「やっぱりここだったか」
僕は桜を見上げ彼に声を掛ける。
「ロハン君、どうもです」
「……一昨日ぶりか」
「ええ、素晴らしい舞台にお誘いいただきありがとうございました」
「どういたしましてって言っても、別に僕が演じた訳じゃあないがな」
まだ彼女は脇役だがあの調子だと主演も近いだろうな。
彼から視線を逸らせば一面に広がる柔らかい色。
「この辺りは涼しいですからねぇ、桜の花も長持ちなんですよ」
「……なあ」
「はい」
「ここまでどうやって来たんだ?」
彼の方を見ずに答えを待つ。
「どうやってと言いますと?」
「こんな森の中じゃあ車椅子は使えなかっただろう?、だから僕はてっきり誰かに連れてきてもらったんじゃあないかと」
「いえ、腕で這って1人で来ましたよ」
視線を上げると確かに手が土まみれだった。
「きつくはなかったかい?」
「それほどでしたよ」
「凄いな」
そんなわけがない。足を引きずりながらこんな場所に来るなんて僕には自罰的な行為にしか思えない。
「じゃ僕はそろそろ行くよ」
色々と用意しないといけないみたいだしな。
「裁かれない罪は有っていいのでしょうか」
そう背中越しに問いかけられる。
「さあ、貴方はどう思っているんだ?」
「私は、そんなもの存在してはいけないと思ったんです」
「どうしてだい?」
「だっておかしいですよ。罪が存在するなら罰もないと釣り合わない。一方通行で誰かが損をするなんて……許されて良い訳がない」
「それは、自分に向けた言葉なのかい」
あの日の空には分厚い雲がかかっていた。
「ええ、そうです。私の罪はそのままにされてしまった」
彼の表情は見えない。
「貴方が犯した罪を裁く余裕は今のキヴォトスには無い、それに貴方のそれは100人が聴いて97人は正当性があると判断するものじゃあないか」
「罪とは周囲に左右されるものではないでしょう、法という絶対性が存在します」
病院から知らせを受け急いで妻のもとに駆けつけた頃にはもう既に終わっていました。
「罪はそうかもしれないが罰は違う。世論や主観性に左右されるものだ、事実貴方への罰は貴方自身のこれまでの行いによって軽いものへとなっている」
「主観とは誰のなんでしょうか、少なくとも私が殺した彼女のではない事は確かでしょう」
病室に響く雨の音がひどく耳障りだったのを覚えています。ベッドの上にいる最愛の妻。私は一体どんな言葉をかけたんでしょう。
「そもそも前提から違う貴方は殺していない」
「いいえ、殺しました。道端で意識が朦朧としている少女をここに連れ去り埋めました」
はっきりと覚えているのは、今にも崩れてしまいそうな妻の微笑み。その顔から逃げる為に駐車場に戻った事だけです。
「彼女が朦朧としていたのは病院を抜け出して悪化した不治の病のせいだ。さらに雨に打たれて低体温症になっていたと仮定できる、仮に救急車を呼んだとしても間に合う確率は低かった筈だ」
「低いだけで絶対ではなかった」
情けなくも目の前が見えなく位涙が溢れて、少し落ち着いてから車を走らせました。そして人気の無い静かな通りで少女が倒れていたのを見つけたんです
「貴方が彼女を連れ去ったのは彼女が桜を見たいと言ったからだろ」
その言葉を聞いた瞬間私の中で選択肢は消えました。
「……どうしてそれを?」
抱えて走ってたどり着いて少女は既に冷たくなっていました、桜の木を見たのか私にはわからない。しばらくの間その場に立ち竦んでいました。それで自首をしなければと思いました。
「貴方と話せるんだったら彼女と話すことだって不可能じゃあない、目と鼻と口もあったからな」
「あの子はなんて言ってましたか……?」
でもできませんでした。妻のあの顔が浮かんだんです。私はこれ以上妻に苦しい思いをさせたくなかった。だから埋めました。
それから20年私はひたすら少女が見つからないように桜の木を管理し続けました。罪を隠し続けたんです。
だからどうか、どうか私に
「……今年も綺麗だって言ってたよ」
「あぁ……管理してきて良かったなぁ……」
彼の哀しい声がそっと木々を抜けていった。僕はその声を聞いてどこかホッとした様な気持ちになった。
「僕からも1つ聞いて良いかい?」
「ええ、どうぞ」
「もし僕がもっと早くここに来ていたら貴方は死ななかったのか?」
返事は無かった。
ゆっくりと桜の木を見上げる。垂れ下がった手の爪の間には血と土が滲んでいる。胴体より下になった四肢、腹部から枝が生えているように見える彼。こちらから表情は見えない。
彼の遺書が見つかったと知らせを受けたのはつい先程のことだった。キャンプ場の従業員や彼の妻は車椅子での移動可能な行動範囲を捜しているのだろう。
どれほどの執念があればここまで這って来れるんだろうか。
僕が彼の罪を暴いた後、彼を読んだ。少なくともこんな死に方をするような人間ではなかった。こんな無数の枝に貫かれて死ななくても良いじゃあないか。
一体、どんな表情しているんだ?
恐怖、後悔、それとも笑顔か。残念なことに上を向かれていて分からない。
『後ろ暗い事の無い人間の顔って奴はよぉ大抵上を向いてるもんだぜぇ?』
本当にそうなのかな爺さん、俺上向いてられるかな。
森を抜けようと歩く。一歩、また一歩踏み出す度に彼の執念が身に沁みる。
『ロハンくんは優しいね』
そう記憶の片隅で誰かが僕に微笑んだ。
ブーブー
『ロハンくんの描いた絵を見て20年ぶりに桜が綺麗だと思えました』
そう誰かが涙ながら僕に感謝した。
ブーブー
「どうした陸八魔」
〔もしもしロハンさん!明日時間大丈夫?〕
「ああ、確か大丈夫だったと思うよ」
〔あの子の歓迎会をやるから17時に事務所に集合ね!〕
「何か用意するものあるかい?」
〔特にないわ!遅刻だけ気をつけて!〕
「わかったよ」
音のしなくなった携帯を懐にしまう。陸八魔の事だ、良いところを見せようと躍起になってるんだろうな。
もし連邦生徒会長が失踪せずに彼の罪が正当に裁かれていたら、もし僕が彼の罪をそのままにしていたら桜は綺麗なままだったのだろうか…やめておこう、これ以上は引っ張られる。
桜の樹の上で彼は死んでいる。これは真実だ。
『ねぇ、お兄さんもこっちに来てよ……寂しいよ』
そして真実というものほど人を傷付ける物は無い。