。

 今の自分に起きた非日常を教えてくれた人。

 今の自分が内包した非日常という名の暴力をその身に受け、現状では唯一ほぼ無傷の人。

 

 無意識に大雅は彼女のことを自分より強いと思い込み、シノビという超常的な生命体であるが故、何処か別の世界の存在だと思っていた。

 

 だが、どうやらシノビという種族も「人間」であり、この外見の見た目だけで言うなら(服装はさておき)大雅とそう年齢も変わらなさそうなこの灰原アゲハという女は、恐らく歳相応に自分と同じく不安や葛藤を抱えて生きているらしいということが解った。

 正直、大雅は今自分自身がどういう状況にあるのか、シノビとは結局どんな力を持つのか、そして自分がそれを扱い切れるか、何もかもが解らない。それでも、力の放出に耐え切れず気を失った自分を見つけて助けてくれた、彼女の「助けて欲しい」という言葉を無視するほど冷たいつもりもなかった。

 

 結果として、大雅は「非日常」に足を踏み入れ、アゲハの願いを聞くことになった。

 

 そうなった時、目下一番最初にしなければいけないこと。それは──

 

「……絶対親が心配してると思うんだが、スマホの充電が切れてる……悪い、充電器借りてもいいか」

「…………ゴメンナサイ。その、私機械オンチでさ……スマホ、持ってない。だから充電器も、ない……えへへ」

「マジか…………」

 

 ──赤城大雅は実家暮らしの高校二年生である。親に何も言わず一日外泊、そして通っている高校は火事騒ぎ。両親が心配しない筈もなく、まずは説明が出来ないにしても一報入れるのが筋ではあったのだが、それは早速失敗に終わる。

 無論、一度家に帰ることも考えはしたが、家にいる状態でもしまた身体からの放電が開始した場合、今度は両親すら傷付けることになる。アゲハ曰く「数度の放電を経て、力は落ち着きをみせている」らしいが、万が一も考えて力を完全に制御するまでは帰宅はしないことにした。

 

 そしてそうすると次に起きる問題がある。それこそが──

 

「あ、どうしよう。私のこの隠れ家、ほとんど着物と袴とスカートしか着替えがないや……」

「いやそもそも泊めてもらうのも悪い気がするんだが……」

 

 ──それこそが、衣服の問題である。大雅は一般的な男性の平均身長よりは高めであり、仮にアゲハがユニセックスの衣服を持っていたとしても恐らくサイズが合わない。今履いている学生服のズボンと、目下洗濯中のカッターシャツしか着れるものがないのだ。

 

「じゃあ──シャツが乾いたら、一緒に大雅君の服、買いに行こ?」

「や、そんなのいいって別に。俺そもそも金持ってねえし」

「ふふん。シノビのお仕事は危険が伴う分、お給料いいんだよ? 私に任せといてよ」

「尚更いいよ、別に。申し訳なさすぎて俺立つ瀬ねえよ」

「助けて欲しいってお願いした方なんだから、それくらいはさせてよ。あと誰かと服選ぶのってしたことないからやってみたいんだ。ほら、私……和服だし」

「助けて貰ってるのは今んとこずっと俺の方だっつーのに……わかった。服買う分の金は絶対返すからレシート捨てんなよ」

 

 

 ──そして時は戻る。

 

 

「じゃあ大雅君、これはどう?」

「お前それさっきの服と何が違うんだよ!」

 

 アゲハがキラキラした目で見せてきたのは、リアルな猫が目を見開いた写真がプリントされている、宇宙の柄のシャツだった。先程のデフォルメ猫といい、アゲハはかなり前衛的な趣味をしているらしい。

 

「何さ、じゃあ大雅君はどういう服が好みなわけ?」

「好みっつーと……あんま無いけど……」

「じゃあ普段はどういう服着てるの?」

「普段なぁ……バスケの練習してばっかだからパーカーとかオーバーサイズのシャツにバスパンとか……遊びに行く時とかも無難にスキニーとか履くし」

「いいねいいね、じゃあそういうのを買おう! ローファーじゃ合わないし靴も買っちゃおうよ」

 

 和服にゴシックチックなスカートを合わせているアゲハのような、その見た目にも似合う唯一無二に近いファッションの彼女を前に無難な選択しかしていなかった大雅は普段着を話すのを少し恥ずかしく感じたが、アゲハはとにかく服を見るのが楽しいらしく、上機嫌で大雅の趣味に合いそうな服屋を探し始めた。

