パチンッ!
その音が彼の敗北を告げる。やけに耳に残る音。ひと目見てわかる色の差。
「アザミさんすごーい!」
「ああ、もう少し良い勝負ができると思ってたんだが」
「うふふ、岸部さんは少し角を意識しすぎですよ」
「いやぁ、タケさんが言っていた通りかなりの腕前をお持ちで」
『奥さんはオセロがすごく強い』それが岸部ロハンがタケから得た情報の中で1番心惹かれたものだ。
「オセロに関しては負けた事無いんですよ私」
随分と大げさな。いつもの彼ならそう言っていただろう。だが今の彼にはその言葉は口が裂けても言えなかった。
「…そいつはすごいな」
「だからサンロクさんったら私と打ってくれなくなっちゃって」
先ほどオセロをしようとアザミに話しかけた瞬間、席を外したサンロクの理由が明かされ合点した2人。
「あ~勝てないとやりたくなくなっちゃうもんね、わざと負けてあげたりは?」
「する気は…ない…ですね、私負けず嫌いですから」
「奇遇だね、僕もそうさ」
彼を負けず嫌いと言わずに誰を負けず嫌いと言うのか。
「折角だ、もう一戦付き合ってくれないかい?」
「ええ、良いですよ」
私に勝てるわけないけど。そんな言葉が後ろに続いているのでは無いかと彼は邪推してしまう。
「今にも火花が見えそうな…」
「では色はそのままで私から」
先手必勝の言葉はオセロには通じない。オセロにおいては後手が圧倒的に有利だ、彼女はその有利を自ら捨てている事になる。
僕を侮っているのかそう口に出すのを彼はグッと堪える。敗者は耐えるしかないのだ。
パチン
黒が白に
パチン
白が黒に
パチン
ひたすらその繰り返し。合いの手の様に石の音が部屋に響く。
パチン
「サンロクさんに恨みでもあったのかい?」
音が止まった。
「何を…言ってるんですか…?」
困惑した様子で岸部の顔をじっと見るアザミ。
「本来こういう真剣勝負は黙々とやるべきなんだろうが…少し世間話したくなってね」
「いや、そうじゃなくて」
「まあまあ、ゆっくり話でもしながらしようぜ」
「…」
パチン
白へ
「今回僕たちはサンロクさんの依頼でこのキャンプ場で調査を行っていた」
「何を調査していたんですか?」
「なんだと思う?」
「さぁ…全く持って私には心当たりが無いです」
パチン、パチパチパチ
「そうかい?」
「そうですよ」
平然とした態度。それは次の言葉で崩れることになる。
「火の玉」
「…っ」
「知らないのかい?夜な夜なこのキャンプ場に現れるようになったらしいんだが」
「…ええ、初めて耳にしました」
「マツさんはあなたから聞いたと言ってたよ」
ピシっ。彼女の手に持つ石からそんな音がなる。
「おいおい、力み過ぎなんじゃあないか」
「すみません、記憶に無いです」
「ああ、マツさんはそう言ってたよ」
「まさか…火の玉を調査なんて思いもしなかったので」
パチン
「で、それがなんで私がサンロクさんを恨んでる事になるんですか」
「サンロクさん、桜に執着していたそうだね」
お互い盤面しか見ずに話が続いていく。
「ええ、そうですけど…」
「その桜が切り倒されていた」
「え?」
「現場に行って見たんだが根本からバッサリさ、あれは相当恨みがないとできないね、しかもその切られた木にサンロクさんの写真が打ち付けてあった、そうだよな浅黄」
