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8月の15日。宿儺宅には、何とも信じ難い光景が広がっていた。
整理整頓が行き届き、埃はおろか滲みの一つすらもない新品同然の部屋の中にただ一つ、堂々と我が身を座らせるソファの上に寛ぐは我らが鬼人。
それだけであれば、別に信じ難い光景でもなんでもなかったのだ。単に「あ、宿儺もソファとかで寛ぐんだ」くらいにしか思わなかった筈だ。
だが、信じ難い光景というのは決して彼の事ではなく、彼の眼の前に広がるものに対してである。
『しかし、まぁ…あの赤子が、なんとも大きくなったものだね』
感慨深いといった感じで笑う―――ホログラムの人間が其処に居たのだ。
この学園都市において、ホログラムで人間が其処に現れるなんて事は別に珍しい事でもない。何せ学園都市、外よりも科学力が一歩どころか五十歩行っている様な場所なのだから。
だが、そのホログラムの人間が居る場所が問題なのだ。ホログラムの前で寛ぐ存在が居る場所で、科学的な幻影であるといえ堂々と其処に居る事が信じ難いのだ。
揉み上げに灰色が混じった、銀髪を思わせる白髪と青空を思わせる綺麗な碧眼。右耳に結晶石の様なものを加工して作られたイヤリング・ピアスを付け、スクエアタイプのサングラスを掛けた、青年と思わしき容姿をした男の幻影がくっくっくっと、感慨深いと笑っていた。
宿儺は不快をも抱かず、鼻で人間を笑った。
「あれから何年経っていると思っている。遂に耄碌したか?」
『まぁ、君よりは長く生きているからね。最近は白髪も増えてしまって、困ったものだよ』
「白髪も何も、貴様は元から白髪頭だろう?」
『はははっ、違いない。だがね、私の髪は元々灰色だったのだよ。それに比べれば、どちらかと言えば凛々しくなったものだ』
「青年の顔で言う事か? 会った時から何ら変わっていないだろ、貴様。不老の術式か何かでも使っているのか?」
『些か私を莫迦にし過ぎだね? 不老程度、術式を用いるまでもないさ。老いなんてものは、体を如何に動かすか、如何に体に良い食事を摂るかどうかの二つだけで簡単に覆せる。肉体における表面的な時間経過の隠蔽は、人間の努力によってどうとでもなるものさ』
この通りね。ホログラムの男は、誇らしげに胸を張った。
そんなドヤ顔に、ウザっと言い放つ宿儺。だが、男は平然とドヤ顔を保ち続ける。恐れ知らずとは読んで字の如くである。
しかし実際、男の発言が確かであるのも事実。
その昔、スワミ=マイトラナンダという仏門の僧侶が居た。彼は元来身体が弱く、鎮痛剤として医療用の阿片を用いていたのだが、その中毒症状によって内蔵を痛めていた。
だが、セイロンで治療の為にヨガを学んだ事で、彼は見違えるような健康体になったとされている。
食事は関係していなかったが、しかしどの様に体を動かすかによっては、肉体の状態を治療する事が出来るという証拠にもなっている。
『最近は専ら野菜炒めか肉だろう? 他にも食べるべきだね。自炊もだ』
「何故知っている?」
『魔術で視ていたからね。昼であれ、星は空にあるものだよ』
「相変わらず、持ち得ぬものが分からん奴だな。とんだ化け物と縁を持ったものだ」
『酷い言い様だ。私は、持ち得るものは
「ふん、どうだかな。貴様は八割で嘘を吐く」
『信用がないなー。まぁ、自業自得だから致し方ないか。と、それはそれとして。学園生活はどうだい? 楽しめているかい?』
まるで、親が子の近況を問う様に。男は楽しそうにしていた。
うんざりとしながら、口を開いて聞かせてやる。学園都市での生活、出会いを。
底抜けた善性を持った真っ直ぐな少年。
十万三千冊の魔導書を記憶した腹ペコシスター。
暗闇の中を共にし、仲を深めたミニスカ少女。
どれだけ切っても諦めない風紀委員。
宿儺自ら助言を与え、関わった中学生。
低能力者から超能力者へと上り詰めた実力者。
女の話しが殆どだが、拒絶してもめげずに話しかける青髪。
忌み子である事など気にしない小さな女教師。
恐れる事もなく、健康云々を説く同級生。
話せば話す程に、男は笑った。何度も何度も、笑った。
決して、男は宿儺の親ではない。まして仮の親という訳でもない。血の繋がりなど皆無で、宿儺を養子としているという訳でもない。
男は、単なる友人である。たった四人の数少ない友人の内、その一人というだけだ。
腹ペコシスターのインデックスと不幸な少年の上条当麻に肉を持ってきた際に、知人の手を借りたと宿儺は言ったのを覚えているだろうか?
その知人が、彼である。
『友達だけじゃなく、後輩も出来たのか! 良かった良かった、君もしっかり成長しているね』
「…『捌』」
『解じゃなく捌って、殺意高くないかね!? あれか、上から目線が気に障ったのか!? 謝る、謝るから止めて! これ作るの結構面倒だったんだよ!』
「牛は十分だ、次は豚を寄越せ。野菜は人参、馬鈴薯を主にしろ」
『なんて図々しい…分かった、分かったから指を上げないで! 送るよ、ちゃんと送るから!』
「たかが機械一つに焦るな。また作れるだろう?」
『面倒だったって言ったろう?
「量子物理学の仮説…スワンプマンの原理を応用した、現実的な立体映像を作り出すホログラムだったか。そのアレイスターとやらなら、容易に作るのだろうな」
『言わないでくれよ、悲しくなる。後輩に科学力で敗北しているという事実を受け入れたくないよ私は』
男は膝をつき、項垂れる。大の男が情けなく落ち込んでいる様を見て、愉快愉快と宿儺は嗤っていた。
スワンプマン。アメリカの哲学者ドナルド・デヴィッドソンが考案した思考実験。
簡単に言えば、もし自分の死後、自分と全く同じ記憶や体を持つ存在「スワンプマン」が生まれたら、それは自分と別人なのか、というもの。
質量すらも感じる事が出来る
しかし、科学力が凄まじい学園都市ではなく外の世界で是を作ったというのは、確かな偉業である。
「何だ、お前は先人だったのか? アレイスター=クロウリーの方が先人だと思っていたが」
『私が先人だよ。まぁ、世界的にもインパクト的にもアレイスターの方が強いし、私がマイナーも良い所なのは確かだよ。
「えらく感情的だな。そこまで悔しいか?」
『――――――無論、悔しいとも』
何事もなかった様に立ち上がり、男は断言した。
その顔には、罪悪感があり。悔しさがあり。嬉しさがあり。悲しさがあり。様々な感情が一気に詰め込まれている様だった。
『
「くだらんな。そんな事を考えたところで、どうにもならんだろう」
『そうだね。けれど、くだらないからと一蹴出来る程に私は強くないんだよ、宿儺。傲慢であろうが、贅沢であろうが、私はそう思わずにはいられない――――――だからこそ、今も尚、私は歩みを止めないのさ。君の
「ケヒっ。俺が言ったことは、単なる迷信かもしれんぞ?」
男は、覚悟を語る様に。
ソレを言い放つ。
『――――――