Fragmented Memory 作:一般指揮官
収集用ロボット──約1ヶ月前から1日に一度はアークとの通信が可能となったそれが3発の銃声と共に撃ち倒された。
銃撃を受け、破砕されたロボットからバチバチと火花が飛び散る。
室内へ姿を現した途端、無造作に、何の予兆もなく突撃銃を構えた
「──指揮官…何をなさるのですか…!」
突然すぎる暴挙にドロシーが──まだやや虚ろな瞳が残ったまま抗議の声を上げる。
それへ何も返さず、彼は突撃銃の銃口を床へ向けると安全装置を掛けた。
「──何事ですか小隊長!!」
「──敵襲か!?」
6時間の休暇──果たして休暇と言えるのかは分からないが、自由行動の許可が出されていた
「──
絶対に違う──とラプンツェルや紅蓮、スノーホワイトを始め、駆け付けた12名の者達も撃ち倒された収集用ロボットの残骸へ視線を移す。突撃銃が暴発した、という割には──
「──新たな命令が下った。ゴッデスは本戦区から移動する。…15分で移動の準備を済ませろ」
「…急ですね?明日にはアークの閉鎖が…」
「…戦場なんてそんな物だ。さぁ、急いでくれ。外で待ってる」
訝しむラプンツェルへ彼は肩を竦めると床へ転がる薬莢を踏まないよう踵を返した。飛び込んで来た中隊の者達へ目配せし、外へ出るよう促す。
「…本当に
「……そんな訳ないだろう。
「──分かりました。トラックを持ってきます。上等兵、一緒に来い」
彼が放った一言──それに集約された意味を正しく受け取ったのだろう。1等軍曹は頷きを返し、上等兵を連れて駆け出した。
「いったい何が…」
「…最も恐れていたことが起こった。まさかそうはなるまい、と考えてはいたが…」
「ですからどういう──あぁ…
残存の下士官、兵士達が多くは語らない彼の様子から事情を察した。
──クソみたいな戦争だったってのに…。
──まだ糞溜めの方がマシじゃねぇか。
──最後ぐらいマシな終わり方をさせてくれても。
それぞれが溜め息を吐き出す中、エンジンを響かせながら1等軍曹が運転する6×6輪駆動の5tトラックが到着する。
運転席から1等軍曹が、荷台から上等兵が飛び下りる。月明かりを頼りに2名が荷台へ積載していた弾薬箱、糧食の類を次から次に降ろしては蓋を開けていく。
「──弾薬を交付する!1名につき180発!機関銃は1000発受領しろ!手榴弾は2発ずつだ!」
「──これだけしか無いんすか!?
「──後方の弾薬庫からかっぱらって来る!まずは受領しろ!」
「──マジでお願いしますよ!?」
整然とトラックの前へ並んだ隊員達が残された最後の弾薬を受け取り、空弾倉へ手早く装填を済ませ始める。これで中隊が備蓄していた弾薬は全て無くなった。1等軍曹が後方の弾薬庫から弾薬を
やっと荷物を纏め終わったのだろう。彼女達が廃ビルの中から現れ、眼前で繰り広げられる光景を見て各々の眼を丸くした。
「…これは…」
「指揮官、どうしたんだ?」
まるで総攻撃を敢行する寸前のような状況である。弾薬を全て放出し、戦闘へ挑む様子のまま忙しなく準備を続ける隊員達の姿が異様にすら映った。
スノーホワイトが弾薬の交付を終えたばかりの彼へ問い掛けると──指揮官はその問いへ答えず、裏返しにしたヘルメットの中へ詰め込んだ戦闘糧食を白銀の髪を持つ
「──好きな物を好きなだけ持って行ってくれ」
訳が分からない。金眼を瞬かせ、長身の指揮官を見上げる彼女に彼は肩を竦めると、戦闘糧食が詰め込まれたヘルメットごと押し付ける。
「──
下士官の最高位となってしまった1等軍曹が号令を掛けるや否や、武装した隊員達がブーツの踵を合わせる音が一斉に鳴り響く。
「──
「「「──Oorah!!」」」
言われるまでもない。彼等が一斉に異口同音の応答を返せば、指揮官と小隊長、そして中隊長の真似事まで担わされた彼が頷いた。
