それでも、彼等は非日常を生きる。   作:ありあんろっど

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 ──大きな風が吹き荒ぶ。髪の毛や衣服が大きく揺れる。何かが起こりそうな予感。

 

 否、間違いなく大雅の中で「何か」は既に起きていた。石見雨詩と名乗った彼女との邂逅で非日常の中にあった道標の場所が解らなくなってしまったのだから。

 

 廃ビルの屋上。大雅の心境とは真逆のように、雲ひとつない青空と朝の陽射しが二人の足下に影を落とす。緊張に塗れた大雅と、あいも変わらず軽薄そうな笑みを浮かべ続けている石見。この空間において、間違えているのは大雅だけだと言わんばかりに、全てが彼にミスマッチだった。

 

「さて、ここならまあゆっくり話せるよね。着いてきてくれたってことは話を聞いてくれるってことでいいんだよね?」

 

 石見の言葉に、大雅は答えない。警戒を解くわけにはいかなかった。だが、それと同時に「話を聞いた方がいい」という本能にも従わざるを得なかった。ただ無言で自らを睨みつける大雅を見て、石見は少し楽しそうに笑う。

 

「無言は肯定って捉えていいのかな。じゃ、勝手に喋ることにするね。質問は……まあ受け付けたり受け付けなかったりするよ」

 

 錆び付いたフェンスにもたれかかり、キャスケットを右手で抑えながら、ゆっくりと石見は話し始めた。それは、大雅にとってアゲハ以外から聞かされる非日常の話。真実か嘘かも判断出来ない、突拍子もない話だ。

 

「まずは私のことを……って、名前は言ったっけ、石見雨詩。所属はハグレモノのNo.9っていう流派なんだけど……まあ知るはずもないよね。簡単に言っちゃえば、一度シノビであることをやめて一般社会に溶け込もうとしたけど、出来なかった半端者の集まりだよ」

 

 石見の言葉に、思わず大雅は目を見開いた。彼女は一度シノビであることを辞め、今まで大雅が生きていた「日常」の世界で生きようとしていたと言うのだ。越えられない境界のように感じていた日常と非日常の壁が、簡単に取り払われたような気がした。

 

「おっと、意外そうな顔をしてるね……まあそんな面白い話でもないよ。私、結構由緒正しきシノビの家系でさ。生まれた時からシノビとして家の為に尽くす将来が約束されてたんだけどね、私はそれが嫌になっちゃって。映画を撮ってみたかったから、家を出て映像学科のある大学に入学したんだよね。……まあ、結局諦めた上にお金も無いから、こうやってシノビの仕事をフリーで取り始めてるんだけどさ」

 

 なんてことない話でしょ? とけらけら笑いながら話す石見の姿は、本当にどうでもいいと言わんばかりの雰囲気を纏っており、そのあまりにも「日常」と「非日常」が混ぜ合わされた情報は、大雅の脳にもすんなりと入ってくるだけの「現実」がそこにあった。

 そうだ、少し前提が違うだけで。云わば親に決められたレールで将来を進むのが嫌になり、アーティストを目指す良家の一人息子と言っていることは殆ど変わらないのだ。

 

「って、私の身の上話なんてどーだっていいよね。ま、そういうわけで私は今フリーで仕事をとるハグレのシノビってわけ。今回依頼を受けた相手は──比良坂機関」

「比良坂、機関……?」

「お、やっと相槌を打ってくれたね。そう、比良坂機関。聞いたことはない?」

 

 大雅は黙って首を横に振る。恐らくはアゲハが話していたであろう六大流派と呼ばれるものの一つではあるんだろうという予想だけは出来るが、少なくとも大雅が知っている流派は、斜歯忍軍とハグレモノの二つだけなのだ。

 

「ま、簡単に説明すると日本政府の下で、国家の為に動くシノビの機関って感じかな。主に国益を守る為にスパイ活動や諜報忍務を請け負う、謀術や情報戦のスペシャリスト達が比良坂機関」

 