「うん、あれはよっぽど憎いと思ってないとできないと思う」
「あなたじゃないにしてもサンロクさんは相当恨みをかっている事になるが心当たりないかい?」
「…知りませんよそんなの、少なくとも彼は恨みを買うような人じゃないです。あなた達4人が依頼量を巻き上げるためにやったんじゃないですか?」
刃物の様に鋭い目が彼を射貫く。
「すまない少し嘘をついた」
そう彼は携帯電話の画面を彼女に見せる。画面に映るのは半分まで刃の食い込んだ桜の木の幹。
「はぁ…そうやって鎌掛けようとしたってわけですね」
「ああ」
「どうして私を犯人に…」
「狙ったところには引っ掛からなかったが…どうやら海老で鯛が釣れたぞ浅黄」
『仕立て上げようとするのか』そう続く筈だった。
「何を…」
「アザミさんさどうして4人って言ったの?」
「どうしてって…」
「私とロハンちゃんしかアザミさんに会ってないのに?」
部屋の時が止まった。そう錯覚する程の静寂、そんな中彼女の口からか細い糸のような声で紡がれる言葉は
「…それは…名簿で…」
「名簿は今僕たちが借りてるよ、あの名簿って宿泊費を後から計算するためのものってのは知っていると思うんだが」
当然知っている。だが何故それを彼らが持っているのかは知らない。
「僕たちはサンロクさんのご厚意で泊まらせてもらったから名簿に載ってなかったよ」
「偶然…外で話しているを見たんです…」
「へぇ…」
もはやどうすれば良いのか彼女にはわからなくなっていた。嘘が肺を満たしていく。
「僕らが初めて会った時、あなたは僕の方を見てかなり驚いていたね?」
「…ええ」
「確かに不自然じゃあないよ、僕だってまさか居るわけないと思っている人間が居たら驚くさ」
お願い
「…はい」
「でもあなたが驚いたのは僕を見た時でもなければ僕の名前を聞いた時でもなかった。あなたが驚いたのは鼻をスンと鳴らした後だ。つまり僕の匂いで驚いたんだ」
お願いだから
「あなたは僕の姿では驚く事が出来なかった。それは何故か夜はあなたの姿だけじゃあなく僕の姿も隠したからな」
もうやめて
もはや盤面に彼女が置くことのできる場所は無い。目の前に広がっているのは黒1色。
「…知りません」
「何故僕たちが4人だと知っていたか」
「…知らない」
「何故桜の木を切ろうとしたのか」
「…知らないって言ってるでしょっ!」
ガタッ!ガシャンっ
盤面がひっくり返る。だが、黒はひっくり返らない。
胸ぐらを掴まれた彼は彼女を見上げる形になる。
「色々言ってきたが別に僕としてはこの件どうでも良くてね、これで動揺して石を置く位置間違ってくれればいいな程度さ」
「は?」
「もしもこれが依頼じゃあなかったら火の玉がライトやヘイローだって推測できた時点で帰ってるね」
彼女の激情を塗りつぶしていく困惑の感情。
「はっきり言って火の玉騒ぎも勝手にしてればいい、桜の木なんて何本でも切ればいいさ」
「えぇ…ロハンちゃん…えぇ…」
「だが、そんな僕でも許せないことがある」
彼女の胸ぐらを掴む手が緩む。火の玉の事や桜の木の事でないのなら心当たりが無い。
「あなたが僕のファンだと嘘を吐いたことだ」
ああ確かに誤魔化す為にそう言った。事実今まで生きてきて目の前の青年の漫画を見たことは無い。
じゃあ、たったその一言の為に…?