「──では命令する。全員、死んでくれ。以上だ」
「「「──Oorah!!」」」
死ね、とはっきり命じられたというのに彼等は喜色すら浮かべて了解の意味も込められた応答を躊躇いもなく吐き出す。
ごちゃごちゃとした訓示は必要ない。ただそれだけ命じられれば構わない。
1等軍曹が敬礼を命じ、ザッと音を揃えての挙手敬礼がなされる。答礼する彼は──居並ぶ戦友達の顔をひとりひとり確かめつつ、それを返し、やがて右腕を下ろした。
「──移動する!乗車!!」
「「「乗車!!」」」
「──お嬢ちゃん達、元気で!!」
「──達者でな!!」
口々に別れを告げてはトラックの荷台へ飛び乗って行く。それを呆然と見送る彼女達の前へ──1等軍曹が現れた。
「──これは
「──その呼び方は止めてくれないか?」
「──
眉間へ皺を寄せるスノーホワイトの様子を笑う1等軍曹が彼女へ弾薬が込められた何本かの弾倉を抱えたヘルメットの中へ押し込んだ。続けてドロシーにも弾倉を何本か手渡すと彼は溜め息を吐き出した。
「それだけしか融通出来なくて悪い。許してくれ。節約して使えよ」
「いや…だから…」
いったい何が、と問い掛ける寸前──1等軍曹が背筋を伸ばし、スノーホワイトへ、そして彼女達へ向けて挙手敬礼を送る。綺麗な敬礼であった。見惚れる程に。
「──どうか無事で」
右腕を下ろした1等軍曹が踵を返し、駆け足でトラックに向かうと運転席へ飛び乗った。エンジンが掛けられ、ライトが点灯されたかと思えば、車輌が進み始める。
荷台から手を振る隊員達の姿が遠退くと、指揮官がやっと口を開いた。
「…移動しよう。道すがら説明する」
「──私達は…アークへ…入れない…?」
「…そうだ…」
「──…し、指揮官も冗談が上手くなりましたね!で、でも…時と場合を考えないと…!」
「ドロシー」
月明かりが照らす夜道──最早、
そして振り向き──緩々と左右へ首を振る。このような冗談が言えるほど、性格が歪んでいる訳ではない。
「う、嘘です…!だ、だって…最高の待遇を準備中、と…!!犠牲や奮闘を忘れられるほどの報酬を…!!」
「──巨大な像を造り、キミ達を神格化、偶像化した書籍で語り継ぐ、という意味にも聞こえるがな」
「……つまり…私達は──……裏切られた…」
落胆──では済ませられない感情が多分に込められた声音を発したドロシーの歩みが止まる。気付いた彼が歩み寄り、前進を促そうと彼女の肩へ左手を伸ばした。
「──ッ!触らないで!!」
剥き出しの肩へ手を置いた途端、それが振り払われる。痛みすら感じ、眉間へ皺を思わず寄せた彼を──アメシストの双眸へ隠しようのない憤怒を滲ませた彼女が見上げる。
「──偽善はやめて!!慰めなんて要らない!!
「………」
返す言葉もない。沈黙を保つしかなかった。
爛々と輝くアメシストの瞳で貫かれた彼が押し黙ると、彼女が踵を返し──元来た道を戻ろうとする。それをスノーホワイトが伸ばした片腕が止めた。
「何処に行くつもりだ?」
「──アークです!楽園が直ぐ足元にあるんです!入れば、入りさえすれば…!」
「──その楽園が私達を拒絶しているのだよ。…仕方ない、とは言いたくないが…」
「……
紅蓮が漏らした一言──その言葉が耳朶を打ったドロシーは信じられないと言わんばかりに彼女へ虚ろな眼差しを向け、唇を震わせる。
「──仕方ない…仕方ないですって!?」
「…ドロシー」
「──私達は裏切られたんですよ!命を捧げてまで守ろうとしたアークに!人類に!!」
「…ドロシー。もう良い」
「──…これじゃ…何の為に…今までの苦労が全て報われると…!私達が今までしてきたことが…か、価値のない…!全て無駄になってしまったのですよ!!」
「…ドロシー。もう止めろ」
「──リリスも!レッドフードも…!!
