時系列的には「そのまま」5と春の間。
「魚介スープが作りてぇ」
特に用事のない男二人がカウンター席に隣り合っていた。
「どうしたんだ急に」
片方は漫画家岸部ロハン。突然の宣言に困惑しながらも続きを促す。
「うちの店にも新しい風が必要なんじゃないかと思ってな」
「別に要らないと思うぜ?」
わざわざ挑戦するほどラーメン柴関は追い詰められていない、むしろ辺鄙な場所に店を構えている割には繁盛している。
「新しいに挑戦できなくなっちまったら終わりよ」
「当てはあるのか?」
柴大将はこだわるところはしっかりとこだわる。スーパーの海鮮でどうこうはしないだろうと質問する。
「海鮮って言ったらやっぱ新鮮なのが良い…」
「まさかだが密漁しようだなんて言わないよな」
「冗談じゃない、市場に行くんだよ…明日休みにしたしな、ついてくるか?」
「生憎暇じゃないんだ、色々立て込んでいたしな」
少し疲れたような目で遠くを見つめる。
「誘拐事件を解決したんだったか?探偵でも始めたほうが……」
「それこそ冗談じゃあないよ……はぁ…何処の市場に行くんだい?」
「そうだなぁ……▲✖町とかか」
「……」
▲✖町という名前が出た瞬間岸部は黙り込んでしまった。
「岸部…どうした?」
「やっぱり僕も行くよ……百年に一度咲く花って知ってるか?」
「なんだそれ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
俳人、小詩ナナコを知っているだろうか。彼女がいなければキヴォトスに俳句は存在し得なかったと言われるほどの表現者だ。
彼女の逸話と言えば産まれて最初に話した言葉が五七五だっただの人並み外れた観察眼を持ち嘘を見抜くだの。幼い頃から言葉を操り大人顔負けの表現で風景を表していたなんて話もあるくらいだ。まさに天性の俳人だったんだろう。
そんな彼女は自らの足でキヴォトス各地を練り歩きそこにある風景を俳句へとしていた。それを集めた物がこの『透束記』である。
『透束記』まさに彼女の歩みそのものがそこには詰まっており読む人間に彼女が感じた風景をこれでもかと叩き込んでくる名本だ。しかし、この透束記には1つだけ不可解な文があった、それは彼女が旅を始めて3年目ある箇所とある箇所の間の事を
『百年に一度海に咲く花』
とだけしか表していなかったのだ。彼女の死後初版の『透束記』以外からはその文章は消されてしまっていた。僕としては彼女の生きている言葉って感じがしてこれはこれで残しておいても良いんじゃあないかと思うんだがね。
あの小詩ナナコが俳句にしなかった。それだけで一つのミステリーとなってしまうだなんてな。
そのある箇所の間というのが▲✖町という港町にある▲✖海だ。
潮風が僕達を出迎えてから早数時間、当日に町の奥にある旅館の部屋を抑え早速市場に繰り出したところ。
「さぁー!この勝負いったいどうなるー!」
柴が地元民とどっちのラーメンが美味いか対決をしている。余所者に内の食材を使う権利があるのかの試験だそうだ。
「っ……なんだこのチャーシューはっ!?」
「……肉を使っていないのにこうも旨味が…」
「なんてハイレベルな戦いなんだぁー!」
「「「「「「うおおおぉー!」」」」」」」
ハリボテのマイクを持った男が捲し立てる。ここら辺は都会と比べれば娯楽が少ないからな、何かイベントがあればお祭り騒ぎとなるんだろう。つまりは余所者だのなんだのってのを出汁にして騒ぎたいだけってわけさ。
「岸部!このラーメン……食ってみろ…堕ちるぞ」
熱に当てられたのか柴は妙なテンションになっている。物珍しくて面白くはあるんだが疲れる。
「楽しそうで何よりだよ」
賑やかな雰囲気に僕は苦笑いを返すしかできなかった。
積荷に身を潜め息を殺し体を屈める。
「おい……どこに行った?」
「見失っちまったか……だが嫌でも余所者は目立つその内また情報が回ってくる筈だ」
そんな会話をして奴らは去っていった。やはりつけられていたのか
