それでも、彼等は非日常を生きる。   作:ありあんろっど

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 吹き荒ぶ風の音が仄かに耳に届く。地下とはいえ防護シートが外気を完全にガード出来るはずも無く、大雅はその風の冷たさと音で目を覚ました。昨日の大立ち回りにアゲハの足を貫く負傷、正直頭が追いつかずもっと寝れないのではと考えていた大雅だったが、どうやら肉体的疲労が精神的疲労を上回ったらしい。途中で目が覚めることもなく朝までぐっすり眠っていたのか、シートから少しだけ漏れた陽光が床をキラキラと照らしているのがよく見えた。恐らく本当は見張りをするべきだったのだろうが、極限状態にも近かった大雅にそこまで気を回す余裕は無かった。

 

 赤城大雅がシノビの力を発現した夜から三日が経過した。そして灰原アゲハと共に行動するようになって三日目。彼女が言う「約束の日」までもあと三日。

 ぼんやりと考えていた、「アゲハを約束の日まで守った後、自分はどうしようか」ということについては、一旦放置することにした。気を抜けば死が訪れるこの非日常の世界で、大雅は未来のことまで考えている余裕も当然無かった。今日を、今を必死に生きることで精一杯になってしまった。今、アゲハを守ることで精一杯になっているのだ。

 予備の布団が入っていた、カーテンで仕切られた空間に入り、冷蔵庫から冷たい水を取り出し、乾いた喉に流し込む。胸をスっと通る冷えた感覚がぼんやりとした頭を覚まし、全身の血が滞りなく流れていることを実感した。未だこの血が、この身体が非日常の世界に馴染みつつあることは信じられないが、昨日あれだけ派手に大立ち回りを演じておいて、大小問わず傷を負ったはずの部位はどこにも痛みが残っていない。それがこの上なく自らの身体が変貌を遂げていることの証左である。

 

 アゲハの傷はどうなっているだろうか。流石に確認の為とは言え女性が寝ている布団を捲り、太ももをまじまじと見るのはあらゆる意味で良くない気がしたが、それをしないにせよ彼女の状態は気になった。大雅はアゲハが眠っているテントの中にそっと入り、小さなランプに明かりをつけて彼女の寝顔を確認した。

 

 すぅすぅという静かな寝息は規則的に聞こえ、真っ白に見えるもちゃんと血が通っている色をした肌は、昨日の苦しそうな表情も汗も呼吸も感じさせない程に「日常」の肌色だった。傷口を見ていない為確信は持てないが、少なくとも落ち着きはしたらしい。大雅は少し安心し、まだ回復の為に寝ているのであれば起こすのは悪いと静かにテントを出ようとした。

 

 

「──お父さん」

 

 

 ポツリと聞こえた、アゲハの覚醒しきっていない声。或いは寝言、或いは寝惚けて大雅を父と間違えたか。思わず大雅は出ようとしていた足を止め、静かにアゲハの方を振り返る。

 どうやら寝言だったらしく、アゲハは再び規則的な呼吸を繰り返すだけになっていた。目は当然のように閉じている。その表情は心なしか先程よりも安心しているように見えた。

 

 ふと思い出すのは、ショッピングモールで斜歯忍軍の下忍に襲われた日の真夜中のこと。眠れない大雅と、見張りをしていたアゲハの、短くて長い真夜中をやり過ごす為の会話の一幕。

 

 

 ──灰原の家族は? 

 ──いないよ。両親は私が六歳の時に忍務で二人とも死んじゃった。

 

 

 あの時はあまりにも淡々と答えられたから、彼女にとっての「両親」という存在の大きさを測り損ねていた。だが、彼女も恐らく大雅とそう歳が変わらない一人の少女である。幾ら非日常に身を置いていたとしても、家族というものは安らぎの対象であり、安心出来る場所だったのだろう。

 

 

 ──それにね。「今」は一人じゃないよ。大雅君がいる。

 

 

 更に思い出すのは、その後の会話でアゲハから貰った言葉。自分がいるというだけで彼女を安心させられるなら、意地でもその足で立ち続け、彼女の隣にいようと。この非日常の世界で、一人にさせないでいようと思えた。

 あの時その言葉を聞いた時に、救われたのは大雅の方だった。今はそれに甘えたくないと感じてしまった。

 

「……目が覚めるまで、見張りしておいてやるか」

 

 そう呟き、テントを出て入口の前に腰を下ろす。あの様子ならもうすぐ目を覚ますことになるだろう。目が覚めた時に、なんて声をかけようか────

 