「ドロシー!!」
静寂を破る男性の声が響いた。ビクリと思わず彼女の身体が跳ねる。
「……頼む…それ以上は…言わないでくれ。彼女達は…決して無駄死にではなかった。俺はそう思ってる」
顎や口周りに無精髭が生えた指揮官が彼女へ歩み寄り、両肩へ両手を置くと身を少しだけ屈めた。アメシストの瞳を覗き込み、ひとつ深呼吸を漏らす。
「…正直なところ…仮に…キミが無駄死にだと思っているなら…それはそれで構わない。だが、その死へ意味を真に持たせられ、価値を決められるのは今を生きる俺達ではない。未来の誰かが、その権利を持っている」
死に価値はない──死ねば等しく無価値──などと宣う者は多いだろう。
非常に残念な手合いだ、と彼は考えている。きっとそのような類の人間は
とても、悲しく──とても、可哀想だ。
「──キミ達はGODDESS。勝利の女神」
一度、瞑目した指揮官はやがて──大きく息を吐き出すと改めて眼前のドロシーの瞳を覗き込む。
「だが──俺には女の子にしか見えない。誰よりも優しく、誰よりも傷付いて、それでも尚、戦い続けた気高く美しい女の子達だ。──大人達の手前勝手な都合と事情で頼りにされ、最後まで振り回させてしまった。本当に済まなかった。俺如きが謝って済む問題ではない。しかし…ひとりの軍人として、ひとりの大人として──本当に申し訳なかった」
──許して欲しい、などとは決して言わない。言える筈もない。そのような権利を有している筈もない。それが彼自身が誰よりも知っている。
なにより──許されようとも思っていないのだろう。
彼はドロシーの肩から両手を離すと、改めて彼女達を見渡し、口を開いた。
「…ここから西へ向けて脱出しろ。明日の10時までに…兎に角、離れられるだけ遠くに行くんだ。キミ達なら走破出来る」
核攻撃が1発だけとは思えない。
「…待って下さい。指揮官や皆さんは?」
ふとラプンツェルが気付く。
「…まさか…!」
嫌な予感が同時に全身を駆け巡った。
「──明日の夜明け、師団が全軍の退却支援の為に総攻撃を敢行する。
「──いけません!死にに行くようなものです!」
大声がラプチャーを引き寄せる──それは分かっている。比較的、安定した戦区とはいえ、ここは端も端だ。敵機が存在しないとは言い切れない。
彼が──いや、
「──せめて!私達も戦わなければ…!」
「それは駄目だ。
なんと都合の良い言葉なのだろう。そして有り難くもあった。こう言えば彼女達は拒否は出来ないと彼は分かっている。
殊更、指揮官としての命令、を強調すれば袖を掴むラプンツェルの細い腕が揺れた。
「…こうでもしなきゃ…防衛の為に展開した全軍の退却なんて叶わんだろう。4千も死ねば…まぁ、なんとか7割ぐらいは生き残ってくれる。──それに、
「……え?」
「……なに?」
「──
この戦争──後に第1次ラプチャー侵攻と呼称される戦争の開戦劈頭から現在に至るまで、大隊、そして中隊の実に9割へ至るだろう犠牲を払いながら戦い続けた者達は間違いなく
だが、決してそうはならない。
彼等もまた、彼女達と同様に──大人達の手前勝手極まる都合と事情とやらに振り回される次第となった。
「──本来、退却支援には俺達も投入される予定だった。何故か道連れが4千も出来てしまったが…」
「…あなたも…裏切られたのに…何故…!!」
この期に及んでも何故、戦おうとするのか。
心底から信じられないとドロシーが言外に語る声へ彼は苦笑いを少し浮かべる。
「──これが