透束記について町長に質問し、昔からある有力な家系が知っているかもしれないと教えてもらうまでは良かったんだが……
『知らん』
質問とほぼノータイムにそう返され追い出された帰り、何者かの視線をそこらかしこから感じた為人気のない所まで逃げてきた訳なんだが…とりあえず旅館まで戻ってさっさと帰り支度をしなければ……
「ラーメン対決……そんな面白そうな事してなさったなら呼んでくださいな!」
夕陽が水平線に沈みきった後僕達は旅館に戻った。料理を用意する女将に軽く今日の出来事を話していたところラーメン対決に呼ばれなかった事に対して不満気な様子を見せる。
「で、どっちが勝ったのさ?」
「引き分けらしいよ」
「ふっ……こだわりの道に優劣はつけられなかったんだ」
「ああそう…」
僕も女将も少し白けた顔で柴を見ていた。
「はい、当旅館自慢の海鮮料理!どうぞ召し上がれ!」
「いただきます」
机の上にところ狭しと並べられた海の幸。どれもとても美味しそうだ。しばらくそれらを見つめていると
「どうした?食べないのか?」
「いや、少し思い出すことがあってね」
「あら岸部さん前にもここに来たことがあるんですかい?」
「……無い、ああこれ確かに凄い美味しいな」
「だろ」
「なんであんたが得意気なのさ」
夜は僕達と共に進んでいった。
頭が割れるように痛い、視界が揺れるのは誰かに運ばれているからだろうか。やられた、まさか料理に……旅館は奴らの仲間だった…ということは…
提灯の灯りだろうか、数多のそれが僕の道を指し示すかのように海に向かって並んでいた。海の上でも何かが光っている。この事が意味するのは今僕がこうなっているのを町全体が了承しているのだろう。
人間は何か恐ろしい物自らの手に負えないものに遭遇すると、どうするか。
神や仏に祈るんだ。祈りを成功させるには何か代償が必要だなんて勝手に妄想して生贄を捧げるようになる。
ドサッ
砂の感触が僕を出迎える。砂には飽き飽きしているが、そんな事知っているわけもなく。
ムニ…
「イカ…?」
この小ささ……ホタルイカか。
「%@¥1&様!今世紀の生贄でございます!」
10人ほどの町人が頭を下げる。
『あああぁぁあゔぅぅー』
渦の底から形容し難い声が聞こえてくる。
実在するのかそれとも薬によっての幻覚なのか。どちらにせよどうにかしなければ僕の末路は死のみだ。過程はアレに捧げられるか海の底で溺れ死ぬかと大分違うがな。
持ち物は全て取り上げられている。縛られてはいないがペンの1本でさえ持ちあわさせて貰えていない。詰みか…
『百年に一度海に咲く花』
『今世紀の生贄』
海に咲く花、そうか。
その正体はなんて事の無いただの特殊な海流によって生じた渦潮でしか無かった。その渦潮に発光するイカやクラゲが巻き込まれて渦巻く様子が花のように見えたというだけなんだ。
始まりは最早どうでもいいことなのだろう、重要なのは『幽霊の正体見たり枯れ尾花』これと真逆なことがこの街では起こってしまっているということ、この町の人間は遥か昔から渦の正体を何か恐ろしい物だと結論づけてしまっている。
『キャッキャッキャッー!』
だからあんなモノが産まれてしまったのか。
小詩ナナコ、彼女は俳人でありながら何故その渦を俳句にしなかったのか。それは強調するためだったんだろう。
この場所にあるアレは怪物なんてものじゃなくただの美しい光景の一つなんだと。人並み外れた観察眼で彼女は見抜いたのだろう。
彼女の誤算は彼女自身が天才すぎたということ。天才の影になり得るその文は隠され存在し無いことにされた、だが百年に一度という認識をこの町の人間に持たせるのには成功したのだろう。
つまりこれは小詩ナナコという表現者からのバトンなのだろう。
「うおおおぉぉ!」
「暴れるなっ!」
「大人しくせい!」
僕は自分の人差し指の先端の皮を噛み千切る。
1時間身体の状態を無視して動く事ができる。
「ヘブンズ・ドアぁぁぁぁぁ!」
バサッ!