 石見は右手でキャスケットを被り直し、敢えて自分の目が大雅から見えないようにしてみせる。そして口元は変わらず笑みを浮かべたまま、左手の人差し指を立ててみせた。

 

「ただ比良坂機関のシノビは正面から殴り合うような荒事は得意じゃないことが多くてね。そういった忍務を任された場合、荒事担当として他の流派のシノビを雇うことが多い。私が雇われたのもそういうことだね」

「アンタは荒事担当……ってワケか?」

「そういうこと。本命というか、依頼主としては「君を守るボディーガードを引き剥がしてくれたらそれでいい」と言われているね」

 

「──そこだ、それがどういう意味なのかわかんねえんだよ」

 

 大雅が彼女の話を聞かなければならないと思ってしまった理由。それは正に今の石見の発言にあった。

 少なくとも、大雅はアゲハに頼まれて彼女を守るボディガードをしているつもりだった。だが、石見の言い方だとまるで「アゲハが大雅のボディガードをしている」というように聞こえてしまう。

 

「ああ、さっきも何か言っていたね。私の目的──というか、まあ正確には比良坂機関の目的はあの折り紙使いの方で、君ではないんじゃないか? って」

「そうじゃないのかよ? だって、その比良坂機関ってのは国益を守る為に活動してるんだろ? あいつの……灰原の持ってる封筒の中には、世界がひっくり返るような重要な書類が入ってるって言ってたぞ。それが国益に繋がるんじゃないのかよ?」

 

 比良坂機関が国益の為に動くと言うなら、その「世界がひっくり返るような書類」の存在が彼等にとってタブーであり、それを処分、或いは使用する為に比良坂機関がアゲハを追っているという仮説を立てることが出来る。少なくとも大雅はそうなんじゃないかと、それが恐らく真実なのだと今はほぼ確信しようとしていた。

 

 ──だが、飽くまでも仮説は仮説であり、それは事実を聞くまでは真実足り得ない。石見はキャスケットの影から目を覗かせ、心底不思議そうな顔をしていた。

 

「そもそも「世界がひっくり返るような重要な書類」って何? 何が書いてあるの? 核戦争が始まる日時? 某国の大統領の隠し子の在り処? 徳川埋蔵金が秘密裏に政治家の懐に入っていたとか? ……まあ、どれも有り得るけど、そんなたかが書類だけで世界がひっくり返ることなんて、このシノビの世界でも有り得ないと思うよ」

 

 たかが書類だけで。

 世界がひっくり返ることなんて有り得ない。

 

 シノビの力を手にしてから常に「非日常」と隣り合わせになってしまった大雅は、或る意味でどこか「有り得ない」という言葉を忘れてしまっていたのかもしれない。

 

 

 

 

「てかそもそもその封筒の中身見たの? 例えばさ──それが君を騙す為のブラフだったとしたら?」

 

 

 

 時が止まったような気がした。大雅の心臓の音だけが、全身を、世界を煩く揺らす。瞬きすら出来ず、再度目線が隠れてしまい真意が見えない石見を見つめることしか出来ない。

 

「そんなわけ──」

 

 ないだろ、という言葉を続けることが出来なかった。アゲハを信じていない訳では無い。ただ、突きつけられた「仮説」を、可能性を前にして、驚きのあまり上手く声を出すことが出来なかっただけだった。だが、それでもその先を言葉として紡げなかった事実は、大雅の中にあった非日常の常識が崩れかけていることの証明でもある。

 

「ま、もしかしたら本当にヤバい書類かもしれないけどね。それはまあ誰かが何なりと調査するでしょうってことで……比良坂機関が何を狙っているか、改めて君に教えてあげようか」

 

 大きな風が吹き荒ぶ。

 石見はゆっくりと右手でキャスケットを浅く被り直し、先刻も見せた妖しく人を飲み込みそうな雰囲気の笑顔を見せた。

 

 

 

 

「比良坂機関が狙っているのは「君そのもの」だよ、赤城大雅君」

 

 

 

 

 その異様な雰囲気の笑顔と、想像すらしなかった石見の言葉に、大雅は完全に呑み込まれてしまった。

 

 