割に合わない仕事、だとは承知している。しかしこれ以外の仕事が出来るとは思えないし、したいとも思わない。そういう手合いの集まりなのだ。死ぬことも給料の内──と知っている、救いようのない程に愚か者共の集団である。
「…もう戦略的な挽回は望める段階ではない。もしかしたら戦術的にも。失陥した地上の奪還も現在の状況では不可能に等しい。どう取り繕っても…あぁ…そうだな。
夜明けまで残り6時間を切っている。即ち、
「…きっと後世には──命令違反をした師団長閣下が独断で部隊を動かし、アークへ帰還する前に戦果を、と図って将兵を無駄死にさせた、犬死にさせた、と教科書には書かれるんだろう」
実際その通りになるだろう、とは彼の脳裏へ不思議と光景が克明に浮かんだ。
「……だから俺達の死に
「──恩着せがましいとは…思いませんか?」
「…そんなつもりは毛頭ない。これは…うん…そうだな…」
ドロシーが声を震わせながら、躊躇しながら吐き捨てる。
その意図を否定しながら、彼は適切な表現を探し──やがて結局はこれに行き着くのだろうという表現を見付けた。
「──ただの
軍人としての、大人の男としての、或いは──人間としての。
愚かであり、救い難い──諦めの悪さと不器用な生き方しか出来ない一個の人間の姿がそこにはあった。
「……さぁ、もう時間だ。行ってくれ」
「──私も戦う」
「…スノーホワイト」
聞き分けの悪い
尤も意志の強さを如実に放つ金眼が見上げる姿は好ましくあるのだが。
「…命令だ、と言わなかったか?」
「なら命令に反抗する」
「…誰に教わったんだ」
「
「…そんなに反抗的な軍人だった覚えはないんだが…」
命令に反抗するというのは──おそらく、必要であれば、が抜けているのかもしれない。だとすれば彼女は、今こそが、と判断したのだろう。
盛大な溜め息を吐き出した彼は──道すがらに返されたヘルメットを脱ぐと髪が伸びた頭を何度か掻き毟り、やがて、仕方ない、と小さく漏らす。
「──おいで」
ヘルメットを被り直した直後、低い声音が優しげな響きを孕む。手招きした彼に頷いた彼女が、兄貴分へ歩み寄る。不思議と、懐かしい声音にも感じられた。
「武装は?」
「セブンスドワーフの管制システムは問題ない。弾薬は少し心許ないが、なんとかなるだろう」
申告されれば彼は頷きを返し──スリングベルトで吊るした突撃銃を握る右手を離すと、白銀の髪へ手を伸ばす。
「…恥ずかしいんだが?」
「前は喜んでたぞ?」
「そうなのか?」
「あぁ」
覚えてはいないか──と少しばかり残念な気分にもなったが、それはそれで
むしろ、良かった、とすら感じてしまう。
「──コード O1308521」
「───ッ!?」
不意に金眼が見開かれ、その瞳が一瞬だけ強く光を放った。
「──記憶システムを一時的に起動。爾後、一部の記憶消去を実施」
「──指…揮…官…!」
──限定的な記憶消去。その対象は指揮官である彼自身。
プロトタイプのニケである彼女達──その中でも最年少であろう彼女へ搭載された一回こっきりだけ使える機能。
指揮官の権限で、戦場での凄惨な記憶を一部だけでも消せるように、精神的な不安を余計に抱かせないようにと搭載された機能である。正規の手段ではないのもあり、脳へ負担が掛かる為に一回こっきり、と説明をされていたが──こんなことの為に使うとは思いもしなかった。
「──嫌…だ…!!」
「…許してくれ…」
脳に記憶された彼との思い出を、機能が役目を果たす為に消去を始めたのだろう。ガクガクと彼女の身体が震え、チカチカと金眼が忙しなく点滅を繰り返す。
「…お、おにい──!!」