「そんな…こと…?」
「なあ、僕の聞き間違いじゃあなかったら今、
「ひっ…」
「はぁ…だからここでこうやってあなたを詰めたのは僕の個人的な感情さ。本当だったらサンロクさんにチクって終わらせる予定だったんだ」
「あはは、まあ動機を知りたかったってのもあるんだけどね」
「動機…」
「なんでわざわざ斧で切らなきゃいけなかったのかな〜って、爆弾とかでも良い訳じゃん?」
「浅黄、森の中で爆弾なんか使ったら大惨事だ」
「恨んでたらそういうの願ったり叶ったりだからなんか違うんじゃないかなーって」
「恨んでなんかいませんよ」
彼女は静かに、それでいて力強く
「彼を愛しているから」
そう言った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「愛してるから?」
「ああそう言ってたよ」
「なんでそれが木を切る事に繫がるのさ〜」
応対用のソファーを占領した才羽が唸る。
「僕はそんなことよりなんで君が僕の家に来て僕よりもくつろいでいるのかが疑問だよ」
「正座でもしてようか?」
「そういう問題じゃあない、一体何をしにここに来たんだ君は」
「暇だったから一緒にゲームしたいな〜って」
「生憎君が暇でも僕は暇じゃあない」
「暇じゃないって…さっきからただ椅子に座ってただけじゃん」
「人が静かに考え事をしてるところに割り込んで来たのは君だろ」
「だから今こうして話聞いてあげてるんじゃん」
「逆だ、僕が話を聞かせてやってるんだ」
「で、続きは!」
「はぁ…彼女の言った」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
愛してる、その言葉に僕と浅黄は圧倒されていた。何故それが愛と関係あるのかそういった道理を越えた凄みがあったんだ。
「愛しているから…」
「彼が桜の木に執着しているというのは聞きましたね」
「ああ、随分と熱心に管理してたらしいな」
「それの原因、私なんです」
「原因…?」
「私達夫婦には子供が居ません」
それは部屋に置かれている写真達をみればわかる。夫婦や従業員の写真はあっても子供が写っている写真は見当たらない…いや、1つ変な写真立てがある。あれだけやけに分厚い。
「流石ですね」
彼女は僕の視線の先にあったそれを手に取ると
カチャ
スライドさせ裏から1枚の写真を取り出すと哀しそうに撫でた。
「居ないというよりは居なくなってしまったと言うのが正しいんです」
そう言って手に持った写真をこちらに見せてくる。
「あ…」
「なるほど」
それに写っていたのは今よりかなり若い笑顔のサンロクさんと
「何が悪かったのかわかりません、突然の痛みの後には何も残っていなかったんです。確かにここに居た筈なんです」
そう言って彼女はそっとお腹を撫でた。
「幸せがあった筈なんです」
「アザミさん…」
「それからです、彼があの桜の木に心を奪われたのは。日に3度彼は桜を観に行っていました。春夏秋冬、雨が降っていようと」
僕は最初執着というワードに引っかかりを覚えていた。それは僕が話したサンロクさんとどうしても結びつきそうに無いものだったからだ。だが今の話が本当だとすれば執着という言葉以外には表せられない。
「それから20年程月日が流れました」
「長いね…」
「ええ本当に永かった…でもここ2、3年はあの人…桜の木の所行ってないんですよ」
「…病気か」
「はい、足が動かなくなったんです。本当はダメなんですけど…やっと…やっとあそこから戻ってきてくれるって!」
喜怒哀楽、彼女の表情をそのどれかに当てはめるのは困難だった。
「そう思っていたんです…」
「…違ったの?」
「あの人、朝になると窓を開けて森を眺めてるんですよ」
だから朝この部屋は寒かったのか。
「あの人の心はあそこにあるままだった!」
血を吐き出すかのような悲痛な声。
「それが許せなかったのかい?」
「許す許さないなんてのはとうに過ぎてるんです。私はそれに気がついた時ああこれがやるべきことなんだって、すぐにでも切り倒してやろうと思って、でもやめました」
「それはどうして?」
浅黄の問い悩む様子もなく。
「春だったから」
「何故、春だと駄目なんだい?」
「だって春はあれが一番キレイでしょう?一番キレイな時に終わらせるなんてそんな終わり方…だからやるなら冬、1番あれがみすぼらしい時にやってやろうって」
「桜そのものをあなたは恨んでいたのか」
「まず夜中に人が森に近づかないように火の玉の噂を流すことにしました。逆効果だったみたいですけど。それがある程度浸透したら黒い服を着てあれのところまで行って…」