「俺.……そのものだと……?」

 

「そ。まあ正確には──君の「ナカ」にあるものと、君という名前の「器」だってさ」

 

 やば、これって言っていいんだっけ? という素っ頓狂な石見の声も、最早大雅には聞こえていなかった。

 自分の「ナカ」に何があるというのか。自分は一体何の「器」になっているのか。そして何故自分は狙われなければいけないのか。それら全ては、この「非日常」の世界の中でも一切の理解に関わる紐すら見つけられていない。或いは、その手掛かりは目の前にいる石見雨詩というシノビから聞く以外に存在しないのだ。

 

「──まあ、ここまで話しちゃったら言っても言わなくても一緒か。ぶっちゃけ私も雇われの身だからさ、あんまり詳しくは知らないんだけど……君の身体の中には今「神器の欠片」が存在しているらしいんだよね。信じられないけど」

「神器の……欠片」

 

 思い返すのはからん、という規則的なあの鈴の音。確かに、アゲハも「大雅は神器と適合出来た」と言っていた。忍神の肉体から分離した、六つの驚異的なアーティファクト。

 

「あー、そっか。神器が何かも知らないもんね.……説明するのめんどくさいな、なんかめちゃくちゃ凄い力を持ったモノだって覚えてくれたらいいよ。普通はシノビですら神器を取り込んでしまったらその力に耐えられず悲惨な末路を辿るワケだけど──君はどういうわけか一般人だったのにも関わらず無事生きており、しかもシノビの力を発現させている。おまけに戦国時代に失われたとされる古流忍法、鳴神まで使いこなせるときた……まあ、つまり君は奇跡みたいな人間なんだよね。すごいね、主人公みたいだ」

 

 けらけら笑いながら拍手をしてみせる石見。その仕草は大雅の神経を逆撫でするには十分だったが、それよりも驚きと話を最後まで聞かなければならないという強迫的にも近い感情がそれを押し殺す。

 

「ただね、今の君は比良坂機関からすれば「いつ暴走するか分からない刻限不明の時限爆弾」みたいなものなんだよね。もし神器の欠片が暴走して、君の身体を乗っ取ってしまった場合──シノビガミが復活して、それこそ君が言っている「世界がひっくり返る」可能性も有り得る」

「シノビガミ……!?」

「その名の通り、シノビの神様って捉え方でいいと思うよ。君もシノビが一般的な常識から外れたトンデモ超人であることは理解してるでしょ? それの祖先、神様みたいなのが復活したら──まあ、世界がひっくり返ってもおかしくないでしょ」

 

 神器は忍神の肉体から分離したアーティファクトだとアゲハは言っていた。なら確かに、大雅がその力を制御出来なくなった場合、アーティファクトが暴走を起こして神が顕現する可能性は──確かに否定出来ないだろう。

 静止しているような時の中で高速で移動しつつ、コンクリートやアスファルトを容易く素手で破壊する肉体能力。帯電や分身、血と言霊を使った操作能力等を持ち合わせ、驚異的な肉体修復能力も持った人間達の神であり始祖。非日常の中でも更に非常識で、想像すらつかないその力は、大雅の想像力を持ってしても世界を壊しかねないことは理解ができた。

 ──だが、理解出来てしまったからこそ、背中が冷えていく。

 

「……俺の身体が乗っ取られて、そんなバケモノになる可能性があるってのかよ?」

「そうだね。寧ろ今そうなっていない方がおかしい。だから比良坂機関は──」

 

 

 

 

 

 

 

 

「──君のことを保護、或いは国益に害するものとして処分する決断を早々に下した」

 

 

 

 

 

 処分。

 

 その言葉の意味が分からない程、大雅は非日常に馴染んでいない訳では無かったらしい。

 意味が分かりたくなかったと本気で思った。

 心臓の音が煩い。汗が止まらない。瞬きが出来ない。

 

 どうしてこうなったんだ? 

 

 どうして非日常に足を踏み入れなければいけなかった? 

 

 処分。

 

 殺されるのだろうか? 

 何故? 

 どうして殺されなきゃいけない? 