身体の震えが止まるか否かの瞬間、彼女が漏らしかけた一言は最後まで紡がれることはなかった。
武装した身体が、糸が切れた操り人形の如く倒れ込もうとするのを彼の腕が抱き止める。──流石に潰されそうになったが、なんとか耐えてみせた。
「……何故…このような…?」
「……こんな俺を
閉じられた瞼の端から伝う雫を彼のグローブを嵌めた指先が拭い取り、歩み寄って来たラプンツェルと紅蓮へスノーホワイトの身柄が預けられる。
「…本当に不器用だな。あなたは」
「…もっと賢く生きられたら…とも思わなくもないが…」
そこまで賢くはなれない、と分かっているからこそなのだろう。
溜め息をひとつ吐き出し、彼は──最後にもう一度だけ、二人に抱えられた妹分の柔らかい白銀の髪が生え揃う頭を撫でた。
「…行くのかい?」
「…あぁ、逝くとも」
「…そうか。……指揮官」
「なんだ?」
「──存分に」
ただ一言だけ紅蓮が告げる。琥珀色の眼差しで見上げられた彼は頷きを返した。
「…どうしても…いけませんか?」
「キミ達の指揮官だが、それ以前にアイツらの小隊長でもあるからな。…兄弟は見捨てられない。──忘れてた。ドロシー」
前線へ向けて──今頃は塹壕に籠もっているだろう残余12名の顔を思い浮かべた彼はラプンツェルへ共に行けない理由を返しつつ、ドロシーの名を呼んだ。
彼女へ歩み寄ると、ほつれが目立つ戦闘服のパンツのポケットを漁り──取り出した首飾りをドロシーの手を握って手渡した。
「──うっかりだな。忘れていた。キミから
「…分かり…ました」
頷いたドロシーが、おもむろに傍らへ視線を向ける。きっと
それを察しつつ、指揮官は全員を見渡した。
「──これが最後の命令だ。──ゴッデス部隊の
これで彼女達は縛られる必要はなくなった。たった一言。
「…さぁ、
もうここに、留まる理由はないだろう。
指揮官──であった者が、彼女達へ促す。
躊躇いがちに、何度も彼を見上げながら──しかし、やがてスノーホワイトを抱えるラプンツェルと紅蓮が踵を返した。
その後ろ姿を見送っていた矢先、アメシストの瞳が注がれていると気付く。
「…どうした?早く行きなさい」
「…これから…どうなさるのですか?」
「……これでも軍人の末席を汚す身だ。責任と義務は果たさんと。少しばかり人が背負うには過ぎたる責任と義務かもしれんが…」
「…そう、ですか…」
「あぁ。──さぁ、早く」
再度、促すと──ドロシーが頭を下げる。そして傍らに視線を送り、目配せするような仕草を取ってから踵を返した。
──不思議と身軽になった気分でもあった。
ボディアーマーのポーチを漁り、残り数本の煙草が収まったまま潰れたソフトパックを軽く振る。微妙に曲がった一本が飛び出し、銜えて抜き取るとオイルライターの火を点けた。
「──死なないで下さい」
背を向けたドロシーが小さく、か細い声を背中越しに、振り向かず放つ。
その希望に、彼は何ひとつ言葉を返さなかった。
儚い希望は夜の静寂に溶けて消える。
僅かな余韻を残したまま彼女も立ち去った。
見送るのはただ一人。その精悍な顔立ちをほんの僅かに綻ばせ、彼女達を見送ったただ一人の男も踵を返す。
幾重にも張り巡らされた幾多の塹壕の中から喝采が鳴り響く。
一曲をリクエストした空軍の誰かが放物線を描いて一本の瓶を投げ渡して来た。
それを彼が腕を伸ばして空中で掴み取ると、琥珀色の液体が充填されたガラス瓶である。
「──おひねり代わりに取っておいてくれ!!生憎と
良くもこんな物を塹壕へ持ち込んだものだ。コルク栓で封をされたそれをナイフで器用に抜き取り、注ぎ口を銜えて大きく傾けた。