僕を取り押さえようとしていた奴らが倒れ伏す。
%@¥1&様なんて知らない。
『ぁぁぅぅ!』
1時間以内に全ての町人の認識を変える。そのために僕は提灯を目印に走り出した。
「キャッ!何よ急にッ!?」
赤ん坊を抱えた主婦に
「……やめて!おばあちゃんに手を出さないでっ!」
寝たきりの婆さんとそれを庇う孫に
書き込んでは次に書き込んでは次に書き込んで次に
ひたすらにそれを繰り返した。
エンジン音と無機質なナビが寂しさを与える。
「くぉあぁあ……一泊だけしかも朝帰りするにはもったいない町だったな」
昼から店を開くためには仕方がない。
「契約は結ばなくて良かったのか?」
僕の隣に座るこの男、せっかく認められたというのに結局仕入れをしなかったのだ。
「ああ、やっぱり今拘れる物を拘ったほうが客に喜んでもらうだろうしな」
「そうか」
「お前こそ、なんだっけ…あぁ百年に一度だけ咲く花は良かったのか?」
「…ああ、今年は百一年目だからな」
『あぅぅぅあぁ』
砂浜で小さな影が這っていた。影はわかっていた己の存在そのものが消えかかっていると。それでも光に向かって進む事を諦められなかった。
ザッ
砂を踏む音が影の後ろから聞こえてくる。
そうだ、きっとこいつのせいだ!
なけなしの力を用いて喉を噛みちぎってやろう。影は振り向きざまに人間でいうところの腕に当たる器官を用いて彼に飛びかかろうとした。
だが、そうはならなかった。影が飛びかかるよりも先に抱きかかえられたのだ。
ザッ…ザッ…
ゆっくりと進み始める。
影は困惑した。彼の行動にも何も抵抗する気が起きない自分自身にも。
「ほら、這って観るだなんてもったいないぞ……こんな沢山の提灯…なかなか良い景色じゃあないか」
それは幻想的で影が存在を得てからここまで近くで見ることが無かった景色であった。
『あうぁぁ〜』
「この先に行きたいんだな」
そうだ、自分はこの先に行きたいんだ!
「それは無理だ」
ふざけるな、こうして存在しているのなら自分にだって世界に立つ権利があるだろう!
「君の憤りってのもよくわかるさ……だけど犠牲になった人間もいる、君は存在してはいけないものなんだ」
勝手に生み出しておいて捧げておいてそんな事……!
影は自らが激情に身を震わせていると思った。だが彼から言わせれば
ポタッ
『あうっ…うわぁぁぁぁぁぁん』
子供が駄々をこねているようにしか見えないのだ。
ポタッポタッポタッポタッポタッ
なんだこれは…しょっぱいものが止まらない。海水を取り込んでしまったからだろうか。影はそれの正体がわからない。
ゆさゆさゆさゆさ
彼は影をあやすように揺らす。影はその行動に何故か安らぎを覚えてしまう。
「彼女は百年に一度海に咲く花と言った」
『……あうぅぅ』
「生まれ変わりがあるかどうか知らないが、僕のオススメはたんぽぽだ」
たんぽぽとはなんだろうか?影にはわからない。
「たんぽぽは風さえあれば様々な所に行ける、いきなり人間に生まれ変わるのも悪くないがどうせなら色々なところを見て自分にあった所に産まれるんだ」
彼はそう優しく語りかけた。
それは凄く良い事だと影には思えた。それにこの温かさの中で次に行けるのならそれは…
「ヘブンズ・ドアー」