 

 

 ──突然、大雅の脳が揺らされたような感覚に襲われた。それは今まで制御出来なかった鳴神の発生前に起きる頭痛ではない。だが同時にこれは「シノビの力の一種である」ということは本能的に理解が出来た。痛みや違和感とは違う、そういった「得体の知れないものへの警鐘」ではなく、明らかに何かを伝えようとしている「情報」であると。解らないはずの脳が、本能が、或いは非日常に馴らされてしまったシノビとしての肉体がそう呼び掛けている。

 

 

 ──生死を掛けた戦いの中で、激情の儘に戦った大雅は、その戦果として下したキャスケットの女に対しての「感情」を得ていた。

 シノビにとっての其れは、人の心を言語化、或いは数値化するような概念でありつつ、其れが正であれ負であれ一つの武器となり、情報となり、或いは呪いですらあるものとなる。

 

 

 大雅がキャスケットの女に抱いていた、アゲハを傷付けられたことに対する「怒り」。其れは確かにシノビの感情として大雅の身体に処理され、その感情が大雅の脳を揺さぶった。

 

 

 ──ああ、あいつが近くにきている。多分、俺を探す為に。

 

 

 或いは、戦いの中で彼女も大雅に対して何かの感情を得ていたのかもしれない。常人には存在しない超感覚が、互いの感情の在処を感じ取る。大雅は下ろした腰をすぐに上げ、隠れ家となっている地下から出て、キャスケットの女を探そうとした。少なくとも、今この超感覚が彼女にも感じ取れているとした場合、傷を癒しているアゲハのいるここに来られるのはまずい。それならせめて、アゲハの居場所が解らないように、一対一で相対せねばならない。風の吹き荒ぶ陽光に向かって歩み、自らの感覚を頼りに近付いてきているであろうキャスケットの女を探し始めた。

 

 ──否、恐らく「探す」という行為すら必要無かっただろう。隠れ家を出て二分もしないうちに、昨日相対した彼女は、相も変わらず軽薄そうな笑顔を浮かべて大雅の前に現れた。

 

 

「やっほ。会えると思ってたよ」

「……てめえ、何のつもりだよ」

 

 

 覚醒していく脳。順応していく血液。身体をどう使えば、溢れ出るエネルギーをどう扱えばシノビの力としてアウトプット出来るのか、それら全てがまるで赤ん坊の頃から知っていたかのようにスムーズに理解が出来る。或いは昨夜の戦いが大雅の身体を非日常に完全適応させる最後のカギだったのだろうか。「敵」を目の前にして、大雅は今すぐにでも雷を纏い──鳴神を発動させられる確信があった。

 

 そんな大雅のいつでも臨戦態勢という様子を見て、キャスケットの女は慌てて両手を前に広げる。

 

「おっとっと、ちょっと待ってよ。昨日君と戦って相性が最悪なのは解ってるんだ。君に会いたかったのは別にリベンジしたい訳じゃない、話をしに来たんだって」

「信用出来るかよ! 灰原が目的なんだろ、俺と話す理由が無いじゃねえか」

「や、マジマジ。てかそもそもあのボディガードに用事なんて無いし」

「騙されねえぞ! …………は? いや、ちょっと待て」

 

 キャスケットの女が吐いた言葉に、大雅は大きな引っ掛かりを覚えた。それはまるで──大雅がアゲハのボディガードをしているのではなく、「アゲハが大雅のボディガードをしている」という認識で話しているような口ぶり。

 確かに、戦闘経験の有無やシノビとしての力の発現の時期も相まって、正直大雅がアゲハを護るというよりは、アゲハが大雅を護るように戦っていたのは事実だろう。だが、実際はアゲハを護るように頼まれたのは大雅の方であり、キャスケットの女もアゲハが持っているという「世界が引っくり返るような重要な書類」を狙ってアゲハに接触しようとしたはずだと大雅は認識していた。

 

 

「……おい、どういうことだよ。ボディガードに用はないって」

「え? いや言ったそのままの意味だよ。最初からあの折り紙使いの彼女には用事が無いんだって。私が接触したかったのは──最初から君だよ」

 

 

 ──それは、予想だにしなかった答え。

 大雅の心臓の鼓動は、少しづつ速くなっていく。

 

 

「最初から……!? おかしいだろ、だってお前は、灰原が持っている封筒を狙ってる輩に雇われたシノビなんじゃないのかよ!?」

「えっナニソレ。初めて聞いたんだが?」

 