不味くはない。だが美味くもない。なんとも言えない味だ。安っぽいフレーバーが更に微妙な味わいを強調している気がする。
「──正直に言えば、そのままお嬢ちゃん達と行っても良かったんですよ」
「──…出来る訳がないだろう」
塹壕の底に腰を下ろす彼の対面には突撃銃を抱える1等軍曹の姿がある。
一口嚥下した密造酒を腕を伸ばして差し出せば、中隊、ひいては大隊の最高位の下士官となってしまった実質的な副官が瓶を受け取る。
一口、二口と安っぽい味わいのそれを喉を鳴らして嚥下し、やがて酒精の香りが濃い吐息を漏らした。
「…えぇ、あなたはそういう人だった。昔から」
「──不器用さも相変わらず、ですしね」
彼等の間に横から割って入って来た太い腕。1等軍曹の手から酒瓶を奪い取り、喉を鳴らして密造酒を嚥下する。
そのまま一人、また一人に酒瓶が回されては中身が減って行く。
密造酒は不衛生な環境での蒸留や、或いはメチルアルコール等の混入が原因で健康被害を発生し易い。
とはいえ、この場に健康を気にする者は誰一人として存在しない。
なにせ今日の夕日を拝むことは出来ないのだ。健康を気にするような繊細な心配性を発症する者は皆無であろう。
塹壕に立て籠もる4千余名。最早、
これから始まる戦闘に
師団長は敢えて隠したのだろう。士気や戦意の阻喪を防ぐ為に必要だったと言えばそれまでだが──しかし、4千余名の将兵にそれを伝えずとも彼等にしてみれば、ここで最後の総攻撃を敢行し、敵を引き付ける任務を充てがわれたのは一種の満足感すらあった。
──家族を守る─
──人類の再興の為に──
死ぬ理由は各々で決めた。恐怖はある。だが、それに勝る使命感が存在する。
これまで
師団が保有する残った火砲を総動員し、最後の砲弾と装薬を詰めての準備射撃の後、撃ち上がった2発の赤い
攻撃限界点へ達した時点で、前進は終了。爾後は徹底的に防勢に徹し、全軍退却までの時間を稼ぐ。
作戦計画も何もあった物ではない。しかし──援護も支援もない状況ではシンプルなそれが一番だ。単純明快な作戦こそ頭に叩き込める。
各国から敗走して来た敗残兵の集団だ。まだ国語や風習の違いからコミュニケーションが上手く取れない集まりの中で、複雑な作戦計画を練ったところで周知徹底が難しいのは火を見るよりも明らかである。
ここから先は
軍人や兵士としての──いや、これは後付けの理由だろう。
4千余名が虎視眈々と突撃発起の瞬間を待っているのはそのような理由ではない筈だ。
ここにいる全ての者達は、誰かの父、誰かの兄や弟、そして誰かの息子である。その意地で今から戦って死ぬのだ。
かつての父祖達がそうであったように──何の因果かその身に流れるのは侵略者や圧制者へ命を賭けて抗った父祖達の血だ。
その血が命じている。
戦え、と。
「──チャプルテペクの戦い、トリポリのダーネの戦い…まぁ随分と遠い所まで来てしまったな。この無様を先人達が見たらなんて言われるか」
「──そうですね。
「──そうか…それは…悪くは、ないか」
「──えぇ、悪くはありません。上等だ」
最後の一本──最後の煙草を銜え、オイルライターの火を点ける。
これが正真正銘の最後の一服だ。曲がって湿気った煙草の紫煙を燻らせながら、彼は対面に腰掛ける1等軍曹へ右腕を伸ばす。
すると最高位の下士官となった
「──ここまで良く付いてきてくれた。感謝する」
「──こちらこそ。最後まであなたと共に戦えることを誇りに思います」