 

「……ったく、シノビの仕事って本当に儲かるんだろうな。靴まで買ったら相当な額だぞ、バイトもしてねえからマジで返すのが怖くなってきたわ」

 

 彼女に服を全て任せてしまうと有り得ないコーディネートが生まれそうなので、大雅もその後ろを追いかける。またいつ力が発動し、雷を纏う羽目になるか解らない上に、非日常に足を踏み入れてしまった緊張感もあるはずだというのに、このショッピングを少し楽しんでいる自分もいることに、大雅は自分で少し驚いてもいた。

 

 あの鈴の音、クラスメイトの悲鳴、耳を裂くような雷鳴の音。昨日までずっとそんな音ばかりに包まれていたからだろうか、アゲハの楽しそうな声が余計に染みていたのかもしれない。

 

 

 

 ───────────────────────

 

 

 

「すごい、カッコいいよ大雅君! 背が高いから様になるね」

「そりゃどーも」

 

 オーバーサイズの白いTシャツに、黒いスキニーパンツ。動きやすそうなスニーカーというシンプルなストリートスタイルで収まった大雅の服装。シャツにプリントされたポップなキャラクターは、アゲハの選んだ中で一番マシな柄を大雅がセレクトした。アゲハはご満悦といった表情で大雅を眺め、そしてくるりと踵を返してとある方向を指さした。

 

「あとはアイス食べたら最初のミッション、達成だね」

「アイスを食べるのは初耳だが」

「いいのいいの。ほら、行こ?」

 

 アゲハの押しに負け、カップアイスを買いに並ぶ二人。平日の昼下がりだとしてもアイスの人気は高いらしく、長くはないものの列が形成されていた。

 

「なあ、聞いていいか」

「なに?」

「なんで、助けを求める相手が俺なんだ? シノビのことも知らない、偶然その……神器? を見てしまって、適合しただけだっていうのに。どう考えても助けるどころか足手まといだろ、俺」

「そっか、大雅君はシノビのことを知らないもんね」

 

 心の底から楽しそうな表情をしていたアゲハの顔が、少しだけ真剣味を帯びた。

 

「──神器と適合してその力を得るっていうのは、とてつもない力を得ることなんだ。過去にも神器と適合したり、神器を取り込んで力を得たシノビの記録はあるけど、そのどの例も物凄い力で大きな事件に関わっている。大雅君はまだ自覚していないだけで、本当に凄い力を秘めてるんだよ。私なんて、きっと比べ物にならないくらいに」

 

 渡されたオレンジのシャーベットアイス。バニラ味を美味しそうに頬張るアゲハ。

 神器を取り込んだシノビは、どの例もその力で大きな事件に関わることになる。その言葉が、心の中に引っかかったまま、緩やかに溶けていくオレンジのアイスを口に運んだ。

 

「それにね、大雅君」

 

 口の中に冷たくて甘い、小さな幸福が広がり始めたその時、アゲハはその幸福の中にいて尚難しい顔をしている大雅を覗き込んだ。

 

「今もね、私は大雅君に感謝してるんだよ。とっても、とっても」

「今も? ……なんでだよ」

「だってね、私同年代の子と一緒にお買い物をして、こうやって一緒にアイスをアイスを食べるのなんて初めてなんだ。ずっと憧れてたっていうか……夢だったんだよ」

 

 ──それは、ある意味では昨日まで大雅が当たり前のように生きてきた世界で、当たり前のように生きてきた「日常」の一コマ。

 大雅が見たこともない漫画のような「非日常」の世界に小さな憧れを抱いていたことと同じように、アゲハもまた「日常」の世界に小さな憧れを抱いていたのかもしれない。

 

「私はね、生まれた時からシノビの力を持っていたんだ。小さな頃から忍務を受けて、危険な目にも沢山遭って、一人で沢山戦ってきたんだ。同年代の友達なんていなかったし、学校にも行けたことなんてなかった。流派の先輩や大人達が教えてくれたことが全てで、共に学ぶ仲間なんてものも……いなかったんだよ」