 

 つぅ、と冷たい汗が背中を撫でていくのがわかる。

 まるで踏み出した非日常の世界にあったはずの足場が、次々に崩れていくような。

 非常識な世界で唯一の道標だったはずの常識が、突然見えなくなったような。

 真っ暗闇に手を差し伸べてくれた蝶は、ただ光に誘われてやってきただけの蛾だったのか。

 

 

 血の気が引き、どんどん青ざめていく顔の大雅とは対照的に、キャスケットの女は何か一つの可能性に辿り着いたかのように軽薄そうな笑みを零した。

 

「……な〜るほどね。ちょっと話が見えてきた気がするなぁ」

 

 そう呟いたキャスケットの女は、ポケットからスマートフォンを取り出し、数回の操作でとあるニュースの記事を画面上に表示する。

 

 

「さて、私はさっきも言った通り、ただ話をしに来ただけなんだよね。まあ、君からしたら昨日殺し合いでもするのかってくらい殴り合って何を話すんだ〜って感じかもしれないけど……でも君は多分、私の話を聞いておいた方がいいと思うんだ」

 

 

 そう言うと、キャスケットの女は表示していたニュースの記事をひらひらと大雅に見せつける。

 

 

 

 ──二〇二三年、某月。

 

 

 

 △□県、とある公立高校にて、校内で突然停電と同時に教室が発火する怪事件が発生。

 

 火元となった教室に居合わせた生徒八名、教員一名が重傷、六名が軽い火傷を負い、煙を吸った影響か十数名の生徒が体調不良を訴えた。火はすぐに消火されたが、未だ一名の生徒が行方不明。出火元も停電の原因も不明であり、事故と事件両方の可能性で警察は捜査を開始した──。

 

 

 

「──これ、君の通ってた高校の話で……教室が発火した原因は君の「鳴神」だよね?」

 

 

 

 見せつけられたその記事は、突然の力の覚醒に襲われ、何もわからないままにクラスメイトや教師を傷付けてしまった、大雅の「地雷」とも言える部分そのもの。大雅は一瞬呼吸の仕方を忘れたように喉が詰まる。

 

 次にキャスケットの女がポケットから取り出したのは──見覚えのある折り紙。大雅との修行の為の模擬戦や、昨日の彼女との戦いでも使用されていた、アゲハの血があしらわれた折り鶴だった。

 

 

「この折り鶴、私も見覚えあるんだよね〜。これ、何処で見つけたと思う? ヒントを二つあげようか。その一、昨日君達と戦った時に使われていた折り鶴じゃない。その二、君にとっても縁がある場所だね」

 

 

 キャスケットの女の軽薄そうな声が、ただ苛立ちを増幅させていく。昨日、アゲハの太腿に大穴を開けた彼女の言うことを聞いて何になる? と自らの感情が訴えかける。

 だが、同時に理性で──否、或いはシノビとしての本能で理解していた。恐らく、今彼女が言っていることに一切の嘘は無く、そして今大雅は彼女と話をしなければならないんだろうと。そして今、彼女が持っているアゲハの折り鶴が見つかった場所。その場所も──何故か大雅は直ぐに理解出来た。

 

 理解出来てしまっていた。

 

 理解したくなかった。

 

 何故なら、其れは──

 

 

 

 

 

「──俺の、高校……なのか……?」

 

 

 

 

 

「せいか〜い!」

 

 

 

 心臓の音が大きい。

 ドクドクと鳴り続ける音は絶え間なく加速していき──だが、同時に世界が加速していくことは無く。シノビ特有の高速機動ではなく、ただ人間として、緊張が、恐怖が、焦燥が、興奮が、感情の行き先が交錯しているだけだ。

 

 ──何の為に? どうして灰原は俺の高校にあの折り鶴を置いていた? 

 その折り鶴はどんな命令を受けていた? それもまた、世界を引っくり返すような情報を守る為に必要な事だったのか? 

 

 何処まで考えても、その答えは出てこない。或いは──今目の前でその情報を提示した彼女なら、その答えを知っているのかもしれない。

 

 

 キャスケットの女はケラケラと笑い──そして、今まで見せていたような軽薄そうな印象が完全に鳴りを潜めた、妖しくも迫力のある、人を呑み込んでしまいそうな笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

「さて、それじゃあ改めて自己紹介しようか──私の名前は石見雨詩(いわみうた)。私の話を、聞いてくれるよね?」

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