「花は咲いてないのにとっても立派で…力強くて…それが憎たらしかった」
「だからひたすら叩きつけた!抉って抉って叩いて押し込んで叩いて後もう半分までいったんです」
丑の刻参りのような光景が頭の中に浮かぶ。
「そこでこちらに向かって来る足音が聞こえてきたんです。だからヘッドライトを消してすれ違いました。ヘイローが浮いてたからそんなに難易度は高くありませんでした」
なるほど、陸八魔達3人は一方的に位置がバレていたのか。
「後は森から抜けて部屋に帰るだけ、そこで」
「僕と遭遇したって事か」
「挟み撃ちだと思って1人の方の岸部さんを無力化しようとしたんです」
「あれは本当にビビったよ、次から不意打ちする時は事前に言っておいてくれ」
「本当にすみませんでした、それから部屋に帰って…来てた服にあれの樹液が着いているのに気が付きました。それが嫌で嫌で燃やしました」
『あの桜は不可思議をはらう』
樹液にもその効果があったから僕の能力は効かなかったのか。
「私が斧を使ったのはあの人が大切にしてた物を壊すならしっかりと自分の手でやりたかったから」
「アザミさん…」
「だから失敗したんだろうな」
「どういう…意味?」
「意味も何も文字通り、失敗の原因はそこにある」
「何が言いたいんです?」
「逆にどうしたら成功するのか教え欲しいね、覚悟の出来ていない人間のする事が」
「覚悟…?」
「あなたは恐れた彼からの愛を喪うのを、人から奪おうとする人間が自分が喪うのを恐れた時点でもう無理だ」
「でもそれは!」
「彼の心を取り戻す為にやっているのに本末転倒だって言うんだろ?」
「…じゃあどうすれば良かったんです!?」
「疑問なんだがなんで彼と話さなかったんだ?」
「…それは…」
「彼に言えば良かったじゃあないか『あなたが桜の木ばっかり構うから寂しい』って、20年も何やってたんだ?」
「…っ」
「口に出さずに伝わるなんて傲慢な考えは捨てたほうが良いと思うよ」
僕が言っても説得力はないが。
「それでも…」
「負い目があるのはわかるさ、今の時代不妊なんかは妻だけじゃあなくて夫の方にも問題があると言われているが20年も前だとそうはいかなかったんだろう?」
僕の言葉に彼女が首を横に振る。
「あの人は私に優しく微笑ん『君の身体さえ無事ならそれで良い』ってそう言ったんです」
「そうか」
「私にはそれが…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「なんか、悲しいね」
「まあ、そうだな」
「その後はどうしたの?」
「彼女が自分でサンロクさんに報告して終わりだよ」
「そっかぁ…」
「あの流れで僕らがってのも変な気がしたしな」
「うーん、サンロクさんって人がもう少し乙女心ってのをわかってたらな〜」
「ふふっ」
「なんで笑うのさ〜」
「まさか君から乙女心ってワードを聞くとは思わなかったからな」
「ふんっロハンさんったら失礼しちゃうなぁ!恋愛シミュレーションでマスターしてるし!」
シミュレーションねぇ…
「その恋愛シミュレーションってやつに20年夫の心を桜に奪われた女って出てくるのかい?」
「出てこないし、今の話の後にそれツッコミづらいよ…」
どこまで行っても人の心は本人にしかわからない。僕以外の人間はという前置きが付くがな。サンロクという男は桜に執着をしていてアザミという女は彼の心に執着をしていた。似た者夫婦でありながらどこか根本的にすれ違ってしまったんだろうな。
「で、どこに悩んでたの?」
「桜の木のところで出会った少女について少しね」
「うーん…ゲームセンターと同じようなものなんじゃない?消えちゃうし」
「明らか桜と関係がありそうだからな」
「あ!お腹の中の赤ちゃんの幽霊がお母さんを止めて欲しくって出てきたんだよ!」
「そうかもな」
「そうだよっ!」
だとしたら家族ってのはある意味鎖みたいな物なのかもしれない。死んだ後でも繋がったままというのは僕には少し窮屈に思える。
「あーあ、ロハンちゃんじゃなくてお母さんやお父さんのところに出てあげたら良いのにな〜!」
「そんな事言われてもしょうがないだろう」
「あれ?」
「どうした?」
「お地蔵様ってさ」
「ああ」
「色々種類あるじゃん」
「…それが?」
「水子を供養する時って水子地蔵だよね…?」
「…そうだな、君意外と鋭いな」
「…なんか怖くなってきちゃった」
「考え過ぎだ、あのキャンプ場では事件や行方不明は起こっていない」
「でもさ、もし本当に…本当にそうだったらロハンさんどうする…?」
『待ってるの、満開を』
「春まではそのままだな」