「……誰も、いなかったのか」

「そう、誰もいなかった。大雅君が初めてなんだ、同年代の友達。そして大雅君がとっても羨ましかったんだ。制御出来ない力を放出してしまって偶然傷つけちゃっただけのクラスメイトに後ろめたさを感じれる程、学校が楽しくて、部活動も頑張ってて、私の知らない「日常」を沢山楽しんでいたらしい大雅君が、羨ましかった」

 

 彼女の口から語られる言葉は、大雅からしたら想像もつかないことだった。義務教育として九年間の学校生活が義務付けられる日本という国で、「シノビ」という超常的な力を手にして産まれてしまっただけで、皆が通ってきたはずの当たり前すら享受出来ず、命のやり取りをしていたというのだろうか。同じ国で育ったとは思えない環境の違いに、だからこそ生まれる「日常」への憧れ、羨望の心に、大雅は声も出せなかった。

 

「──だからね、大雅君が目覚めたら、まずは一緒に「日常」みたいなことをしたいなって思ってた。勿論、服が必要なのは本当にそうだったからなんだけど──今日ここに来たのは、ちょっとだけ私のワガママも入っていたんだ。ごめんね……でもね。今日はすっごく楽しいの。すっごく楽しい──だから私はもう、大雅君に助けてもらってるんだよ。ありがとう」

 

 どういたしましても言えず、ただ溶ける前にアイスを口に運ぶことしか出来ない。柑橘の甘く酸っぱい香りが、身体を冷やしていく。

 

「……神器の力、制御して──絶対灰原の力になるよ」

 

 ただ、同年代の友達と買い物に出掛け、アイスを食べる。そんな大雅からしたらなんでもないひと時だったものですら、今までに体験することも叶わず、非日常に身を投じ続けるなんて。それは或いは、日常に生きてきた大雅だからそう感じてしまう、驕りや哀れみに近い感情かもしれない。それでも、まだ大人ですらないであろう灰原アゲハという少女が、そんな小さな幸せすら知らなかったのであれば。そんな少女が、自分に助けを求めたならば。それには答えなければならないと、大雅は感じてしまっていた。

 

 

 ──からん。

 

 

「痛っつ……!?」

 

 突然脳裏に鳴り響く、あの木の鈴の音。同時に頭の奥が鋭く痛み、アイスで冷えていたはずの身体が熱を持ち始める。

 

「どうしたの、大概君。もしかしてアイス食べすぎて頭がキーンってなっちゃった?」

「──違う、この痛みは……っ、力が」

 

 大雅の明らかな様子のおかしさに、アゲハは一気に気を引き締めた──と同時に、アゲハは遠巻きにこちらに向けられている殺気にも気付く。

 

「……大雅君、よく聞いて。力が突然発動するのもまずいけど、今私達は誰かから狙われている。ここじゃ何処から狙われているのか解らないから移動して迎え撃ちたいんだ。移動できる?」

「狙われている……!?」

「うん。でも殺気に気付かせてる時点で大した相手じゃないよ。多分──下忍か、それよりも下の草が四人ってところかな。私一人でもなんとかなる相手だよ」

「四人って……本当に灰原一人で何とか出来るのかよ!?」

「大丈夫。下忍が相手なら私は負けないよ──さ、移動しよう。走れる?」

 

 朝から何度も聞いていた、優しく、何処か儚いような声色は完全に消え、その声に緊張の色が生まれ始める。それでも大雅のことを心配させまいとしているのか、努めて優しい声を出そうとしているのは大雅にも読み取ることが出来た。

 

「──ああ、走れる。全身は痛むけど……」

「良かった。じゃあ──私の手を離さないでね」

 

 差し出された手。昨日の夜とは違い、それに縋るようにでは無く──明確な意思。或いは味方、或いは友人、或いは共犯者として、大雅はアゲハの手を取った。

 

 

 

 ──再び、時は遡る。

 

「……そもそも、助けて欲しいって言ったって、一体何をどうしろって言うんだよ」

 

 大雅の制服が洗濯され、乾くまでの間の話。それは、至極真っ当な疑問だった。少なくとも「助けて欲しい」とアゲハが言うということは、アゲハは今助けを求めている状況にあるということであるが、一体「何から」「どのようにして」アゲハを助け出せばいいのか、大雅には見当もついていなかった。

 

「そうだね、それを伝えないとダメだよね」

 

