昔、家に怖い人たちが来たことがある。
2人の男。きっと大人。
私はすぐに捕まり紐で縛られて、おばあちゃんも抵抗の末に捕まって。
9歳の子供は何も出来ないまま、祖母と共に乱暴に車へ乗せられた。
家にはもう誰もいない。
お母さんとお父さんが新婚旅行で不在の中狙われた犯行だった。
**
山奥の小屋は意外と暖かかった。
それは人を解体するために解体屋が長居していた理由で、沢山の死体を消すために燃やしていた結果で。
だからきっと、今暖かいのも誰かの人生が薪となった残り香であった。
薄暗い部屋。
手と足にはロープ。けれど、もうそれに拘束する力はない。
ただ垂れかかってるそれを手で解き辺りを見る。
────周りには誰もいない。
一緒だったはずのおばあちゃんも何かを伝えに来た優しそうなお兄さんも、誰もいない。
車に乗せられてこの小屋に来て、それからの記憶があまりにぼんやりとしている。
だから意識がはっきりしたその時、一条花蓮は1人だった。
「おい、どういう事だよ……あの子供売っぱらったら解散って話じゃなかったのかよ!」
隣の部屋で男の鳴き声。
ドアの隙間を覗く。
さっき何かを伝えに来た優しそうなお兄さんとロープで縛られたおばあちゃんがあの男2人に嬲られている。
ドクン、と高鳴る胸。
あ────、と自分が置かれている状況に追いつく。
途端に現実感は戻ってきて、微かに震えが始まった。
末端は冷たく背骨をギチギチと凍らせる恐怖感が花蓮の身体にまとわりつく。
けれど、視界はその地獄を見せ続ける。
刺されるおばあちゃん。喉を切られる男。
その映像だけで9年という少女の倫理観と道徳心はめちゃめちゃに切り刻まれた。
助けたいという想いも助かりたいという思いも何を追いつかず、ただただその地獄に夢中になるしかない。
胸を刺す、その一挙手を。崩れる身体に追い打ちをかける一投足を。
ただ目で追うしかない。
ドクンドクン、と鼓動が止まらない。
私に出来ることは何も無い。
言われた通り走って逃げるのか、それともここで見つかるまで怯え震えてるのか、その二択しかない。
だから。
きっとこの日、
**
放課後。
夕暮れが包む校舎に生徒の足音。
部活を終えた生徒たちがやっと解放されたかのように帰宅の準備を始めていた。
そんな折、少女はある少年を見つめている。
少女───身長は158cm、顔は柔らかいとも鋭いとも取れない大人しい普通レベル、体重は社外秘にて黙々、将来の夢は星に触れること───つまるところ、平均的で普通の高校2年生なのが私、『一条花蓮』だ。
だからいつも通り、私は授業を終えて部活を終えて帰宅している。
平々凡々、退屈な時間を垂れ流すそんな毎日の中で。
ふいに、風が吹いた。
一日の授業よりも恋。
三食のご飯よりも愛。
甘酸っぱくて見てられない青春、とうとう私にもそういったキッカケが訪れたのだ。
────気になるのかと言われれば確かに気になっていた。
天体部を終え友人二人と歩く中、彼を見かけると自然に足が止まるぐらいには夢中だった。
教室。
彼は窓際の席でつまらなさそうに外を見ていた。
だから廊下から見ている私には彼の顔が見えない。
残念? ─────いいや、
こちらを向いていないのなら、こちらから仕掛けてもきっと最期までバレない。
鞄をガサゴソ。
目的のものはない。
しかたなく筆箱からペンを取る。
確実性は減るが結局は狙う場所だ。例えここに刃物があったって的が広けりゃ意味は無い。むしろ、ここにペンしかないのなら的は自然と絞られる。
脳天。
1点を5回、息する間もなく瞬きの間もなく突き詰められれば目的は自ずと達せられる。
────気になるのかと言われれば気になっていた。夢中だった。
好きとか恋とか愛とか。そんなフクザツなものより、もっと本能的な凌辱の話。
私はただ彼に会いたかった。
彼と話したい。
彼に触れたい。
彼を◼️したい。
きっと誰だってそう。
青春を謳歌する獣ならば。
ただ
向こうから声がする。