交わした握手が離れた時、彼等が籠もる塹壕へ、別の塹壕から続く通路を抜けて来た幾人かの人影が現れる。
「──準備は良いか?」
「…閣下…」
師団長を始めとした司令部要員達である。眼鏡を掛けた神経質な顔立ちの師団参謀だけでなく、他の幕僚の姿もあった。その全員がボディアーマーを纏って武装している。
「…参謀長には後方へ下がって貰った。言うことを聞かないもんだから、ついつい殴って…」
「…責任を取らされるのが嫌だったのでは?」
「そうかもしれないな」
師団が実施した
だが、これも給料の内と割り切って貰いたいと師団長は痛む右手を軽く擦った。
「──そろそろ始めよう。夜明けだ」
師団が授与した軍旗が旗手の腕で高々と掲げられる。
その軍旗を控えさせながら師団長が塹壕へ設けられた梯子を登り──地面の上へ立つと背後を振り向く。
師団長の目には塹壕の中に籠もる指揮下の雑多な軍服に、雑多な小火器を抱えた粗末な軍隊の様子が見えるのだろう。ただし──幾多の塹壕の中から爛々と光る双眸には翳りが見えないことも分かった筈だ。
一人、また一人と武装した兵士達が立ち上がる。最後の力を振り絞るが如く立ち上がった満身創痍の将兵が塹壕の中から次々に這い上がった。
何処からか取り出した
視線の先には戦闘続きで、すっかり荒れ果てた市街の有様が広がっている。そしてその遥か先──赤く禍々しい単眼が放つ光がいくつか見えた。
最後の一口を名残惜しく吸い──根元近くまで吸い切った煙草の紫煙を吐き出すと、携帯灰皿へいつものように投げ込んだ彼へ1挺の信号拳銃が差し出される。
「──もう1発は君が撃ってくれ」
「…宜しいのですか?」
「生憎と本部要員達は銃を撃つよりもデスクワークの方が長かったからな。間違いがあってはならん」
なるほど。では──と彼は信号拳銃を受け取った。中折式のそれを折り、弾が込められていることを確かめる。
後方で火砲の射撃が始まった。
最後の砲弾、最後の装薬が押し込まれた火砲の砲口から飛び出した砲弾が遥か視線の先に次々と弾着する。
大気を震わせる弾着の轟音がビリビリと肌を打つ中、師団長は腕時計を見下ろす。
たった数分しか行えない準備射撃だ。最終弾は直ぐに発射されるのだろう。
その瞬間を逃さずに
ふと、荒れ果てた市街を、大地を照らす光が東から眩しい程に注がれる。
夜明けだ。
──同時に最終弾が発射される。
砲声の余韻を朗々と響かせ、沈黙した火砲はその役目を終えた。
──やがて最終弾着。
大地が揺れる轟音と衝撃波が身体を打つ中、師団長の右腕が頭上へ掲げられる。見逃さず、彼の左腕も掲げられ──ほぼ同時に信号拳銃の引き金が引かれた。
空中に咲いた鮮血の如き赤。
赤2発の
「──人類を…ナメるな……!!」
唸りを喉の奥から上げた師団長が信号拳銃を投げ捨て──スリングベルトで吊るした大振りの突撃銃の槓桿を鋭く引くや否や、背後を振り向く。
これがこの戦争に於ける人類最後の大規模な反抗を企図した突撃──だったのかもしれない。
それに恥じぬ大音声を師団長が咆哮した途端、応える幾千の喊声が轟いた。
世界中から集まった敗残兵達が、それぞれの国語で以て突撃の意を発し、荒廃した大地を踏み締めて猛烈な前進を開始する。
──突撃の命令は下された。もう止まらない。誰にも止められない。
破滅へ向かって彼等は突進する。
振り向かず、ただひたすら前へ、前へ、と。
彼等は良くやった、と言うしかない。
先を突き進む誰かが肉片と化し、全身を血で濡らしながらも更に大きく蛮声と喊声を張り上げ、名前も知らぬ戦友達の屍を踏み越えて進んだ。