 アゲハは机の引き出しを開け、中からA4サイズの封筒を取り出した。それは何処にでもある、或いは大雅も何度も目にしたことがある茶封筒。昨日のテストが始まる直前、担当教員が問題用紙と解答用紙を入れていたのも同じタイプの封筒だった──日常でも目にする、なんてことはないただの封筒。

 

「この封筒の中に入っている情報。この中身が悪戯に使われると……誇張ナシで、世界がひっくり返るような事態が起きる」

「──は?」

 

 大雅は耳を疑った。世界がひっくり返るような事態。あまりにも漠然としており、そしてあまりにもスケールが大きく、そしてあまりにも想像がつかない。ただアゲハの表情はふざけたような色は無く、至極真っ当なことを話している、と言いたい目をしていた。

 

「想像出来ないかもしれないけど……これは本当の話。私達シノビの世界のことを知っている、関わっている人間は──マフィアやギャング、そして政治家や司法機関の上層部くらい。この封筒の中身は大雅君にも教えられない……というか私も知らないけど、ここまで話せば「世界がひっくり返る」という話も、少し現実味を帯びるんじゃないかな」

 

 陽光が差す、どこにでもあるワンルームマンションの一室。地域差こそ多少はあれど、世界に誇れる治安の良さと住みやすさを象徴するような暖かな光と静けさの中で、少女から語られたマフィア、ギャングという犯罪組織の総称を指す言葉。無論、政治家や司法機関の上層部がこの「非日常」の世界でもそのコネクションを張り巡らせていたことにも驚いたが、本格的に今自分が踏み入れた世界は今まで生きてきた常識が通用しないのだと、改めて認識させられた。

 

 

「私の忍務は、この封筒を約束の日に無事に依頼者に受け渡すこと。それまでこの封筒の中身を悪用し、世界に混乱をもたらして甘い汁を啜ろうとする輩や、そんな奴らに雇われたシノビからこれを守り続けなきゃいけない──約束の日は五日後」

 

 

 陽光が少女の頬を白く照らした。

 

 

「──一緒に、世界を護って欲しいんだ、大雅君」

 

 

 

 

 ──そして再び時は戻る。

 

 

 

「おい灰原、お前めちゃくちゃ足速くないか!?」

「大丈夫、大雅君もすぐに慣れるよ……それに、戦闘に入ったらこれの比じゃないよ」

 

 日課のランニングに加え、日々のハードな部活での練習。バスケでもポイントガードとして試合を作りながら、フルで走り回るタイプの選手である大雅は、体育祭や校内での持久走大会でも常にトップクラスの順位を叩き出しており、足の速さや体力には自信があった。

 だというのに、目の前で自分の手を引いてモール内を駆ける和服スカートの少女──灰原アゲハは、そんな大雅が手を引かれてついていくので精一杯な速度で、一切の息を切らさず、そしてモールで買い物をする他の客に全くぶつからずするすると人の流れを抜けていく。

 

 事態としてはかなり緊迫している上に、全身が熱く、頭が鋭く痛むのも収まっていないというのに、「灰原のドライブは多分ディフェンス二枚ついてても止められないな」なんて、一瞬しょうもないことを考えてしまった。

 

「……地下駐車場なら人も少ないし、敵も身を隠せないよね。大雅君、階段飛び降りるよ!」

「飛び降りるっつったって何段あると思っ──うぉぉあああっ!?」

 

 ふわっという浮遊感、一瞬遅れてオーバーサイズのシャツが気球のように少し膨らみ、ビュオッという風の音と共に両足に鈍く痺れるような痛みが襲いかかる。目算で十七段はあったであろう階段を当然のように一息で飛び降りたアゲハに腕を引かれ、大雅も半ば無理矢理大跳躍をしてみせた。

 

「黒バスの火神かよ……灰原、お前ハーフラインからでもダンク決めれるんじゃねえの」

「シノビの身体能力なら余裕だよ。大雅君も跳べたし、神器の力がきっと身体に馴染んできてるんだね。もうすぐ身体が熱くならなくても、自分の意思で雷も扱えるんじゃないかな」

 

 そう言いながらボタン式の自動ドアを開け、薄暗い地下駐車場に出る。まばらに停められた車、ぼんやりと聞こえる館内アナウンスの声。買い物を終えて出ていく車のライトが、息を切らした大雅を煌々と照らし、地上へ昇っていく。

 

 

「大雅君、私から離れないでね──来るよ」

 

 