 

 

 

「……そんなことが」

 

 

 あっていいわけが無いだろ。

 その言葉も何故か出てこなかった。

 

 だってそうじゃないか。政府直属のシノビ達が、国益を守る為なら国民を処分するなんて、そんな漫画みたいな「非日常」、あっていいはずがないだろ? なのに、どうして俺はそれを否定できないんだ? 

 

 何故なら、この非日常の世界ではそれすら有り得るのではないかと、大雅がそう理解してしまっているから。

 

 

「安心しなよ。処分されるって決まった訳じゃない。寧ろ神器の欠片に耐えられる器であることを証明出来るなら……国益を齎すとして丁重に保護される可能性の方が高いと思うよ。つまり現状維持でいいってワケなんだけど──話はそう簡単に解決しない。君に近付いてきたボディーガードのことだよ」

 

 処分されると決まった訳じゃないという言葉に少しだけ安心し、そして同時にまだこれ以上何があるんだと脳が理解を拒否しようとするのを必死に抑え込む。

 

「さっきも言った通り、比良坂機関はスパイ活動や情報戦のスペシャリストだからね。いち早く君の高校で起きた火災事故の情報を手に入れ、それがシノビの力であることを察知し、更にはその力が発現した理由は神器の欠片であることまで突き止めた。本当はもっと早々に君のことを保護するつもりだったみたいだけど……他のシノビが比良坂機関よりも先に君と接触したせいで、それは叶わなかった」

 

 他のシノビ。それは間違い無く──灰原アゲハという名前のシノビに他ならない。

 

「そうだね、君と行動を共にしていたあの折り紙使いだ。彼女が使っていた「裏真言」という忍法から察するに……所属流派は隠忍の血統。ただの人間じゃなく、妖の血が混ざった妖術使い達の流派だ」

 

 ──石見の表情が少しずつ真剣になっていく。

 

「隠忍の血統の流派としての目的は──シノビガミの復活。さて、どうして彼女は君と接触したんだろうね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ふっざけんなよっ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 大雅は思わず声を張り上げていた。

 自分でも無意識だった。冷や汗は止まり、煩かったはずの心臓の音も聞こえない。ただ肩で息をしながら、ギラついた瞳で、空気を雷で威嚇しながら石見に吼える。

 

 

「黙って聞いてりゃ、推測だけでペラペラペラペラとっ……! テメェが灰原の何がわかるってんだよ!? 俺は、俺はアイツを信じるぜ。一人で、両親もいないのに、こんな非日常の死と隣り合わせの世界で戦い続けて! ニヤニヤ笑ってるテメェの言ってることなんて信じられねえ、あの封筒を奪う為に俺に嘘つくことだって出来るだろうがよ!? 何て言われようが俺はアイツを守るって決めたんだ、あと三日……テメェからも、テメェ以外のどんなシノビからも、俺がアイツを守ってやって! あの封筒がちゃんと渡されるまで絶対指一本も触れさせねえ!!」

 

 

 

 ──そんな大雅の咆哮を聞いても、石見のスタンスは一切変わらなかった。

 

 

 

「……あと三日? 三日後に彼女は封筒を誰かに渡すって言ってたの?」

「ああそうだよ! それまでテメェを灰原には絶対に会わせねえ──」

 

 

 

「──や、君さ。冷静に考えてみなよ。私達シノビは光の速さで移動出来るのに、なんでわざわざ三日も待たなきゃいけないわけ? 一刻も早く渡すべき相手に渡しちゃった方が得でしょ。私ならそうするけど」

 

 

 

 石見の純粋な疑問に、ヒートアップした大雅は思わず口を止めてしまった。そして驚くことに──その石見の意見に対して反論出来る材料が見つからなかった。

 

 

「時間が必要な理由があるとするなら、それは多分──儀式の準備だろうね。例えば、神器の欠片を取り出すとか────シノビガミ復活の儀式とか」

 

 

 

 

 ふざけんなよ、そんなわけがないだろ。

 

 

 

 叫んだつもりが、一切の声が出なかった。

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