白兵戦が展開され、至近距離から敵機へ向けて銃撃を加える。グチャリと鈍く湿った音が響いたのは敵機に踏み潰されたか、それとも熟れた果実の如く敵機の放った大口径弾で身体を粉微塵に砕かれたのか。
先頭を突き進んだ師団長も戦闘の最中に倒れた。
傍らを進んでいた旗手の半身が砲弾で砕かれ、地面へ落下した軍旗の旗竿を掴んで再び掲げようとした瞬間──動きが止まったのを狙い、敵機の砲弾が彼の両足を吹き飛ばした。
師団長が軍旗を握ったまま前のめりに倒れる寸前──その握った旗竿を奪い取るかの如く掴んだ力強い腕の先。
左腕で軽々と掲げられた軍旗がはためき、その旗竿を掴んだ精悍な顔立ちの青年が腰だめに構えた突撃銃を発砲しつつ自分へ続くよう檄を飛ばす光景に──師団長は薄く笑みを浮かべながら事切れた。
彼方で一瞬の眩い閃光が走る。
刹那──膨れ上がった閃光が地上に第二の太陽を顕現させた。
どうやら
「──この人だけは死なせちゃならねぇんだ!俺達の席は要らねぇ!小隊長だけを載せてくれ!!」
「──任せましたよ!軍曹!奴等が来ます!!」
「──来やがったか!!行くぞ野郎共!死ぬ準備は万端か!!」
例えそれが──僅か10名足らずの唱和となっても。
彼等は怯みはしない。恐れもない。
これが最後の作戦、最後の任務、最後の戦場──人狼の最期の時。
背後のエレベーターが閉鎖される。そして自由落下にも近い降下速度で地下へ向かう音に続き、扉が爆破された爆風が彼等の背中を通り抜けた。
「──これで、俺達だけになっちまった、かな?」
「──さぁ?」
「──まだいくつか部隊は取り残されているでしょうが…どうします
残弾は僅か、残存の人員は負傷者ばかり──明らかに絶体絶命の状況だ。
だというのに──口角が釣り上がって仕方ない。
「決まってるだろう。
最後の弾倉が突撃銃へ叩き込まれた。槓桿が鋭く引かれ、続けてボルトフォアードアシストが掌底で叩かれる。
薬室への初弾装填──戦闘へ突入する最後の準備を滞りなく終えた下士官に倣い、兵士達も次々に仕度を整える。
これが最後の作戦、最後の任務、最後の戦場。
彼等は自らの意志と信念、そして矜持に殉じる。
或いは彼等自身の存在価値、それとも
勝てぬと知っても尚も──彼等は戦い続ける。
息の緒が続く限り、全てを擲って。
──さぁ征こう。
「──中隊、前進用意!前へ!!」
寂れた風情の図書館を背に金色の聖女は静かな溜め息を吐き出しつつ曇天の空を見上げる。
あともう少しで空が泣き出すだろう。
不意にバイブレーションを感じた。引き摺り出した携帯端末──元々の持ち主には申し訳ないが、今は彼女の持ち物だ。
その携帯端末のロックを解除し、着信を確かめると昔馴染からの連絡が入っている。
「──スノーホワイトから…ああ、そういえば…もう少しで…」
約束の日が近付いていた。
会合の座標はいつも通りの場所──それを認めた彼女は昔馴染からの連絡である飾り気の文章、報告書のような無機質さすら感じさせるそれを読み進め、やがて勿忘草色の瞳を何度か瞬いた。
「…
文面から察するに、誰かから誰かの保護を依頼されたのだろうが──彼女にそのような頼み事をする知人がいたとは知らなかった。
或いは金色の聖女の
いずれにせよ断る理由もない。
「──畏まりました、と…」
普段よりも少し早いが──早めに合流するのも悪くはないだろう。
エブラ粒子の濃度はそれほど高くはない。滞りなく返信が送信された。
果たして昔馴染がきちんと返信を読むのかは微妙な線だが──まずは合流を急ごうと金色の聖女が歩み始めた。