 アゲハのその声を聞いた途端、身体の熱や頭の痛みとは違う、強烈な自分に向けての不快感を感じた。否、恐らく正確には自分とアゲハに向けての敵意──ここにいるだけで胃の中をかき混ぜられそうな、足が震えてしまいそうな、そんな居心地の悪さ。それが一体何なのか、本能的に大雅は理解した──アゲハの言う「敵」から放たれている、殺気だ。

 

 バスケットボールの試合中に、相手と一対一で対峙している時のプレッシャーとは比べ物にならない。スポーツや部活とはワケが違う、本当にこれから「命」を賭けて戦うんだと嫌でも実感させられる。

 

 ああ、そうか。

 思い出すのは去年のウインターカップ予選。

 自分のワンミスで、先輩の部活人生を終わりにしてしまうかもしれないというプレッシャーと恐怖。一年ながら試合に出してもらえたが故の重圧がそこにはあり、実際負けてしまった後の先輩達の涙を見た時、己の実力不足を心底悔やんだんだ。

 

 今から始まるのは、ただ一つのミスで、部活人生なんてものではなく──文字通り人生を奪われるのだ。己の実力不足を心底悔やむことが出来るのは、恐らくあの世か来世になってからだろう。

 

 怖い。

 

 突如身近に感じた死の冷たい足音。身体は熱く、頭は未だ痛みを訴え続ける。だが二十一グラムの感情が存在するとされる心臓だけはどんどん冷たくなっていくのを感じ、速くなっていく鼓動がやけに大きく聞こえ始めた。手は震え、頭を掻きむしりながらこの恐怖を叫んででも誤魔化してしまいたく──

 

 

 

「──大丈夫、大丈夫だよ」

 

 

 

 ──アゲハの声が聴こえた途端、心臓が落ち着いた気がした。

 手の震えは止まり、深く息を吸い、視界の焦点を彼女に合わせる。

 

「見失わないでね……シノビの高速戦闘は、常人には目で追うことも出来ないから」

 

 ──その瞬間、時間が静止したかのように、全ての景色がスローモーションになっていった。地上へ向かっていった車がピタリと止まり、自動ドアは開きっぱなしだ。

 否、世界の時間は滞りなく正確に進み続ける中……地下駐車場のシノビ達の時間が、動きが、世界が、一気に加速した。

 

 そして加速する時間の中……凄まじい速度で飛び交う影が四つ。バスケの経験上、動体視力や反射神経に自信がある大雅ですら、その影を目で追うのが精一杯だ。間違いなくあの四つの影が殺気を放っていた正体であり、シノビだろう。

 

「速……!?」

「大雅君、離れちゃダメだよ」

 

 アゲハは袂から何枚もの白い折り紙を取り出し、それを両手で一気に中空に振り撒く。折り紙はヒラヒラと桜のように舞いながら──重力に従わず、落ちることなくアゲハの周りを飛び回り始めた。そして紙たちはひとりでに折り畳まれ、平面の正方形から形を変えていく。ある紙は紙飛行機、ある紙は折り鶴、ある紙は手裏剣、ある紙は蛙となって地に降りていった。

 

「いくよ皆……私を護って!」

 

 四つの影から放たれたのは、赤黒く輝く炎の球や、圧縮された水によるレーザービーム。四方から放たれるそれらは明らかに人を殺すには十分すぎる威力と速度を持っており、その殺人火球と殺人水流は──真っ直ぐアゲハと大雅に向かっていた。

 

 やばい。当たったら死ぬ。

 

 背筋が冷えていくのを感じる。ついさっきアゲハの言葉で落ち着いていたはずの身体が、瞬時に死の足音を思い出す。そんなことをしてもおそらく無駄だと頭では理解をしていたが、大雅は反射的に顔と心臓の前にかばうように両手を突き出し、少しでもその脅威から距離を取ろうとした。

 

 

 ──ドォン、という音と共に、火球と水流は撃ち落とされる。前に出した両腕の隙間から見えたのは、アゲハの出した紙飛行機が、折り鶴が、火球と水流に突撃し、ぶつかると同時に爆ぜ散った光景。折り紙達は、まるで大雅とアゲハを護る衛星のように、ビュビュンと音を立てながら旋回し、脅威となる外敵からの攻撃を撃ち落としていた。

 