いつの間にか隣にいない私を友人たちが探している。
けれど、もう遅い。教室に入ってしまった。
止められない。止まらない。
──────ああ、なんて素晴らしき逢瀬か。
ドラマでいうなら告白シーン。
人生で1番輝く瞬間だ。
ドキドキする。ワクワクする。
だってこれは私にとっての初夜だ。あの恋愛小説のキャラたちもこんな高揚を胸に挑んだに違いない。
─────────、と足音鳴らず。
彼の背後にたどり着く。
好きでは一過性だ─────時間の経過に形を保てない。
恋ではニセモノだ─────1種の衝動でしかないそれは輝きを保てない。
愛ではすぐ穢れる─────人の心に動きがある以上その価値は変動する。
ならば、どうするか────
カチリ、と凶器を押し出す。ペンを振り上げる。
──────簡単だ。
この世にあるものが劣化の一途なら、壊せばその美しさは私の中で保たれる。
「あのっ、こんにちはっ!」
じたばた暴れる心のままに。
私は彼に
**
──────飛び散る血潮。
いや、違う。なぜなら私はまだこの告白を
一刺しも達していないなら血なんて出るわけが無い。
見れば、飛び散ったのはペンの刃先。
振り下ろされた凶器は下ろしきる0.2秒の間に何かに撃ち砕かれたのだ。
そして撃ち砕いたのは今地面に降り立ったそれだ。
それは、その種としてみれば普通のサイズ。
ただ普通とは違っていたものは、その体には不釣り合いなほど巨大化した顎。目にも止まらない高速落下を成し遂げた身体。
それは何があったのか、下半身は爆散し上体だけでまだ動こうとする虫だ。
その色合いと上体のフォルムでなんとかそれが蟻だったのだと分かる。
だが問題なのはそこではない。
告白が失敗した。それはいい、次に活かせばいい。
告白は虫に阻まれた。それはムカつくがまだいい。どうやった、とかもどうでもいい。
ここでもっとも重要なのは、この蟻はペンを目掛けて『上から』落ちてきたということ。
「っ!」
がさがさ、と。
蠢く音に、今更ながら気付かされた。
虫。
虫。
虫。
虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫虫
教室の天井は万を超える虫の住処となっていた。
*
落ちてきた蟻は、それ以上踏み込むなという警告だ。
部外者が教室に入った途端、その万を超える複眼は部外者に狙いを定めていた。
私はその気配にすら気づかず奴らの主にペンを振りかぶり、そこを的確に撃ち抜かれたのだ。
「──────」
立場は逆転している。
いや、そもそも相手の規模を測り損ねていた。私は自ら罠にハマったにすぎない。
目は天井に向けたまま少しずつ少しずつ廊下へと向かう。
『逃げろ』
このままでは死ぬ。そんな分かりきったことを本能は教えてくる。
当然だ。唯一の武器はいま砕かれた。いや、この際武器なんてどうでもいい。
圧倒的不利な状況も。
告白が失敗した悲しみも。
今は全部気にならないほどに、私はその天井に目を奪われていたのだから。
「─────なに、あれ」
視界の先は、まさに蠱毒の終着であった。
天井に張り付く無数の虫は花蓮の知っている虫では無い。
蟻、蝶、蛾、ムカデ、ゴキブリ、蜘蛛、ゾウムシ、蜂、なにかの幼虫etc……
パッと見なら普段目にする虫でしかない。けれど、奴らの全てはその普段の形をしていない。
肥大化した顎、刃物が生えている羽、うねるスライムもどき、巨大化した針、全身に渡る複眼………
生物の枠組みにいてはならない異端物。
その全て、虫ではなく妖怪にしか見えない。
「あ、あんな虫、しらな」
「式神だバーカ」
途端、前から声。
上ばかり見ていた私はその目線を戻し切る前に。
「死に晒せ悪魔ァ!!!」
「ぶぐふぁッ!!!??」
ダンプカーとの正面衝突。
それ以上の衝撃が一条花蓮の顔面を襲った。
痛みによる死の恐怖よりも。
負けた後のこの後の悲惨な展開よりも。
旋回する視界から。
きっと回転しながら吹き飛んでいる自身の姿を私は思い浮かべた。