「爆破に水霊(みずち)……割とよく見る攻撃系の忍法だね」

 

 アゲハはそう呟きながら、自身の周りを飛んでいた紙の手裏剣を二枚掴み、ゴミを振り払うかのように腕をしならせそのまま勢い良く手裏剣を放り投げた。腕に少し遅れて舞う着物の袖。描かれた桜の模様が、ひらひらと零れ落ちるように見え──そんな様子とは真反対に、手裏剣は光を置き去りにしてしまうのではと思うほど高速で一直線に飛んでいった。

 

「──ごァっ」

 

 紙手裏剣の速度を影は捉え切ることが出来なかったらしく、奇妙な呻き声をあげて影のうちの一つが動きを止め、その場に倒れ伏す。折り紙で出来たはずの手裏剣だったのに、その刃は深々と影に突き刺さり、赤黒い血をダラダラと流していた。

 一撃で影の一人を地に沈めたのを見てか、残り三つの影は一気に距離を詰め、飛び道具での戦いではなく接近戦へシフトしていった。

 

「灰原、来るぞ!」

「大丈夫。大雅君も気を付けてね」

 

 近付いてきたことで、三人の影の姿が、目線が、表情がはっきりと見える。その誰もがマスクを着けており、顔は目元しか見えなかったが……着ている服装、髪型、そのどれを見ても「どこにでもいそう」という表現が当てはまる、一目見た限りでは普通の人間にしか見えなかった。が、その「どこにでもいそう」という表現は、彼らの四肢を凝視すれば適切ではないことを知らされる。

 

 ──その三人のシノビは、皆片腕が人間の腕ではなく、無機質で血の通わない、絡繰のような機械腕へと変貌していた。

 

「なんっ、あの、腕っ……!?」

 

 目の前で見せつけられた「異常」に対し一瞬思考も動きも止まる大雅。しかしその異常は彼等にとって──そしてアゲハにとっても「常識」の範囲内であった。大雅を除く四人は一切の躊躇いも無く次の動作へと時間のコマを進める。

 機械腕から飛び出した鉤爪のような刃。白銀に輝くその刃は触れれば鋼鉄すらいとも簡単に裂いてしまいそうな鋭さを存在感を放つ。その刃を影達がアゲハに向かって振りおろそうとする直前に、アゲハは勢い良く足を上げて一人目の機械腕を蹴り上げる。アゲハと最も距離が近かった影は腕を蹴り上げられ姿勢を崩し、攻撃のチャンスを失った。

 そのままアゲハは地に着いた足で地面を蹴り、空中で一回転をしてみせた。その瞬間に振り下ろされる鉤爪──だが、空を舞うアゲハの着物の袖や黒いスカートが目眩しとなり、刃が裂いたのは黒いスカートの布だけだった。

 

「お気に入りのスカート……っ!」

 

 着地と同時に裂けたスカートを翻し、顎を狙った回し蹴りを放つ。スカートが裂けたせいでさらけ出された白い生足が、一人の影の首に直撃し──そのままアゲハは足を振り抜き、蹴りを受けた影は頭から強く地に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。その背中に紙の蛙がぴょんと飛び乗る。

 更にアゲハは一歩踏み込み、目の前で仲間が地に沈んだのを見て一歩後ずさっていた影との距離を詰める。繰り出すのは右の拳。影はその一撃をすんでのところで躱すが、着物の袖に描かれた桜模様が影の視界を遮り──その死角から紙飛行機が影の脇腹に突き刺さった。紙手裏剣と同じように、その先端は紙で折られただけとは思えないほど深々と刺さっており、白い袖に咲き乱れる桜の模様に、赤い雨が降り注ぐほどの鮮血が飛び散る。影が顔を顰めたその瞬間、アゲハは軽く地面を蹴って跳び上がり──その顔面に渾身の蹴りを叩き込んだ。

 

「三人終わりっ……あと一人」

 

 着地と同時に一瞬だけ呼吸を整え、接近戦の最初に腕を蹴り上げ、体勢を崩して後退していた影へ向かって行く──つもりであったが、アゲハの視界に映っているのは、血を流し倒れている三つの影だけだった。

 

「あれっ……あと一人は──」

 

 

 

 ──しまった。

 

 アゲハはすぐさま振り返り、護るはずだった大雅の無事を確認する。その目に映ったのは、アゲハの戦いを見て口をポカンと開けている大雅と──今まさにその大雅を鉤爪で引き裂こうとしている影の姿だった。

 

 

 

 

「大雅君危ないっ!!!」

 

 

「なっ!? やっば──」

 

 

 アゲハの声で影に気が付く大雅。流石の反射神経と運動神経と言うべきだろうか、身に迫る危険を目で確認した瞬間に身体を大きく捻り、間一髪のところでその鉤爪が大雅の身体を裂くことは無かった。しかしその身の捻りでバランスを崩し、地面に転げてしまう。影はそんな大雅を見て再度鉤爪を振りかぶる。

 

 

「ダメっ!」

 

 

 アゲハは周りを飛んでいた紙手裏剣を飛ばし、鉤爪が届く前に影を葬ろうとする──だが、それよりも、鉤爪が大雅を引き裂く方が一瞬速く済むだろう──

 

 

 からん。

 

 

 

「あぐっ」

 

 

 

 ──その瞬間、大雅の脳が大きく、ずきんと痛んだ。一瞬でその身体に篭る熱は跳ね上がり、血液が沸騰したのではないかという程の熱さが全身を包む。加速したこの一瞬の時間を切り取るかのように、巨大なカメラが世界を灼くシャッターを切ったかのような光量が地下駐車場を照らし──次の瞬間、大雅の全身から凄まじい雷が解き放たれた。その雷は指向性を持ち──自らを傷つけようとする影に向かって一直線に、シノビですら目視が難しい速度で放たれ……雷の矢となって影を貫いた。

 

 焦げた臭いは、人の肉が焼けたものだろう。影は全身から煙を噴き出し──そのままどさりと肉の塊となって崩れ落ちた。カランカランと音を立てて転がる機械腕。少しづつ時間は元の速度を取り戻し、館内アナウンスが再び滞りなく流れ始める。

 

 

「今の、雷は……」

「大雅君の力……で間違いないよ。凄い力だったね」

 

 

 気付けば、頭の痛みは収まっていた。

 身体の熱さも気が付けば収まっていた。

 

 何が起きたかも殆ど分からないまま、非日常の一瞬は通り過ぎていった。

 

 それでも、その戦いは、その非日常は、その一瞬は存在していたことを、倒れている四つの影が証明していた。

 

 

「やっぱり下忍だったね……絡繰の腕だし多分斜歯忍軍のシノビかな」

「はすば、にんぐん?」

「説明したいけど、援軍や追手がきてもおかしくない。まずはこの場所を離れたいけど……身体は平気? 動けそう?」

「……ああ、なんとか」

 

 

 アゲハの手を取り、立ち上がる大雅。

 

 ──ああ、そうだった。

 この手に縋るように手を取った時点で、日常から離れていったんだろ。

 

 

 館内アナウンスは続いている。今日は夕方から食品売り場でタイムセールがあるらしい。

 そんな誰とも解らない、「日常」の中にいる女性のアナウンスを聞きながら、その声から逃げるように地下駐車場を出ていく。

 

 非日常を生業とする輩から、彼女を護る為に、彼女に手を引かれながら、彼女に護られるようにその場を離れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 加速していた時間が戻り、焦げた臭いと共にカランカランと機械腕が地に落ちる。

 

 その一部始終を、加速した時間の中で見ていた人影がいた。

 

「……へえ、鳴神(なるかみ)。戦国時代に使われてたっていう雷を纏う忍法──生で見るの初めてなんだけど。今でも使えるヤツ、いるんだ」

 

 金髪と黒髪が混じったショートカット。ナチュラルメイクというよりは、面倒なので薄化粧で済ませていると言った方が正しそうなメイクに留めているが、それでも十分白く綺麗に見える肌。頭に乗せたキャスケットが目立つ彼女は、軽薄そうな笑みを口元に浮かべながら、その戦いを眺めていた。

 

 

 

 

「うーん……中々厄介なボディーガードを見つけちゃったみたいで──面倒くさい忍務受けちゃったかもな〜、アタシ勝てる自信ないわあんなの。依頼ブッチして逃げちゃおうかな」

 

 

 ヘラヘラ、というオノマトペがこれ以上ないように笑う彼女は、和服の少女とストリートファッションの少年がその場から逃げるように走り出す姿をただ眺める。

 

 

 まるで──獲物を品定めする鷹のように。

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